サイコシリーズ

サイコ2

ヒッチコック監督による「サイコ」が傑作だというのは誰もが認めるところだけど、そのせいでかえって感想は書きにくい・・みたいな。その点「2」や「3」なら気は楽。「2」はずーっとずーっと前に一度「月曜ロードショー」か何かで見たんだと思う。でも別にどうってことなくて、ところどころ(例えば食堂でのメモのシーンとか)覚えているけど、ラストなんて完全に忘れていて・・。「1」はNHKのBSあたりで時々やるけど「2」はやらないし(「3」や「4」に至っては作られていることさえ最近まで知らなかった)。でも別に見たいとも思わなかったんだけど、古本屋で「サイコ」の原作買って読んで、BSは録画しなかったからDVDレンタルして見て・・。この年になると若い頃見た時とはまた別の印象あるし、アンソニー・パーキンスは昔からわりと好きだし・・。で、結局DVD買っちまいましたとさ。そのうちにまたもや古本屋で今度は「サイコ2」見つけて読んで、ついでにビデオをレンタルして見て・・。驚いたことに本と映画は内容全然違うんですよ。失望したのは確かだけど本は本でおもしろいし、まあ二種類の「サイコ2」を楽しめるんだからいいじゃないかと思い直し。そのうちにDVDの廉価版が出たので「2」も「3」も買いましたよ。私も好きねえ・・。さて映画の「2」ですけど、印象としてはちょっとモタモタしてる。それはなぜかと言うと、最初の方でノーマン(パーキンス)がメアリー(メグ・ティリー)と知り合って、家に泊めることになって・・なんていう部分で、メアリーがやたら電話をかける。電話と言えば死んだはずのノーマンの母親からの伝言が電話の下に置いてあったり、母を名乗る謎の人物から電話がかかってきたり、いろいろ小道具として使われるわけです。その上メアリーがBFと電話でもめているシーンが入るから、話がちっとも進まなくて停滞感があるわけ。それともう一つはノーマン自身。いつもこわばったような姿勢。「1」だとそれでもまだ若々しくて軽快だけど、中年になって、大きな体を持てあましているような、不器用な動きがいっそう目立つわけ。表情もこわばってるし、まあ意識的にそうやっているんだろうけど、全体的にはのろくさくてワンパターンに見えちゃう。さて、退院と言うか出所と言うか、家に戻ってきたノーマンは食堂で働くんだけど、勤まるわけない。

サイコ2 2

不器用だし要領悪いし。映画だと二日くらいしか働いてなくて、またモーテルやろうとするわけ。今はトゥーミーという男が管理しているんだけどラブホテルみたいになってるし、ドラッグも見つかるしで、ノーマンは怒ってトゥーミーをクビにしちゃう。ペンキ塗り直してきちんとして、また昔のように客を迎えたい。彼にはマイペースでできるこっちの仕事の方が性に合っているのだ。このままいけば普通に暮らせたかもしれない。今の彼は昔のノーマンではない。ちゃんと治療を受け、生まれ変わって出てきたのだ。でもまわりが・・運命が・・彼をほうっておかない。彼の社会復帰を喜ばないライラのような人間がいて騒ぎ立てる。映画でも原作でも「1」のライラは言い出したら引かない強引な性格。姉マリオンの婚約者サムも手を焼く。もっともこの強引な性格のおかげでノーマンの犯行が明るみに出たんだけどさ。ノーマンが病院送りになった後二人は結婚。しかしライラの性格から見て、結婚生活は平穏無事とはいかなかったろうなあ・・。サムが早死にしたのはそのせいか・・なんちゃって。とにかく復讐に燃えるライラは、娘のメアリーに手伝わせ、ノーマンを精神的に追いつめ、再び病院送りにしてやろうと企む。最初は協力していたメアリーだが、ノーマンに接してみれば物静かで親切な孤独な男。自分達のせいで、彼が精神的に追いつめられていくのを見て罪悪感を覚える。彼は一生懸命普通に生きようと努力しているのに・・と、母ライラへの反発がつのる。その一方でトゥーミーや、地下室にもぐり込んだカップルの片割れの身にナイフが・・。ノーマンに罪を着せようとするライラの犯行なのか(彼女はノーマンを陥れるためなら殺人すらやりかねない)、実は治っていないノーマンの犯行なのか、それとも他の誰かの犯行なのか。前にも書いたように全体的にモタモタしてるし、途中いくつかの事件は起きるもののさして強烈でもなく・・。ストーリーのほとんどを忘れていたのはそのせいかも。今回はカラーだが、冒頭はモノクロ。「1」の有名なシャワーシーンがくっついている。そしてあの家・・ノーマンの悲痛な叫び・・そこからカラーになって現在になって・・という趣向。今回はモーテルはあまり出ず、もっぱらおもやが舞台。母親の部屋、ノーマンの部屋、階段、地下室・・。それに今回は台所や屋根裏部屋も。

サイコ2 3

「1」ではあまりはっきりとはわからないおもやの内部をはっきり(カラーで)見せてくれて、我々の好奇心を満足させてくれる。窓にちらりと見える女性のカゲ、壁にあけられた覗き穴、広い台所での簡素な食事、ピアノを弾くノーマン。前作と同じ部分もあれば、今回新しく見せてくれる部分もあり、懐かしくもあり新鮮でもあり・・。ライラ役は「1」に続きヴェラ・マイルズ。22年たっても姉を殺された恨みはつのるばかり。ヒステリックで憎たらしいがマイルズは美しい。メグ・ティリーはういういしく新鮮。あまり演技がうまいとも思えないのだが、それを補ってあまりある魅力の持ち主。「アグネス」では清楚な修道女姿を見せてくれた。黒い髪、黒い瞳、ちょっと目がつり上がっていて東洋風なムードもある。もっと人気が出るかと思ったが・・妹のジェニファー・ティリーの方が知名度あるかも。トゥーミー役はデニス・フランツ。まだ若い!精神科医レイモンド役はロバート・ロジア。この人とにかく地味。私はテレビの「キャット」で彼を知ったんだけど・・もう一度見たいんだけど・・かなわぬ夢ですな。印象に残るようなテレビシリーズじゃないんですよ。30分の地味なサスペンスもの。でも夜のムードが・・、ピカピカ光るネコの目が・・、あのイントロが・・、黒ずくめのキャット(ロジア)が・・いったい何十年前の話じゃい!話を戻してパーキンス、あんなにこわばりっぱなしで肩がこるだろうなあ・・なんて思いながら見ていて、それが終盤になって殺・殺・殺。その間にイタそうなシーンもあるし。私このシーンになるといつもあらぬ方向に目をそらしますの。だって正視できないもーん。痛いのいや~素手でナイフをつかみ・・キャーいや~。あッ、ホラーお約束のお色気シーンと笑えるシーンもありますよ。お色気シーンはメアリーの入浴シーンがちらり。地下室にもぐり込んだバカップルのイチャシーン(←イチャイチャまでいかないうちに片割れ殺されます)。笑えるってのは・・パーキンスは大真面目でやってるんだけど怖くなくて笑っちゃうシーン。ナイフ持って目をむいてこっち向いてすごむシーンとか、メアリーがふと目覚めるとナイフ持ったノーマンが突っ立って見下ろしているとか。あと腕を組んで顔をうずめるんだけど一瞬ちらっとベッドに寝ているメアリーを盗み見るとか。いかにもパーキンスらしいしぐさで微笑ましい。

サイコ2 4

で、また話を戻して、ああなってこうなって続けて悲劇・惨劇が起こって、みんな死んじゃう。でもノーマンは全然疑われない。何しろライラは騒ぎ立ててまわりの印象悪くしてるし、メアリーはその娘だ。それにこの時点までノーマンは誰も殺してないし、むしろ被害者。みんな死んで、じゃこれで終わりかな。これで終わりでも別にかまわないよな~なんて思っていると・・まだ続く。家に帰って、地下室でさっきまでライラが埋められていた石炭くべて・・そんなことやってるとナイフで切った両手からまた出血して・・その手を胸の前に組んで・・ああ!受難の人ノーマン。印象的な幕切れ・・と思ったらまだ続く。今度は台所で一人で食事。そこへ・・家に向かって誰か歩いてくる。このシーンがいいんですよ!雲行きの怪しい夜空、そそり立つ家、謎の人物。長いスカート・・ってことは女性!この人物の登場で真相が明らかになるわけです。たいていのことはライラとメアリーの仕業としてかたづけられちゃったけど、保安官達はそれで全部説明がつくと思い込んじゃったけど、この人がいたんですよ。正直言って最初見ていた時はこの人の存在は忘れていたのよ。出てくるのは最初の方だけだし、印象に残るようなキャラでもない。でも最後になってまた出てきて、重要な人物だってわかるんだけど、そのだまされ感が快い。しゃべり方とかちょっとした目つきがうまい。普段は正常に見えるけど今はそんな見せかけはみんな取り払っているから、異常さ狡猾さをちらりちらりと見せるわけ。こういう役にこういううまい人を持ってきているから説得力があって、「2」の評価も上がるんだと思う。その上ノーマンがいきなりびっくりするような行動取るでしょ。あれどうやって撮影したのかな・・。ともあれ、はいッこれで22年間の治療はムダになりました~。ノーマンは元に戻りました~。これからも続けるでしょう~。そんな感じのラストシーンです。ジェリー・ゴールドスミスの物悲しい音楽がいいですな。・・てなわけで、私「2」はなかなかよくできていると思います!さて・・小説の方の「2」について少し。「1」の事件の何年後かははっきりしないが、だいぶよくなったと思われていたノーマン。しかしある時修道女の格好で病院から抜け出す。ノーマンを診察していたクレイボーンがあとを追うが、焼けた車が見つかる。

サイコ2 5

焼死体はノーマンか、途中で乗せたヒッチハイカーか。その後サムとライラが殺される。どうやらノーマンは生きていて、ハリウッドへ向かったようだ。なぜならあの事件がメアリー(映画のマリオン)そっくりの女優を使って映画化されることになったからだ。まわりの者は焼死体はノーマンで、サムとライラの殺害はただの偶然だと思っている。しかしクレイボーンはノーマンは生きていると確信している。・・要するに映画の「2」とは全く違うストーリー。ノーマンは出てこず、時々カゲが差すだけ。そしてあっと驚くどんでん返し。興味深いのは、映画製作の裏事情が描かれていること。もちろんクレイボーンは映画化には反対する。しかしアドバイザーとして協力することを承知する。ノーマンのことを一番よく知っているのは自分である。製作を阻止できないのなら、せめて正確に作られるよう自分がそばにいた方がいい。しかしもちろん製作側はヒットするような作りにしたいし、俳優達は自分を目立たせたい。いろんな思惑が絡み合い・・。こういう内容にしたのは、ヒッチコックによって作られた映画の「サイコ」が、原作以上に有名になり、一人歩きしていることへの原作者ロバート・ブロックの腹いせかな・・なんて思うのは私だけ?小説ではノーマンは出てこなくなるし、ベイツ・モーテルはなぜか焼失したことになってる。主役(ノーマン)も舞台(モーテル)も出さず、意識的に「1」から離れようとしている。それでいて事件をハリウッドが映画化という内容。事件は再現されるが、それは金儲けのため(実は懐具合が苦しいプロデューサー)、有名になるため(チャンスをものにしたい女優)、自分の異常な嗜好を満足させたいため(監督は半分気が狂っている)。出てくる映画関係者はみんなろくなやつじゃない。この小説が出たのは1982年。ヒッチコックは1980年に亡くなっている。しかも・・何度もくり返すがこの小説では生身のノーマンは活躍しないのだ。だからこの小説はヒッチコックともパーキンスとも無縁でいられる。ブロックの小説でいられる。主人公はほとんどクレイボーンだと言える。いかにも1980年代に書かれた小説らしく、彼はカーリーヘアーである。しかし私は読んでいる間中クレイボーンにはジェームズ・ドナルドをあてはめていた。若くて背が高くて温厚なインテリ。もちろんカーリーヘアーじゃなくて7:3分け・・。

サイコ3 怨霊の囁き

「2」はそれでもまずまずの評判だったけど、「3」となると・・。「4」もあるけどレンタルもセルも見当たらない。「3」よりもっとひどい出来なのかしら(見るのが楽しみ!)。まあ人の批評はね、参考にはするけど、まずは自分の目で見てみないとね。・・てなわけで「3」もDVD買いました。「2」は「1」と、「3」は「2」とつながっている。「2」は感想でも書いたけどすでに小説からは独立したストーリー。小説ではノーマンは××しちゃってるからそれ以上は続かないんです。前に戻るってんなら別ですけど。映画の「4」はそれをやってるらしいです。さて、「3」を見ると「2」の小説との共通点があってにんまりしちゃいます。修道女が出てくるところ。ヒッチハイク。車を運転しているノーマンに危機が迫るところ。ヒロインがマリオンに似ているところ。顔立ちだけでは説得力がないとでも思ったのか、ヒロインの頭文字をM・Cとし、トランクに刻まれたそれを見てノーマンがギクッとするシーンを入れてある。ヒロインが魅力的かどうかは、ホラーやサスペンス物の重要な要素だが、この映画でのヒロイン、ダイアナ・スカーウィッドは魅力ゼロである。ジャネット・リーに似ていないこともないが、しょぼいと言うか、何でこんなの出してくるの?・・と不思議に思うくらいつまらないキャラ。彼女モーリーンは修道女になる決心がつかず、飛び降り自殺をはかろうとするが、いざとなると度胸がない。助けようとした修道女が代わりに転落死してしまい・・ああ、私って生きている価値のない女なのだわ・・と絶望して、トランク一つでヒッチハイク。乗せてくれたデュークにはもちろん下心があって、拒んだら雨の中ほうり出されちゃった。デュークはベイツ・モーテルが求人中なのを幸い、住み込みで働き始めるが、お金はくすねるわ女は引っ張り込むわ。見るからにうさんくさいデュークをノーマンが雇うなんてありえないんだけど、考えてみれば悪名高いベイツ・モーテルで働こうなんて、デュークみたいな(事情を知らない)流れ者のろくでなしくらいなもので・・。何の因果か、モーリーンまでベイツ・モーテルへ。もちろんノーマンはお約束の覗き見。向こうがこれから入浴というのもお約束。早速女装し、ナイフ片手に・・出発進行!もう正体わかってるから、つまり女装したノーマンだってわかってるからドキドキもなし。

サイコ3 怨霊の囁き2

治療した22年間がムダだったことは「2」でわかってる。それに・・モーリーンはあんまり気の毒じゃない。自分だけじゃなくまわりの者まで不幸にする女。シャワーカーテンをパッと開けると、びっくりするのはノーマンの方。両手首を切ったモーリーン、バスタブの湯は血に染まり・・。しかも、しかもですよ、モーリーンはぼーっとなってるから女装したノーマンを聖母マリアだと、光るナイフを銀の十字架だと思い込むんです。ノーマンは正気に返り、救急車を呼び、保安官によくやったとほめられるんですよ。ホラー映画にはお色気と笑いが欠かせないけど、ここでしっかり笑いを取るわけです。ただしゆがんだ笑いですけどね。「2」からのおなじみキャラとしてこの保安官が引き続き顔を見せる。他に食堂のおやじとウエートレスのミルナも出ていて、律儀なファン(たいていの人は「1」は見ても「2」や「3」は見ないでしょ?)を喜ばせてくれるわけですな。パーキンスは長身(188センチ)だけど、保安官役ヒュー・ギリンはもっと体格がいい(193センチ)ので、ノーマンは縮こまっているように見える。「2」ではそうも見えなかったけど・・そろそろパーキンスに病の徴候でも・・なんて勘ぐりたくなるのは私だけ?一方お色気の方は・・「1」ではまだ「古きよき時代」と言うか、表現にも制約があって、でもその中で俳優の演技力とか撮影の工夫で十分色っぽさを出していた。「2」ではメグ・ティリーのういういしさが光っていた。しかし「3」では・・情緒も新鮮さもなし。監督はパーキンス自身だけど、あのぅやっぱりそういうシーン入れなくちゃならないと思ったわけ?「1」は傑作で、「2」はまあまあで、でも「3」はやっぱりぐっと安っぽくなっちゃうわけ?そりゃノーマン自身がイチャイチャするわけにはいかないから、その代わりが必要なんだけどさ。若い女性二人の殺害シーンはシュッ、スパッ、ドスドスッ・・やたらめったら手際がよくてあっという間。別の意味で怖いですよ。・・つまり、時間をかけてねちねち楽しむってことがない。時間が長いと苦痛も長いけど、すきを見て・・なんてことも運がよければありうるけど、この場合待ったなしですから。えッ何?何で?・・とわけわからないうちに殺されちゃう。こういうショッキングな描写はよかったと思う。

サイコ3 怨霊の囁き3

さて「2」の評価がよかったのは、殺人が誰の仕業かはっきりしなくて、最後にはっきりすることと、その殺人犯に対してノーマンが取った行動のショッキングさにあると思う。後味がいいとは言えないが、鮮やかな幕切れだった。それと復讐に燃えるライラがノーマンを苦しめるというはっきりしたテーマがあった。ライラの気持ちもわかるし、ノーマンはかわいそうだし、間でゆれるメアリーの気持ちもわかる。つまり登場人物に共感できた。ところが「3」では起こる殺人が全部ノーマンの仕業だとわかっているからサプライズがない。しかも手際がいいから失敗しない。そうなると見どころはどこに?鮮やかに殺人をやってのけたノーマンは、正気に返ればただの不器用な中年男。あわてて犯行隠しに奔走する。せっせと電話ボックスを洗ったり、氷入れに隠した死体が見つかるのでは・・とはらはらしたり。保安官が血の色をした氷を口に入れるところとか、後で死体を取り出そうとしたら凍りついてしまって取り出せず、力まかせにやったら(死体の腕が)ボキッと折れてしまうところとか、ブラックな笑いがいい。他にも家宅捜索されそうになってあわてたら、あるはずの○○の死体がなくて仰天したり。これは過去の事件を知ったデュークが、ノーマンからお金をしぼり取ろうとして隠したのだが・・。わりとよくできたシーンはそこここにある。誰が殺したか・・では引っ張れないけど、いつまでばれずにいられるか・・という興味で引っ張ることはできる。そのためにも普通にモーテルを経営するノーマンの描写がもう少しあってもよかった。デュークなんか雇うんじゃなくてさ。「2」からは一ヶ月くらいたっているらしい。時々思い出したように新聞に○○失踪の記事が出るけど、まだノーマンとは結びつかない。モーテルにはたまには客が来る。前と同じようにシーツやタオルを取り替え、部屋に風を入れ・・。ヒマな時は趣味の剥製作りに精を出す。剥製作りのシーンはちゃんとある。荒れた庭にエサ場が作ってあって小鳥達が集まる。庭の片隅には本が野ざらしになってる。「2」でメアリーが読んでいた本だ。毒でも仕込んであるのか、エサを食べた小鳥達はぽとんぽとんと地面に落ちる。それを拾って紙袋に入れる。台所で剥製を作る。「1」でマリオンに説明したようにおがくずを小鳥の腹に詰める。そばにはクラッカーの皿。食べながら趣味にいそしむのか。

サイコ3 怨霊の囁き4

ひとりぼっちだけど、誰にも邪魔されない気ままな生活。小鳥にくっつける目を選ぶ。どれにしようか。小鳥の腹を縫っていると人間の手になってギクッとする。ひとりでに紙袋が動いてドキッとする。小鳥が息を吹き返したらしい。そういうのは逃がしてやる。こういういいシーンがちゃんとある。これにモーテルでの普通の主人ぶりを加えれば、もう彼はすっかり治ったのだとまわりの誰もが思うだろう。彼が今でも殺人を犯すなんて知ってるのは彼と、映画を見ている我々だけ。我々はいわば彼の共犯者だ。ずっとばれずにいて欲しい。そんな彼の生活を乱すのがデュークやモーリーン。うさんくさいデュークは雇われ、モーリーンは命をとりとめる。映画は安っぽくつまらなくなるけど、もうそうやって作られてしまったのだからどうしようもない。モーリーンをヒロインに据えた時点で、この映画の失敗は決定的。解説などでは彼女を修道女としているが、実際は見習い。自分から志願したけど、いざという時になって人生他にもやることがあるんじゃないかしら・・と迷い出す。要するに肉欲があるわけ。それで自殺するだの何だのと騒ぎ立て、巻き添えをくって死人が出る。ベイツ・モーテルでまた自殺をはかる。死にたいと願うわりには体力あるから助かっちゃう。と言うか、誰かに助けて欲しいんだろうなあ。本当に死にたいのならデュークに置き去りにされた後、道の真ん中に大の字になってりゃ誰かがひき殺してくれる。夜だし雨だし・・。あたしゃてっきり自殺はかるくらいだから、神に仕える身でありながら肉欲に負け、妊娠しちゃったとか、そういうのっぴきならない事情かかえているんだとばかり・・。それで悩みに悩んで・・。でもノーマンに助けられた。聖母マリアも姿を現わしたし、これは何かのサインだ。私のような者でも神はお見捨てにはならないのだ。生きる希望がわいて、親切なノーマンとの間に心通うものが生まれ・・モーテルの従業員として働かせてもらうとか。でもそんな幸せな日々もつかの間、妊娠がばれて、ほらやっぱり母さんの言う通りだ、女はみんなアバズレだ・・ってことになって、モーリーンに危機が迫るとか。おなかの子を守るために戦うとか・・そういうストーリー期待しちゃった。でも・・全然違うのよ。ただのぐずぐずしたしめっぽい女。すぐ元気になるし(手首切ったのに包帯も巻かず傷あともなし!)。

サイコ3 怨霊の囁き5

ノーマンとうまくいきそうだと感じるとすぐ媚びを売るし、一人にしてくれないし。別にスカーウィッドが悪いってわけじゃないけど、何か彼女のせいでこの映画しょぼくなっているのよ。ジャネット・リーみたいな美女はムリだとしても、もうちょっと別の、ストーリーぐいぐい引っ張っていくような牽引力のある女優さん起用していれば・・。復讐に燃えるライラが「2」のストーリー引っ張ったように「3」も・・。いちおうノーマンにうるさくつきまとうトレーシーという女性記者が出てくるけど、この女がまたいやな女で。モーリーンは自分から不幸捜しているような女なので、アクシデントであっけなく死んでしまってもちっともかわいそうじゃない(ノーマンは悲しむけど)。モーテルで殺されてしまう若い女性二人の方がよっぽど気の毒。デュークも殺されるけど、沼へ向かう途中息を吹き返し、ノーマンを襲う。ここらへんは「2」の小説版っぽい。小説ではノーマンは修道女を殺し、服を奪って病院から抜け出す。車を走らせている途中ヒッチハイカーを乗せる。ノーマンは服が欲しいし(いつまでも尼さんの格好しているわけにはいかない)、ハイカーの方は車を奪ってやれ・・と思ってる。・・それはともかく、こっちのノーマンは水没する車から何とか脱出するけど水草に絡まれ・・。でも「4」が作られていることでもわかるけど、彼は死なないのよ。でもってクライマックスはトレーシーとの対決。「2」のラストでノーマンの出生の秘密が明かされるけど、「3」ではまたそれが引っくり返るの。二回引っくり返るから元に戻るのよ。「1」の事件の後、ノーマンの過去はさんざんほじくり返されたはず。秘密があればあばかれていたはず。それなのに「2」では本当の母親を名乗る人物が現われる。つまりよっぽどうまく隠していたということよね。「2」を見た我々は、それを前提にして「3」を見ている。ところがトレーシーはいとも簡単に昔の新聞記事を見つけるのよ。秘密もへったくれもなくて、新聞にでかでかと載っているの。私が本当の母親うんぬんという話は○○のウソ。ノーマンはだまされていたの。と言うか○○は狂人だからそう信じ込んでいたってことなんだけど。でもそんな出生の秘密より、殺人がばれないことの方がもっと大事。だから秘密を知ったこのこうるさい記者をシュッ、スパッ、ドスドスッ・・手際よくかたづけるのかと思ったら。

サイコ3 怨霊の囁き6

違うんですよ。やらないんですよ。トレーシーの代わりに○○のミイラをシュッ、スパッ、ドスドスッ・・あら、おがくずが出てきたわ。ちぇッ何だよつまんねーの、大人しくつかまっちゃうの?「信じていたのに」なんて保安官に言われちゃってさ。そりゃ失望するわよ、自分の無能ぶり突きつけられたんだから。護送されるノーマンは、隠し持っていた○○の手を出して謎の微笑を浮かべる。これがホントの手土産だ・・って違うがな!それにしてもそんなものポケットに隠してるってことは・・身体検査されなかったってことよね、のどかですこと!さてと・・長々と書いてきたけど、確かにくだらない映画ではあるのよ。何のために作ったのか、何を言いたいのか。母親を名乗る女性が二人いて、そのどちらも彼を束縛する。だから両方とも殺したけど、殺した後も自分のそばに置き、命令を聞き、女装して殺人を犯す。命令を出しているのは自分自身だから、いやだいやだと言いつつ実は自分が殺したくて行動しているのでは?でも責任は取りたくないから母親を隠れ蓑にする。そんな心理の掘り下げでもあれば、「3」もなかなか・・となったんでしょうよ。でもならない。三流四流のホラー映画で終わっている。いや、終わらなくて「4」に続くんだけどさ。まあとにかくDVDまで買って「3」を見たわけだけど、お金損したとか時間損したとかは思わない。ところどころいいシーンはあるのよ。クライマックスで女装したノーマンの顔のアップは恐ろしいと言うより笑えるけど、その後トレーシーを追って階段を上りながら壁にかけてある絵の額が傾いているのをさっと直すシーンとかさ(細かい!)。「1」や「2」ではなかったノーマンのキスシーンもある。生きている女性とキスしたのおそらくモーリーンが初めてなんじゃないの(氷漬けの死体にキスするシーンあったけど)?そう考えるとノーマンが気の毒でねえ。彼にだって人のぬくもり感じるひとときがあってもばちはあたらないと思うよ。相手がモーリーンじゃぱっとしないけど、不幸な者どうし引かれ合うという設定は悪くないと思う。私の希望としてはうまく犯行隠して、トレーシーも始末して、母親や○○からの呪縛も解け、新生ノーマンの誕生だいッ!って感じで終わって欲しかったな。「3」のラストは、「やっと自由になれた」と言いつつ、まだ○○の手なんか持ってて・・ちょっと矛盾してません?

サイコ(1998)

何だか「1」を避けてその周辺ウロウロしているような・・。それだけ「1」は感想書きにくいってこと。私が書かなくても他の人書いてるし。「1」そっくりに作られたというのは知っていた。今まで見なかったのもそのせい。見る必要ある?まあ今回DVDレンタルして見たわけだけど、「1」を見てなくてこれを最初に見た人はどう感じたのかな。ショック受けた?ドキドキした?ラストは意外だった?私は・・当然のことながら何もなかったな。「1」と全く同じじゃないことにかえってびっくりした。アーボガストが階段落ちる時何か別の映像入ってなかった?服を脱ぐマリオンを穴から覗くノーマン。ノーマンの部屋を探るライラ。「1」ではまだ表現に制限があったから見せなかったことを、「新」では見せている。まあ覗き見以上のことをパーキンスがやったら女性ファンの顰蹙買うしぃ・・。ライラがノーマンの部屋でポルノ見つけるのは原作通り。でも「1」では何の本か見せないので、原作読んでない人にはなぜこのシーンがあるのかわからない。「新」でははっきりポルノだと見せる。「1」との違いにいちいち気づくのはサスペンス物なのにまずいよな。そんなこと忘れて引き込まれていなきゃいけないのにね。ノーマン役ヴィンス・ヴォーンはパーキンスとは全くタイプが違うけど、鈍重そうに見えて時々へヘッと笑うような軽さがよかった。マリオン役アン・ヘッシュは小娘みたいで、結婚をあせるオールドミスには見えない。ショートカットでやせていてひ弱に見えるが、芯は強そうなのがいい。ライラ役ジュリアン・ムーアはどう見ても妹には見えない。この姉妹の配役は変。サム役はヴィゴ・モーテンセン。こういう役が多かったんだよな愛人役。アーボガストはウィリアム・H・メイシー、ラスト事件を説明するのがロバート・フォースター、マリオンの同僚がリタ・ウィルソン。成金役はチャド・エヴェレット。「外科医ギャノン」だよ懐かしいなあ年取ったなあ。いちおうヒッチコックらしいのもうつる。画面はとてもきれいだ。でもきれいすぎ、明るすぎ、はっきりしすぎ。白黒ではっきりしないからこそムードを盛り上げる音楽も、明るい画面では過剰なだけ。DVDだからこんなに明るいのかもしれないけど、明るすぎはっきりしすぎでこの映画失敗してますぜ。「1」は白黒でよくわからなかったからこそ、心の闇の部分が強調されたんだと思うが・・。