サイレントヒルシリーズ

サイレントヒル

例によってゲームの映画化。かなりすごい内容のゲームらしいので、どんなもの見せられるのかちょっと心配。でも私の乏しい経験でも、その手の映画はみんなそれなりに楽しめたし・・。「バイオハザード」「DOOM」「アローン・イン・ザ・ダーク」・・。公開四日目のシネコン、お客はまあまあ。ショーン・ビーンが出ているからゲームに興味のない女性も見にくるのでは?本当は新宿あたりへ行って二回見ようかなとも思ったんだけど、2時間ちょっとあるので、二回はしんどいかなーと思ってシネコンにして、それで正解だったのよ。一度見ればたくさん。体力必要こういう映画は・・。まず感じたのは、サイレントヒルへ行くまでの描写のうすっぺらなこと。ローズ(ラダ・ミッチェル)とクリス(ビーン)夫婦の説明がほとんどなく、いきなり崖っぷちに立つ娘シャロン(ジョデル・フェルランド)の危機から始まる。どうもシャロンは夢遊病らしい。妙な言葉を口走るとか、覚えのない絵を描くとか、お定まりの描写。木の根っこで母子がうたたねする美しいシーンも、前後の説明がないので浮いている。サイレントヒルへ向かう途中うたたねしていたってことですか?ローズの取る行動がいちいち腑に落ちない。なぜ夫からのケータイを切ってしまうのか。なぜ三人で行かないのか。なぜ警官を振り切って暴走するのか。子供を乗せていたら、まともな母親だったら、普通そんな危険なことはしない。あげくの果てに事故を起こし、気がついてみればシャロンがいない。二人をどうしてもサイレントヒルへ来させるために、後で出てくるダーク・アレッサが遠隔操作していたのか。ノベライズ本を読めばそれなりの説明はされているので、ローズの行動は納得できるが、映画を見ただけではとにかくメチャクチャでいいかげんな序盤としか思えない。サイレントヒルへ着いてからは、さあ本番だぜい、オレ達の出番だぜい・・とばかりにワサワサ、ウジャウジャ、ニョロニョロ・・総力結集した気持ち悪ものすごシーンが、これでもかとばかりに流される。出てくるどんなものも作り物だってわかっているから、目をそむけたりとかそういうことはない。「どうだ怖いだろう、気持ち悪いだろう」と大画面で迫られても、それほどでもないのよ。あまりにも現実離れしているから、私の頭はそれらを恐怖の対象として認識しない。

サイレントヒル2

別のところへ思いが飛んじゃうの。「私はわざわざお金を払ってこういう気持ちの悪いものを見にきているんだ」とか、「作り手は知恵をしぼってこういうの考え出したけど、たいていのものはもう作られ尽くしているから、それ以上のものを思いつかなければならない。常に新しいものをひねり出すのは大変なことに違いない。ご苦労なこった」・・妙な話だけど、そんなこと思いながら見ていた。あるいは「サイレン」が鳴る「トヒル」でも夜に変わっちゃいますぅ・・とか、「サイレントヒル」は日本にもあります静岡県・・とかさ。ナース軍団が出てきた時には踊り出すかと思ったし、ピラミッド男の三角頭を開いたら「あたり」とか「はずれ」とか書いてあるんじゃないか・・とかね。真面目に怖がるんじゃなくて、笑いをこらえているの。恐怖と笑いは紙一重なんだとつくづく思う。ナース軍団は「フィアー・ドット・コム」のDVDに入っているカットされたシーンを思い出させた。マッシュルームのおばけが出てくるんだけど、人間がやってるから怖いというより滑稽。こちらのナースも顔をいじくってるだけで、人間がやってるからやっぱり滑稽。動きも似たようなものだし。この映画はCGに頼らず人間でやることにこだわったらしいが、成功しているとは思えないな。途中で町の住人が出てきて、何?住人いるの?とびっくりした。ローズと警官シビルが町を出ようとすると道がない。それでいてローズ達を捜しにきたクリスは、刑事のグッチと町に入る。一方では出られず一方では入ってこれる。それでいて同じ場所にいるのに双方は出会わない。クリスは気配(ローズの香水)を感じるんだけど目で見ることはできない。こういうのを見て、ああローズ達は異世界へ入り込んでしまったのだ・・とわかる。クリス達のいるところとローズ達のいるところは色彩が違う。片方は鮮やか、片方はくすんでいる。きっかけは事故だろう。ローズは少女(ダーク・アレッサ)にぶつかりそうになって事故を起こし、シビルもなぜかバイクが転倒する。気を失っている間にこの町に漂う毒ガスにやられ、自分では生きているつもりのまま、死の世界へ迷い込んだのだ。ローズは必死にシャロンを捜すが、シャロンらしい少女は逃げてばかりでつかまらない。・・と言うことはこの少女はシャロンじゃないってこと。

サイレントヒル3

ローズはあちこち引き回されているうちにシャロン(あるいはアレッサ)の秘密を知る。パンフにある監督の言葉・・「唯一の神を信じる者たちは、女性のそういう部分こそが耐えられない」・・そういう部分とは子供を産むことができるということだが、もしこういう考えを持っている人がいたとしたら、その人の心はずいぶん偏っていると思う。この映画だとクリスタべラで、彼女は廃墟となったサイレントヒルで住人に大きな支配力を持っているが、それは恐怖をあおり、誰かを攻撃することによって発揮される。父なし子を産んだ妹のダリアを憎む。生まれたアレッサを魔女と呼び、みんなにいじめさせる。アレッサは逃げ込んだ学校のトイレでそうじ夫に暴行される。魔女として火あぶりにされる。何と悲惨な運命。しかし儀式の途中(彼女の怨念、超能力により)大火災が起きる。大やけどを負い、ひん死の少女を助け出すグッチ。サイレントヒルにも少数だがまともな人はいたのだ。グッチを演じているキム・コーツは「アウト・オブ・タイム」で悪役だったので、出てきた瞬間「こいつ悪役!悪徳刑事!」って思い込んだけど、善人の役でしたー。でも善人に見えない。例え善人だったとしても、この映画では善人には何の力もない。グッチもクリスもウロウロするだけで何にもできない。正義を貫こうとする警官シビルは惨殺される。救いようのない映画なので見ていて気が滅入る。クライマックスは「キャリー」とか「フィアー・ドット・コム」、千手観音、クモの巣、あや取り・・まあいろいろ。凄まじい、大変な迫力、悪趣味。悪が滅ぼされてスカッとさわやかーとはいかない。もういいですか?終わりました?気がすみました?思い残すことないですか?・・って感じ。前にも書いたけど異世界での出来事。もう死んでいる者達に起こる出来事。この映画のコピーは「そこからは、死んでも逃げられない」だけど、「死んでいるのに逃げられない」なのさッ!30年も成仏できずフラフラさまよっていたのが、アレッサの登場(と言うか帰還)で在庫一掃される。みんな地獄に落とされ、はい!この異世界もだいぶきれいになりましたよ!まあまだ中にはダリアのように残っているのもいますが、たいていはいなくなりましたよ(いなくなったんでしょ?)。

サイレントヒル4

なくなっていた道が現われ、ローズはシャロンを連れて家に戻る。家は存在するけどクリスはいない。クリスだけでなく誰もおらず・・でもローズはシャロンを取り戻せたので幸せだ。現実の世界にいるクリスは、家の中にローズの気配を感じる。でも二人のいる世界はもう別のもの。出会うことはない。それまでの凄まじいシーンとは対照的な、さびしく静かないいラストシーンだと思う。とは言え、あまりにも多くのことを無責任に放置している映画でもあるな。この映画のテーマは母と子の深いきずな。パンフによればラダは監督の勧めで「ローズマリーの赤ちゃん」を見直したそうだ。例え悪魔の子でも、自分の産んだ子供には愛情がわく。この映画でもラストのシャロンは善なるアレッサではなく、ダーク・アレッサである。ローズはまだそのことを知らないが、例え知っても受け入れるだろう。しかもシャロンは、ローズ達の本当の子供ではなく、孤児院から引き取った子供である。それでもローズはシャロンを愛し、命がけで戦い、自分の手に取り戻したのである。この映画では夫クリスのカゲはうすく、何もできない無力な存在。映画を見ているお客は、クリスやグッチの助けによってローズ達が現実の世界に戻ってくるハッピーエンドを期待する。結局戻ってこれなかったけど、クリスやグッチ側の描写いかんによっては、もっとさわやかな気分になれたはずだ。それが・・何だかグッチの言うことや態度はぐずぐずとあいまい。現実にシビルやローズの行方がわからないのだ。過去にサイレントヒルで何があったにせよ、刑事ならもうちょっと違う行動取るはず。その場しのぎ、言い訳、誠意が感じられず、クリスじゃなくたってじれったく腹が立つ。シビルに関しても・・二年前、サイレントヒルで起こったという子供の誘拐事件。シビルは「みんなを救うことはできなかった」と言い、グッチは「彼らは生き延びた」と言い、どっちなんだ?ローズ達の乗っていた車は?なぜ火災から今回の解決まで30年かかるの?私を含めてほとんどの人は、アレッサが大やけどを負いながらも生きのび、成長して子供を産み、自分では育てられないから孤児院の前に置き、その子をローズ達がシャロンと名づけて育てたのだと思い込む。ところがシャロンは、アレッサの善なる部分が分離したもの。シャロンイコールアレッサである。

サイレントヒル5

シャロンは今9歳だから、火災が起こって(30年前)、赤ん坊が孤児院の前に置き去りにされる(9年前)までに21年あることになる。なぜそんなに間があくのか。まあこういうことは深く追究しちゃいけないんだろう。作り手としては凄まじいシーンに戦慄し、母と子のきずなに感動し、それで終わって欲しいのだ(たぶん)。シビル役のローリー・ホールデンはたくましくてよかったけど、ヘルメットを取るとラダと似たような顔をしていて、もうちょっと髪の色変えるとか長さ変えるとか区別つくようにして欲しかった。ローリーはここでは男まさりでお色気はシャットアウトしているが、検索して出てきた写真では美しいブロンドをふわりと垂らし、すばらしい美女である。「ファンタスティック・フォー」に出ていたらしい。ラダは「ピッチブラック」「フォーンブース」、そしてこの映画と、見るのは三回目。他にもいろいろ出ているが、どことなく印象のうすい人である。ほっそりしているが、「ピッチ」以上に体力的にきつい今回の役をがんばってこなしていた。ホントよく走っていた。ローズはシビルに連行されるところでは、「娘がいなくなったの、捜してよ」とまるで「フライトプラン」のカイルのごとく自分かって。子供のことさえ持ち出せば何もかも許されるのかよ・・と思いながら見ていた。クリスタべラ役のアリス・クリーグは、シガニー・ウィーバーとジェラルディン・チャップリンを足して二で割ったような感じ。子役のジョデルちゃんはどこかで見たような・・。そしたら「キングダム・ホスピタル」で幽霊やってた子。現在「ローズ・イン・タイドランド」も公開中。例によって天才子役なんて書かれているけど、ダコタ・ファニングとは全く別の路線行きそうな感じで、私はジョデルちゃんの今後の方に注目しております。・・てなわけで、ホラー映画としては超重量級で、見ていて疲れた。二回見りゃもっといろいろわかるんだろうけど、あたしゃ体が持ちません。若者向け。音楽は美しく悲しげで、いいなあ・・と思っているとブツッと切れてしまう。変わった使われ方でしたな。前の方で監督の言葉引用したけど、子供を産むことができる女性という存在をけがれたものとする考えって「ダ・ヴィンチ・コード」でも似たようなこと言ってたな。どっちもキリストは神の子であって人間ではないとするから、女性の「産む性」を否定するんだろうな。

サイレントヒル:リべレーション3D

今日はヘザーの18歳の誕生日。転校して今日が初日。同じく転校生のヴィンセントはなぜか彼女につきまとう。カートランドという探偵がうろついているが、そのうち殺され、ヘザーに容疑がかかる。家に戻ると父ハリーの姿はなく、壁に血文字と妙なマーク。父の手紙には「サイレントヒルへは行くな」とあったが、捜すには行くしかない。同行したヴィンセントは途中で自分はサイレントヒルの住人で、彼女を連れていくのが任務だと打ち明ける。ヘザーは実はシャロンである。あの時こちらの世界へ戻れたのは彼女だけだった。しかも記憶を失っていた。名前を変え、髪を染め、あちこち転々とするのは、警察の手を逃れるためだと思っている。確かにハリーは男を殺したが、それは教団の使者だった。しかしここも教団に知られてしまった。最初は何が何だかわからないが、そのうちいちおう「1」と繋がっていることがわかってくる。ローズ役ラダ・ミッチェルとダリア役デボラ・カーラ・アンガーがちょこっと。ハリーがショーン・ビーンで、「1」からの続投はこの三人か。シャロン役アデレイド・クレメンスはミシェル・ウィリアムズにそっくり。ヴィンセントがキット・ハリントンで、彼の母でクリスタベラの妹クローディアがキャリー=アン・モス、祖父レナードがマルコム・マクダウェル。カートランドがマーティン・ドノヴァン。なかなか豪華である。3Dらしいが、テレビで見ているぶんには何もわからん。白っぽく霧のかかったような、雪とも灰ともつかぬものが空からひらひら落ちてくる音のない世界。こういうところはムードがあっていいが、ストーリーは・・。途中で「1」の流れがダリアによって説明され、「2」でこうなってるのはなぜかがクローディアによって説明されるものの、それで結局どうなったのかはあいまい。アレッサとシャロンが合体して・・どうなった?クローディアの言ってた神って?サイレントヒル自体は呪いが解けたの?ラストの警察の車は何?ゲームの映画化とは言え、こんなに何もかもがいいかげんでほうりっぱなしなのはまずいんじゃないの?ローズを捜すためここに残るというハリーの決意が悲しい。今まではずっと娘のために人生捧げてきたけど、もういいだろう。ボクはローズに会いたいんだ!ちょびっとむさくるしくなったビーンだけど、そこがまた哀愁を感じさせていいんだわあ。ローズが見つかるといいね。