サンシャイン2057

サンシャイン2057

私は年に数回しかレンタルビデオ店には行かないが、今回は借りた五本のうち二本が、この映画とよく似ている部分があるのに気がついた。偶然だろうけど不思議な気がした。「サンシャイン2057」を見に行く前日に「イベント・ホライゾン」を、「サンシャイン」を見た翌日「ステイ」を見た。「イベント」の方はすでに感想書いたけど、いろんなSF映画の寄せ集めみたい。行方不明になった宇宙船が7年ぶりに見つかるというのが同じ。その宇宙船に向かった乗組員が次々に死ぬというのも同じ。相手がエイリアンでもロボットでもなく、人間の暗部というのも同じ。どちらもSF映画というジャンルに入るけど、宇宙人と戦って勝利する・・みたいなスカッとする結末ではない。広い宇宙空間が舞台なのに閉塞感があり、いかにもCGという映像も多い。では「ステイ」との共通点は?一見似たところなどなさそうに見えるけど、私が感じたのは時間。ほんの数秒が、ある者にとっては長く感じられる・・みたいな。「サンシャイン」には原作がない。あってもよさそうなものだが。映画の評判はいいとは言えない。どちらかと言うと期待はずれ・・みたいな。多くの人は真田広之氏が出てる!とか、ダニー・ボイルが監督!とか、そういうのに引かれて見に来るんだろうな。私が行ったのは公開されてからだいぶたった平日。有楽町スバル座で、一回目は40人くらい、二回目は60人くらいか。意外と年配の人が多かった。SFなんか見なさそうだけど、真田氏が出てるから来たんでしょ?「トレスポ」のボイルだから・・じゃないでしょ?私はもちろんキリアン・マーフィ目当て。予備知識何もなし。ストーリーは・・よくわからない。なぜ太陽が死滅の危機に?地球は今どんな状態?地球はラストにちょこっと出る。氷河期みたいに凍りついている。左上に見える建物の形から見てオーストラリア?太陽に核爆弾ぶち込んで活性化させようという計画。最初のイカロス1号は失敗し、今回は二回目。爆弾は地球のすべての核物質を集めて作ったから、もう失敗は許されない。出発して16ヶ月、太陽に近づいた頃、思いがけなく行方不明のイカロス1号が出現する。このまま進むか1号に立ち寄るか議論になる。地球との交信はもうできないから、2号の乗組員だけで判断しなければならない。

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でもさぁ・・行方不明って言うのなら途中でもし見つけたらどうするか、あらかじめ対策立てとくはずでしょ?乗組員が明らかに生存している場合、救難信号だけで生死不明の場合・・。こういう映画は目的地近くに着くまでは何も起こらないので、描写はどうしても単調になる。だから乗組員の中で恋に落ちたりケンカしたり・・そうやって変化つける。でもこの映画の乗組員は・・こんな不安定なのばっかでいいの?冒頭のシーンからして・・太陽光を危険なくらい浴びているサール。彼は精神科医。そのうち皮膚がボロボロむけてくる。おいおい大丈夫かよ。演じているクリフ・カーティスは「ヴァイラス」などでおなじみ。近く公開の「ダイ・ハード4.0」にも出ているらしい。近くのシネコンに彼のポスターが貼ってあるのでびっくりした。いや、正確には「アポカリプト」のポスターだけどさ。一番手前に彼がいるのよ。でも・・別人らしいんだなこれが。そっくりなんでてっきりクリフかと・・。ついでに他の出演者のことも書いておく。パイロットのキャシー役はローズ・バーン。どこかで見たような・・と思ったら「ホワイト・ライズ」に出ていた。さびしそうな顔立ちで地味だが、演技は非常にうまい。「28日後...」の続編にも出ているようだ。生物学者で船内にある菜園も担当しているのがコラゾン。演じるミシェル・ヨーはますます倍賞美津子さんに似てきたぞ。この映画はアクションなしだし、コラゾンの性格もあまりいいとは言えないし、したがってヨーはあんまり魅力的には見えない。通信士ハーヴェイ役のトロイ・ギャリティはいちおうハンサムだが存在感に乏しい。映画が終わって一番先に観客の記憶からなくなるのは彼だろう。パンフを見てびっくりしたのだが、ジェーン・フォンダの息子だそうな。父親はロジエ・ヴァディム?と思ったら議員のトム・ヘイデンの方だった。エンジニアのメイスはクリス・エヴァンス。映画が始まる前「F4」の続編の予告をやった。それで見たばかりだから、メイスを見ていて何だか妙な気がした。最初は髪が長く、誰だかわからなかった。でも途中でいつもの髪型になる。メイスは熱血漢で、よくキャパ(キリアン・マーフィ)と衝突する。すぐカッカするが、ミッションに対しては常に冷静な見方ができる。計画を変更して1号に寄ることに強く反対したのも彼。

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混乱した状況でもすばやく判断を下す。「F4」の頭カラッポキャラの印象強いけど、こういう役も似合うのね。若くて元気いっぱい、ハンサムだしこれからが楽しみ。第二のベン・アフレックとか・・。さてこの映画、乗組員にアジア系が多いのが特徴。今までだと必ず黒人がまじるけど、今回はなし。何よりも真田氏の役名がカネダというのがね。だって他の映画では聞いたこともないような珍名さん奇名さんだったりするじゃない。まずそこでつまずいちゃう。作り手のやつら全然わかってないぜ・・って。でも今回はちゃんとした名字。カネダは冷静な性格。ただちょっと虚無的。一番ベテランで一番哲学的で一番悟っていそう。・・で、「スーパーノヴァ」「ザ・コア」などと同じく、一番先に船長が死んでしまうのよね。航海士トレイ役はベネディクト・ウォン。彼のミスでトラブルが起き、取り返しのつかないこと(カネダの死)になり、ショックでウツになり、酸素が足りなくなってこのままじゃミッション達成前に死んじゃうから、彼を殺そう・・なんていうとんでもない展開になる。寄生されてるとか汚染されてるから始末する・・というのならともかく、今までありました?こういうの。しかも一度じゃないんですよ人数減らす相談するの。それでいて取っ組み合いしてムダに酸素使うし・・。さて、太陽に近づくってことは、熱を防がなくちゃならないってこと。こんなに離れていてさえ、我々は暑かったりするわけで、近づいた時なんて・・想像もつかない。今回はシールドで防いでいて、そういう外観とか菜園のある船内とかはこの映画の見どころでもある。シールドの修理のために船外活動をすることになって、キノコみたいな形の照明使ったり、耐熱服とか・・映像は非常によかった。「2001年」に似ているけど、あっちは宇宙空間は無音というのにこだわっていて・・。それにくらべるとこっちはいろいろ音を入れている。「2001年」は木星、「イベント」は海王星の近く。多くのSF映画は、太陽とは逆方向の世界を描いている。暗くて冷たい。この映画のように太陽に向かうのは珍しい。こちらの方が描くのは難しいだろう。太陽と言えばすぐ思い出すのがWBの「太陽はもう輝かない」!いやいやそうじゃなくて・・「サンダーバード」の第3話。太陽号のパイロット三人は並んで腰掛け、おしゃべりするだけ。

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ピンチになっても三人並んで腰掛けて暑い暑いと言っているだけ。イカロス2号は出発してから16ヶ月たってる。16ヶ月も座っていたらお尻痛くなるだろう。太陽号のあの三人きっと仲良く痔主だろう・・なんて暗闇で突っ込み入れてましたよ。まあ「サンダーバード」はお子様向けですからね、16ヶ月なんてとんでもない。さてイカロス2号の菜園では新鮮な野菜も取れる。植物は酸素の供給にも役立つ。不思議なのは16ヶ月の間全員普通に生活しているらしいこと。他の映画なら冷凍睡眠とかにして、食料や酸素の節約する。全員起きて顔突き合わせているからもめ事が起きるんじゃないの?さすがに恋愛沙汰はなし。私が思うに精神科医が同行しているのはそのせいもあると思う。たぶん乗組員達はトラブル起こさぬよう性欲を減退させる薬とか飲んでると思うな。だから彼らにあるのはほのかに・・程度。カネダとコラゾン、キャパとキャシー。恋愛がほとんどなしなのは珍しいが、それ以外でもおやっと思うシーンいくつかある。食事を作るシーンではトレイが中華ナベ使って炒め物作る。食事をするシーンではみんな箸を使っている。手つきはぎこちなく、食べ物をいじくり回しているようにしか見えない。イカロス1号の船の表示には英語の他に漢字も使われている。ウーン、SFもここまで来たか・・と妙に感心してしまった。またキャシーは暇な時には操縦席で本を読んでいる。2057年ならコンピューターの中に本の内容が全部入っているだろうに。いちいち宇宙へ本を持っていかなくても、いくらでも読めるはずだろうに。でもやっぱり本を読んでいるのよ。そこが何ともアナログ。ところで彼女何を読んでいるのかな。さて・・水星に近づき、みんながそれを見るシーンはすごくロマンチック。大きな大きな太陽のまわりを、小さな小さな水星がゆっくり回る。あんなに近くにいて、なぜ溶けてしまわないのか。なぜ太陽に引っ張られて落ちてしまわないのか。このシーンでの音楽もよかったな。エンドクレジットでの歌は、演歌みたいでしめっぽくていやだけど、それ以外ではこの映画で流れる曲はみんなよくて、サントラ欲しい!・・と捜し回ったけど見つからなかったのよ。どうも発売されていないようなの。出てないと言えば「ハンニバル・ライジング」のサントラもなし。何でやねん。クライマックスでの曲も物悲しくて好きですぅ。

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さて水星のそばでハーヴェイはイカロス1号の救難信号をとらえる。キャッチして救助に向かって・・今までどれほど多くの人が船がひどい目に会ったことだろう。「エイリアン」「スーパーノヴァ」「イベント・ホライゾン」などなど。寄り道するとろくなことがないのよ。2号だってあのまま太陽に向かってりゃ船体無事だったし乗組員も地球に帰れた。しかし1号の爆弾と2号のを合わせて、威力と成功の確率を二倍に(実際には二倍以上だろうが)・・なんてスケベ根性を出したのが運の尽き、とんでもないことになっちゃった。やっぱ一度決めたらその通りにやる・・ってのが大事なんだよな。メイスはそういう考え方なの。でも結局はキャパの判断で1号に寄ることに。ところがトレイのうっかりミスで船長が死ぬハメになり、1号にドッキングして中に入ってみると様子が変。物事がどんどん悪い方にころがっていく。1号は酸素はあるものの、爆弾は操作できない。故意に壊されているのだ。結局は無駄足だったとがっくり。しかも1号と2号をつないでいた通路が壊され・・キャパ達四人は戻れなくなってしまう。宇宙服は一着しかない。そこでまた誰が生き残るか・・。またかよ~って感じ。クライマックスまで映画がだれないよう、事故や事件を起こさなきゃならない。それって要するに誰かの死。だから見ていても気が重い。一種の殺し合いだからね。みんなで仲良く生き残る・・はできない。殺すか殺されるか、あきらめて自分から死を選ぶか。どんな時でもキャパは優先される。ミッションを成功させるのが一番重要なことだから、物理学者である彼は生きのびなきゃならない。そのわりにはシールドの修理とか行ったりしてかなり危険な目に会うんだけどさ。最初キャパはさほど目立たない。宇宙船に関して何か仕事があるわけでもない。だから見ている人に少し印象づけようと修理のシーンで登場させたのか。1号に寄り道したためにサールとハーヴェイが犠牲になり、続いてトレイが自殺。残りは四人となって、計算上では爆弾投下まで酸素は持つはず。もうこの時点で地球へ戻れる望みはなくなっている。1号はシールドが壊れない限りあのまま太陽の近くにいるのかしら。空気がもれ出しているから、今まで通りってわけにはいかないと思うけど。爆弾はどうなるんだろ。さてあとは爆弾落とすだけ・・という頃になって、映画はホラーに一変する。

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コンピューターがキャパに言い出すわけ。爆弾投下地点まで生きられない、五人いるから酸素が足りない・・って。見てる人全員思ったはずよカネダは生きている!ってね。太陽の熱で死んだと思われたけど、実は最後の瞬間うまく逃れて、船内のどこかで助けを呼ぶこともできず生きのびているのだ・・ってね。ところがねえ・・違いましたわ。「11人いる!」ならぬ「五人いる!」でぐっと怖がらせてくれたのはいいけど、その後がお粗末なんですの。五人目は1号の船長ピンバッカーだったんですの。2号のサンルームだか展望室だかにいる。太陽の光でまぶしい。キャパはアホなんですの。まぶしいまんまにしておく。コンピューターに言って暗くさせりゃいいのに。まぶしいまんまだから我々にもよく見えませんの。最初はエイリアンかゾンビだと思うわけ。キャパはよくピンバッカーだとわかりましたねえ。キャパだけでなく映画の作り手もアホです。ピンバッカーのシーンになると画面ゆらしたりノイズ入れたり・・もううんとわざとらしく見づらくうつす。お客になんか何がうつってるか見せてやるもんかあっかんべーって感じなのよ、すっげー意地悪。私この映画すごく気に入って、あの後またシネパトスへ行って二回見たんですの。その時は一回目は二人、終わり頃になって一人入ってきて全部で三人。二回目は九人。要するに悲しいくらいガラガラだったけど、とにかく私は四回もこれを見て、それでもまだ見足りないってくらいこの映画にほれ込んじゃったんですの。そんな私でもピンバッカーに関してはののしりたいです。余計なことせずちゃんとうつせ!ちゃんと見せろ!この船長太陽に近づくにつれて頭がおかしくなっちゃったんですの。太陽に何かするなんて人間の思い上がりだ・・ってね。思い上がってるのはオマエだっちゅーの!そのせいでミッション放棄。地球の危機は回避されず、2号が出発するハメになったのよ。しかも1号から2号へ忍び込み、通路ふっ飛ばし、キャパ達帰れなくしたのもこいつの仕業。ところでこの船長頭狂ってるし体もおかしくなっているのによく7年も生きのびることができたわねえ。1号では結局何が起きたのだろう。乗組員のことはよくわからない。なぜ救難信号を出し続けていたんだろう。また次のが来ると予測しておびき寄せるつもりだったのか。

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キャパ達が1号へ入った時、何も痕跡見つけないのもおかしい。ホコリが積もっているということは、ピンバッカーが動き回れば手の跡、足の跡がつくはずで・・。キャパもコンピューターに五人だって言われて、メイス達になぜ知らせないの?通路ふっ飛ばしてサールとハーヴェイの命奪った張本人ですぜ。一人でノコノコ無防備に近づいて、メスで切られて負傷する。軽率にもほどがありまっせ。その後ピンバッカーはコンピューターをだめにしようと冷却液から露出させるの。ここらへんは一回見ただけじゃよくわからない。・・と言うか、この後はわからないことが多くなっていくんだけどさ。私が不思議に思ったのはコンピューターにダメージ与えるようなことあんなに簡単にできるのかってこと。安全対策が全く取られていない。普通はパスワードとか設定して、簡単にいじくれないようにするのでは?コンピューターはミッション達成第一に考えられているはずなのに、あんな軽い警告程度で操作され放題。メイスはコンピューターを元に戻そうとするけど、冷却液のせいで途中で凍死してしまう。コラゾンも死ぬ。ピンバッカーにメスで刺し殺されるんだけど、殺される時と死んだ後でなぜか姿勢が違うのよ。死んだ後で起き上がったらしい(ホラーだぜ!)。キャパは何とか手動で爆弾を操作しなくちゃならなくなる。彼はコラゾンやキャシーがどうなってるのか知らないだろうし、キャシーも何がどうなってるのか、誰が生き残っているのか知らないまま逃げ惑う。ここらへんかなりご都合主義な展開。キャパは宇宙船と爆弾を切り離す。宇宙船は太陽の熱でたちまち消滅してしまう。コラゾンやキャシーが宇宙船の方で生き残っていたらどうすんの!でもコラゾンは死んでるしキャシーはなぜか爆弾部分の方にいるのよ。爆弾の中は広くて、キャパはそこでピンバッカーと戦って、何十メートルも滑り落ちて、でもそこはなぜか爆破をセットするのにちょうどいい位置で・・何がどうなってるのか何回見てもよくわからないのよ。宇宙船や爆弾の見取り図とかパンフに載せて欲しかったな。SFなんだからさ。ところで爆弾はマンハッタン島の大きさなんですってさ。そう言われてもわからんけど。東京ドーム何個ぶんとか言ってくれないと・・ってそりゃムリか。あんな大きいの地球上では組み立ても発射もムリ。宇宙空間で組み立てて発射したんだわ。

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まあとにかく内部は広いのよ。ガラーンとしていて天井には無数の照明がついてるし(必要だとも思えんが)、酸素はあるし(この広さぶんの空気があって宇宙船の方に移せたら・・人数減らしてなんてこと考えずにすみそうだが)、重力はあるし・・。キャシーは結局どうなったのかな。普通ならここで二人は抱き合ってキスして、太陽にまっさかさまに突っ込んでいる最中だってのに、おまえら何やっとるねんとか突っ込み入れるところだ。他の映画みんなそうでしょ?でもこの映画はそういうのありませんの。目立たなくてどっちかと言うと弱っちい感じのキャパだけど、いよいよという時になって自分の任務果たすわけ。コンピューターが使えないから自分がやるしかない。そのために自分は選ばれ、ここまで生きのびてきたのよ。前はよく太陽に落っこちる悪夢を見たけど、今自分はまさに太陽に向かって落ちている。悪夢は現実になったけど、心はその恐怖を通り越して、自分の仕事のことしか頭にないの。感想の最初の部分で「ステイ」に似ていると書いたでしょ。ほんの数秒がある者にとってはもっと長く感じる。「ステイ」のヘンリーがそうだったように、ここでのキャパも時間が引きのばされる。見ていてこれはリアルじゃない・・と思う。爆弾のスイッチ入れて、核分裂が始まって、無数の星がまたたくようでとってもきれいなの。そして閃光が走ってキャパは光につつまれる。実際は一瞬のうちに溶けてしまうんでしょ?でもキャパは光に手をかざす。いくらか時間があるわけ。この映画では人がたくさん死ぬけど描写がくどすぎる。例えば宇宙服なしで投げ出されたハーヴェイはたちまち凍死する。普通ならそれで十分だ。その後凍った顔うつす。次に宇宙船と接触して腕がちぎれる。それからシールドの外に出て燃え尽きる。何もそこまで念入りにうつさんでも・・。カネダの場合は熱・熱・熱、メイスの場合は冷・冷・冷・・もう早く楽にしてあげて!ってなもんよ。でもキャパの場合はね、これは許す。引きのばしたっていいの。何たってマンハッタン島サイズの爆弾でしょ。しかも太陽の中。水星を事典で調べたら妙な動きするって書いてあったわ。太陽の質量が大きくて空間がゆがんでいてその影響受けるらしいの(まあ30年以上前の事典だからその後謎が解明されたかもしれないけど)。そこへ強力な爆弾でしょ。空間だけでなく時間もゆがんでいたっておかしくないわ。

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一回目はね、私もちょっと期待したのよ。想像を絶するエネルギーの中にいて、弱い人間ではあるけれど何か奇跡が起こるんじゃないかしら・・って。地球はムリだけどどこか別の世界に飛ばされて、キャシーとキャパの二人新世界でアダムとイブになるのでは・・って。だって二人にはやっぱり助かって欲しいじゃない。何にも悪いことしていないのに、まだ若いのに死んじゃうなんてかわいそすぎる。でも・・死んじゃうんだよなー。おかげで太陽は甦り、地球は人類は助かるんだけどさ。で、また話を戻すけどそんなとんでもない空間にいたら一瞬が引きのばされても不思議じゃないと私は思うわけ。キャパには無数のきらめきを見、光につつまれ、光に手をかざし、幸福な気持ちに満たされる時間があった・・と信じたいわけ。あるいはあの一連の出来事はキャパの幻覚だったのかもね。それこそ「ステイ」のヘンリーと同じなんだけど、死の瞬間苦痛や恐怖を感じないですむよう脳から何か信号が出て、ああいう幻覚を見たんだと・・。こういう死の表現はきれいごとすぎるかもしれないけど、見ていてホッとするのも確か。核爆弾で何でも解決というのは引っかかるものがどうしてもあるけど、きれいな音楽、きれいな映像には心をうたれた。さていろいろ書いてきたけどこの映画、確かに欠点はいっぱいあるの。途中で神がどうの・・とやり出して、あれ?SF映画のつもりで見ているのに・・話が変な方向に行きそうだぞ・・と心配になるわけ。そりゃ昔から太陽は信仰と結びついてはいるけどさ。どんな信仰もそれを信じる人間によっていいものにも悪いものにもなりうる。ピンバッカーにとっては信仰がミッションの放棄、狂気、殺人につながってしまう。最初は太陽という自然の驚異に感動していたはずなのに。敬虔な思いにとらわれていたはずなのに。宇宙ではどっちが上でどっちが下なんてことはない。それと同じで何がよくて何が悪いかなんてのも元々はないんだろうな。そこに人間が加わるからこれはよくてあれは悪いとなるのだ。太陽の死滅も「人間にとって困ること」にすぎない。今回人類は危機を脱したけど、滅亡の危機がゼロになったわけでもない。この先石油や石炭がなくなっても原子力発電はできないよ。その代わり核戦争も起きないけどさ。まあきりがないのでもうやめるけど、とにかくこういう物悲しい、そこはかとなくやるせない映画、超好みです!