サイン

サイン

「シックス・センス」はいい映画だった。「アンブレイカブル」はWOWOWで見たけど最後は何じゃそれは・・だった。そしてこの「サイン」。アメリカでは大ヒット?信じられん。だってこれって「金返せ映画」でしょ。脚本料が破格とか内容は絶対秘密とかそういうので興味をあおって、日本でも大ヒットだったんでしょ?二ヶ月たってすいた頃を見計らって行ってきたけどわりとお客さんいたし。映画の出来は同じ頃見た「プロフェシー」の方がよくまとまっていたと思う。主人公はどちらも最愛の妻をなくして深い喪失感におそわれているし、片方は啓示と宇宙人、片方は予言と蛾男という常識では説明できないものと遭遇している。メル・ギブソンとリチャード・ギアという大スターも出ている。それでいて「プロフェシー」の方は三週間で早々と打ち切りである。この差はどこから来るかといえば監督の知名度である。「アンブレイカブル」は今いちだったけど、シャマラン監督ならあっと驚くようなどんでん返し、謎解きの妙があるに違いない・・って。まあその期待は見事に裏切られ、この人そのうち絶対大コケ映画を作るぞと確信して帰ってきましたけど。冒頭から感じるのはそこはかとないケチくささ。メル扮するグラハムが夜窓の外に何かいるのに気がつくのだが、画面が暗くて全然わからん。二度目心して見たけどやっぱりわからん。何かうつっていたの?すごい速さで走るとか、屋根にするすると登っていったとか、実際の姿は全然見せずに言葉だけだから、おいちゃんとやれよ、何を省略しとるんじゃい・・と思ってしまう。家が襲われるところも音だけ。世界中で起こっているはずの異変もテレビやラジオを通じてだけ。アナウンサー役でキラのお父さんがちょこっとうつっていましたな。相変わらず泣きそうな顔して。パニックをうつす必要はないけれど、あれじゃあ危機感は全然伝わってこない。最後の宇宙人だってその前にブラジルから送られてきた衝撃映像とやらですでに姿を見せちゃっているから何の意外性もないし。「お断りしておきますが衝撃的です」なんて気を持たせておいて出てきたのがあれでしょ。見たとたん「ありゃー」と思ったのは私だけではないはずよ。わざとらしく騒ぐ子供達の姿が邪魔なのを「どけッ」とテレビに向かって本気で怒るメリル。宇宙人を見て「アーッ」と律儀に驚くメリル。きゃー何てかわいいの!ホアキンたら・・。

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そしてクライマックスでグラハムの家に現われた宇宙人。「どう考えたらいいのかってずっと思ってたわよ、笑うべきなのかどうかって・・」と感想を述べていたお嬢さん、笑って正解ですよ。それと宇宙人をやっつけるためにメリルがバットをかまえるところも大いに笑ってください。やれやれ高額の脚本料の結果がこれですか?まあ内容を極秘にしていたのはある意味正解でしたけど。さてシャマラン監督の悪いクセはここでも健在だった。耳をすませて聞かなければならない大事なシーンでうるさく音楽を流す。「シックス・センス」の録音テープを聞くところもうるさくて、この監督何を考えているんじゃいと呆れたものだったが、今回も宇宙人の会話とやらをウォーキートーキーで聞くところが音楽でうるさかった。もう一つは自分が出演すること。ゆっくりしゃべって一秒でも長くスクリーンにうつっていたい、思わせぶりな演技でお客の注意を引きつけたいというのが見え見えなのよ。宇宙人を閉じ込めたのならぐだぐだ言ってないでさっさと警察に通報しなさいよ。それに取るものも取りあえず一刻も早くここから離れたいというのに、何で荷物の中に宇宙人の体液だか何だかが付着した衣類(?)があるのよ。それもわざとらしくよく見える位置に。そんなの持ってくはずないでしょ。何だか必要以上に出たがっているようで見ていて不愉快になる。そんなに出たいのならヒッチコック監督みたいにチラリサラリと出た方がいいと思うよ。そしてストーリー上これはどう考えてもおかしいよ・・っていうのがある。シャマラン監督扮するレイに「一匹閉じ込めてある」と言われて、姿は見えないものの貯蔵室にいることは確認できて、それで何でそのまま家に帰ってきちゃうのよ。何で警察に通報しないのよ。前半出てきた女性警官は後半(グラハムの回想シーンは別として)全然出てこないのはなぜなのよ。家族が一つになって力を合わせて戦うというのを描きたかったにせよ、こういう穴をどうして作るのか。そういうつじつまの合わないことが途中であると、その後の展開に乗れないのよね、うそっぽくて。レイは逃げる時「弱点は水らしい」と言い残す。その後で宇宙人の姿を見せてしまうと水をかけられて弱っているのがわかってしまい、クライマックスのお膳立てができなくなってしまう。だからストーリー上ありえないんだけど警察には通報せずそのまま帰ってきてしまったわけ?

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翌朝宇宙人がグラハムの家に忍び込み、あわやというところでコップの水をかぶって・・となる。お客はここでレイの言葉を思い出すという段取り。何だ結局自分を少しでも印象づけようとしてるんじゃん。ここではもう一つ気になることがあった。貯蔵室の入口の戸の下には数センチすきまがある。グラハムは何とか中を覗こうとして台所にあったナイフの刃を差し込む。そりゃあナイフの刃は鏡の代用にはなるけれど、そんな危ないもの普通は差し込まないと思うよ。案の定取られそうになって逆に相手の指を切断し、後ほど現われた宇宙人には指が二本なくて・・といういかにもな展開。この宇宙人、戸をふさいでいる家具がすきまから見えてるっていうのに何で動かそうとしないの?ほぼ人間と同じ体つきだし、遠い宇宙から来るぐらいだから頭だっていいはず。貯蔵室なら道具だって何かあるでしょ。それともそんなこともできないくらい水でダメージ受けていたってわけ?だったらますますレイはグラハムの家になんか電話せず警察に・・ってもういいや。回想シーンでの警官との会話もなあ。妻のコリーンは死にかけているってのに何で長々と状況説明なんかするのよ。一秒でも早くそばへ連れていってやるのが普通でしょ。グラハムは牧師だからパニックを起こすような人じゃない。まあこういう変にテンポののろくさいところがいくつかあるせいか、上映中(二回共)大きないびきが聞こえてきた。こっちがせっかく一生懸命見ているのにガーガーうるさいのは迷惑だが、まあ眠っちゃうのも無理ないかも。私が一番怖かったのは子供達に向かって犬が突然吠えるところ。ワン!てそれだけなんですけどね、飛び上がりそうになるくらいびっくりしましたよ。一生の間にお目にかかることはまずなさそうな宇宙人より、いきなり吠えかかる犬の方がよっぽど怖いよー(私はネコ派)。さてこのように出来の悪い映画なのだが、出演者達はすばらしい演技をしていると思う(一人を除いて)。メルは心に傷を負った誠実で家族思いの父親を演じていて好もしい。声、しゃべり方、大スターはやっぱりどこか違う。息子のモーガン役のローリー・カルキンの演技は、真に迫っているがわざとらしさが全然ない。妹のボー役の女の子は、あんなに小さいのに何であんなに役になりきって自然な演技ができるんだろ。そしてグラハムの弟メリル役のホアキン・フェニックス。

サイン4

最初は子供達の叫び声を聞いてびっくりしてベッドからころがり落ちるシーンで登場。次に眠っているところをグラハムに起こされて「ん・・ハッ」となるところ。鈍い目の覚まし方で私のハートをわしづかみ。事情聴取に来た警官のキャロラインに調子はどうみたいなことを言われてはっきりしない返事をするところ。あんまり頭はよくなくて、物事をてきぱきと運ぶ器用さはなさそう。肝腎な時にいなくて後からノコノコ顔を出すような間の悪いタイプ。昔野球のマイナーリーグにいて、ホームランの記録も持ってる。メジャーに行くのも夢ではなかったのになぜかやめてしまって、妻をなくした兄のそばにいる。給油所で働いているけどなぜか軍隊のパンフレットをもらいに行って、家で読みふけっている。グラハムのことを尊敬し、神のように思っているので、彼が妻のことで神を捨て、恨んでいるのが納得できない。牧師の時そうであったように、彼はいつも皆を力づけ、励ましてくれる存在でなければならないと思っている。さて宇宙人の侵入を防ぐために家中の出入口に板を打ちつける時、(夕食は)何を食べたいという話になって、皆それぞれ食べたいものを言う。最初は何でこんなことを言うのかと妙に思った。食事の途中で襲われたらどうするのかって。二回目を見て、ああこれって一種の「最後の晩餐」のつもりなのかも・・って思えた。モーガンが買ってきた宇宙人に関する本にはどういうわけかこの家そっくりの絵が描かれていた。家の中は燃えているみたいだし、家の前には大人一人と子供二人が倒れているという不吉さ。もしかしたら今晩が最後の・・というわけだ。でなければ一人一人が自分の食べたいものを言って、しかもその通りの料理を作る・・なんてことはしないと思うんだけれど。この忙しい時にね。でもメリルの「チキンのテリヤキ」には思わずにんまりしてしまいましたけどね、かわいー。夕食の席でグラハムはモーガンにせがまれた神への祈りを断固拒否したために、食卓は気まずい雰囲気となってしまう。いらだつグラハムにボーは泣き出し、メリルは困惑する。神を拒否したってことはこれは最後の晩餐じゃないぞ、あくまでも戦うぞ・・っていう意志表示のようにも見えますけどね。まあ最後の晩餐だろうが何だろうが、結局は家族四人が涙ながらに抱き合って結束を固めるというお決まりの展開。アメリカの映画ってこういうの好きだなあ。

サイン5

こんなことをしてモタモタしているから屋根裏部屋の存在をころりと忘れて簡単に侵入をゆるし、地下室に逃げ込んだはいいがモーガンの喘息の薬を忘れてしまう。まあそこが男やもめの行き届かなさというかかえってリアルなんですけどね。犬も後で中に入れてやろうと思っていて忘れて、あわれ宇宙人の餌食に・・ってなんちゅう飼い主じゃ。ところでメルはその存在感で映画の中心にどっしり腰を据えているわけだが、そのまわりでウロウロしているメリルや子供達のやることはけっこう笑える。特にメリルが子供と一緒にアルミのとんがり帽子をかぶっているところはケッサクだ。これは電波だか何だかを反射させて、思考を読み取られないようにする、あるいはあやつられないようにするためで、本人は大真面目なんだけれど。テレビを録画するためにモーガンが「おじさんのテープ使うよ」と言って持ってきたのが「水着特集」のビデオってのも笑える。メリルの「あ・・」という地味な反応がかわいい。このメリル、近所の若者にチームのことなんか全然考えないし、三振の数は人の二倍・・なんて言われて恥をかかされても「振らなきゃ・・と思って」とつぶやくだけ。この「振らなきゃ・・」が後になってきいてくるんだけど、とにかくあんまりぱっとしない。首が太くてがっちりしているけど、肩幅が狭いせいか少年っぽく見える。ボーッとしているようだけど「これだけは受け入れられないってことはある」と食事の席でのグラハムの態度について意見する一途さもある。こういう好青年役のホアキンを見るのは何だかうれしい。さて戦うったってそこは元牧師。家の中には武器なんてない。でも何とか乗りきって夜が明けるとどうやら世界は危機を脱したようでホッと一安心。それにしても電話とかそういう外部とのつながりが全然描かれないね。ただただグラハム一家の孤軍奮闘ぶりが描かれるだけ。こういうのが見ていてケチくさく感じられる原因なんだけど。ニュースでも見ようと納戸からテレビを出してきて、ふと見るとブラウン管に宇宙人の姿がうつっていて、ここが一番のショッキングなシーンのはずなんだけど肝腎の宇宙人があれですからねえ。でもここで今までぽつりぽつりと描かれていた伏線が全部一つに合わさってパズルが完成する。監督の狙いがここにあるのは明らかで、形としてぴったり合わさって一つになるのなら、各ピースはどんなに不自然でもOK。

サイン6

なぜメリルはホームランと三振の両方の記録を作るほど、バットを思いっきり振り続けたのか。なぜモーガンは喘息持ちなのか。なぜボーは水にこだわり、家中にコップを置いて回るのか。妻のコリーンが死ぬ直前グラハムに言った断片的な言葉の意味は・・。それらがスパッと合わさって危機を脱するところはなるほどうまくできている。世界中で出現した謎のサインは、宇宙人の侵略の道しるべだった(まあこれも考えてみれば腑に落ちないのよね。侵略するのにあんなに目立つサインを、普通残さないと思うよ。相手に気づかれないように侵略するのが最善の方法でしょ?)けど、グラハム一家は助かるためのサインをあらかじめ受けていた。これを啓示と思うことで初めて妻の言葉はその本来の意味を持った。啓示と思わない時はそれはただ「見て」「振って」という単語だった。でも誰がこんなサインを送ってくれたのか。それ(送り主)はいるとすれば神しかいない。そこでグラハムは自分が間違っていたことに気づき、再び牧師として生きてゆくことになる。妻の無残な死に様や、モーガンの喘息といったことは、なぜこんな目に会うのかとか、神は本当にいるのかといった否定的なものの考え方につながる。しかし見方を変えれば神の何らかの意志が働いてこのようなことが起きるのであって、今回のように危機を脱する遠因となることもある。だからうわべだけ見て幸運だ不幸だと判断すべきことではないのだ。映画を見終わって感じることはこういうことで、なるほど感動的な主題だとは思う。しかしちょっと待てよ。きのうまで神を捨て恨んでいたグラハムがあっという間に改心ですか?着脱自由の着物じゃあるまいし簡単すぎやしませんか?人間が神を信じることはいいことだけど、信じないことも別に罪ではないと思うよ。だって神が人間を創ったのではなく、人間が神を作ったのだもの。だからいろんな神様がいるんでしょ。人間のいないところでは神は存在しても意味がない。意味がないから存在しないとは言いきれないけど、神の存在場所はいつだって人間の頭の中だ。それと殺されたり食料として連れて行かれた人々がたくさんいるのに、何でグラハムのところだけこんなにたくさんの啓示があったのか。他の人にはなかったのか。まあいくら書いていてもきりがないからもうやめとこ。シャマラン株の大いに下がった映画でした。ホアキン目当ての私は大いに満足しましたけど。