ナインスゲート

ナインスゲート

この映画・・何度も感想書こうとトライしたけど・・書き切るための取っかかりがなくて・・。でも今回は書き切るぞ。これは映画館では見てなくて、WOWOWで見たのが最初。すぐ原作も買って読んだ。DVDも買った。もう10回くらい読み、見ていると思う。この頃のジョニー・デップは「スリーピー・ホロウ」でちょっとメジャーになって、でもまだクセのある映画専門みたいな。この映画と同じ頃「ノイズ」も公開されて・・変なSFだけど、私はこれもWOWOW→ノベライズ→DVD購入と。で、私が見たのってこの三作と「チャーリーとチョコレート工場」「シークレット・ウインドウ」「コープスブライド」、そして最近では「ツーリスト」と。デップは好きだけど出演作全部制覇するぞとか、そういうわけでもなくて。「パイレーツ」シリーズなんて全く興味ないし、それでもファンですって宣言していいですか?さて、原作読んでびっくりしたのよ。全然違うって。デュマだの「三銃士」だの・・そんなの映画には出てこない。しかもバルカンが「ぼく」として・・つまり書き手として登場する。変だぞ、バルカンは死ぬはずでしょ?ラストまで書けるわけないじゃん。原作は文庫で分厚くて私好みだけど、二つの流れがある。本来は関係ないのに、変に絡み合ってて、そのせいでコルソは勘違いしちゃう。一つの流れはデュマの「三銃士」の草稿をめぐる話で、そもそも単行本で出版された時の題名は「呪のデュマ倶楽部」。こっち関係の人物はリアナ(自分はミレディーの生まれ変わりと信じている)、男(ロシュフォールの役回り、ボディガード)、バルカン(デュマ倶楽部の主催者で、実はリアナの愛人)、ポンテ(コルソの友人で、映画でのバーニー)。彼らは悪魔とは無関係で、リアナの夫タイリェフェル(映画でのテルファー)の死も、完全に自殺。もう一つの流れが悪魔を呼び出す手引きとなる本「九つの扉」関係。こちらはボルハ(映画でのバルカンの役回り)、ファルガス、ウドゲルン男爵夫人(映画ではケスラー男爵夫人)。まあ私は「三銃士」は読んだことないので詳しいことはわからないし(映画二本・・キーファーの「三銃士」と「ヤング・ブラッド」・・見ただけだし)、原作に書かれる厖大な薀蓄にも興味なし。で、原作を読んだ後映画見直すと・・よくもまあ上手にデュマ、「三銃士」関係をカットし、すっきりとした筋立てにしたものだ・・と感心するわけ。

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カットしてもまだ複雑なのは確かだが、リアナとかバルカンをうまく悪魔関係に変更してある。この映画・・たぶん日本ではあんまりヒットしなかったんだろうな。悪魔がおぞましい形を取って現われるわけじゃなし、呼び出す本がメインというのでは地味すぎますな。でも私のような人間・・こういう本がだだーっと出てくる映画は・・もうこたえられませんのウヒ。冒頭書斎で首を吊るテルファー。彼は「九つの扉」の現存する三冊のうちの一冊を所蔵していたが、自殺の前日バルカン(フランク・ランジェラ)に売却。この本の鑑定を託されたのがコルソ(デップ)。バルカンはこの本がニセモノではないかと疑っているようで、それを確かめるには他の二冊と比べてみないと。彼はどうしても本物が欲しい。たぶん見てる人全員そんなの自分でやればいいじゃん・・と思ったはず。でもそれだと映画にならん。登場した時のコルソは、ずるい手を使う。稀覯本コレクターが亡くなった時が、彼のような本のハンターにとって最大のチャンスなのだろう。今回のコレクターは生きてるけど、車椅子だし、しゃべることもできないようだ。家族から見ると大量の本はゴミ、ガラクタも同じ。売れるものなら売ってしまいたい。どうせ本人にはもう用のないものだし。ああ、でも本人はたぶん頭も正常だし、コルソが何をしようとしてるのかもわかる。高価で貴重な本がコルソによって安く買い取られてしまう。彼の激しい怒り、無念さが伝わってくる。抜け駆けされた同業者はコルソをハゲタカとののしり、怒り狂う。一番いいものを安くかっさらうというのは、たぶんこの同業者だって機会があればやるだろう。ただ、コルソのずるいところは、とんでもない見積もりをし、家族にいいかげんなことを吹き込み、同業者の仕事をやりにくくすること。たぶん方々で恨みを買っているだろうが、彼自身は何とも思っちゃいない。嫌なやつだが、見ていてさほど悪感情持たなくてすむのは、演じているデップのひょうひょうとしたキャラのおかげ。このコレクターの書斎(ニューヨークの高級マンション、大きな窓で明るい)、バルカンの書庫(暗くて冷たく陰鬱、閉鎖的)、リアナがコルソを招き入れる書斎(垂れ込めたようなボーッとした感じ)、ケスラー夫人の書斎(ばりばり仕事をする場)・・いろんなタイプの本の部屋が出てきて・・もうウッキウキ気分。

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書店でもいろいろあるでしょ・・機能的にすっきり分類された店(ブック・オフとか)、どことなく古くて、ところどころ本棚が空っぽで補充されてなくて、あんまりやる気のない店(商店街にあって、家族でやっていて、おしゃべりばかりしていて)、かと思えばろくに日も差さず、積み上げてあってごちゃまぜでほこりっぽくて、何が何だかわからない古本屋とか。いやもう好きなんですよ本のある風景が。電子書籍なんて私には信じられない。本は紙でしょ!話を戻して、この三冊をめぐってコルソはパリとかポルトガルのシントラとかあちこち旅をするわけ。原作を読んでいてコルソの顔が浮かぶとすれば、デップ。彼じゃ若すぎるという意見もあるが、私には彼以外考えられない。やせていてずるがしこくて、それでいてかわいくもなれる。特に女性は彼を養子にしたくなっちゃう!小道具としてメガネ、タバコも効果的だが、キャンバスバッグも捨てがたい。何でも入っていて、コルソの体の一部。第二のコルソ。ひっきりなしにタバコを吸い、酒も飲む。貴重な本を前にしてもそれは変わらず、無頓着と言うか無神経。でも仕事はちゃんとやる。図書館で調べ、ファルガスやケスラー夫人訪ね・・。バルカンから多額の調査費もらえるけど、変に豪遊したりちょろまかすこともなく、わりと律儀。さて、映画では次々に人が死ぬけど、原作は違う。リアナ、バルカン、ボディガード、ポンテいずれも死なない。彼らは悪魔とは関係ないからね。・・さてと、ここまではわりとすらすらと書けたけど、問題はこの後だな。まあまずはリアナのことを書いていこう。映画ではレナ・オリンが演じていて、若くはないけど妖艶で、スタイルもいい。優雅さと同時にそこはかとなく下品さも漂わせ、傲慢で邪悪。彼女は役に合わないという意見もあるが、私は適役だと思っている。コルソが訪ねた時の椅子に掛けるよう促すしぐさ、髪をサッとはらうしぐさ、書斎へと招く動作・・見ていてその的確な動きに感心し、見とれてしまう。リアナは貴族の出身で、旧姓はサンマルタン。ンマルを抜けば「サタン」だと書いてる人がいて、感心してしまった。DVDには監督のロマン・ポランスキーのコメンタリーがついているが、何も言ってなかったな。彼女がテルファーと結婚したのは財産目当て。

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セニサ兄弟が所有していた「九つの扉」を買い取ることができたのも、城を修復できたのも、テルファーの財力のおかげ。「九つの扉」の著者トルキアは火あぶりにされたが、彼の遺志を継ぐ「銀の蛇」という秘密結社ができ、今は彼女がリーダー。結社は年月がたつうちに本来の目的からそれ、金持ちの社交クラブに、さらには乱交パーティになり下がっているらしい。彼女は年に一回集会で「九つの扉」を朗読する。その日が近づいているというのに、夫は彼女に黙って本をバルカンに売ってしまったのである。彼女がやっきになって本を取り戻そうとするのもうなずける。彼女は色じかけでコルソに迫るが失敗する。同じ頃ボディガードはバーニー(ジェームズ・ルッソ)の店(古書店)のあたりにいる。バーニーが誰に殺されたのかははっきりしないが、たぶんボディガードだろう。リアナが失敗したので彼が・・。ただ、バーニーは死んでも白状しないというタイプにはとても見えず(コルソの友人だが、命をかけるほどの仲じゃない)、あまり説得力がない。リアナが自分の城で集会を開いている最中、いきなりバルカンが現われ、大勢の目の前で彼女を絞め殺す。こんなばからしいことにあの方の本を使うなんて許せない。彼の怒りにはちゃんとした理由があるが、人に見られても平気というのは狂っている証拠。バルカンを止めようとしたコルソは、女(エマニュエル・セイナー)に止められる。すでにファルガス、ケスラー夫人が殺されているが、本が目的の殺人なのは明らかなので、あの二人の死もバルカンの仕業とここではっきりわかる。警察の動きは全く描写されないが、たぶんコルソがマークされてるはずで。ファルガスの家まで運んだタクシーの運ちゃん、ケスラー夫人の秘書。バルカンが自分でやらず、コルソ雇ったのも彼を囮にするためで。でも今はもう自分の存在を隠そうともしていない。すぐ自分は誰の力も及ばない偉大な存在になるのだ。たぶん普通の・・もっと親切な映画ならここでフラッシュバック入れる。ファルガスを池に突き落とし、ケスラー夫人を絞め殺すバルカン。まあこのようにリアナの役回りはわりと筋が通ってると思う。はっきりしないのはテルファーがなぜ本をバルカンに売り、直後に自殺したかである。首を吊る前に何やら書いているが、なかみは不明。

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まあ私の想像では、彼は妻が何をしているのか全く知らず、ある日突然バルカンに悪魔崇拝やら秘密結社やら乱交パーティのこと聞かされ、ショックを受けたんだと思う(このことはケスラー夫人もコルソにほのめかしている。バルカンが・・とは言っていないが)。そんなことに使う本は売ってしまおうと思って当然だし、本を売ったとわかればリアナは怒り狂うだろうし、バルカンの性格から言って秘密を世間にばらすかもしれないし、そうなったらスキャンダルだし、それ以外でもたぶんボディガードは妻の愛人だろうし、あれやこれやで精神的に追いつめられ、首を吊ってケリをつけたのだろう。原作だとこれらは見事なまでに何もなくて、前にも書いたようにリアナは「三銃士」に出てくるミレディー気取り。バルカンの愛人だがコルソを誘惑するし、彼の言うような「気立てのいい女」にはとてもじゃないが思えない。バルカンのリアナに対する評価は的はずれである。次にファルガスだが、一時は5000冊以上あったコレクションが今では800冊あまり。一冊ずつ売ってはそのお金で暮らし・・こういうの竹の子生活って言うのかな。荒れ果てた屋敷、わびしい生活・・落ちぶれかげんが実にいい。生活能力のなさ。ただ、こんな暮らしぶりならわざわざコルソに頼まなくても簡単に盗めそう。いや、実際に泥棒に入ってファルガスに見つかったんだろうけど、そうなるとバルカン君ちょいとドジ。それにしてもボディガードはファルガスの屋敷まで来ていながら「九つの扉」のことは無視。彼ならやすやすと盗めるだろうに、あくまでもリアナの本にこだわった?ファルガスと対照的なのがケスラー男爵夫人。車椅子で片腕という不自由な体だが、頭は鋭く、精力的。同じ老人でもファルガスとはえらい違いだ。コメンタリーによれば、予定していた女優さんが病気で降板、急遽バーバラ・ジェフォードという人に変わったということだが、堂々としていてすばらしい。ここでケスラー夫人がコルソに話すことがリアナのことで、それによって秘密結社やら、近く集会が開かれることが明らかにされる。リアナは本を小道具に使い、ファルガスはただ並べておくだけだったが、ケスラー夫人は内容を研究している。原作だとびっしり書き込みがされ、マーカーがついている。彼女にとって本は実用的なもの。お金を稼ぐ元・手段。

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その彼女も殺されてしまう。この映画はあまり怖くないが、それでも電動車椅子が窓のあたりでがたんがたんと同じ動きしているところや、夫人が殺されたとわかるシーン、ドアが開いたと思ったら火の海とか、ここらへんはショッキング。ところで火事場から逃げ出したコルソをじっと見つめる犬の正体は?この犬と、空港での少女は謎の女の化身と書いている人がいて。なるほどねえ・・。コメンタリーでは犬がじっとしていてくれなくて困ったとか、そんなこと言っていて、ちょっと不親切。犬を出したのには意味があるはずだが。次はセニサ兄弟について書こうか。いやホントこの二人・・と言うか一人二役やってるんだけど、本職の俳優じゃなくてスタッフの一人。冒頭のテルファーもそうらしいが、何たって印象に残るのはセニサ兄弟の方。片方は貴重な本の上にタバコの灰を落とすなど無神経だし、片方はそれに呆れる神経質なタイプ。ラストもう一度、今度は素顔に近い感じで現われるけど、コメンタリーで指摘されなきゃ同一人物だと気づかない。メーキャップの巧みさには感心してしまう。それにしても白髪、ヒゲ、あの目つき・・とても素人とは思えん。私は何となく「ナイト ミュージアム2」のアインシュタインの首振り人形思い出したけど、こっちの二人も何となくユーモラスで、それでいて人間離れしている・・みたいな。実はCGです・・って言われてもおかしくないくらいで。・・クライマックスでのバルカンの儀式が失敗したのは、最後の版画がニセモノだったからだが、すり替えたのはセニサ兄弟。原作だとそれで終わりだが、映画の方は、この若くなってる二人は誰?こっちが本物?あのヒゲの怪しい兄弟は何だったの?・・と疑問がいっぱい。ま、答が見つからなくても別にいいんですけどさ。次にバルカンだけど、前にも書いたように原作ではボルハ。でも映画見た後で原作読むと、ボルハの印象は薄い。それくらいランジェラの存在感は圧倒的。コルソがスマートで軽いフレームのメガネなのに対し、バルカンは大きくて太いふちのメガネ。そのせいで目の表情が読み取りにくい。これってわざと?小柄で細いコルソに対し、大柄でやや太り気味。感情を表に出さないが、体や顔つき、声に威圧感がある。彼は仕事の依頼の後、城の集会に現われるまで姿を見せない。電話の声だけである。それでも存在感は十分だ。

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集会に現われた彼はすでに狂っている。恐ろしいと同時に滑稽でもある。今までいい感じで来た流れが、終わり近くになってだめになったと見ている者が感じたとすれば、城での唐突なリアナ殺し、古城でのばかばかしい悪魔呼び出しの儀式のせいだろう。自分からガソリンか何かかぶって火に包まれるなんて。それに追い打ちをかけるのが意味不明のラスト。今回ネット検索してびっくりしたのよ。ラストの意味がわからないと書いてる人の多いこと!そのせいでこの映画の評価もかなり落ち・・。私自身何だこりゃ、これで終わり?ってびっくりし、がっかりし、腹が立ち・・。原作なら・・と希望託して読むけどわけわからん・・と言うか、映画とは違うラストで。DVDのコメンタリーなら・・と、最後の希望託すけど、それもだめ。ラストシーンとエンドクレジットの、その絶好のタイミングに「映画の話はこれで終わり」と来たもんだ、そんなぁ・・。で、またネット検索するわけ。答を求めて。バルカンを追いつめたコルソは、今では版画に興味持ってる。最初は悪魔なんて信じてない。でもこの仕事引き受けたとたんいろいろ妙なことが起きるし、人も死ぬ。何よりも謎の女の存在がある。で、信じかけ、今では信じてる。と言うか、行けるところまで行ってみようって気になってる。これが原作だとバルカンではなくボルハが儀式やってるところへ押しかける。金を払えと要求する。ボルハは版画を九枚とも手に入れたし、目的は果たしたのだからコルソの仕事も終わり。報酬手にしてさっさとおさらばしたい。でもいよいよ悪魔を呼び出すというので、ボルハはコルソの言うことなんか聞いてない。むしろ、何で金、金とせっつくのか理解できない。よく読んでみるとコルソは悪魔のことなんか興味なくて、そこが映画との違い。最初に見た・・読んだ時は、本は本でもそこに書かれていることがほとんど問題にされず、メインが版画なのにはびっくりした。結局本には何が書いてあるのかよくわからん。本には版画が九枚ついていて、それが儀式に重要な役目を果たす。バルカンはテルファーから本を手に入れた後試してみたけど何の効果もなく(たぶん)。それでこの本はニセモノなのではないかと。途中でコルソは正しい版画が三枚ずつ三冊に分散しておさめられているのに気づく。

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LCF・・ルシファーの印のある版画。でも今では全部揃った、うまくいくはず。でもセニサ兄弟のすり替えのせいでボルハもバルカンも失敗。映画だとコルソはバルカン撃ち殺す。たぶんその前ボディガードも殺してる。ただの小心者だった彼が・・。たぶんこうなると・・素質があると思ったからこそ謎の女はコルソに肩入れしたのだろう。で、ラスト今度こそ正しい九枚が揃い、今度こそ門が開く。開いて光が差して、さあいよいよ・・あら終わっちゃった。門をくぐるとそこはどこ?そこが肝腎なのに~。考えてみりゃくぐった先が今よりいいところだとは限らないわけで。そしたらどうするコルソ君?コメンタリーでは「ファンタジー」とか「大人のおとぎばなし」だとか言っていて、これって一種の「逃げ」だよなあ。原作はバルカンが書き手だから、ラスト部分はボルハとのことがあった後のコルソから聞いて書いてることになる。ボルハはおそらく地獄に引きずり込まれたんだろうが、コルソは見てないから想像するだけ。彼は金を払ってもらえなかったので、たぶんあんまり機嫌はよくなかっただろう。映画とは違い彼は普通の人間のまま。でもそばにはまだ謎の女がいたりして。私が知りたいとすれば、この部分で。つまり「九つの扉」の一件がすみ、女の任務(よくわからんが)もすみ、別に彼女がコルソのそばにいる必要もなくなって、でもいるとしたらそのことでコルソの今後は変わるのか。映画とは違い、コルソはニコンという女性との別れを引きずっている。それも少しは和らぐのか。・・さて、長々と書いてきたけど、私が本当に書きたいことはまだ書いてない。それは謎の女のこと。最初見た時はよくわからなくて。原作読んでもわからなくて。女役セイナーはポランスキーの奥さん。それを知った時はびっくり。だって33歳くらい違うでしょ年が。原作の女は19歳くらいで、髪はうんと短く、ボーイッシュ。映画だと髪は長く、セイナーはとっくに30過ぎてる。太い眉がやたら目立つが、グリーンの瞳は妖しく力強い。原作での女の描写がいい。指輪も腕時計もピアスの穴も何もなし。Tシャツにジーパン、ダッフルコート、小さなリュックサック、素足にテニスシューズ。どう見てもあまりお金のない旅行中の学生。いつも本を読んでいて、そこがいいなあと思うわけ。

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で、このいつも本を読んでいるというのが、今回この感想を書き終わらせるための取っかかりなわけ。もちろん本はいっぱい出てきて私をウハウハ気分にさせてくれるわけだけど、女が本を手に持って読んでいること、これがポイント!集めたり並べておくんじゃなくて、読んでいること!映画での女は原作ほど読んでいないし、読んでいたのは「人の動かし方」なんていう題名だから現代の本か。ポランスキーによれば彼女は悪魔の化身、メッセンジャー。「九つの扉」を使った儀式に(バルカンではなく)コルソが成功するよう助ける。コルソには初めその気はないが、やる気まんまんのバルカンではなく、自分が見込んだ(恋した?)相手助ける方が、そりゃ楽しいでしょうよ。だんだん悪に魅せられていくコルソに、思った通り素質あるじゃん・・とにんまり。自分では直接手は下さず、人間が堕ちる(殺人とか自殺行為)よう仕向ける。これが原作だと悪魔と言うより堕天使、精霊。外見は若さに輝いているけど、なかみは途轍もなく長い時間過ごしてきていて、疲れ、倦んでいる。神や天使との戦い、それが起きる前の、それが終わってからの途方もない時間。死ぬこともできず、ただ生きるって疲れると思う。その中で、時には今回のような出会い、事件もあるわけで。たださまよってるより、何か目的があって行動する方が、そりゃ楽しいだろうなあ。コルソのような普通の人間と、女では時間の流れが違うわけ。女にはほぼ無限の時間があるわけで、そういう時の時間潰しとしては、読書は最適なんじゃないかと。いや、マジで。映画では図書館のシーンがある。この世の者ではない存在が図書館を歩き回る・・「シティ・オブ・エンジェル」もそうだったじゃないか!あっちは天使だけど。天使もあり余る時間を本を読んで過ごしているのだ。ここでは一時休戦。お互い本を読んで過ごすのだ。「おまえこれ読んだ?」「うんにゃ、まだだ」とかさ。本は人類の存在、知能を示すもの。人間を知るには本を読むのが一番。人間が彼らに気づくことはない。人間がここへ来るのは調べものとか本を借りにとか居眠りしにとか。天使や悪魔を捜しには・・来ない!・・などと、妄想は果てしなく続く。

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他にも原作では女は列車の中で、ホテルのロビーで、外でコルソを待ちながら、あるいはコルソとポンテが話している脇で本を読む。とにかくよく本を読む!ポンテと話していたコルソは、あることに気づく。鐘楼のてっぺんの十字架が落とす影。太陽の動きからいくと、そのうち十字架の影は女の足と重なるはずだが、決してそこまでいかない。ある一定の距離を保ったまま動かないというのは、非常に暗示的だ。結局謎の女の正体は何だったんだろう。君達とか複数で呼ばれるのを嫌がってたから、原則一人なのだろう。昔は仲間がいたかもしれないが、その後は一人。自分で考え、行動する。今回だってコルソが気に入ったから助ける。「三銃士」関係は彼女には無関係だし、無関心。でも本は手に入れて読む。それにしてもどうして映画では十字架の影をやらなかったんだろう!コメンタリーによれば、あれこれあちこちCGが使われてるようで。中で不評なのが女がふわりと飛んでコルソを助けに来るシーン。確かに不自然な動きだ。でもこのシーンで自然な動きって?そもそも人がふわりと飛ぶこと自体が不自然で、不自然に見えて当然。私はこれでいいと思う。コメンタリーで印象的だったのは、ポランスキーはクローズアップの多用や、ひんぱんな切り返しは好みじゃないということ。これには私も大賛成。この映画は描写が長めで、例えばカフェでコルソが時間潰すところとか、別にもっと短くてもいいのに時間かけてる。カフェ内に電気がつくと、外が見えなくなるなど映像に凝っている。まあとにかく他の作り手ならもっときびきびとした短いカットにし、1時間40分くらいにおさめるだろう。でも私はこっちのていねいな、落ち着いた、品のいいムードが好きだ。みんないい演技してるし(ホテルのボーイ長グルーバー。もう一人の気の利かない若いの。終わり近くに出てくる食堂の奥さんとか)、室内も外の風景(美しい虹!)もいい。これからも何度も見るだろう。ふう・・まだ十分書き切れてない気もするけど、ここらへんで終わりにしようか。「無限の時間のお供には本!」・・これが今回のキーワードです!現代の人ならケータイ?