謎の佳人レイチェル、レイチェル

謎の佳人レイチェル

ネットで動画・・予告編を見た時にはびっくりした。リチャード・バートンが出てる~!そういえば私彼の映画ってあんまり見たことないな。ありがたいことにDVDが出ている。見ることができるとは思っていなかったのでうれしい。その代わり10枚セットだから、知らない映画が九本ついてくるけど、思いがけない拾い物もあったりして。さて、こういう文学作品を映像化したものって、筋を追うのに忙しく、深みは期待できないのが普通。何でこのキャラを、このエピソードを削っちゃうかなあ・・とがっかりすること多し。この映画だって推理面よりもメロドラマ風味の方が強いだろう。そう思いながら見ていて、実際そうなんだけど、レイチェルが持つ多面性はうまく出ていたと思う。フィリップ(バートン)が子供の頃に見た、十字路に吊るされた罪人の死体。誕生日、パイから出てきたプレゼントの子犬。いとこのアンブローズは父であり兄であり友人であり、二人での暮らしはずっと続くものと信じていた。しかし彼は医者の勧めもあり、フィレンツェへ療養に。あの十字路での別れが今生の別れになろうとは。滞在は長引き、サンガレッティ伯爵未亡人と知り合って結婚。そのうち妙な手紙を寄こすようになる。筆跡は乱れ、内容も変だ。アンブローズの父は脳腫瘍で死んだ。それが遺伝したのか。フィレンツェへ駆けつけるともう彼は埋葬された後。再び未亡人となったレイチェル(オリヴィア・デ・ハヴィランド)は遺品すべてを持って旅立った後。弁護士レイナルディの言葉も、医師の死亡証明書もフィリップは信じない。彼はアンブローズの手紙だけを信じる。彼は病気で死んだんじゃない!アンブローズの遺言ではなぜかレイチェルには何も遺されていない。遺産はフィリップが25歳になった時、すべてを相続する。そのうちレイチェルが訪問したいと言ってくる。遺品を渡すためだ。報復を考えているフィリップは、意地悪してやれとわざと留守にする。しかし実際に会ってみると、彼女はイメージと違っていた。気さくで温かく、悪意も善意と取るタイプ。したがってフィリップは自分が恥ずかしくなる。教会へ行くと好奇の目で見られるが、すぐにみんな彼女に魅了されてしまう。後見人ケンダルの娘でフィリップに好意を持っているルイーズだけは警戒する態度を崩さない。フィリップったらさんざんアンブローズの死はレイチェルのせいと主張していたのに・・。

謎の佳人レイチェル2

レイチェルはここに長居するつもりはない。週末を過ごすだけ。何しろアンブローズは彼女に何も遺さなかったのだ。仕事を捜さなくちゃ。アンブローズの手紙は彼女には初耳で、その内容にはショックを受ける。初めて自分がフィリップにどう思われていたのかわかって悲しむ。今ではフィリップは自分が思い違いをしていたと思っているが、それでも手紙は・・彼女への疑いは消え去ることはない。さてこのように進んでいくわけだが、だいたいは「レイチェル」と同じなのでこれくらいにして。私がこの映画を見て奇異に思ったのは、レイチェルがフィリップにキスをすることである。フィリップの方は礼儀にのっとって手にキスをすることが多い。レイチェルがフィリップにキスをするなら髪、あるいは頬、おでこが普通だと思う。夫や愛人ではないフィリップ(の口)に(自分から)キスをするのは変に思える。免疫のないフィリップが舞い上がってしまって、彼女と自分は愛し合ってる・・と勘違いするのも無理はない。ただ、レイチェルにとってはそれが自然な行動だったのだろうが。レイナルディについては、レイチェルは大事な友人と思っているが、彼の方はいつか彼女に振り向いてもらいたいと思っている。「レイチェル」では同性愛者だったが、こちらでは違う。こちらの方が原作通り。また、崩れるおそれのある橋についてフィリップが黙っていて、レイチェルを死に追いやるというのも原作通り。「レイチェル」の崖はやり過ぎ。自分が勘違いしていたと気づき、駆けつけたらレイチェルはもう瀕死の状態。彼女は「どうして」と言ってことれるが、ここは原作通り「アンブローズ・・」と言った方がロマンチック。彼女がいかにアンブローズを愛していたか、また彼にそっくりなフィリップを見捨てることができず苦しんだかが伝わると思う。ラストは荒海を見つめるフィリップ。レイチェルに罪があったかなかったかなんて・・アンタバッカじゃないの?罪があるのはアンタでしょ!幼い頃の十字路に吊るされた罪人の死体の記憶が蘇って、暗澹たる思いに・・のはずでしょ!!レイナルディ役はジョージ・ドレンツ。モンキーズのミッキー・ドレンツのお父さんだ!!

レイチェル

作者はダフネ・デュ・モーリア。第二の「レベッカ」というのが売りで、文庫で出ている。私が持っているのは1972年発行の単行本で、「愛と死の記録」というしまらない題がついている。何度もくり返し読んだので、ストーリーは頭に入っている。1952年にも映画化され、「謎の佳人レイチェル」となっている。レイチェル役はオリヴィア・デ・ハヴィランド、フィリップ役は何とリチャード・バートンだ。見てみたいがその機会はなさそう。こちらではレイチェル・ワイズがレイチェル役。こういう映画があるとは全然知らなかったので、見ることができてうれしい。最初の方はスラスラッと流してある。エンドクレジットも入れて1時間46分だから、あんまりゆっくりできない。幼くして両親を失ったフィリップは、年上のいとこアンブローズに育てられる。彼は女性に興味がなく、結婚もしてないし、使用人も男性ばかり。したがってフィリップは女性のことがよくわからないまま育った。と言うか、わかりたいとも思わない。後見人である教父ケンダルの娘ルイーズとは幼なじみだが、彼女が年頃になり、心理的に変化している・・つまり彼に好意を抱いているのにも気づかない。アンブローズさえいてくれればいい。彼も人並みに学生生活を送ったのだから、少しは男女のことも学んだはずだが・・。女性と遊ぶヒマもないほど勉学にいそしんだわけでもないようだし。勉強は嫌いで、書斎にはずらりと本が並んでいるが、たぶん一冊も読んだことがないのではないか。ある時アンブローズが病気になり、療養のために転地を・・となってイタリアへ行く。そのうちイタリアとイギリスのハーフ、レイチェルと知り合い、結婚したと言ってくる。あの女に興味のないアンブローズが!しかも相手の女性は未亡人だというではないか。幸せそうだったのもつかの間、またアンブローズは病気になったようだ。しかもレイチェルに深い猜疑心を抱いている。フィリップは大急ぎでイタリアへ行くが、ここは本当にイタリアかね。イギリスで間に合わせていそう。屋敷にいたのはいけ好かない感じの弁護士レイナルディ。アンブローズはすでに亡くなり、レイチェルは遺品をみんな持って屋敷を引き払い、ここは売りに出してるのだと。

レイチェル2

アンブローズの死因は脳腫瘍で、レイチェルは看護で大変な思いをしたらしいが、フィリップは信じない。検視報告書などを見せられても信じない。レイナルディに言わせるとレイチェルは衝動的で情熱的だと。原作では衝動的だけで、ここで少しオマケしている。帰国したフィリップは、レイチェルがそちらを訪問したいと言ってくると、意地悪してやれと子供っぽいことを考える。どうせロクな女じゃあるまい。ところが現われたのは・・。原作ではルイーズとは全然別のタイプの、小柄で目の大きい女性ということになっている。ワイズはさほど小柄ではないが、顔が小さいので、弱々しさと芯の強さが同居したレイチェル役に合っていると思う。ヘアスタイルが「風と共に去りぬ」でハヴィランドが演じたメラニーに似ていると書いてる人がいるが、私が原作を読んでいて感じるのも、メラニーとレイチェルとの相似である。小柄であること、温かくてユーモアがあり、話し上手、聞き上手であること、男性が敬意を持って接したくなる何かがあること。だからハヴィランドのレイチェルをますます見たくなるのだ。さぞぴったりだろうから。フィリップはわざと遅くまで外にいて、到着したレイチェルを出迎えない。彼がやっと家に入ると、彼女はもう二階の自分の部屋に引き取り、犬も一緒だという。何気ないシーンだが、私はここが印象に残った。つまりいつもならフィリップを出迎える犬達が、初めてこの屋敷に来た見ず知らずのレイチェルのそばにいるのだ。犬達を引きつけるものが彼女にはあるのだ。それは人間も同様で、さして時間もたたないうちにフィリップも使用人も彼女にまいってしまう。噂好きでアラ捜しの好きな女性連も彼女には文句のつけようがない。表向きはともかく、警戒心を解かなかったのはルイーズだけである。彼女にはフィリップの心変わりが理解できない。それに女のカンでわかる。彼女に心を許してはいけない。もしかしたら何か企んでいるかも。それなのにフィリップときたら・・そのうち彼女に恋してしまうのでは?私がいくらモーションかけても無反応だったのに・・。彼女は彼と結婚したいと思っている。父もそれを望んでいる。

レイチェル3

レイチェルがイギリスへ来たのは生活の安定を求めてのことだ。何しろアンブローズは彼女に何も遺さず死んでしまったのだ。遺言状は書いたが、彼女が信用できないからとサインはしなかった。サインのない遺言状には何の効力もない。でも彼女をあれこれ疑ったのは病気のせいなのだ。レイナルディとの仲が怪しいとか、彼から金を受け取っているとか。でもそれらはみんなちゃんと説明できること。結局レイチェルが善良な女性だったのか、悪女だったのかは原作でも映画でもはっきりしない。教父が言うように、「善良な婦人で本人にはなんの咎もないのだが、人に禍いをもたらす」・・それがレイチェルなのだと思う。前の夫は決闘のために死ぬが、相手はレイチェルの愛人とされている。男の方が勝手にのぼせ上がって、自分が愛されていると思い込むのはありそうなことだ。現にフィリップがそうなっている。彼はレイナルディをライバルと思い込み、嫉妬し、憎んでいる。彼女に浪費癖があるのは本当のことなんだろう。ただ、多くの場合男の方が勝手に貢ぐのだ。フィリップもそうだ。彼が彼女の浪費に、あるいは海外への送金から目をそらすのは、たぶんに彼女の歓心を金で買いたいからでもある。映画では、レイナルディは女性に興味がない・・つまり同性愛者だということが最後の方で明かされる。だからレイチェルの愛人であるはずがないと。映画は小説と違って、ものわかりの悪い観客のためにはっきりさせとかなきゃならないこともあるのだ。原作では同性愛はなくて、友情ということになっている。レイナルディは浪費癖のことも十分承知している。それも含めて彼女をコントロールできるのは自分だけだと自負している。それがまたフィリップには気に食わないことで。ラストでフィリップはルイーズと結婚して二人の子供がいる・・となるのも、原作にはない。原作ではフィリップはたぶん未婚のままだ。映画では教会でルイーズが天を仰ぐシーンがある。これってどういう意味なんだろう。フィリップが、レイチェルは自分を殺そうとしているのでは・・と疑い始めたので、「やったー!!」と、勝利を確信したのかね。

レイチェル4

それはまた後で書くとして、レイチェルはフィリップからもらった金をせっせとイタリアへ送金する。負債のためかもしれないが、未亡人となった自分が生きていくためには経済的基盤が必要だ。アンブローズは何も遺してくれなかったのだから、当然の行為だと思う。とは言え映画ではこっちの屋敷のために、彼女が高価なカーテンカバーとやらを買い込むシーンはなし。浪費癖を表わすために、あってもよかったと思うが。さてフィリップは25歳の誕生日に自分のものとなる財産すべてを、レイチェルに譲渡する書類を作成する。譲渡したってどうせ自分は彼女と結婚するのだから同じことだと思っている。ところがレイチェルにとっては違う。アンブローズでさんざん苦労したし、流産もしてもう子供は産めない体に。美しいと言っても、35歳ともう若くはない。頼れるのは見返りを求めないレイナルディとお金だけ!それなのにフィリップは教父やルイーズの前でレイチェルは自分と結婚するなんてとんでもないことを宣言。大恥をかかせられてしまった。体を許したのは宝石のお礼、結婚するなんて一言も言ってない。ルイーズはフィリップのことを心配していろいろ忠告するが、彼の耳には届かない。映画だとフィリップの様子がおかしくなったのは、レイチェルの作った薬草茶ティザーナのせいのように見える。その方がレイチェルが怪しく見える。しかし原作では、レイチェルと結ばれることがうれしくて、冷たい海で泳いだせいのように書かれている。まあこっちの方が妥当でしょう。フィリップは病床に伏し、レイチェルは献身的に看護する。頭の中ではまだ自分はレイチェルと結婚すると思い込んでいる、困ったチャンのフィリップ。重病の彼を残しては行けず、ますます滞在が延びるレイチェル。いくらやさしい彼女でも、心のどこかでは「また同じことのくり返し!」と恐れていたはずだ。さて、アンブローズはフィリップにあてて何通かの手紙を書いていた。最初の頃の幸せそうな手紙、フィリップがイタリアへ出かけるきっかけとなった筆跡の乱れた手紙。内容は脳の病気を表わすものと、教父は疑っていない。

レイチェル5

その後、遺品の本の間にはさまれていた手紙や、同じく遺品の上着の生地と裏地の間に滑り込んでいた手紙ではますますレイチェルが怪しく思える。フィリップにはアンブローズが正常だったと思える。そういう病気なのだと言われても信じられない。何しろ彼は病気になったアンブローズを見ていない。そのうち彼は、レイチェルがしきりに勧めるティザーナに毒が入っているのではと思い始める。彼女が留守の間に彼女の部屋を調べてやれ。一度馬で走っている時、崖が崩れて落ちるところだった。その崖へわざとレイチェルを行かせ、ルイーズと二人で部屋を引っかき回すが、何も出てこない。ルイーズも、自分達は誤解していたのでは・・と思い始める。不安になったフィリップは馬を飛ばすが・・。原作は崖崩れではなく、一人で散歩していて橋が崩れるというもの。こちらは何十メートルもの高さからの転落で、しかも馬ごと。馬まで落とす意味あったのかな?ラストでは前に書いたようにルイーズと結婚して・・だけど、彼は時々頭痛におそわれる。アンブローズの父親も脳の病気だった。遺伝するかどうかはわからないが、フィリップにもそのうち・・。レイチェルの死後、彼にルイーズと結婚したいという思いがあったとは思えない。でも、レイチェルを死に追いやったことを知っているのはルイーズだけ。たぶん彼女はそれとなくほのめかしたと思うよ。以前と違ってたぶんに抜け殻状態のフィリップだけど、ルイーズはそれでもよかったんだと思う。何しろレイチェルを打ち負かしたんだから!てなわけで、かなり原作に忠実だったけど、見方によっては別の解釈もできる・・みたいなところもあった。フィリップ役のサム・クラフリンは裸になるとなで肩が目立つ。ホント見事に三角形で、見る度に笑ってしまった。ルイーズ役はホリデイ・グレインジャー、ケンダル役はイアン・グレン。IMDbを見ると、この小説は1983年にテレビでミニ・シリーズ化されてるようだ。謎めいた女性・・しかもレベッカと違ってまだ生きてる・・は魅力的な題材なのだろう。でもジェラルディン・チャップリンがレイチェルですか・・。どんなレイチェルなんだろう。