推手
これは公開されるとはるばる新宿まで行って見てきた。確か新宿テアトルだったと思う。一般の人には推手と言っても何のことかわからないだろうが、相手を吹っ飛ばすのはテレビとかで見たことあるかも。わかりやすいからね。でもそれは一面で・・。この映画は世代間のずれとか、文化の違いがたぶんテーマなのだろう。悪意はないけど・・相手を思いやる気持ちはあるんだけど・・どうもうまくいかないという。そういう心理は文章よりも映像の方がわかりやすいから、映画の冒頭ずらずらっと描写される。別に老人と若者でなくても、中国人とアメリカ人でなくても、「あるあるそういうことって」と、共感できる。朱はリビングで黙々と太極拳をする。別に大きな音を立てるわけじゃないけど、隣室でパソコンに向かうマーサには気になる。他人がいて動いている気配が集中力をそぐ。家が狭いため、書斎を義父に明け渡すはめになったのも気に食わない。義父が中国からやってきて一ヶ月、新人作家の彼女は何も書けない。昼の食事の時も目を合わせない。食べているものも違う。朱は肉や野菜の乗った大きなどんぶり飯。マーサは野菜や果物。パンだって白くない。朱から見れば陽の肉や魚、陰の野菜・・両方を取ってこそバランスが取れる。油も使うし、タバコも吸う。外で吸わされているが、後でマーサは庭に捨てられた吸い殻を拾い集めるはめに。言葉が通じないせいもあるが、マーサはストレスをため込む。もっと広い家に越せば・・でも、夫のアレックスはマーサの母の援助は受けたくない。そのうちマーサは胃から出血し、入院する。しかし帰ってくればまたストレスのたまる日々。アレックスも妻と父との板ばさみで苦しむ。そのうち父親が中国人学校で料理を教える陳に好意を持っているらしいことに気づく。アレックスは陳の娘と相談し、二人をくっつけようとする。陳も連れ合いをなくし、台湾から娘のところへ来たものの、婿とうまくいっていないのだ。この二人がくっつけば、息子夫婦、娘夫婦、いずれも助かる。親には幸せになって欲しいし、自分達は自分達で幸せになりたい。朱は全然気づいていなかったけど、陳は娘の電話のやり取りから”悪だくみ”に気づき、誇りを傷つけられる。自分を邪魔にしている。子供の思う通りにはならないと悔しがる。とは言え年を取った自分の体は思うように動かず、それがまた歯がゆく悔しい。
推手2
たぶん彼女は別に朱のことが嫌いなわけではあるまい。ただ、押しつけられるのはいやなのだ。朱の方は何も知らずウキウキしていたことを恥ずかしく思ったのか、自分が邪魔者なのに気づいたのか、置き手紙をして姿を消す。ラストの方で朱はアパートに、アレックス達は広い家に移ったことを考えると、この、姿を消したことは回り道、余計なことに思える。広い家に移ったということは、アレックスが折れて義母の援助を受け入れる気になったのか。最初からそうすればよかったのに。とは言え、この朱の小さな放浪が、そこで起きる出来事がたぶんこの映画の見せ場で。中国人学校で朱は太極拳を教え、同じく料理を教えている陳と出会った。この時の朱は充実しているように見えるが、心の中では生徒に物足りなさを感じていたようだ。あの教え方、あの習い方は見て覚えるの段階だ。推手でもすぐに吹っ飛ばし、みんなが感心して終わり。だから映画を見ている人も推手とはああやって相手を吹っ飛ばすことなのだ・・と思うかも。でも前にも書いたようにそれは一面で。中華料理店で皿洗いの仕事にありついた朱だが、慣れないこととて手際が悪い。オーナーにクビを言い渡されるが、国のことまでバカにされてがまんができなくなり、その場から動こうとしない。チンピラや、果ては警官までが動かそうとしてケガをするはめに。これがテレビで報道され、朱はかえって英雄扱いされることに。でも見ていて爽快な気分にはならない。朱自身気分が落ち込む。別に彼は暴力はふるってないのだ。押されてもつかみかかられてもその場を動かないのは、相手の力を吸収して無力化しているからだ。相手がケガをしたとしたら、それは自分の力が自分にはね返ってきただけのこと。それでもまわりには朱がケガをさせたように見えてしまうけど。人が武術を、武道を習得する目的にはいろいろあると思うが、人と戦わないですませる、争いを避けるというのもその一つだ。あの場合朱はオーナーの暴言も黙って受け流し、その場を去ることもできた。そうすれば争いは生まれず、したがって勝ち負けも生じなかった。そうしないで相手をしてしまったことで、朱はオーナーと同じ次元まで落ちてしまった。そこで勝っても負けても残るのは空しさだけだ。自分はいったい何のために長い間修行してきたのか。こういう争いを避けるためではなかったのか。
推手3
ラストでは朱は再び中国人学校で太極拳をやっている。たぶん別の学校か。生徒は誰もいないけど、一人で名称を言いながらやっている。そのうち生徒がたくさんしたがうようになる。また前と同じだ。違うのは一人暮らしをしていることだ。自分も独立しなければ。陳が買い物のついでに立ち寄る。彼女も一人暮らしを始めた。二人のアパートはそんなに離れていない。たぶん二人はこの後もう少し親しくなるのだろう。でも今ははっきりしたことはわからない。ちょっとあいまいな感じで映画は終わる。始まった時の鮮やかな感じとは違うが、どちらも「あるある」なことには変わりはない。まあいかにもわかったようなことをだらだらと書いてきたが、答えの見つからない・・深遠なことは置いといて・・もっと軽いことを書こう。朱が陳に贈ろうと何やら書いているシーン。前から見ると普通に机に向かっているが、後ろから見ると・・椅子がない!エア椅子だ。馬歩で足腰の鍛錬だ!練習中陳と会話する朱。生徒の・・おそろしく太った男性は白鶴亮翅のまま動けない。このシーンを見て思い出す。S先生が講習の時言ってたな・・習っていた時のこと、先生が説明している間ずっとこの姿勢を取らされ、足はふるえるし汗は出てくるしで大変だったと我々を笑わせてくれた。退屈しのぎにビデオを次々に見る朱だが、どれもこれも気に入らない。香港製カンフー映画・・あんなの武術じゃない。そのうち京劇か何かを見始める。マーサにヘッドホンをつけさせられるが、そのうち一緒に歌い出してしまう。それを見てまた思い出す。来日したM先生を招いての食事の時、京劇だか何かの一節を歌ってくれた。一緒にいた若い先生を息子役に、自分は年老いた母親役という設定で歌ってくれた。たいていの先生はその頃(中国で)はやっていた「北国の春」とかをカラオケで歌ったが、こうやって伝統的なものを披露してくれることもあった。朱の使うどんぶりの大きさも印象的だ。70歳という設定だが、中国人は食べることを大事にするのだ。それでいて体に悪いタバコもスパスパやってる。朱役ラン・シャン(郎雄)ははまり役。風格が漂う。陳役ワン・ライの出演作に「人之初」があるけど、ブルース・リーの出演作に同じ題名のがなかったっけ?孫のジェレミーやってるのは監督アン・リーの息子。それにしても見ている人は朱や陳よりアレックスに同情すると思う。妻を愛しているけど、父には自分を育ててくれた恩がある。ストレスがたまってマーサ以上に苦しかっただろう。