レディ・イン・ザ・ウォーター

レディ・イン・ザ・ウォーター

予告が始まっても私一人なので、また貸し切りかな?と思っていたら数人入ってきて、結局五人でした。監督やストーリーには何もそそられないけど、ブライス・ダラス・ハワードには興味あるんです。思いつめたような顔つきの時や、運命に雄々しく立ち向かう時の彼女は、マリア・シェルに似ていると思う。今回は水の精の役で、「ヴィレッジ」のような盲目の役ではないが、どこかそういう表情をしている。妖精だから目の見え方は人間とは違う・・みたいな。少し前BSだったかで「縛り首の木」をやった。マリア・シェルは一時的に目の見えなくなる役をやっていたが、ハワードとよく似ていた。ハワードは元から色白なのかメイクなのか・・まあそばかすがなかったからメイクなのだろうが、まだ若くてシワもなく、大理石の彫刻のようだ。彫りが深く、横顔などとてもきれいだ。しかし美女という感じはしない。非常に個性的で、こういう難役もたやすくこなしてしまう。普通のOLの役などお呼びじゃない、才能の無駄遣いだ、いつかきっとアカデミー賞とるだろう・・そんな気のする人。ポール・ジアマッティ扮するクリーブランドが、彼女を「まだ子供じゃないか」と言うシーンがあって、こんな一人前(か、それ以上)に成熟した女性の、どこが子供だよ・・と呆れてしまった。彼も、ただのアパートの雑用係かと思ったら、元は医者ですってよ。そのわりには医学的興味全く持ち合わせていない。妖精って体の仕組みはどうなっているのか、水の中でどうやって呼吸するのか、そもそも呼吸するのか。医者じゃなくたってそれくらい興味持つと思うが。ついでに何で英語しゃべれるんだろう。習わなくても読めてしゃべれるんだから、きっとスペイン語も韓国語もわかるんだろう。まああまり詮索しちゃいけないのよ。ありえない話なんだから。普通こういうのは子供が主人公になる。でもこの作品は違う。舞台はアパートの中だけ。登場人物いっぱいいて、しかもほとんどが大人。それでいて扱うのがおとぎばなしだから、映画にするのは難しいの。見る前から気分は萎えているし、見ている間も大変。ばかばかしいし、つまんない。難しい内容をがんばって映像化し、一本の映画にまとめ上げた努力は買うけど、題材に興味は持てなかったし、見終わっても感動はないし・・。

レディ・イン・ザ・ウォーター2

主演のポール・ジアマッティは、この頃やたら見かける。ボウリングのピンみたいな丸っこい体つき、おだやかで孤独な中年男という設定は悪くないけど、深みのあるいい声しすぎている。名ナレーターみたいな美声で、しかもドモリ。何だかいっぱいくっつけすぎている。ドモリである必要はないし、演技はちょっとオーバーだし、汗をかき、メガネさえ鬱陶しい。いっそロブ・シュナイダーみたいなとんちんかんなの出してきて、ファンタジーっぽさ、コメディーっぽさ強調すればよかったのに。ジアマッティにして、重厚で格調高くして、癒し強調するつもりだったんだろうけど、ヒロインのハワードも重い感じだから、両方重くてバランスが悪い。妖精にしてはハワードは体格がよすぎる。ノーパン、ノーブラで下半身むき出し(もちろん上も下も前も後ろも見せませんけど)、ファンタジーのヒロインにしてはなまなましすぎる。彼女をああいう感じで出してくるなら、クリーブランドはもっと軽くて小回りのきくタイプの方がいい。体格のいいお姉ちゃん風妖精と、それに振り回されるチビのドジ青年。妻子を殺された元医師という悲惨な過去はくっつけにくくなるけど、別にそんなごたいそうな過去である必要はないと思う。他に人生の悲哀感じさせる手段はいくらでもある。クリーブランドが今のままの設定なら、妖精の方はもっと細くてきゃしゃなタイプの方がいい。「天使とデート」のエマニュエル・ベアールのような。とにかくこの映画のカップルはボウリングのピンと大理石の彫刻。重重で、水底に沈んで浮かび上がれないみたいな感じ。ファンタジーにもコメディーにもなりきれず、それでいて人間ドラマとして見るには話がありえなさすぎ。説得力なさすぎ。とは言え、私の場合最初から多くのこと期待せず見にきているわけだから、別にいいんですよ。他のこと(ハワードの演技)で楽しむつもりなんだから。アパートの住人はそれぞれいい味出してる。もちろん全員ではないけどね。中には何でピックアップされるのかよくわからないのもいる。笑えるのが韓国人の母娘。真面目なんだかフーテンなんだかよくわからない娘のさばさばぶりもいいが、母親がすごくいい。英語を話せず、いつもつっけんどんで、しゃべり方のせいでケンカしているように、あるいはしかられているように聞こえる。韓国語って確かにそう聞こえる。

レディ・イン・ザ・ウォーター3

クリーブランドは娘のアドバイス受けて、母親に気に入られるよう演技する。何しろ水の精のおとぎばなしを知っているのは彼女だけなのだ。何で韓国人が?・・なんて詮索しないこと。出されたお菓子や飲み物をほめて、愛想振りまいているうちは微笑ましいが、だんだん過剰になり、しまいには異常にさえ見えてくる。どうして途中で、ほどよい描写でやめておかないのか。見ているこっちは笑うどころか恥ずかしくなってくる。せっかく母親の母性本能をくすぐるという笑えるシーンができたはずなのに・・。気持ち悪いシーンになってしまった。とは言え母親役の人はよかったですよ。ああいう人に限って面倒見がよく、親切なのよ。他によかったのは映画評論家。しゃべる内容がいちいちもっともなので、こういう人(腕力はないけど知力はある)にこそ活躍して欲しかったのに・・。ごうまんとかたづけられ・・結局殺されちゃったの?演じている人はどこかで見たような・・。調べてみたら「2010年」でチャンドラをやったボブ・バラバンだった。ヒーラー(治癒者)と間違われる老女は、「レッド・ドラゴン」でダラハイドに頭殴られる美術館員だよな。今回はパンフ買ってないので出演者のことはあんまりよくわからない。体の右側だけ鍛えている青年は、いよいよその右腕使って魔物を退治するのか・・と期待したら・・あれ?何だよ、横から別なの(CGだかアニメだか)現われて・・これじゃ兄ちゃんの活躍の場がないじゃんよ。一見役に立たないように見える者が、いざという時意外な力を発揮してみせるからワクワクドキドキするんじゃん。夢があるからファンタジーなんじゃん。期待裏切って手柄横取りして・・何やってるんだよ全く。子供はお菓子だかシリアルだかの箱を見ながらご託宣ですか?しかも間違えた・・だってさ。見ていて頭かかえたくなったの私だけ?さて・・シャマラン監督は・・重要な役で出ている(かんべんしてよ、ただでさえ現場混乱してるのに)。最初の頃にくらべるとだいぶやせて、見てくれはまあまあ。演技も別にへたっぴでもない(上手でもないけど)。でも・・別にアンタがやらなくてもいいんじゃないの?アンタがやると余計なこと考えてしまう。何ですって?水の精が出会うべき人間が彼で、それまで迷っていた彼は吹っ切れて、著わした作品はやがて一人の少年に影響を与え、成長してこの世界をいい方へ導くってか?

レディ・イン・ザ・ウォーター4

しかしアンタはその著作のせいで命落とすので、自分のまいた種が実を結ぶところは見られないと・・まあそういったところですかね。偉大な思想家にして殉教者。何も自分の役そんなごたいそうなものに仕立て上げなくたって・・。もうちょっと謙虚になれないんだろうか。自分の運命知って悩んでいたって、見ているお客で「ああかわいそうに、何という悲劇のヒーロー!」なんて同情する人いるのかな。コイツの運命なんかどうでもいいや・・って思ってる人がほとんどなのでは?ついでに言うと、水の精がうまく魔物の手を逃れて、無事に大ワシに連れ去られますように・・と願っているお客もいないのでは?全体的に見て「すべてがどうでもいい」としか思えないんだけど。前作の「ヴィレッジ」は内容はともかく音楽がよかったので、サントラを買って時々聞いている。今回も期待したんだけど、特にどうってことなかったな。エンドロールの歌もしょぼくて・・おとぎばなしだからしめくくりは子守唄風にしたんだろうけど。冒頭のアニメと、水の精が大ワシに連れ去られるシーンを、プールの水越しに見せたのはよかったと思う。つまり我々はその場面を水を通して間接的に見ているわけで、別にそうする必要もないんだけど、でもよかった。それ以外は冒頭の何とか退治(ゴキブリだか何だかわからん。ネズミなら鳴き声するはずだし)からじれったいのが続く。何でちゃんと見せないのだ、何でそんなうつし方をするのだ・・そんなのばっかですよ。自分の思った通りにやる、文句言いたいやつは言え・・そんなふてくされた感じ受ける。どんな批評受けようと平気だもーんという態度取りつつ、反応をものすごく気にしている。映画評論家だけ犠牲になるのがそれを暗示している。評論家は冷静に論理的に作品をけなす。一言で相手をつぶすことができる。ごうまんな態度を取る。こんなやつらは魔物の餌食になるがいい。しかも滑稽な形で・・。逆に自分は・・世界を変える偉大な・・ああ、いいかげんにしろこら。ゴキブリ退治してすぐ引っ込むくらいならまだ「愛すべき出たがり」ですむけど。今回はどんでん返しなしだったけど、どんでん返しすらないってことは、他に見るものがないってことでもあるのよ。お客の数から見てヒットしているとは思えないけど、それが正常な状態だと思うな。こんなのが大ヒットして見た人全員感動なんてことになったら異常だぜ!