ナンバー23

ナンバー23

公開二週目、平日のシネコン。朝の9時半だし雨も降ってるし・・で、お客は四人。女は私だけ。あんまりヒットしていないんでしょ?これ。題名でもわかるけど何でも23に結びつけるのでこじつけ感が強く、特にドキドキとかはしない。気になり始めたら何でも関連しているように見え、そのうち自分から捜しまくる。そうなるともう病気、ノイローゼ。まわりにこういう人がいたら困るだろうな。おもしろがってるうちはいいけどそのうちマジになって・・。それが家族だったりすると・・。主演はジム・キャリーで、彼は背も高いし、ああいうヘアスタイルにするとなかなかのハンサムなのだと改めてわかったりして。ウォルター(キャリー)は動物管理局に勤めている。人づき合いは苦手だけど妻を愛し、息子とも仲がいい。妻アガサ(ヴァージニア・マドセン)はケーキ屋をやってる。2月3日はウォルターの誕生日。でも終業直前に仕事が入り・・犬には噛まれるし逃げられるしでさんざん。待ち合わせに遅れてしまうがアガサは怒りもせず古書店で時間をつぶしていた。おもしろそうよ・・と誕生日プレゼントに買ってくれたのが「ナンバー23」という本。読んでみるとまるで自分のことが書かれているようなのにウォルターは驚く。もちろん全部同じというわけではないが、興味をそそられ、のめり込み・・。小説の主人公フィンガリングは探偵。イザベルという女性・・彼女は数字の23に取りつかれていて、自殺する。すると今度はフィンガリングが23に取りつかれる。彼にはファブリツィアという危険な(変態ってこと)恋人がいるのだが、彼女はマイルズという男と仲良くなってる。フィンガリングはファブリツィアを殺し、罪をマイルズになすりつけ、その後・・。小説は22章まで。23章は空白。フィンガリングはどうなった?ウォルターはだんだんおかしくなってくる。夜は眠れず、眠れたとしてもアガサを殺す悪夢。フィンガリングが彼にそっくりなようにファブリツィアはアガサそっくり。アガサはウォルターを心配して友人のアイザックに相談するが、ウォルターにはアイザックがマイルズに見える。そのうち自分はアガサを殺し罪をアイザックになすりつけるのでは?現実に数に取りつかれている人はいるんだそうな。取りつかれるまではいかないけど自分のラッキーナンバーは・・程度なら誰でも一度は考えるはず。

ナンバー23 2

でもたいていのことって考え方は一つじゃない。足して23になるからどうのこうのって・・何で足すだけなの?引いて掛けて割ってという方法もあるはずでしょ?足しても引いても23なら、そりゃ大変だ、取りつかれて当然だ・・となるけど。たいていのお客はストーリーにすんなり入り込めないと思う。足したり並べたりしなきゃいいのに自分から捜しまくっている。それって呪いでも何でもなくてただのノイローゼ。まあ作り手もわかっていて、それだけじゃお客ついてきてくれないから、15年前に起こった死体未発見の殺人事件出してくる。ウォルターを噛んだネッドという犬。なぜか彼をある墓へ導く。ローラという女子大生・・殺されたらしいが死体が見つからないので墓はからっぽのまま。本とのつながりは?犯人は?本の著者が犯人?ウォルターは事件を調べる。大学教授フリンチが教え子ローラを殺した罪で服役中。本は自費出版で、他に作品はなし。著者はトップシー・クレッツというふざけた名前でペンネームに違いない。フリンチがトップシー・クレッツ?自分の犯行を本にしたのか?面会に行くと・・あららマーク・ペルグリノだわ。キャリーとマドセン主演というのは知ってたけど彼も出ているのね!あとローラ役はローナ・ミトラで、どちらも好きな俳優なのでうれしかった。ただしミトラは回想シーンにちょこっと、あとは写真だけ。パンフには「ザ・シューター」ではマーク・ウォールバーグの相手役を務める・・なんて書いてあったけど、これはおかしい。マークと一緒のシーンなんかないもんねー。ペルグリノは長髪でヒゲも生えてる。自分は無実だ、本のことも知らないと断言する。当てがはずれたウォルター。アガサはどちらかと言うと「気のせいよ」と取り合わない方。でも息子ロビンはウォルターを信じて手伝ってくれる(いい子だ)。ただ、まだ14歳くらいのロビンに、かなりきわどいことも書かれているこの小説を、普通の親なら読ませないと思うが・・。アメリカってけっこうそういうのきびしいでしょ、汚い言葉使っちゃだめとか、映画鑑賞の時の年齢制限とか。この映画では読ませるし、ウォルター達が内容話すのも聞いてるし、珍しいなあ・・と思った。まあとにかくロビンは本をいろいろ調べているうち、私書箱がメモされているのを見つける。そこあてに何か送って、取りに来たのが著者かも・・。

ナンバー23 3

家族三人で見張っていると現われたのは老人。ウォルターは手がかりを聞き出そうとするが老人は自殺。この老人も23の被害者・・っていうのは予想がつく。この後ウォルターとロビンは本から手がかりを見つけ出し公園へ。アガサは老人の言い残した言葉などから何かの施設跡へ。ウォルター達は白骨を掘り出す(おそらくはローラの)が、警察が来た時にはなぜか消えていて・・。犯人は最初○○?・・と思わせておいて実は××となって、かなりびっくりする。えッ!某デップ映画と同じ?ってね。あっちは途中でうすうすわかって、だからはっきりした時にはちっとも驚かず、しかもラストは後味悪い。何だよ~なかみのうすい映画だな~ってがっくりさせられる。でもってこの映画もそうなのかな~って心配していたら・・まあきわどいところで何とか持ち直していて・・。真相が明らかになっていく過程で、だんだんこの映画の言いたいことがわかってくる。足して23になるとか、そういうことに目が行きがちだけど、それは別にどうってことなくて「選択」というのがテーマ。我々は生きている限り意識的に、あるいは無意識に無数の選択をしている。時には間違った選択もする。自分の意思ではどうにもならなかった選択もある。そしてやり直すための、間違いを正すための選択も・・。アガサはウォルターを泣いて説得しようとするが、ウォルターは自分の意思を通す。我々から見てアガサの選択は正しくない。ウォルターの選択は・・家族は辛い思いをすることになるが・・正しい選択である。つまり私が言いたいのは、アガサでも状況によっては間違った選択をしそうになるということ。人は誰でも間違いを犯す。窮地に陥ったら・・感情が乱れれば・・。アガサの頼みを聞かず、また自殺という方法に逃げず自分の意思を通したウォルターに、私は心からホッとしたな。人間は弱い生き物だけどやり直す勇気を持つこともできる。この映画の前に「ブレイブ ワン」を見て、その甘っちょろいラストにがっくりさせられたので余計感動した。アガサの言う通りにするとフリンチはずっとこのままということになってしまう。そんなことになったらどうしよう。こらアガサ、自分達さえよければそれでいいのか!

ナンバー23 4

無実の罪で苦しんでいる人がいるのに平気な顔をしていられるのか!見ながら怒っていたのでラストああなってホッとしましたわ。つまり白骨はちゃんと埋葬される。見守っていたフリンチは思いきり空気を吸い込んで(15年ぶりの自由の身ですよ!)・・。よかったわねえ釈放されて・・。こっちまで思わず深呼吸しちゃったわ。映画館の暗闇だけどフリンチと同じく澄んだ空気感じた。考えてみりゃローラは悪女、男をとりこにし、破滅に導くタイプ。そんな女のために15年も棒に振って・・死体もないのに犯人にされちゃって・・気の毒に。そんな運の悪いインテリの役に・・マーク・・ぴったりだったわ、すてきだったわ!さてと・・こういう内容なら原作ありそうなものだが残念ながらなし、どして?シネコンで一回しか見ていないから見落としもあると思う。謎解きの部分でちょっと疑問に思ったのは・・ウォルターは本を読んで、自分の子供時代とフィンガリングの子供時代が似ていることにびっくりするわけだが・・ウォルターは子供時代の記憶はあるんですね?欠落しているのは・・ああ、これ以上書くとネタばれかな。欠落と言えば自分が何をやり出すか不安になったウォルターは深夜家を抜け出し、安ホテルに泊まる。そこでもやっぱり23号室を選ぶんだけど、そのホテルのネオンが・・。HOTELのOTの部分の電気が消えていて、HEL(HELL~地獄)に見えるとかさ、そういうちょっとした描写がよかった。まあ地味でちまちましていて、キャリーも役に合っているようないないような微妙なところ。別にどうしても彼でなきゃ・・って感じでもない。23がどうのこうのっていうのは私の心には全く響かなかった。オープニングで出されるいろんな例見ただけでうんざりだったし・・(これ見て死ぬほど怖くなった人なんている?)。途中も怖くないしわりと普通に見てた。でもラストちょっと心がほわっとあったかくなって。時計の針が2時15分・・つまり23を指していたりするけど・・でももうウォルターは呪縛からは逃れたのだと信じたい。彼の決心を支えた一つの要因は息子。14歳くらいなら反抗期で「関係ねぇ」「別にぃ」「うるせぇ」とか親をうとんじても不思議じゃないけど、ここでのロビンはウォルターを信じて・・けなげだったもんねぇ。