佐賀のがばいばあちゃん

佐賀のがばいばあちゃん

見たのは「サイレントヒル」の翌日。気持ち悪いの見たから口直しに・・ってわけでもないけど。昭和30年代がブームだからって「ALWAYS 三丁目の夕日」のような映画見たいとは思わない。それほど単純じゃない。でもこの映画はおばあちゃんが主人公だから見に行く気になった。おばあちゃん主体っていうのあんまりないでしょ。公開されてからだいぶたつけど、銀座シネパトスはおじさんおばさんでいっぱいだった。夫婦で来ている人も多い。私は冒頭の新幹線の中でメソメソしている男の子のシーンからもう涙が出てきて困った。次も飲み屋で働くお母さん恋しさに泣く男の子。こんなに泣くものかなあ・・いや、泣くんだろうけど、それをそのまま見せると過剰になる。私達お客の反応も過剰だな。別に悲しくなくても涙って出るものなんだな。年のせいで調節できないんだろう。隣りの人もハンカチ出していたし、まわりがみんな泣いているので私も気楽だった。笑う時も涙出るしね。がばいばあちゃん(あれッ!おばあちゃんの名前って何だっけ?)の言うことは、たいていはその場しのぎだったりでたらめだったりする。私自身の経験で言うと、母がそうだったな。しょっちゅうしかりつけるけど、自分が何かをポッポに入れたり(例えば子供の拾ったお金を使っちゃうとか)、子供にウソを言うことは何とも思っていなかったようだ。子供は何にも知らずにいるか、おかしいなあと思っても口には出せずにいる。何か言えばまたこっぴどくしかられるだけ。ばあちゃんはあっけらかんとでたらめを言うが(自分では別にでたらめだとは思っていないらしい)、お金のことはきっちりするし、人に迷惑かけることをきらう。普段は見てくれなどかまわずにいるが(磁石を引きずって鉄クズ集め)、いざという時には(明広を学校に連れて行く時)正装する。全部だらしないとかいいかげんなのではなく、きちんとすべきところはきちんとする。そのメリハリがよかった。運動会の朝には明広の弁当に卵焼きを入れてやりたくて、ニワトリに向かって産め!産め!と命令する。館内大爆笑、いやホント涙が出るほど笑いました。過剰な「泣かせ」はいやだったけど、この映画の「笑い」はほとんどが単純でわかりやすく、しかも人をバカにするとかそういうことで取る笑いでないのがよかった。普段の生活の中から生まれる、強烈ではないが暖かい笑い。

佐賀のがばいばあちゃん2

出てくる人は皆やさしい人ばかりだ。子供の目にうつるのは、大人の一面だけかもしれない。明広にはやさしく接してくれたけど、他の人にどうだったかはわからない。これらの人情味あふれる描写を見て、あの頃はすべてよかった、今と違ってぬくもりがあった・・なんて思うほど私はおめでたくはないよ。でも・・多くの人にはやさしい面があるのだ。お医者さん、豆腐屋さん、おまわりさん、学校の先生・・。特に学校の先生はね、弁当を交換するエピソードもよかったけど、マラソンの時のもらい泣きするシーンなんか特によかったな。今だって先生が生徒のこと心配する気持ちには変わりはないよ。全体的には母と子のきずな、祖母と孫のきずな・・つまり家族愛がテーマだと思うけど、その描き方は日本映画らしくしめっぽい。いろいろ笑わせてくれるけど、全体がカラッとするまではいかない。このしめっぽさは特徴であると同時に限界でもある。こういうしめっぽさがいやで、私はあんまり日本映画を見ないのよ。最初会った時の明広に対するばあちゃんの接し方はリアルでよかったと思う。ニコリともせず、かと言っていやな顔もしない。すぐにごはんの炊き方を教える。ああいう時の子供って何をしたらいいのか、何をしゃべったらいいのかわからない。だから黙っておばあちゃんのあとについていく。火吹き棒を渡されて吹けと言われれば吹くのだ。ラストで「行くなー」とばあちゃんに叫ばせるのは、事実なんだろうけど、過剰なしめっぽさが鼻につく。年寄りになるといろんな別れを経験して慣れっこになってるから、もっとたんたんと送り出すのでは?出会いがあれば別れがある。別れることに対してのばあちゃんの哲学はなかったのかな。恥も外聞もない「行くなー」しかないのかな。明広とばあちゃんの日常は、ありふれていて変わったことなどほとんど起きないのだが、見ていて全然あきなかった。しかし描かれるのが偏りすぎという気もした。つまり明広は母親のことは恋しく思ったけど、兄のことは何とも思わなかったんだろうか。兄は最初の方に出てくるだけで、後は全然出てこない。8年間、佐賀に来ることも、手紙のやり取りもなかったのか。七人の子供を育て上げたというばあちゃんだが、誰も訪ねてこないのか。仕送りしてくれるのは明広の母親だけなのか。他にも孫がいるはずだが全く話が出ない。

佐賀のがばいばあちゃん3

こういう映画では必ず描かれる明広の淡い初恋・・なんてのもなし。明広、母親、ばあちゃん・・見事にそれだけなのでありました。私が子供の頃はお母さんは怒ってばかりいたな。いろいろ問題をかかえていたから、今考えれば機嫌が悪かったのも無理ないと理解できるけど、あの頃は「何でうちのお母さんはいつも怒っているのだろう」と不思議に思っていたな。夏休みになると子供四人のうち、私と妹は母の実家へやられた。後になってわかったけど、それは口減らしのためだった。実家は農家だから食べるものは何とかなる。私と妹はトンボの羽をむしって飛べなくしたのを箱いっぱいに集めたり、今思えば残酷なことをして遊んでいた(トンボさんごめんなさい)。食事では固くて骨っぽいフナが食べられなくて苦労したな。食べ物を残すなんて思いもよらないし、どこかにそっと捨てるという知恵もなかった。田舎のおばあちゃんは何言ってるのか全然わからなかったし、格別やさしくしてくれたわけでもない。やることがいっぱいあったからね。父方のおばあちゃんはまた全然別のタイプで・・。吉行和子さん演じるばあちゃんには、その両方のおばあちゃんの面影がある。つまりこの映画を見ると、自分の前に存在していた家族のことをどうしても思い浮かべてしまうのだ。彼らがいたことは確かで、彼らがいたからこそ自分は今ここにいる。・・てなわけで「DEATH NOTE」「がばいばあちゃん」と続けて見て、たまには日本映画もいいな、けっこう質が高いじゃん、見直した・・なんて思ったりしたのでした。それにしても・・前に座っていた夫婦のうち、ダンナの方は見ている間中うるさかったな。ここはこうなるぞ、これはああだぞ・・と先走っていちいち妻に耳打ちするわけ。知ったかぶり、教えたがりやもいいとこ。あのねえ・・奥さんの方も「静かに」とか言えよ。まーホント頭にくる。名前教えてよデスノートに書くから。まさか「綴り字のシーズン」の時のスペル言いたがりおじさんじゃないでしょうね。お客さんたくさんいると笑ったり泣いたり一体感が生まれて見ていて楽しいけど、こういううるさいのがいるとムードぶちこわしなのよ。さてと・・そう言えば私も「おばちゃんいくつ?」って姪に聞かれて「28歳」なんて大ウソこいてだましていたな。さすがにもう通用しないけどウヒヒ。