シンデレラ・ボーイ

シンデレラ・ボーイ

最初見たのはいつだったかもう忘れてしまった。テレビで見たんだと思う。新聞にブルース・リーがどうのこうのと書いてあったので見たんだと思う。その後中古ビデオを買った。ジャン=クロード・ヴァン・ダムのことは全く知らなかったし、印象にも残らなかった。今回久しぶりに見直した。出演者の演技がへたなことにまずびっくり。一人二人へたなのがまじっているのは珍しくないが、ほとんど全員がへただ。おかげでタン・ロンやヴァン・ダムのへたさも目立たない。ある程度武術のできる人を優先したのだろう。演技は素人に毛が生えた程度。知ってる人はタン・ロンとヴァン・ダムだけ。あとはスタントマン(が本職)とかそんな感じ。アクションはわりとちゃんとしている。作り手の多くは香港映画界の連中だからスマートさはないが、ハデなワイヤーアクションもCGもなしで、ちゃんとごまかさずにやっている。武術とセットで出てくるのはダンス。こちらは何となくごまかしている。主人公ジェイソン(カート・マッキニー)の友人RJはダンス気違いだが、多くのシーンでは後ろ向きとか顔を隠してたりとか足だけうつすとか代役バレバレ。いったい何のために出ているのかと思うくらい。今ならこんなアホ映画でもちゃんとしたダンサー出すだろう。途中で出てくる黒人のダンスコンビもへた。次にびっくりしたのは、抜け落ちたストーリー。とにかく省略してある。あまりにもどかんどかんと抜け落ちているので、かえって小気味がいい。ジェイソンはブルース・リー気違い。父親トムの経営するカラテ道場で練習しているが、すぐ調子に乗ってしまい、トムにしかられてばかり。このトムがまたダニエル・カールにそっくりで・・。彼のところへ”組織”に入れという勧誘があって、断ったせいで足を折られてしまう。折ったのがヴァン・ダム扮するロシア人用心棒イワン。開始早々出てきてオオッ!と思うが、あとはクライマックスまで出てこない。その後有名になったせいで(アメリカでの)DVDのカバーは彼の写真になるけど、出番は少ないのよ。でもインパクトはすごい。おでこのコブはこの頃からすでにあったのね。色が白く、髪はオールバックで背は低い。若いけど浮わついたところがなくどっしりしている。アメリカ人とは明らかに違う、ヨーロッパの雰囲気がぷんぷん。さて、入院したトムはあれこれ考える。このままだと自分だけでなく家族にも危機が及ぶだろう。

シンデレラ・ボーイ2

それで道場を閉鎖し、シアトルへ引越すのである。道場をやめること、引越しに関しての家族のあれこれは全く描かれない。心配とか反対とか少しはあったはずだが・・。特に単純なジェイソンは父さんは尻尾を巻いて逃げ出すのかよとか言いそうなものだが。でもすぐ移っちゃう。奥さんは出てくるが、存在していないのと同じ。それとジェイソンは高校生だろうが学校関係の描写ゼロ。車を乗り回し、ガレージを自分の練習場にし、RJに聞いて近くの道場を見に行く。気に入って入門しようとするが、入会金の心配とか全然していないお気楽さ(結局邪魔が入って入門はしなかったが)。お金と言えばトムは酒場のマスターやってる。足が不自由だからもう道場はできない。酔客にからまれるなどみじめな日々。まさに負け犬だ。ある日仕返しに来た酔客とその仲間にボコボコにされるが、ジェイソンに助けられる。彼はジェイソンがケンカばかりしてくるので、練習を禁止したり、頭ごなしに命令するなどして押さえつけていたが、ジェイソンはブルース・リーの霊の導きで修業を積み、強くなっていたのだった。デブのいじめっ子がいたり(高校生にしてはやることが幼稚)、入門しようとした道場で恥をかかされたり、父親とうまくいかなかったりで、ジェイソンはどうしていいかわからなくなってしまう。それでリーの墓を訪れ、助けを求めていた。この、ブルース・リーに助けてもらう、導いてもらうというアイデアは、多くの人が夢見たと思うけど、それを実現しちゃったというのはすごいね。だって何かしらブレーキがかかるでしょ。バカらしいとかアホらしいとかムリだとか。でも作っちゃった。でき上がったものは名作でも傑作でもない。出ている人は無名だし、練られた手落ちのないストーリーでもない。ヘボ演技プラス穴ぼこご都合主義ストーリー。しかもリーの指導受けるシーンはさほど長くないし、いかがわしさぷんぷん。リーのそっくりさん出てくるけどあんまり似てないし、凄まじいアクション見せるわけじゃない。しかも・・リー・タイガーと名乗る。ここがいかがわしいインチキくさいうさんくさい。て言うか何でブルース・リーと名乗らないの?きっとブルース・リーは忙しいから代理の者寄こしたのだ。彼に助け求めるのはジェイソン一人とは限らない。リー・タイガーとかリー・ジャガーとかリー・チワワとかたくさんいるのよ(予備が)。

シンデレラ・ボーイ3

ジェイソンはバカで単純だからブルース・リーに頼んでリー・タイガーが現われてもおかしいな・・とも思わない。初めてこの映画を見た時にはすごくうれしかった。だってタン・ロンを見られる機会なんてそうめったにあるものじゃない。今は本名であるキム・ダイ・チョン(金泰中)となってることが多いけど、私にとってはやっぱりタン・ロンなのよ。「死亡遊戯」はともかく「死亡の塔」はクズ映画扱いされていて、それは確かにそうなんだけど、私は好きなのよ。ある意味傑作だと思っている。あの延々と続くファイトシーン。前菜からデザートまで手抜きなしフルコースのアクション。なかなかお目にかかれるもんじゃありませんぜダンナ。しかもユン・ピョウも見ることができるし。エンドロールではクライマックスシーンを延々蒸し返して(?)見せてくれるし、「アローン・イン・ザ・ナイト」♪聞かせてくれるし、フルコースにおみやげまでつけてもらったようなお得感。キムは映画界から足を洗ってビジネスマンになったらしい。少し前ネットで写真を見つけたけど丸坊主になってたような。後でもう一度見ようと思ったら見つからなくて。ま、ネットではよくあることだけど・・確かに見たのにその後どうしても見つからないってやつ。不思議なのはIMDbでは1943年生まれになってること。「死亡遊戯」や「死亡の塔」の頃は1954年生まれになっていたはずだが。43年だともう67歳で、それはちょっとありえないと思うんですけど。話を戻してリーがまずジェイソンに言うのは「武」の意味。「戈」・・戦いや争いを「止」・・止めるのが「武」。これって「SPIRIT」のところでも書いたけど、まず真っ先にこのことをはっきりさせるのだ。で、それに関連して私が思ったのは、トムがロスからシアトルへ移ったことも「武」だと思うわけ。表面的には逃げた・負けたように見えるけど、相手にならなかったことで争いは起こらず、したがって勝者も敗者も存在しない。だからトムは負け犬ではないのよ。屁理屈かもしれないけどそういう考え方はあるのだ。それに自分の心をおさめてその場を立ち去ることの方が、相手の挑発に乗らないことの方が難しいのだ。向かっていってやられた方が楽な場合もある。やるだけやったんだと自分にもまわりにも言い訳できる。もっともこの映画では作り手はそこまで考えてはいないだろうけど。

シンデレラ・ボーイ4

トムは鬱屈していてジェイソンにやつ当たりするし、助けられると今度は逃げてばかりじゃだめなんだと目が覚める。私としては勝ちも負けもない悟りの境地にいて欲しいけど、作り手はやはり単純でわかりやすい描写の方を取る。父親は息子の成長を阻む壁であり、それはいつか壊される。そのことで父子はより深く結びつく。父親が悟りすました達人じゃ映画にならない。さてジェイソンは夜はリーの指導を受け、昼間は黙々とトレーニング。学校はどうなっているのだと思うが、気にしなくていい。トレーニング以外ではダンスパーティや誕生パーティさえ出してくればいいのだ。ジェイソンの人生には授業なんて必要なし。授業中も武術のこと考えているだろうし。それにしても見せられる特訓はどれもジャッキー・チェンの映画で見たものと同じ。オリジナリティーがゼロ。逆に言うとジャッキーとほぼ同じことができるほどマッキニーはちゃんとした体をしているってこと。まつ毛が長く、目が美しく、なかなかの美形である。ただ強烈な個性はなく、見終わると顔もよく思い出せない。ケリーとの交際もこういう映画には欠かせない。この頃(1980年代)のコは髪をいじくり回し、顔もいじくり回し、細くてボケッとしていて何の魅力もない。出てくるコはみんな同じ顔をしていて、途中で交代しても気づかないんじゃないかと思うほど。ジェイソンとケリーはいつの間にか知り合って仲良くなってキスまでしていてびっくりするが、去年すでにロスで出会っていたんだと。ここらへんも抜け落ち状態。出会いを省略するなんて青春映画じゃありえないと思うが。ケリーの兄イアンはチャンピオンになったばかりだが、早くも”組織”の手がのびてくる。この”組織”も何がどうなっているのかよくわからんが、そんなこたぁどうでもいいのだ。正義の味方の主人公に対する悪の存在が”組織”なのだ。試合が組まれ、もちろん”組織”はずるをし(すごく強いやつを出してくるだけだが、”組織”のやることはずるなのだ)、イアン達がピンチになった時、ジェイソンが躍り出る。その流れしかない。ジェイソンはイアンの道場とは無関係だが(入門しようとしてデブ達に邪魔された)、そこらへんも都合よく(飛び入り歓迎みたいに)流している。ここでやっと登場してくれた(降臨してくれた)ヴァン・ダムがインパクトありすぎて、他の連中はかすむ(ジェイソンさえも!)。

シンデレラ・ボーイ5

何たってロープに両足引っかけて180度開脚・・映画館で見た人は度肝抜かれただろうなあ・・。それにしても私前回見た時には何とも思わなかったのかしら・・記憶にないってことは。今見てもすごい。イワンがジェイソンに負けるのは不自然だ。彼ならジェイソンに勝つはずだ。そう思えてしまうのが(映画としては)イタイ。誰もがピンチに陥ったジェイソンを助けるためリーが再登場すると思っただろう。以下妄想・・リングは光につつまれ、何が起きているのか見ている者にはよくわからない。リーはジェイソン以外の者には見えないのだ。でもイワンには見えて、驚きつつも戦うが一瞬で敗れ・・そしてリーは光とともに消え去るのであった・・アーメン。イワンは自分よりはるかに強い者の存在に畏怖を感じ、改心するのであった。その間ジェイソンは何もしないで見ていたと・・。こんな妄想が次から次へと・・うくくたまりませんわ~だって想像してみてくださいなブルース・リー(のそっくりさん)とヴァン・ダムの対決なんて夢のようじゃありませんか!!話を戻して(我に返って)リングでの戦いは、クライマックスではあるけれど今一つ足りないものを感じる。イアン達がやられ、ジェイソンが立ち上がり、戦う間に修行シーンがはさまれる。今の彼があるのは修行のおかげ。イワンが倒れ、”組織”はこそこそ姿を消し、ジェイソンは胴上げされもみくちゃにされる。とてもわかりやすいお祭り騒ぎのハッピーエンド。でも何か抜けてる。こういう持っていき方、終わり方しかないとわかっていてもそれでも何かもう一つ上のものが欲しかった。戦いの最中のリーの登場うんぬんは無理としても、リーの教えをジェイソンがどう自分のものにしたか(この場合の教えは精神的なもののことだが)、会得したものをどう行動に表わすか(ぶざまにのびたイワンに手を差しのべるとか)。でもまあそうやって最後まで抜け落ちているのがこの映画の持ち味なんだろう。もう一度言うけど出来はよくない。底が浅い。でも純粋さが感じられるのはいい。ブルース・リーに対するリスペクトが感じられるのもいい。戦い方を教える前に武の意味をはっきりさせたのもいい。タン・ロンを起用してくれたのもいい。それにしてもリングから落ち、倒れているイワンのことなんか誰も気にしないのね。勝ったジェイソンより負けたイワンが気になるのは、年のせいですかね・・。