シャル・ウィ・ダンス?(2004)

シャル・ウィ・ダンス?(2004)

いちおう元の映画も映画館で見ている。ハリウッド版の主役がリチャード・ギアだと知った時には、いい配役だと思った。私は彼の映画をそうたくさん見ているわけではないが、「プロフェシー」のような役の彼は好きである。つまりうじうじしていてじれったくて、背中をそっと押してあげたくなるような・・。誠実で押しつけがましくない・・。合理的、積極的、自信満々・・そういうのとは対極にあって、かなり日本的。職業も目立たないけどいなくては困るもの。彼ジョンは遺言書作成専門の弁護士。人の一生の整理をする。依頼人の話をじっくり聞き、必要なことをもれなく盛り込み、正確に作成し、秘密は守る。遺言の中にはとんでもないこともあるだろうし、お金になりそうな秘密も・・。でもそういうことも彼にとっては一つの事項にすぎなくて・・。最初主人公の職業が弁護士と聞いた時には、いかにもアメリカ的だなあと思った。熱弁をふるい、術策をめぐらし・・なんていやだなあと思った。でもよかった、そっちの方じゃなくて。地味な仕事をかたづけ、疲れて帰る毎日。妻はキャリアウーマンで充実した毎日を送っているし、子供達も手が離れかけ・・。幸せなんだけど何か物足りない。何かきっかけが欲しい。毎日の生活に変化をつけてくれるもの、料理にひとふりするスパイスのようなもの。のめり込むとかそこまでいかなくていい。張り合いを感じさせてくれるもの。そしてそれが社交ダンスで、美人の先生というちょっと不純な動機で・・。ストーリーはほぼ日本版と同じだが、いくつか変わっているところももちろんある。主人公の職業、妻がキャリアウーマン、子供の数。・・でも私が一番印象的だったのはダンスのシーン。コンテストの前夜、他の人が帰った後、明かりを消したフロアでの情熱的なダンス。ここぞとばかりにセクシーさを強調する。この映画最後の方でハッピーなジョンとビヴァリーをちょこっと見せる以外は、ラブシーンてほとんどないのよ。そのぶんまとめてここに入れておきましたから・・っていう感じ。話はそれるけど、パンフの写真見るとお尻出てますねぇ。ダンスって背筋のばしておなか引っ込めて、引っ込めるからお尻が出るのね。太極拳は違うんですよ。背筋のばしておなか引っ込めるのは同じだけど、収臀と言ってお尻もしまっちゃう。おなか引っ込めてお尻もしまうという→←の状態を作るんです。

シャル・ウィ・ダンス?2

→←という相反する方向に引っ張り合うから結果的にまっすぐになるという、そういう考え方ですな。だからきゅっと上がったヒップをお望みの方には、太極拳は・・向かないかも・・。さて話を戻して、この映画の主人公ってジョンではなくてボビーなんでしょ?働き詰めに働いて、お金と時間と情熱をありったけダンスにつぎ込み、ぶっ倒れて病院に運び込まれる。言いたいことを言いまくり、踊りまくり、食べまくり、生きまくり(!)・・とにかく全力で生きている。演じている人は声とかしゃべり方とか、日本版の渡辺嬢によく似せていました・・と言うか地?太った黒人のヴァーンを、汗まみれで臭いから一緒に踊るのはいやだと罵倒する反面、ジョンのことは気に入っていて汗のにおいさえ甘く感じるらしい。同じ汗でも相手が気に入っているかいないかでにおいが違ってくるのだ。そこらへんがおもしろかった。ペアを組む場合、相手の汗なんか気にしていたらうまく踊れないでしょうな。ヴァーンが告白するところは、日本版は汗と涙出まくりで、これでもかって感じでしつこかったけど、こちらはサラリとしていてよかったと思う。逆にサラリとしていなかったのが、前に書いたダンスシーンね。何かボンノー全開で、あたしゃどうもこういうのは苦手ですな。スケートでもアイスダンスは見ません。いちゃいちゃしているようにしか見えないんだもん。しかしジェニファー・ロペスはともかく、ギアは特訓したんでしょうなぁ・・。普通だとあの後「愛してる」とかになるんだろうけど、ならなくて「ありがとう」になるので、(アメリカの)お客はがっかりしただろうな。日本のお客は「そう、それでいいのだ」とホッとしたりして・・。だってジョンにはよろめいて欲しくないもんね。ジョンの奥さんビヴァリーは、ジョンが何か隠し事をしていると気づきながらも、口には出せないでいる。他の映画だったら女友達に電話で相談する。「ジョンこの頃変なのよ」・・で、その友達が「くよくよ悩んでないで探偵に調べさせてみたら?」とアドバイス。自分一人の胸におさめて・・という人はあんまりいないのでは?何か不自然だなーと思ったのが、探偵に「もう(調査を)終わりにして」と言うシーン。ビヴァリーって(スーザン・サランドンってと言うべきか)巨乳ですなぁ・・。探偵に会うのに何であんな谷間強調服着るんですか?気になって気になって。

シャル・ウィ・ダンス?3

見せる相手が違うだろッ!ジョンに見せてあげなさいッ!ラストはまあみんなのその後を見せていて、サービスしているんだけど、ジョンとビヴァリーのいちゃいちゃは見たくなかったな。一方でジェニファー扮するポリーナの方は再びダンスに打ち込んでいて、二人を結びつけたのはダンスだけど、ジョンにとってのダンスとポリーナにとってのダンスは違うものなのだ・・そんな気がしたな。二人が身も心も一つになれたのは、あの暗い中で踊った時だけ。あの時だけはダンスが二人にとって同じ意味を持っていた。次の日になればあの高揚感も集中力も・・。妻と娘がコンテスト会場にいるというだけでジョンは不安になり、集中力を欠き・・。二人で何かをする時って別のことを考えると必ず間違う。太極拳もそうで、一人でやる時にはまわりの景色見たり他のこと考えたりするものだが、推手のように相手がいる時には套路のことしか考えない。一度バランスが崩れると立て直すことは難しい。それにしても自分の一声でコンテストがあんなことになっちゃって、パパの面目丸つぶれ。晴れの舞台だいなし(ボビーにとってはジョン以上に!)にしたことを、あの娘少しは反省したのかね。夫の意外な姿にポーッとなっていたビヴァリーなのに、何であの後駐車場で他人に迷惑かけながら夫を弾劾するわけ?ジョンがビヴァリーにあやまったりするあたりから、私には理解不能の世界だな。ジョンがあやまるならビヴァリーもあやまれよ。疑って探偵雇って夫のプライバシー侵害しただろーが。自分が仕事で充実しているから、ジョンのかかえる悩みには気がつかなかったんでしょ?自分と同じでジョンも充実していると思い込んでいたんでしょ?努力が足りなかったのはお互い様なのに、何でジョンだけ一方的にあやまるの?そりゃバラ持ってエスカレーター上がってくるシーンはステキですよ、ギア様。こんなシチュエーション用意されたらビヴァリーも許さないわけにはいきませんてば(元々ジョンのことは好きなんだし・・)。で、二人は甘いムードでダンスときたもんだ・・。夜のデパートで残業中だってのによ!ビヴァリーの同僚は涙と羨望のまなざしで二人を見つめ・・。女性好みの甘いシーンですよ、確かに。でも結局ビヴァリーはあやまらんかった。娘も・・。何か見ててすっきりしない。ストンと気持ちよく落としてくれない。

シャル・ウィ・ダンス?4

あやまっときゃ向こうも悪い気はしないから、下手に出ておいた方が利口かも。それにしても、ああいうふうにいちいち愛情を証明しなくちゃならない生活って大変だよな。その点日本はいいよな。証明しなくたってやっていけるもん。この映画でもう一つがっくりさせられたのはミス・ミッツィー。私が日本版見て一番印象に残ったのがたま子先生なのよ。戦争のせいで、あるいは縁がなくて、独身のままで来てしまったという女性は、私のまわりにもいる。独身でもたま子先生は明るくて積極的で人生を楽しんでいる。ところがミッツィーはダンスを教える合間にもアルコールを・・という設定なのよ。そりゃダンス教室があんまり繁盛していなくて、もうすぐつぶれるかも・・という状態のせいかもしれないけど、私にはパートナーのいない人間は一人前でないと言っているように思えて仕方がなかった。パートナーがいてこそ人間は人生に満足でき、充実した幸せな毎日を送れるのであーる。ひとりものは満たされていないから、アルコールでその空しさをまぎらわすのであーる。だから何でもいいからパートナー見つけろッ!・・と余計なおせっかい焼かれているようで、ひじょーに不快だった。パートナーがいなくたって充実した人生送ってる人はいっぱいいるんじゃーい!パートナーがいたって悶々としているジョンのような人だっていっぱいいるんじゃーい!ひとりものを特別視するなー。たま子先生みたいな背筋が伸びてりんとした、しかも親切で明るくて元気で精神的に独立した女性は私の理想であります。・・てなわけで見終わってもジョンとビヴァリーのことが納得いかんし(もう一度言うけど片方が一方的にあやまって、それですむ問題ではないと思う)、ダンスの魅力が伝わってくるわけでもなし、何か中途はんぱな気分。前にも書いたけどポリーナにとってはダンスは命をかけるような真剣なもので、プロなんだから当然として、ジョンにとっては?ビヴァリーとよりを戻してラブラブで、それでいいってか?夫婦がラブラブなら人生の意義その他は全部満たされるってか?ダンスは倦怠期乗り切るただの手段でしかないってか?確かに今時珍しいくらい抑制のきいた誠実で健全な人達の出てくる映画ではある。安心して見ていられる映画ではある。でも内容に一本通った芯が感じられず、背筋の曲がったダンス見てるような不満が残った。ギア様はよかったよん。