身代りの樹
このビデオ見つけたのはいつも行く中古ビデオ売場。でもこれを目にした人ならわかるけど、題名よりも”観ないで死ねるか”という宣伝文句の方がずっと大きい。そのせいで私は「観ないで死ねるか」という題の映画だと思い込んでいて。邦画にありそうでしょこんな題名。でもある時ふと手に取ってよく見たら下の方に小さく「身代りの樹」とある。さらによく見るとキャストのところにピーター・ファースの名が。今の彼はキューピーさんみたいになってるけど、この頃はまだ若そう。「スペースバンパイア」の頃とさして変わらん。まあ見てもいいかな・・と、買ったわけ。その後ずっとほったらかし。で、今度は古本屋で原作見つけて、それも買ってほったらかし。最近になってやっと読んで、その後すぐまだ記憶も鮮明なうちに・・とビデオ引っ張り出し。でないとなかみ忘れて、また読み直すことになるから。別に原作と映画比較しなきゃならんわけでもないけどさ。作者はルース・レンデルで、たくさん書いてるし、映画化もされてるようだ。アンソニー・パーキンスの「わが目の悪魔」も読みたいのだが・・見つからん。原作を読んだ感じでは、「メロドラマの王道」を行ってると言うか。未婚の母ベネットは、処女作がベストセラーになり、息子ジェームズと共に新しい家に引越したところ。やっと経済的に安定し、人生が軌道に乗り始めたところ。マイアミ(原作ではスペイン)から母マーシャがやってくる。彼女は未亡人で(原作では違う)、躁鬱病で(原作では精神異常で、ベネットをナイフで殺そうとしたこともある)、医者に勧められ、娘のいるロンドンへ。風邪気味のジェームズは入院するが、あっけなく死んでしまう。ベネットは失意のどん底に突き落とされ、何も手につかない。娘を見かねたマーシャは、同じ年頃、同じ金髪の幼児を連れてきてしまう。最初は友人の孫を預かったとかウソをつくが、ばれると開き直る。誘拐したのはベネットだと思われるに決まってる、子供をなくした母親ならやりかねない。それでも返そうとするべネットだが、オフロに入れようとして、子供が傷だらけなのに気づく。虐待されているのだ。このまま返してもいいものか・・と、ためらう。
身代りの樹2
子供が病気になるだけでも母親には辛いことなのに、あっけなく死んでしまうのだから、その悲しみ・喪失感はいかばかりか。ただ、わりとさらっと描いてくれたのでこちらも助かった。あんまり悲しいのもねえ。原作で強調されるのは、ベネットが置かれるぎりぎりの状態。重病の子供・・その一方で家にいるはずなのに電話に出ない頭のおかしい母。引越したばかりなので頼れる人も相談する人もいない。母を憎む気持ちと、(病気なのだから、本人のせいではないのだから)憎んではならないという気持ちのせめぎ合い。映画では母親役はローレン・バコールなので、気まぐれな金持ちの未亡人という感じ。早速テレンス(ファース)という得体の知れない男と仲良くなり、見ていてアレレ。一方連れてこられた男の子ジェイソンの家族の方・・原作だと母親キャロルには他にも二人子供がいて、美しいが浮ついた性格。同棲相手バリーはまだ20歳だが、年上で子持ちの未亡人キャロルに惚れ込み、結婚したいと思っている。働きたくても仕事がないので家事をやり、ジェイソンのこともかわいがってる。キャロルは父親の虐待のせいでSMの気(け)がある。ジェイソンに傷があるのもそのせいだし、バリーにも変態的なことを要求する。しかしバリーには理解できない。映画では最初から銃が出てくるので、今から悲劇的なラストが見え見えである。映画は当然のことながら登場人物は整理され、少なくなっている。一人に二人分のキャラ、背景がくっつけられている。死体の数も多い。マーシャが帰国して金づるを失ったテレンスは、ジェイソンの身元に気づき、ベネットを相棒に一儲け企む。原作では気づくのはジェームズの父エドワードで、ばらされたくなかったらよりを戻せ、結婚してくれと迫る。天使のように美しいがなかみは空っぽで、自分のことしか考えない、人の気持ちの全くわからないエドワードはなかなか興味深いキャラだが、映画には出てこない。テレンスがその役目を負う。テレンスは結局何をしたいのかあいまいで、そこはちょっとまずい。普通に金をゆするとか、ベネットに言い寄るとか、わかりやすい悪キャラの方がよかったのでは?歌手になりたがっているキャロルに、スカウトのふりして近づくが、連れ出した後までそのふりをしているのはおかしい。
身代りの樹3
普通なら、実はジェイソンは生きていて、さる子供のない金持ちが養子にしたいと、そのためなら金はいくらでも出すと言ってる・・とか何とか早速切り出すはずでしょ。もっともうぬぼれが強く(自分では顔もいいし、頭もいいと思っている)、もったいぶるのが好きなのがテレンスの特徴なのだが。一方バリーは警察にはジェイソンを殺したのではと疑われるし、チンピラには「赤ん坊殺し」と袋叩きにされるし、もうさんざん。映画では、彼がケガで入院していてもキャロルは見舞いにも来ない。彼は捨て子で、そのせいで家庭が憧れだ。だからキャロルとの関係にしがみつく。原作ではちゃんと両親がいるし、キャロルとエドワードがデニス(キャロルに恋しているらしい)に殺された後、実家へ向かう。つまり彼は死なない。映画ではもっとドラマチックにしないといけないので、キャロルに息子を殺しただの、役立たずだのとののしられて逆上し、テレンスともども撃ち殺し、その後自殺する。テレンスはとんだとばっちりだが、彼も原作では死なない。まあとにかく原作でも映画でもバリーは不運キャラ。原作でベネットがジェイソン返すのをためらうのも、バリーが虐待してると思うから。そりゃ普通は母親がやってるなんて思わない。若い恋人が子供を邪魔にして虐待・・と思うわな。さてベネットはジェームズの入院で知り合った医師レイバーンと親しくなる。メロドラマのお約束・・ヒロインは不幸に見舞われるが、同時に新しいロマンスも向こうからやってくるのだ。レイバーンは近いうちにカナダへ移るので、ベネットも一緒に行きたい。マーシャが帰国したので、ジェームズの死を知ってるのはレイバーンしかいない。近所の人はジェームズの死を知らず、ジェイソンをジェームズと思ってる。ジェイソンだと知ってるのはテレンスだけだが、カナダへ行ってしまえば・・。子供はそのうち(失踪時と)顔も変わるだろうし。何よりも今ではジェイソンがベネットの生きがいなのだ。それに今の状態の方が子供にとっても幸せで・・。レイバーンにはこの子を養子にしたと言えばいい。彼は他の子の世話をしているのを、悲しみから立ち直ったきざしと喜んでいる。
身代りの樹4
そんな虫のいい夢を描く彼女だが、目の前でバリー、キャロル、テレンスの三人が死ぬのを見てショックを受ける。それにしてもあの状態でテレンスはなぜ「ジェイソンは生きている!」とぶちまけなかったのかな。そうすりゃあんな惨事にはならなかった。また、ベネットもなぜ「ジェイソンは私のところにいる!」と叫ばなかったのかね。何で黙って見てた?まああの場に彼女がいるってのはいかにも映画らしいアレンジで、盛り上がるかもしれないけど、後で考えると「なぜ?」のオンパレード。ま、いいけどさ。結局ベネットはレイバーンを捨て(あの別れ方はそうだよな、レイバーン気の毒)、ジェイソンと生きる方を選ぶ。夫も子供も両方手に入れ幸せに・・なんていうのは許されないと気づいたんでしょうな。ベネット役ヘレン・シェイヴァーは知らない人。感じのいい容貌だが、どこと言って特徴はなく地味。こういう内容ならもうちょっとはっきりした個性の、美貌の女優でもよかったかも。ヘアスタイルとか雰囲気とか、いちおうローレン・バコールと母子に見えるよう工夫している。バリー役はポール・マッギャンで、まだ若いが20歳には見えない。キャロルも年上には見えず、そこらへんは変更されてるのか。この頃のマッギャンはルー・ダイアモンド・フィリップスに似ている。また、フランク・ランジェラにも似ている。そのうち「三銃士」に出ていたフェリシティ・ハフマン似の人だ・・と思い出した。イギリスのテレビ番組「ドクター・フー」の他に「クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア」に出ている。レイバーン役マイケル・ストッダードも気になる。キャロル役の人は黒い髪、ショートカットで、顔立ちとか「天使とデート」のフィービ・ケイツ似。子供数は減らされ、仕事もクラブ歌手に変更。文句ばっか言ってふてくされてばかりなので、あまり大変そうには見えない。何曲か歌うが、そのうちの一曲が「フィーバー」なのは珍しかった。・・てなわけで、「観ないで死ねるか」と言われれば「死ねる」と答えられる程度の出来。お行儀のいい映画なので、ものすごく後味が悪いわけでもない。子供はジェームズもジェイソンもどちらもかわいかった。あの美しい金髪!