リアル・ブロンド

リアル・ブロンド

この映画はシネ・ヴィヴィアン六本木というところで見たのだが、ここはもうなくなってしまった。きれいな映画館だったが、売店は飲み物の他はお菓子しかなく、お昼を買いそびれてここで買うつもりだった私の当ては見事にはずれた。どこの館でもサンドイッチくらいはあるだろうという私の考えは甘かった。お菓子では空腹は満たされず、これからは必ず外で買ってこようと反省しつつ、しっかり二回見て帰ってきた。今ではそれも懐かしい思い出である。場内はパラパラで、二回目なんて10人もいない。でも前や横の人を気にせずゆっくり見ることができるのはうれしいものだ。フカフカの椅子よりも、最新の音響設備よりも大事なこと、それはスクリーンが完全に見えることだ(と私は思っている)。さて冒頭でおばあさんの飼い犬が泥棒に連れ去られてしまう。向かいに住んでいるジョーとメアリーのカップルはもう6年も一緒に暮らしているが、けんかばかりしている。役者志望だが仕事がなく、アルバイトで何とかしのいでいる35歳のジョー。メイクアップ・アーティストとして多忙なメアリー。アメリカ人ってとことんまで言い合うから、さぞかし疲れることだろうなあ。あんなに言い合わなくたって暮らしていけるだろうに。見ていてよくわからないのが彼らの生活ぶり。「一文無しなのよ」と言いながらレストランで食事をし、精神科医に通い、護身術の教室にも行く。中でもわからないのが精神科医。ただ話をし、それで心の安定を保つ・・っていうのがどうもね。一冊の本に、一輪の花に、絵画に、あるいは何にもないこと、無に心の平安を求めることだってできるだろうに。護身術教室のインストラクターが、下心があってああいう方法(映画館で見た時には、あんなに下心見え見えなのに何で生徒達は気がつかないのかしら・・と不思議だった。今回DVDで見直してみて、ああやって卑猥な言葉を面と向かって浴びせ、女性が怒りを爆発させることで精神が解放されるのなら、それはそれで一つの解決方法なのだろうな・・と思った)を取っているのかどうかは別として、相手にぶつかっていくだけが身を守る手段だとは限らない。メアリーは毎朝道で卑猥な言葉をかけてくる中年男に対して、怒りで爆発寸前なのだが、ジョーが「道を変えたら」と言っても応じない。自分が負けたようでいやなのだ。道を変えるのがいやなら何を言われても聞こえないふりをすればいい。

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昔、もう亡くなってしまったが女優のジル・アイアランドのガン闘病記を読んだことがある。乳ガンの手術をした後、再発への不安からともすれば気持ちが落ち込んでしまうのだが、そんな時は瞑想をする。精神を集中し、ガン細胞をやっつけるイメージトレーニングをくり返し、ガンになんか負けないぞ・・と心を奮い立たせるのである。一方太極拳の講義を受けた時、中国の偉い先生はこんなことをおっしゃった。太極拳をする時の「意」の部分での注意として、例えば「開(中から外へ開く動作)」の時は高血圧の人は頭のことや高い木のことを考えてはいけない。足のことや緑の大地、静止しているもののことを考えるように。「合(外から中へ合わせてくる動作)」の時は自分の体以外のこと、あるいは自分の体から離れたこと(例えば故郷のこと)を考える。特にガンの患者は他のことを考えるようにする。・・何かをする時にはそれと反対の状態のことをイメージするというのは、そうすることでバランスが取れるからである。体が開きすぎて散漫になったり、合わせすぎて縮こまったりするのを避けることができる。ガンとの向き合い方にしても、片方は真っ向から戦いを挑み、片方は別のことを考えたりしてリラックスすることに努める。どちらがよいかは別として、物事への対処の仕方は一つとは限らないことは確かだ。さていつもキリキリといらだっているメアリーだが、それも無理もないなあという部分はある。ジョーを愛してはいるが、現実としてお金の問題はいつも目の前にぶら下がっている。「何とかなるさ」とジョーが言ったところで問題は解決しない。一家の稼ぎ手という男性的役割を担わされ、外に出れば女性として卑猥な言葉を浴びせられ、ジョーとの生活は妊娠の不安と隣り合わせ。両方の性の役割を背負わされ、「すべて私の肩にかかって心細いのよ」と泣き言を言いたくなるのも当然のこと。たいていの男よりはましなジョーでさえ「いつも妊娠するって騒ぎ立てる」と文句を言う。「じゃ子供が欲しいの?」と聞けば答はNOだ。女性にとって切実な問題も男性から見ればただのヒステリーにしか見えない。「他人の痛みは一生だってがまんできる」と言った女性がいるが全くその通り。男性に女性の悩みはわかってもらえないし、例え同性どうしでもそれは同じ。メアリーと彼女がメイクを担当しているモデルのサハラの場合もそこらへんは承知している。

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サハラはメアリーにいろいろ打ちあけ話をするが、言ってることのすべてが本音というわけではない。ボブとけんかして殴られ、顔が腫れあがった時はローラーブレードをしていて肘が当たったとウソをつく。ちなみにボブとジョーとは友達なのだが、メアリーもサハラもそのことは知らない。ボブはジョーにブロンドのモデルと知り合ったと話すが、そのモデルがメアリーの担当するサハラだとは知らない。さてジョーは歩きながらセリフの稽古をするほど熱心だが、やっとありついたマドンナのミュージックビデオの端役も首になってしまうほど仕事にはめぐまれていない。ボブが昼メロの仕事にありついて週給3600ドルも稼ぐというのに、レストランのウエーターくらいしか仕事がない。それはまあ彼がフワフワした性格で、世渡りがヘタということも影響している。エージェントの女マネージャーにびしっと言われてあわてて態度を改めるところが笑える。ショービジネスの世界はキビシイのだ。ロマンを追うだけではこの世界は生きてゆけない。ただ彼のいいところはボブと違って浮気をしたり、女性を殴ったりしないことである。オーディションに受かって映画に出ることになった時には喜びのあまりティナと浮気しそうになるが、寸前で思いとどまって家に帰る。少し前メアリーは護身術のインストラクターに車で送ってもらったのだが、アパートの前に駐車したままなかなか降りてこなかった。しかもタクシーで帰ったとウソまでついた。それを思えば「こっちも浮気の一つもしてやれ」という気になって当然だが、それでもちゃんと思いとどまる。ボブに会った時、仕事の順調ぶりを自慢されたジョーは「マドンナからのメッセージが留守電に入っていたんだ。でもかけても誰も出ない」と話す。するとボブに「ああそれはオレのいたずらさ」と軽く言われてしまう。笑っていてもジョーの内部で何かが起こっているのは見ていてわかる。みじめな毎日の中で例え半分くらいはウソだろうと思っていても、もう半分はもしかしたら・・という思いもあって、あのメッセージは心のよりどころだった。誰もがジョーがボブに殴りかかる瞬間を待つ。怒って当然だ・・と思う。でもジョーはそうしない。笑顔でボブと別れ、仕事に向かう。電話番号が書かれたメモが手から落ちる。近くで男女が痴話げんかを始める。男が女を殴ったので止めに入ったらピストルを突きつけられた。

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でも怖くない。かえって男の方が気味悪がって逃げてしまう。仕事に行って、タイをなくしたことをオーナーのアーネストに話すと、別のタイをつけてくれた。ホモだといううわさのあるアーネストだが、今のジョーにはそんなことはどうでもよかった。メアリーに愛してると留守電を入れる。オーディションに遅刻してしまい、役は他の者にほぼ決まっていた。でもせっかく来たのだからやってみるよう言われ、相手役の女性を見るとミュージックビデオの撮影の時マドンナの吹き替えをしていたティナだ。ボブと別れてからのジョーは、今までのジョーとは違っていた。例えて言うなら水のような存在。何でもありのままを受け入れる。ボブにぶつけられるはずの怒りは頂点に達した時点でどこかに消えてしまっていた。無になった彼は冷酷な殺人犯でも絶望したセールスマンでも何でもできる。彼の演技はまわりを感動させ、映画出演の話が決まる。そしてティナと飲みに行き、うれしさのあまり浮気をしそうになるが、前にも書いたように思いとどまる。アパートに帰り、メアリーと仲直りをし、満ち足りた夜がすぎていく。一方ボブの方は女はブロンドでなきゃだめというタイプ。サハラのブロンドが染めたものだと知ると、とたんにおさらばしたくなってしまう。昼メロの相手役ケリーが本物のブロンドだと知って大喜びするが、理想の女性に出会えたというのにさっぱり役に立たない(何が?)。ケリーに捨てられた彼が帰るのは結局はサハラのところ。彼だって王立アカデミー出身のシェークスピア役者だという自負はある。昼メロなんかやりたくはない。いつまでたっても先に進まないワンパターンのストーリーにはうんざりしている。でも視聴率はうなぎ登りでお金には困らない。契約条件だって思いのままだ。でも女性に関してはどうしてこう思い通りにならないんだろう。ブロンドのセクシーなモデルサハラは作られた虚像。本当のサハラはブルネットで、家庭を持って愛する人に尽くしたいと願う平凡で地味な女性。愛するボブが戻ってきてうれしくてたまらない彼女は、幸せそうに朝食を作りながら「本当の自分に戻りたいの」と宣言する。それを聞くボブの浮かぬ顔つき。ケリーだとだめなのにサハラだとうまくいくのだ(何が?)。でもサハラがブルネットに戻ったら・・。それに彼は結婚などしたくはない。どこかに理想のブロンド女性がいるはずだ。ボブの悩みは尽きない。

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ラストは感動的だ。おばあさんが朝、仕事に出かけようと外に出る。忘れ物はないか・・とでもいうようにちょっと立ち止まる。ふと見ると向こうからボロボロになった犬がとことこ歩いてくる。普通だったらうれしそうに吠えて走ってくるところだが、それはない。盗まれた時首につけていたひもを引きずっていて、それが足に絡まるためよたよたしている。盗まれてからここまでおよそ二ヶ月。二ヶ月たって二組のカップルはよりを戻し、犬はおばあさんのところへたどり着いた。でも人間は犬と違っていろいろあるから、この先の犬とおばあさんほどには幸せにはならないだろう。ボブはブロンドを求めて浮気をし、サハラを悲しませるだろう。今回のことで一皮むけたジョーも、その軽い性格からいって仕事がうまくいくかどうかは怪しいもの。メアリーとのけんかはこれからも続くだろう。前に書いたように精神をリラックスさせて相手と協調して生活していく方法は存在する。一方で相手ととことんまで言い合い、殴ったり浮気をしたりの攻撃的な生活もある。彼らの取る方法は主に後者だが、どっちの方法を取ろうとまわりがとやかく言うことではない。さて出演者はけっこう豪華で、主演のマシュー・モディンはいつも何か夢見ているような役が多い。よく見るとジョーの着ているガウンやジャンパーの肩のあたりがほころびていて、それがいっそう彼の情けなさや甲斐性なしなところを際立たせている。やり手のマネージャーディディ役のキャスリン・ターナーの「あらま」とか、昼メロ女優ケリー役のダリル・ハンナの「あら、傷ついたかしら」なんていうセリフが笑わせてくれる。その昔「すてきなアン」というテレビシリーズに出ていたマーロ・トーマスが女性カメラマン。この映画に出てくる女性は皆きびきびと元気がいい。おばあさんもいい。録画した昼メロ(ボブとケリーの)を「おやまあまた自殺?」なんて突っ込みを入れながら見る。ストーリーがワンパターンだから見ている方にも展開がわかってる。それでいて真剣に見ているのが笑える。男優陣ではアーネスト役のクリストファー・ロイドが印象的。指をパチッと鳴らすところ、90度向きを変えるところ、微妙にホモっぽいところ。笑えるんだけど仕事に誇りを持ち、毅然としたところなどなぜか心に残る。他には映画の「ピアノ・レッスン」の批評でレストランの中がけんけんごうごうとなるところがおかしかった。