ソウ

ソウ

公開されてからかなりたっていたので、一回目も二回目もお客さんは少なかった。10人足らずというところか。平日の昼間だしね。私も見ようかどうしようかさんざん迷って、はるばる見に来て、まあ少しばかり後悔したわけよ。あまりの凄まじさにね。最もおぞましいシーンで一人出て行っちゃったけど、ムリないよな。でもあの人真犯人知らないままよ。私は他のところでも書いたけど、血みどろ映画が好きというわけではないの。ジャパニーズホラーもコリアンホラーも全く見ていない。興味がない。まあ予告だけはたくさん見ているからどんな映画があるかは知っているけどさ。見たくなくたって本編の前にかかるんだから見ないわけにはいかないのよ。・・で、見ながら「くだらん・・」とか思うわけ。小物としてケータイがよく使われているけど、私から見ればケータイでキャーキャー言うくらいなら持たなきゃいいじゃん・・てなもんよ。ちなみに私ケータイ持ってません。ダンナは持ってるけど、ダンナの留守中に鳴っても出ない。だって使い方わかんないもーん。さて「ソウ」は設定がおもしろそうだった。「CUBE」meets「SEVEN」ですか?「CUBE」見てません。「SEVEN」はあんまりいい映画だとは思いません。しょーがないお客だよね、まあいいか。あっ、「ライオンズ・ゲート・フィルムズ」なんですか、だったら期待できそー。「ゴッド」でしょ、「フレイルティー」でしょ、もう私のぞっこんベタボレ映画ですもん。途中であっ、モニカ・ポッターだ、ケン・リョンだ・・となって、知らない人ばっかりだろうと予想していたので、けっこういい人揃えてるじゃん・・とうれしくなった。ゴードン役のケアリー・エルウェズは「コレクター」や「ツイスター」に出ていた人だ。私この人見るとベン・マーフィ思い出しちゃう。のっぺりした何となくあいまいな顔していて、声は江守徹氏で。えっ、何の話かって?NHKでやっていた「西部二人組」ですよ。何十年たつか知らんけど。もちろんエルウェズの方がハンサムだけど、ベンと同じで何か印象がうすいのよね。「コレクター」でも「ツイスター」でも、出てきた時には「キャッ、ハンサム!」って飛び上がるんだけど、映画が終わるとなぜか忘れちゃうのよ。顔もよく思い出せないの。この映画ではせり出し始めたおなかが気になった。

ソウ2

まだ顔にはさほど来てないけど、これ以上太らないようよろしくお願いします。二枚目なんだからさ、維持してよ。アダム役のリー・ワネルは新鮮な感じでとてもよかった。他にダニー・グローバーが出ていたけど、エンドロール見るまで全然気がつかなかったな。と言うか、「リーサル・ウェポン」シリーズはジェット・リーのしか見ていないのよ。元々このシリーズには興味ないの。グローバー扮するタップ刑事は、鋭いところはあるもののやることなすこと全部裏目に出てしまう。それは正式な手順を踏まないで気がせくままに行動してしまうからなんだけど、見ている方はその度に失望させられることとなる。さて「ソウ」は見ながら「あっ、ここは○○に似ているなあ」と思うことの多い映画である。例えば腹話術か何かの人形。「サスペリア2」を思い出した。あれってけっこう人形出てくるでしょ。「サスペリア2」と言えばデヴィッド・ヘミングス主演だけど、「ソウ」の上映前「エヴァンジェリスタ」の予告がかかった。これって彼の遺作なのよね。ブタの人形は「ヴィレッジ」を思い出した。あっちはブタじゃないけど、赤い衣装がさ。映画の雰囲気とか色調とかは「フィアー・ドット・コム」や「ナイトウォッチ」。寒々としたところがね。まあ私はそんなにホラー映画見ている方じゃないから、連想するにしてもこれくらいがせいぜいだな。一回目が終わった時にはよっぽど帰ろうかと思った。二回も見る物好きってそういないと思う。・・でもやっぱりもう一度見たんだけどさ。お客は全員一人で来ていた。カップルとか友人どうしで来る人なんてとっくの昔に見に来ちゃっているんだろうな。今頃になって来るのは評判になっているから確かめに来た人とかさ、私みたいに。・・で来るんじゃなかった・・とか思うんだろうな。私はホラー映画だとしても、ただ怖がらせるだけではなくて、何か心に残るものがあって欲しい・・と期待して見に来る。「フレイルティー」なんて私にとってはベストホラー映画である(断言)。「ソウ」は確かに新鮮な驚きを与えてくれる映画だが、感動はしない。と言うか、感動を求めることがそもそも間違っている。作り手も、怖がらせよう驚かせようと思ってはいるが、感動させようとは思っていない。犯人の言いぶんは「多くの人間は生に感謝しない」ということである。

ソウ3

これは普通に考えれば「すべての命は尊い」ということである。だが犯人の思考はゆがんでいて、別の方向に行ってしまっている。犯人はゲームをしかけるが、そのルールは異常である。ゲームを辞書で引くと「勝ち負けを争う遊び」と書いてある。犯人は犯罪ではなくゲームをしているのである。ゲームは遊びであるから善悪とは関係ない。このゲームは人を殺して生き残ることが勝ちだが、人を殺すということが悪であることは考えない。無視する。私からすれば人の生死をゲームにしてしまうことには嫌悪を覚える。だからその時点でこの映画からは感動は得られず、得られるものがもしあるとすれば、視覚的な驚きや怖さに限られるだろうと予想がついた。それを一番感じたのは一人だけゲームに勝って生き残ったアマンダという女性のシーン。「(麻薬中毒から立ち直ることができたことを)犯人に感謝している」と言うのを聞いて「はあ?」と思ったのは私だけ?アンタ感謝する相手が違うでしょーが。おなかに?マーク書かれて、アンタの代わりに死んだあの男性にこそ感謝するべきでしょーが。アンタが殺す立場で、あの男性が殺される立場にあったのは犯人の気まぐれにすぎないのよ。もちろんアマンダだってそんなことはわかっているだろう。ただ認めたくないからねじ曲げて解釈しているだけだ。そうとでも考えなきゃこの先どうやって生きていくのさ。犯人の目的は一見生を粗末に扱っている者に生を感謝させることにあるようだが、実際は違うと思う。生き残った者にさえねじ曲がった考えを持たさずにはいられない犯人のツイステッ度、これがこの映画から私が強く感じるものだ。そう、私この映画見ながら、この映画の題名こそ「ツイステッド」にすべきだよなーって強く思いましたの。・・で、私はそう感じたんだけど、作り手がそういうことを頭に置いているかっていうと、そうも思えないのよね。善と悪とか、生と死とか、なぜ犯人があそこまでゆがんだのかとか、そういう深いものを追究しているとは思えないの。確かに内容や見せ方はひどく不健全で不道徳ではあるけれども、作り手自身には(深みもないが)ゆがんだ思考もない。彼らは単純に、無邪気なまでに「思いついたこと全部入れちゃおう!」って思っているだけのように見える。あのアイデアも使おう、このアイデアも使おう・・その結果の一つが、ああいうゆがんだ犯人像だったということで。

ソウ4

他にも停電した自分の家の中に誰かいるようだ・・とアダムが捜し回るシーンで、彼が光源として利用するのがカメラのフラッシュ。真っ暗な中にフラッシュが閃き、何度目かに・・というお約束の展開。ここなんかどうしてもこのアイデア使いたかったんだろうな・・という気持ちが痛いほど伝わってきて、何とも微笑ましくなってしまう。ホントはここ、ドキドキしなくちゃいけないシーンなのだが。ゼップがゴードンの娘ダイアナを怖がらせて聴診器で心臓の音を聞くところなんか、恐怖を盛り上げるどころか盛り下げていて、ここも気持ちはわかるけどやりすぎて失敗してるぞ。映画を作って、たいていの場合一作目の出来が一番いいのは、手持ちのアイデアを出し惜しみせず全部つぎ込むからだ。その時点では次の機会までとっておこうなんてあんまり思わない(次の機会があるかどうかわからないからね)。それがヒットして次々と作品を作っていくうちに、(手法は手慣れてくるんだけど)アイデアが乏しくなって新鮮味がうすれてしまうのだ。この作り手達もそうならないことを祈る。この新鮮な切り口はそのままに、内容の方も深みを出すことができたら・・いいホラー映画ができると思うよ。深みと言えば、「ソウ」の上映館の向かい側では「ディープ・ブルー」をやっていた。生と死、善と悪について考えるならこの映画の方が最適だよな。アシカの子供の死骸で遊ぶシャチは悪と言えるか・・とかさ。さてこの映画、ありえない内容を新鮮な切り口で見せてくれていて、それはそれでいいんだけど、いくつか気になるところがある。一つは時間の経過である。最初の方でアダムとゴードンが目を覚ました時、そこにある時計は10時半を指している。ゴードンが持っていたテープには「6時までにアダムを殺せ」という犯人の指示が入っている。最初私はこれを、今は午後10時半で、期限が午前6時と解釈していた。それだとアダムやゴードンが何者かに襲われたのが夜中過ぎのように思えるのに(ゴードンの妻アリソンが寝ていることから考えてみても)、目が覚めたら午後10時半というのはおかしいなあ・・と思っていた。ところがノベライズ版だと今は午前10時半で、期限が午後6時となっていて、これで襲われたのが夜中過ぎであることもわかって、時間的には合う。しかし今度はダイアナとアリソンの方が困ったことになるのだぜい。

ソウ5

彼女達が襲われたのはゴードンが出かけた直後である。その後しばられて・・午後6時までずーっとそのまんま?18時間近くも?昼間誰も来ないの?電話は?ゴードンの勤務先からとか、ダイアナの学校だか幼稚園だかからさ。オシッコは?飲まず食わずでおののき泣いていたの?もう一つはゴードンを呼び出したポケベル。呼び出したのはゴードンの浮気相手で、ホテルにいるんだけど、何でこうも都合のいい時間に呼び出すわけ?つまりゼップが家の中に忍び込んでいる時にさ。「ただ会いたくて」なんてうそっぱちで、この女絶対犯人とぐるだぜ、ぐるでないとしても絶対そそのかされたんだぜベイビー・・って思ってたら、あら?違うんですか?じゃあ何、この時間にこのホテルにさしたる理由もなくゴードンを呼び出したのはほんの偶然なわけ?しかも犯人からはホテルの部屋に電話がかかり、駐車場では何か妙な光を浴び(アダムのフラッシュなんだけどね。これがホントのフラッシュ・ゴードン)、それなのになーんもあたりに注意をはらわず、むざむざと犯人の手に落ちているじゃないのよ、アホ。事件全体の時間経過もおかしいよな。ゴードンが犯人にされそうになったのが六ヶ月前でしょ。真犯人にとって六ヶ月は長いのでは?だって進行するでしょ、××が・・。ゆとりありすぎない?まあネタバレになるからこれ以上書かないけどさ。さていろいろ書いてきたように穴ぼこだらけの映画ではあるのよ。でもクライマックスでは仰天させてくれたので、その点ではありがとうございました。最近あんまりないからさ。がっくりさせられることの方が多いからさ。あのシーンはねえ、正直に言います。どんなモンスター映画よりも迫力ありました!ただ起き上がるだけなのに!演じている人の顔も名前も頭に残っていませんけど、あの「ムクムク」は忘れられないでしょう!結局どんなCGよりも怖いのは人間なんですよ。それにしてもパンフでは堂々と・・。結末どころか写真まででかでかと載ってるぞ、オイ。最近のパンフはタネあかししすぎじゃないの?・・てなわけで、見てよかったという気持と、見なきゃよかったという気持が半々で心がゆれ動き、結末のおぞましさにフラフラになりながら帰って行ったのでありました。どちらかと言うと見てよかったと思うけど、もう一度見たいとは思いましぇん。