ノウイング

ノウイング

ニコラス・ケイジ、ローズ・バーン、アレックス・プロヤス・・と私の好きな人が三人も・・。だからすごく期待していて。でも聞こえてくるのは特撮はすごいけど内容はとんでもない・・とか。あまりヒットもしていないようだし。ちょっとくじけたけど前売りも買ったことだし・・と心をはげまし、見に行く。お客は四人。見た直後の感想は・・こういうの(救いようのない絶望的なラスト)だと長い感想は書けないな・・と。もっとも書き終わってみたらけっこう長くなっていたけど。50年前、一人の少女によってこれから起きる大災害がいろいろ予言されて・・。でも書かれたものはタイムカプセルに入れられたので日の目を見ず、月日は経過。50年たってカプセルが取り出され、宇宙物理学者ジョン(ケイジ)は息子ケイレブ(チャンドラー・カンタベリー)が持ち帰った手紙にふと目をとめ・・。一面に書かれた数字の羅列。その上にぬれたグラスを置いたことから興味がわき出す。円で囲まれた数字・・もしかしたらひとくくりの数字が何かを表わしているのでは・・。その数字が日付らしいと気づくにはそう時間はかからなかった。911とくればねえ・・アメリカ人には特別な数字・・あれッ今気づいたけど今日は911じゃん。さて、今はパソコンという便利なものがある。調べ始めると止まらなくなり・・こりゃいったいどういうことだと、手紙を書いた少女ルシンダを捜すが、もう亡くなっていて。ルシンダには娘ダイアナ(バーン)がいた。近づいて話しかけるけど警戒されて。そりゃそうだ。初対面だし、彼女にとって母のことはあまり触れられたくない。後でわかるが、彼女は母に自分の死ぬ日を予言されていたのだ。これってダイアナにとってはねえ・・信じたくないし考えたくないし、母のことも話したくない・・となって当然。前半を見ていて感じるのは、ジョンもダイアナも人生に対して不器用なこと。何でもすいすいこなすタイプじゃない。ダイアナは離婚し、一人で娘アビーを育てている。夫を追い出してやったわ・・みたいな言い方するし、かなり気が強く心も狭そう。一方ジョンは妻をなくしたことをくよくよ思い悩み、息子とはうまくいかず、酒ばかり飲んでいる。今度のことだってタイムカプセルのことから落ち着いて順番に話せばいいのに、変にあせって話が飛ぶからダイアナに怪しまれる。

ノウイング2

もっとも二人の心が離れたままでは話が進まないので、そのうち一緒に行動するようになる。その場合も子供をほったらかして大人二人で行動するなど、見ていて首を傾げてしまう。ダイアナの母ルシンダの家で手がかりを捜す二人・・子供二人は車に置いたまま・・怪しい連中が出没しているってのに。怪しい連中は宇宙人である。ネタバレも何も・・見ている人すぐわかると思う。地球の滅亡が近づいているのだ。彼らは何人かを連れて行くのだろう。たぶん人間だけでなく他の動物や植物も。ケイレブもアビーもささやき声のようなものが聞こえるらしい。ルシンダは聞こえたものを紙に書いたけど、結局何の役にも立たなかった。50年埋もれていたから。いやいやその後も彼女の耳には聞こえていたから何かに書いたり人に話したかも。でもそれも役に立たない。意味がわからないから。大人になるにつれ、それでも意味がわかってきたようだが、でもまわりから見れば頭がおかしいとしか。滅亡する数日前に数字の謎が解かれたってどうしようもない。今まで予言通りだったように、この滅亡も確定しているのだ。宇宙人にとっては50年前にすでにわかっていたのか。それでいて今まで何もしていなかったのか。この映画は空間的な移動・・つまり、宇宙の彼方から来た宇宙人が少数の特別な地球人を選び出し、どこかの星に連れて行って再出発させる・・そういうふうに描かれている。でも50年という年月・・予言が全部当たること・・を考えると、時間的な移動についても考えざるをえない。宇宙人と言うより(あるいは宇宙人であると同時に)別の時空の人々、もっと言うなら未来人。それなら全部予知できたってのもうなずける。彼らにとっては地球で起きる大災害や滅亡は歴史・史実。もっと言うなら彼らはケイレブやアビーの子孫かも。50年間彼らは何もしなかったのではなく、密かに動物や植物を別の惑星に運んでいたのかも。人類移住の下地作っていたのかも。何だか妄想が広がるな。まあ表面的なことだけ見れば、予言なんぞ解けても解けなくても地球の運命には全然関係なかったじゃん・・と突っ込んで終わりの映画。まあそこらへんの二流三流のSF映画ならそこで終わっちゃうところだけど、たいていの人はわりと好意的な受け止め方しているように思う。

ノウイング3

きっと独自の世界観、人生観を感じるからだろう。たいていの映画では誰かスーパーヒーローが都合よく現われて人類あるいは地球を救う。スーパーヒーローがいなくても母の愛でとか恋人達の愛でとか、とにかく何らかの愛の力のおかげで助かる。だから地球を襲う大災害見せられてもあんまり真剣に受け止めない。そのいい例が「地球が静止する日」。いくらクラトゥが深刻な顔しても我々は「彼は思い直す」と確信している。大災害見ても「出来が今いちの特撮」と思う。人類や地球が滅びるわけないじゃん・・とたかをくくっていられる。でも「ノウイング」の場合は違う。(他の人は知らないが)私は「ホントにこうなるかもね」と心が暗くなった。飛行機が墜落するシーンや地下鉄事故のシーンは確かに凄まじいが、この映画の特徴はその後も描写していること。特に墜落現場の地獄絵図・・。地球に異変が起きるけどほとんど何もできないうちに終末の時を迎えるってのもリアルだ。やけになって暴動を起こすとか泣きわめくとか、そういうことより何をしたらいいのかわからないうちにその時は来るのだ。ジョンやダイアナの行動は何の効果もない。とにかく何をしても無駄。これほど無常感感じさせる映画も珍しい。よくこんな企画が通ったね。だってこの内容じゃ超大ヒットはありえない。死んでいく人達にはたった一つなぐさめがある。誰も助からないということ。自分だけじゃないということ。人類も地球もなくなってしまうのだから。もちろん一握りの人は宇宙人によって救出される。ああ、そうか・・宇宙人がギリギリまで秘密にして待ったのはそのせいか。誰かが助かるとなったらその他の人が黙っちゃいない。暴動が起きるだろう。宇宙船を捜し出し、選ばれた人達を殺してでも乗り込もうとするだろう。いよいよとなったら宇宙船も爆破だ。自分が乗れないのなら・・。さて話はちょっとそれるが、その昔NHKの少年ドラマシリーズで「赤外音楽」というのがあった。見たのは大昔だから記憶はおぼろだが、他の人には聞こえない音が聞こえる人達がいて一ヶ所に集められる。ミュータント研究所ということだったが、実は地球に滅亡が迫っており、特殊な音が聞こえる者だけが宇宙人の助けで地球を離れることができる。しかし主人公二人(少年ドラマだから中学生)は地球に残る方を選ぶ。そして天変地異の中無数の円盤が飛び立ったというニュースを聞く。

ノウイング4

ね?「ノウイング」とそっくりでしょ。「ノウイング」のノベライズはまだ読んでいないので触れないが、「赤外音楽」の原作は読んでびっくり。結末が全然違う。ある種の音が聞こえる人達がミュータント研究所に集められるというのは同じだが、ある程度実験が進んだところで、所員はなぜかいなくなってしまう。彼らの正体や目的は不明だが、おそらくは宇宙人で、音を使って人間をあやつり、地球を乗っ取るつもりだったのではないか。でも今となっては真相はわからない。聞こえていた音も聞こえなくなり・・というぱっとしないストーリー。テレビの方がずっとドラマチックで(ただし天変地異などのハデなシーンはいっさいなし。セリフだけ)、悲しげなテーマ曲とともに印象に残る。死ぬとわかっていて残るなんて・・死を受け入れるなんて・・しかも中学生が。当時としては珍しいラスト。話を戻して、とうとう宇宙人、宇宙船が現われる。ケイレブはどちらかと言うとさめた感じの子で、ジョンの気持ちがあまりよく伝わっていないようなところがある。見ようによっては生意気なクソガキにも思えるが、私はそうは思わなかった。かえってジョンの方が一人相撲取ってるような感じ。過去から抜け出せずもがき、息子を自分のペースに巻き込もうとする。自分がこんなに息子のこと思ってるのに・・。ケイレブから見ればもうわかってるのにまたかよ・・って感じ。彼には父親の気持ちはわかってる。自分を愛し、命を賭けて守ってくれることも。その一方でジョンが気にする不思議な人達には恐怖を感じない。誰なのか知らないけど悪い人達じゃないってことはわかる。宇宙船に乗って地球を離れることも平気。でも・・父親が行けないと知ると、彼は初めてうろたえる。てっきり一緒に行けると思っていたのに・・。泣き出したケイレブをはげまし旅立たせるケイジの演技には泣かされる。短時間の心の動き・・自分も一緒に?というとまどいと助かるという希望、それがだめだとわかっても失望はしないが全く未知の世界に息子を送り出さなければならないという不安、別れの辛さとそれを克服しようとする葛藤・・やっぱケイジをこの役に配して正解です。表情に繊細さがある。説得力がある。それにくらべるとアビーの方はほとんど何もなくすんなりいく。彼女はダイアナが死んだことはまだ知らない。

ノウイング5

ダイアナだってジョンと同じくらいアビーを大事にしていたはずだが、その気持ち娘にはよく伝わっていないみたいな・・。まあここでアビーに泣かれたりごねられたりしても困るからこれでいいんだけど。とにかくケイジの名演技のおかげでたいていのことは許せちゃいます。宇宙船は今まであまり見たことのないタイプで作り手の苦労が偲ばれるが、その一方で大いなる無駄という気もする。てっきりケイレブとアビーが新世界でのアダムとイヴになるのかと思ったら・・地球のあちこちから宇宙船が飛び立つ。あら?他にもいたの?他の町でも変な音が聞こえて悩んでいる子がいたのか。妙な連中が出没して親を心配させていたのか。そして・・あの巨大な宇宙船に乗っているのはお子様がたった二人だけなのか。宇宙船の建造費、飛ぶのに要するエネルギーを考えれば”相乗り”が常識ではないのか。エコは関係ないのか。もちろん人間以外の動植物が乗ってるのなら話は別だが。子供だけで大人はいないだろうな。これらは皆私の妄想だけど。新しい世界を作るならなまじ今の地球の知識持ってない方がいい。ほとんどゼロからスタートした方が。大人だと例えば上下関係作ったり・・俺がボスでおまえは子分とか。あいつは気に入らないとか出し抜いてやれとか儲けてやれとか。人間はいい面もいっぱい持ってるけど悪い面もたくさんある。そういうのにあまり染まっていないボーッとした子供から始めれば今の人類とは別の道歩むのでは?宇宙人は人間と同じ形していてしゃべらない。最初からずっとそれで通し、変に能力見せたり変身せずにいるのはよかったと思う。ただそこに立っているだけでもある程度のものは伝わってくる。地球は滅びるけど人類の存続には手を貸す。おそらく人類のような高等生物が存在するのは非常にまれなことなので、滅亡させるには忍びないのだろう。と言ってそのまま残したのでは移住先でまた核だの環境破壊だの宗教戦争起こすだけ。だから子供だけ移す。彼らのささやきによって子供の思考をコントロールし、変な方向へ行かないよう管理することもできる。いやいや妄想はもうこれくらいにして・・。宇宙人の姿が変わって船に吸い込まれていくシーンには失望した。最後の最後にがまんできなくてとうとうやっちゃった・・という感じ。だからぁ・・それをやっちゃうと「A.I.」とか「ミッション・トゥ・マーズ」と同じになっちゃうんだってば。

ノウイング6

人間の形のままでいいんですよ。あのまま去って行った方が、彼らは本当はどんな形してたのかしらとか想像できるじゃない。ロマンがある。その後の地球滅亡のシーンはホントどよ~んとなります。救いようがない。神も仏もない。絶対に助からない。その時太陽が当たっていない夜の部分はどうなるのか、数秒の違いはあるのかなんて考えたりもしたけど、とにかくすべては無になる。子供達の乗った(いやもしかしたら大人も乗ってるかもしれないけど)宇宙船はどこかの星に降り立つけど、このシーンはなくてもいいと思う。あれで終わったのでは身もふたもないから少しは希望の持てるラストシーンを・・ってことなんだろうけど、かえってウソっぽくなるんだってば。他の船も降りていたからそのうち他の子に出会うかも。それにしても・・予言が人類に正しく伝わっていたとしたら・・この50年で人類は別の道をたどっていたかしら。宇宙開発にもっと力を入れて、火星あたりに進出していたかも。それとも50年後に滅ぶとわかっていてもくだらない争いに明け暮れていたかしら。今回のような太陽のフレアによる滅亡はありえないことじゃないけど、そんなのがなくたって地球は十分滅亡の危機にある。今地球には2万発以上の核弾頭があるそうだし、核実験も相変わらずやってる。私なんかは暗澹たる思いにとらわれちゃう。私が思うにいざ滅亡という時になっても親切な宇宙人は現われないと思うよ。ケイレブ達が着いたのはどこかしら。地球とよく似た環境の惑星?だとしたら宇宙船はワープできるのね、すぐ着いたから。私はもしかしたら過去の地球かも・・なんて思ったり。人類はまた一からスタートするのだ・・なんて。宇宙人は神が存在した証しとして記憶され・・あらそれだと人類は実験されてるみたいね。てなわけで心が重くなる映画だったけど、さほど後味は悪くなく、見てよかったと満足して帰った。ケイレブの部屋の窓が丸窓で、「クロウ/飛翔伝説」を思い出した。また、ジョンの妻の扱いなどは「サイン」を思い出させる。怪しい人物が宇宙人だってのはわかるので、「サイン」みたいなのが出てきてがっくりさせられたらどうしようって心配してた。でもさすがはプロヤス監督、あんなアホ宇宙人は出してこなかった。最後まで人間の形で通すねばりはなかったけど、宇宙人の描写や宇宙船の形状は、評価してあげるべきだと思う。