死の接吻(1995)

死の接吻(1995)

「S.W.A.T.」を書くため、サミュエル・L・ジャクソンが出演している「死の接吻」をもう一度見直した。私は「シティ・オブ・エンジェル」を見てニコラス・ケイジのファンになり、デビュー作の「初体験/リッジモント・ハイ」から「8MM」まで、カメオ出演の「ハートにびんびん火をつけて」を除き、全部見た・・と言うか集めまくった。ビデオ、DVD、パンフ、チラシ、サントラその他モロモロ(何てこったい!)。ところがある時ぱたっと熱がさめてしまい、以後はWOWOWで「救命士」を見ただけ。あとは全然見ていない(またまた何てこったい!)。でも別に嫌いになったわけじゃなくて(言い訳)、時々作品を見返したりはするのよ。ヒット作、大作、名作もあるけれど、私がよく見るのはこの「死の接吻」とか「レッドロック/裏切りの銃弾」のような、どことなくチープさの漂う作品。「死の接吻」はリメイクで、オリジナルはヴィクター・マチュアの主演。でも話題になったのはリチャード・ウィドマークの悪役ぶり。キネマ旬報社の「世界映画人名事典」には「マチュアは、”あいつに女房子供があるなんて!あんな背すじの寒くなるような怖ろしいヤツと結婚する勇気を持ちあわせる女性がいるわけがない”と言ったとか」と書かれている。こちらの「死の接吻」でも主役のデヴィッド・カルーソより悪役のケイジの方が大いに目立っている。カルーソって元々カゲがうすいから余計ね。赤っぽい髪、なまっちろい肌、目が小さくて、子供の頃と全然変わってないんだろうなあ・・と思わせる顔立ち。若々しさが失われ、シワややつれが出てきて、ついでにおなかもちょっと出てきたかな・・という、そんな感じ。公開時ケイジとジャクソンはキャンペーンのために来日している。大作じゃないし、二人ともまだ日本ではさほど知られていないし、来日したからってさして話題にもならなかったと思うけど、でもわざわざ来たのよね。でもって結局日本でもヒットしなかったんでしょ?まさかこんなゴリラみたいなアンチャンがこの後すぐアカデミー賞とるなんて・・ジャクソンが「また出てるの?」と呆れるくらい売れっ子になるなんて・・誰が予想したことでせう!ところでこの頃のジャクソンて、今と少し顔が違うな。カルーソの奥さんべヴ役はヘレン・ハント。彼女も貧相だし途中で死んじゃうし、後年アカデミー賞とるなんて・・誰が予想したことでせう!

死の接吻2

この三人だけでもけっこう豪華、でも・・地味。他にもいろいろ出ていて楽しい。諸悪の根源ロニー(ジミーのいとこ)がマイケル・ラパポート。「ディープ・ブルー」でもジャクソンと共演している。出世主義の検事ジオリ(ビデオのカバーではオジリになっている。ムム・・あの仕立てのいいスーツの中のお尻はどうなっているのだろう・・と余計なこと考えてしまった。三つに割れているとか)はスタンリー・トゥッチ。いつもこんなこすっからい役ばっか。FBI潜入捜査官にはとても見えないヴィング・レームズ。もう一人大柄な捜査官はジェイ・O・サンダース。この人は体格と言い顔立ちと言い一度見たら忘れられない。「コレクター」、「スパイダー」、私は見てないけど「デイ・アフター・トゥモロー」にも出ているらしい。悪徳弁護士は「レッド・ドラゴン」のアンソニー・ヒールド、ジュニア(ケイジ)の取り巻きの美女の一人が「隣人は静かに笑う」のホープ・デービス。・・さてストーリー、出所後真っ当に暮らそうと決心したジミー、彼の人生をメチャクチャにしたのはいとこのロニーだった。「助けてくれ」と泣きつき、ジミーを悪の道に引っ張り込む。もしべヴがいたら何とか断れたかもしれない。でも彼女は外出していた。ジミーは一人では断りきれなかった。更生への決意は固かったが、昔の恩を持ち出されると弱かった。実際にはロニーではなく、彼の両親に恩があるのだが・・。どこかで断ち切らなければ一生ついて回るお荷物、それがロニーだ。今ここで彼を助けたとしても必ず「次」がある。次に困った時にはまた現われ、泣き落としにかかり、それがだめなら恩を持ち出す。「助けてくれなければオレは殺される」・・しぶしぶ承知したジミーと仕事へ向かうロニーの態度は一変する。もう大丈夫、何もかもうまくいく・・さっきまでのおびえはどこへやら、お金がなくて困っているはずなのに高価な買い物の話をする。死なない限り同じ失敗をくり返す男、限りなくまわりの者に迷惑をかけ、しかも全く気にしないでいられる男。人間として何かが抜け落ちている。彼が今日まで生きてこられたのは誰かが彼をかばい、尻ぬぐいをしたからだ。親やジミーが。ただ彼はそのことに気づいておらず、したがって感謝も反省もしない。今回もジミーをトラブルに巻き込み、彼の沈黙のおかげでつかまらずにすみ、ジミーは塀の中なのにロニーは外でのうのうと暮らす。

死の接吻3

いちおう残されたべヴの面倒は見る。しかしこれは組織のボス、ビッグ・ジュニア(「マグノリア」などのフィリップ・ベイカー・ホール)の指示である。おそらくロニーはべヴの生活費として渡されたお金をちょろまかしただろうし、車を与えるよう言われた時は自分がプレゼントするふりをした。そう、ロニーは前からべヴに目をつけていたのだ。べヴはアルコール中毒から立ち直ったところだったが、ジミーが刑務所に入って心細い上に、仕事として紹介されたロニーの車の修理解体工場の殺伐とした雰囲気に耐えきれず、ついついアルコールに手を出してしまう。しかも・・映画ではよくわからないが、ロニーはべヴに手を出したらしい。「らしい」という言い方もヘンだが、この映画はホントそこらへんをあいまいにしてあるのだ。べヴが目を覚ますと朝になっている。あわてて帰ろうとするとシャワーを浴びた後のロニーと鉢合わせ。「卑怯者!」とののしるが家に置いてきた赤ん坊のことが気になる。動転したまま運転したためトラックと正面衝突、帰らぬ人となる。こういう描写の裏には、アルコールに手を出したと気づいたロニーがこれ幸いとべヴに勧め、酔いつぶれたところを乱暴し、翌朝ゴキゲンで鼻歌まじりでシャワーを浴び・・っていう意味があるらしい。私は今回見直すまで全然気がつかなかったけど、ほんのちょっと服装が乱れている(お行儀がよすぎてリアリティに欠けるが)。一方のジミー、葬式で悲しみにくれながらも心に疑問がわき上がる。朝の8時にべヴがなぜロニーの家に?もっともらしい言い訳、「オレが身代わりになれりゃな」というお決まりのセリフ。アンタ、ジミーが刑務所に入った時もべヴにそう言ったでしょ。身代わりになる気なんてこれっぽちもないくせに。アンタの身代わりでジミーが地獄に落ちているのよ。いつも子守りを頼んでいるロージーの言葉から、ロニーがウソをついていることがわかる。今までのロニーを見れば、何がどうなってべヴが死に至ったかは一目瞭然。ただ復讐しようにも彼は塀の中。そこでジュニア達がロニーを殺すよう仕向ける。ラパポートは憎たらしい役をうまく演じている。ジュニアに殴り殺されてもちっともかわいそうじゃないの。彼は自分がなぜ殺されるのかわからない。自分がまわりに迷惑かけているなんて知らないし、その迷惑が恨みとなって自分に返ってくることも知らない。

死の接吻4

ジュニアに死の宣告受けても、殺人をカムフラージュするための音楽かけられても「ベースがイマイチだ」なんてのん気なこと言って・・。このあたりあんまりアホすぎて哀れを催す。身代わりになってくれる者が誰もいなくなった今、彼の運命は・・。さてジミー、彼は車泥棒である。暴力をふるうとか銃をぶっぱなすとかそういう荒っぽいのは彼の流儀じゃない。90秒でアラームを解除し、静かに盗む。暴力は嫌いだから一人の男を助ける。ロニーが持ち込んだ仕事、元々はこの男が盗難車を運ぶはずだった。ところが泥酔して使い物にならず、他をあたってみんな断られ、最後に泣きついたのがジミーだったというわけ。ほったらかしにすればジュニア達に殺されてしまう・・と、ジミーは男を助手席に乗せる。ところが途中で目を覚ました男はジミーが金を奪ったと思い込み・・しかも警官に包囲されると発砲し・・とにかく酔っているからメチャクチャなのだ。男は射殺されるが、警官を撃った罪はジミーに上乗せされる。彼は男を止めようとして手を撃ち抜かれ、その弾はハート刑事(ジャクソン)の顔に当たる。命はとりとめたものの後遺症に悩むハートは、発砲した泥酔男ではなくジミーを恨む。ジミーのおかげで死なずにすんだというのに・・。ハートの同僚は看護婦の目を盗んで傷ついたジミーの手をさらに痛めつける。まあ見ていて、そりゃあジュニア達も悪人には違いないけど、警察も検察も後で出てくるFBIも、何やってるんじゃいと言いたくなるほどのワルなのよ。弱い立場のジミーはひたすら耐えて、とにかく生きのびるしかない。彼のたった一つの願いは娘のコリーナに会うこと。べヴの母親は娘が死んだのはジミーのせいだと恨んでいて会わせてくれない。やっと外出を許され、会いに行くが、その前に寄り道。人目につかないところでハートに殴られる(・・だから後遺症はジミーのせいじゃないちゅーねん、逆恨みだってばよ!)。でもジミーは耐える。すべて娘のため。やっと会えた娘を抱いて「奪わないでくれ」と義母に頼むシーンにはジーンとさせられる。娘(べヴ)を奪われた母親、妻を奪われたジミー、母親を奪われたコリーナ、三人とも愛する者を奪われた者どうしだ。この上コリーナから父親を奪っていいのか、ジミーからコリーナを奪っていいのか。自分が愛する孫を奪われたら・・。そんないろいろな思いの交錯するシーンだ。泣かせるぜベイビー。

死の接吻5

結局義母もだんだん心がほぐれたようだ。ジミーは出所後、ずっと心の支えになってくれていたロージーと結婚する。別に描写されるわけではないが、べヴの母親にとってもロージーは娘同様の存在となったようだ。ジュニア達に狙われた時にはロージーとコリーナは義母の家に預けられる。敵意むき出しだったハートもだんだん態度が変わってくる。自分にもコリーナと同じくらいの娘がいるし・・。さてジュニア・・彼は「父親に気に入られたい」・・それだけで生きてきたような男だ。喘息持ちで子供の頃はおそらく吹けば飛ぶような弱虫だったことだろう。体を鍛え、筋肉モリモリのゴリラ男に変身したが、なかみの方はそれほど強くなったわけではない。ずるがしこく立ち回るには、彼はあまりにも繊細でロマンチックすぎた。オヤジに愛されたい、認められたい、努力すればオヤジはきっとオレをほめてくれる。「偉いぞ、リトル・ジュニア。それでこそワシの息子だ!」・・でもオヤジはいつもフンというような顔をするだけ。決して暖かい言葉をかけようとはしなかった。ずっと待っていたのに、その前にオヤジは死んでしまった。残されたオレはどうしたらいいのか。まわりにいるのはおべっかをつかうか足元をすくおうとするヤツらだけ。誰も信用できない。だがジミーは別だ。あいつはつかまっても一言も吐かなかった。黙って三年間服役した。ジュニアはジミーを信用する。警察や検事はジミーをイヌとして送り込み、ジュニアをつかまえようと企む。ある日ジュニアは得意客であるはずのオマールを射殺する。オマールのどこが気に入らなかったのか。しかも!オマールはFBIの潜入捜査官だった(信じられん)。事件(つまり殺しの目撃者であるジミー)をこっちに引き渡せと迫るFBIと、渡さないと宣言する検事。一見ジミーの味方のように思える検事のジオリだが、実際はジミーのことなんかどうでもよくて、出世、つまり判事になることしか考えていない。まわりの者からいいように利用されるジミー。何をされてもじっと耐えるしかない弱い立場。しかし一寸の虫にも五分の魂。苦労したぶん彼は強くなった。もてあそばれているようでいて彼は自分で考え、行動する。危険にも飛び込む。早く終わりにしたいから。彼は家族と静かに暮らしたいのだ。・・この映画の宣伝文句は「タレコミの美学」だが、私はそうは思わない。美学があるとしたらジミーの「沈黙」。

死の接吻6

彼はジュニアやロニーの名前を出して取引すれば刑を軽くしてもらえたのにそれをしなかった。密告すれば家族に危険が及ぶとわかっていたからだ。だから沈黙し続けた(題名「沈黙の接吻」にしたら?)。主人公が黙り込んでいたのでは映画は盛り上がらない。悪役ケイジの切れぶりばかりが目立ち、カルーソなんて見終わっても顔すら覚えていない。そういう映画である。でも・・だからこそカルーソは適役である。ジミーが光り輝くようなハンサムだったら、開けっぴろげな行動取るおしゃべりだったら、この映画は成立しない。ハンサムで開けっぴろげでおしゃべりな男に「美学」を感じるのはムリ。社会の片隅、日の当たらないところでひっそりとつつましく生きている、シワの目立ち始めた、おなかの出始めた中年男だからこそ「美学」を感じることができるのよ。耐えて忍んで、いいように利用されて、でも利用する側は気づいていないけれど、いつの間にか立場は逆転しているのよ。強い者にはおごりや油断がある。いつも利用ばっかりしているから自分が利用されていても気がつかないの。自分は利用されることは絶対ないと思い込んでいる連中をジミーはうまく出し抜く。ラスト、わずらわしいゴタゴタから解放されたジミーは、新妻ロージーと娘のコリーナを連れ、この町を去る。車の上にわずかばかりの荷物をしばりつけ、行く当てはあるのか、仕事の当てはあるのか。・・そこらへんは不明だが、とにかくジミーは自由の身だ。そして元々表舞台に立つことのなかったジミーは、姿を消してもさほど目立たないのだ。しばらくたてば彼のことなど誰の記憶にも残っていないだろう。ただ一人ジュニアを除いては・・。彼は塀の中で考える。なぜジミーはオレを裏切った?彼の頭じゃ答は出ないだろうけど、それでも彼は考え続けるだろう。ケイジにとっては初めての本格的な悪役らしいが、悪党やっても変わりがないのは泣きそうなところ。ボクチャン喘息で苦しいの。ボクチャンオヤジ死んじゃって悲しいの。ボクチャン金属が苦手で、スプーンとか金属製だと吐きそうになるの。ボクチャン親友だとばっかり信じていたジミーに裏切られたの。ジミーには何でも話したのに。弱みもみんなさらけ出したのに。「二人で人生語り合おうや」って約束したのに。ボクチャンの前に現われたジミーは態度がすっかり変わってた。

死の接吻7

ボクチャン何もしてないのに・・。あの仕打ちは何?何でみんなしてボクチャンをいじめるの?ビデオのカバーには「人間味溢れるギャングのボス」と書いてあるけど、全くその通りなの。警察・検察・FBIの連中に人間味がなさすぎるから余計そう思える。愛されたい、認められたい、信じたい・・そういう感情をあふれさせているのはジュニアだけで、あとの連中は金銭欲・出世欲・物欲や色欲のかたまり。ジミーでさえ「正義を盾に人を利用する検察と人間味溢れるギャングのボスとの板ばさみにあう主人公」には見えないのよ。彼は板ばさみになって悩んでいるようには全然見えない。ジュニアに対しては非情すぎるほど。ウィドマークの演じた悪役は見たことないから比較はできないが、ケイジの演じるしめっぽい悪役はよかったと思う。妙に潔癖だったり(べヴにまとわりつくロニーを一喝するところ)、ユーモアがあったり(クラブの踊り子に手を出した男をこらしめるところ)するし、べヴのお悔やみ言ったの彼だけだし(妙ななぐさめ方ではあったけれど)。その一方でロニーを殺す時の狂気を感じさせる目!美しく澄んではいるけれど、その底には確かに狂気が宿っている。筋肉で武装した体からは殺気が発散している。この映画「ハードボイルドの傑作」と言うにはちょっとハードさが足りない。なまぬるいと言ってもいいかもしれない。コリーナが誘拐されてもあの程度で無事に見つかる。別にむごたらしいシーン期待しているわけじゃないけど、お行儀がよすぎる。カルーソとケイジにはハードさではなく哀愁を感じてしまう。カルーソは39歳にして初の主演というのが泣かせるし、ケイジは何をやっても育ちのいいお坊ちゃまぶりがどうしても出てしまう。・・で、私がこの作品を好きなのはそのせいなのだ。内容が中途はんぱなのも許しちゃう。描かれるのは町の片隅で起こるようなみみっちい事件だし、天下のFBIですらどこかの倉庫みたいなところでこそこそやってる。そのこそこそぶりがいい。チープなムードがいい。人間のやることなんてそんなもの。天下を引っくり返すのでも歴史を塗り変えるのでもない。音楽がこれまたいいのよ。あたしゃ映画を見た後すぐさまサントラをゲットしましたぜ!特にテーマ曲が好き。胸に秘めた恋・・じゃない、決意を感じさせるし、哀愁も感じさせる。決意はジミーのだし、哀愁は・・ジュニアのだろうな・・。