シェルター

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「ダークハウス」もそうだが、こういう映画って切れ目なく作られている。精神分析医のカーラ(ジュリアン・ムーア)は多重人格を信じない。今回もウソと断定し、その結果被告は死刑になるが、心は晴れず、強い酒をあおる。彼女の夫は三年前強盗に殺され、そのせいでまだ幼い娘サミーは神様を信じない。仕事で家をあける時、カーラは弟のスティーブンにサミーを預かってもらう。彼は作曲家か。カーラは父レイサムから興味深い患者を見つけたと連絡を受ける。放浪罪で警察につかまり、研究所に回されてきたというデヴィッド(ジョナサン・リース・マイヤーズ)は車椅子で大人しく、変わったところはない。ところがあるきっかけで粗暴な性格のアダムに変身。不自由なはずの足も何ともなくなる。レイサムは娘の固定観念をこれで覆せる・・とうれしくてたまらない。「楽しめ」とか不謹慎な感じで不快。しかも自分ではデヴィッドの背景とか調べていない。もちろん主人公はカーラだから彼女が全部やるに決まってるけど、無責任な感じ。普通なら刑事とか研究者と組んで行動するが、彼女が一人でやる。髪を垂らしているのが気になる。指でかき上げるのが気になる。どうしてまとめないのだろう。ゴムヒモ一つあればそれですむのに。いつも口を開けている。いつも・・汗を拭きすぎてカサカサになったような肌をしている。粉をふいているように見える。娘との関係も気になる。こちらはベタベタジトジト。たぶんムーアはこの作品はただのホラーじゃないと思ってる。母と娘の絆を描いた感動的なドラマだと思っている。だからこそ出演したのだと。家族愛だけじゃない、ヒロインは神への愛を試されるのだとか監督あたりも言いそうだな。「え?テーマ?ないない、そんなもん。見て楽しけりゃいいのよ」なんて言うはずがない。いやこれは私の勝手な妄想だから無視してかまわんけどさ。つまりこういうアホ映画でアカデミー賞級の熱演なんてこちとら期待してないわけ。それよりもここがああなってあれがこうなって、これは実はあれなんでしたとかさ、見終わった時に腑に落ちるものであって欲しいわけ。おさまるところへおさまって欲しいわけ。髪は縛って肌には乳液塗って欲しいわけ。ドカンと音がしたけど画面にはうつってないとか、背を向けるはずないのにずっと向けてるとか、ビデオの画面がちらつくとか、じらすようなことばっかりやってる。

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悲しみにくれるカーラを延々とうつす。だから・・アカデミー賞は意識しなくていいんだってば。ケータイだかスマホだかにずっとかじりついている。ろくに前を見ないで運転している。1918年に8歳なら、今は100歳くらいのはずだがとか、1918年に老婆なら今は何歳なんだ?とか。いやもう一覧表にしたくなるほどおかしなことがゾロゾロ出てきて。私だってジョナサンが出てなきゃこんなの見ませんてば。ジョナサンが出てるから見る気になったんですってば。「シャドウハンター」を見て、あらいつの間にかたくましくなったのねえってびっくりしたんだっけ。あれを見ている時はこの人誰だろうって思ってて。まさかあのはかなげな美少年が・・って。変わったと言ってもまだ若いからシワもたるみもなく安心して見ていられる。花の盛りは短くてあっという間に太ったり薄くなったり後退したり。よくあるでしょあとかたもなくってのが。でもジョナサンはまだ大丈夫。ちょびっとヒゲがあるけど、私はない方がいいな。ネットで調べると、不精ヒゲにボサボサ頭で酒ビン持ってとか、おなかぽっこりという写真が出てくる。こういう・・顔つきも体つきも無駄のない、演技もアクションも申し分なしの状態キープできますように。飲酒の悪癖から抜け出していますように。ファンからのお願いです。・・話を戻して、まずデヴィッドを調べるととんでもないことがわかる。彼は1982年に死んでいたのだ。母親に話を聞くと、滑って背骨を折り、歩けなくなって、そのうち医者に出会って希望を持つけどだめで、神に背を向けたと。森で拷問を受けて死んだと。この映画の特徴として、しゃべっていても意味がよくわからないと言うか。ぶつ切りと言うか。見て終わりならいいけど、こうやって感想書こうとすると、結局何を言っていたんだっけ・・となる。デヴィッド、アダムの他にウェスというのも出てくる。1994年に死んだロックバンドのボーカルだ。レイサムの友人で医者のチャールズとしてアダムがサミーに近づいたりする。で、話をしているうちについ神を信じないと言っちゃったせいで・・。アダムの家でカーラは死体を見つけ、それで警察も動き出す・・はずだが、結局ほとんど何もしていない。いくら何でもこの後は刑事と一緒に動くだろうと思ったけど一人で動く。クライマックスも同様。父親は殺され、スティーブンは重傷を負い・・結局どうなったんだ?死んじゃったの?

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カーラがサミーを連れて奮闘するのはお約束。誰も助けてくれない。「フォーガットン」とか「インベージョン」と同じ。母親が子供を思う気持ちの強さをこれでもかとばかりに見せる。私なんか感動するより「またかよ~!」ってうんざりするんですけどね。宇宙人なら退治できるけど、こういう邪悪な魔性のものって退治されずに終わりそう。助かったと見せて実は・・って、よくあるあれ。アダムの家で見つかった死体はアダム本人。じゃあ彼はいったい誰なんだ?ってことに。モンティとかいう老人に会って、彼の父親が撮影したフィルムを見せてもらう。ムーアという牧師が信仰療法士としてやってきたせいで、それまで人々の信仰を集めていたまじない師グラニーは地位を追われる。当時はインフルエンザが猛威をふるっていて。そうそうスペイン風邪って言われてるやつね。第一次世界大戦終結が早まったのは一つにはそのせいって言われてる。日本だと島村抱月がそれで死んじゃって、松井須磨子が悲しんで自殺したってやつ。で、このインフルエンザのせいで村では次々に死者が出る。彼らはそのうちムーアのインチキを知って、彼の娘二人を惨殺。グラニーはムーアから魂を吸い取り、呪いをかけたと。そのせいでムーアは今でも神を信じない者の魂を吸い出しては自分に取り込むと。だから多重人格とは関係なくて、やっぱりカーラの勝ち、レイサムの負けなんだけどさ。カーラは老婆が老人の魂を吸い出し、素手で手術して、終わるとまた魂を戻しているのを目撃。これがあのグラニーなら、いったい何歳だとなるわけだけど、カーラはサミーを助けてくれるのは彼女しかいないと思い込む。で、助けを求めるけど、すげなく断られる。いや、ここですっぱり断られてもなあ・・とびっくりするけど、カーラは一人で戦わなきゃならないって法律で決まってるから仕方ないのよ。それにしても・・と、全員ここで思うわけ。ムーアをあんな存在にしたのはおめーだろうがって。ああやって野放しにしてるから次々に犠牲者が出る。それなのに何で?何とも思わないの?と言うか何でグラニー死なないの?サミーとスティーブンの前に現われたアダムのなかみはレイサムだと思う。

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二人を助けようとしていたんだと思う。とは言え助ける方法を知っていたとは思えんが。スティーブンの方はてっきり敵だと思い込んでる。レイサムだとわかったとしても、いつアダムに変わるかわかったもんじゃないし。ん?待てよ。ムーアの人格って魂を吸い取る時だけ現われるのかな。サミーの信仰心を聞く時はチャールズだったからムーアでなくても・・でも、グラニーによってムーアの魂はムーアの体には戻れなくなっているんだっけ?ああ、ややこしい!フィルムは実にウソっぽいうつし方してたな。8歳のモンティがうつってる必要ないのに。うつってない方が本当っぽく見えるのに。だって1918年に8歳なら2010年には100歳でしょ。と言うか映画は何年の設定なんだろう。まあムーアが魂を抜かれるところや、口に泥を詰め込まれるところを目撃する者が必要だからモンティを出してきたんだろうけど、父親であってもかまわないのに。モンティは父親から話を聞いたってことでもいっこうにかまわないのに。でも・・いいんです、何度も言いますが私これを見たのはジョナサン目当てですから。彼を見ているだけでいいんです。デヴィッドもアダムもどちらもステキでした。サミーになってるところもよかった。でもカーラのバカは彼(彼女?)を絞め殺しちゃうんです。どうもムーアが死ねば魂がサミーに戻って生き返ると思っていたらしいです。サミーは魂抜かれてる状態だったのが動き始めて、やれうれしやとなるけど・・こういうののお約束で、サミーのなかみは・・あら?誰になったんですか?ムーア?ハッピーエンドになんかしてやるもんかとばかりに後味悪く終わらせてあります。まあ日本人から見ると神を信じないと言ったばっかりに運命が暗転するってのは極端すぎますな。魂を出し入れ(?)するってのは仏像でもよくやってる。東京で展示するとかお寺の修復でとか移動する時に魂を抜く儀式をやる。戻ってくるとまた入れて。だから違和感ないけど、素手で手術ってのはやりすぎだな。あのじいちゃんおなかにできた腫瘍取ってもらったんだろうけど、最初に見た時はあたしゃてっきり生体解剖だと思いましたぜ。それにしても見どころはジョナサンだけでした。スティーブン役ネイト・コードリーもかわいかったけど・・やっぱりジョナサン。ジョナサン、タクサン、アリガトサン!!