息子のまなざし

息子のまなざし

いつもなら今の私は「コーラス」のジャン=バティスト君にポーッとなっているところだ。金髪碧眼に弱いのは世の女性の常。ところが!「コーラス」見る前に「息子のまなざし」見ちゃったもんで・・。モルガン・マリンヌ君にぞっこん。そりゃルックス平凡、美声でも何でもないけどさ。16で一人暮らし、そのけなげさに胸キュンよ!実はこの映画、毎中新聞に紹介されていて、見たかったんだけど見逃して(いつ公開されたんじゃろ)、しばらくしてレコード屋(今は何と言うべきか)にチラシが置いてあるのに気がつき・・でも買わなくて、今回レト様の出演作借りるついでにDVD借りて、やっとこさ見たのよ。それにしても・・映画館で見なくてよかったわよ、これ。だって見るのが辛いもの・・いえ、内容じゃなくてゆれる画面が・・。何じゃこりゃ?二回、三回と見るうちに慣れてきたけど、最初は気持ちが悪くなった。集中できない。家庭で鑑賞した方が楽。だって目が疲れたらストップできるから。そう、DVD買ってしまったのだ!何じゃこりゃと思いながらも、どうしてもこの映画を手元に置いておきたくなったのだ。何度も見ずにはいられなくなる不思議な映画。同時に、いろんなことを考えずにはいられなくなる映画でもある。自分の息子を殺した犯人を許せるか?許せるはずがない。最近の新聞を見てもそういう記事が載ってるし、また新たな事件も起こっている。子供を失った親の悲しみ、こんなことが二度と起こってはいけない・・という思いが世間に浸透する一方で、殺人に興味を持ち、(持つだけならいいが)実際に行動に移すバカもいる。人間には崇高な面がある一方で、邪悪な面もある。それが人間なのだ・・と言ってかたづけられる問題でないことは承知しているが、ここでは映画について書く。最初に感じたのは、同じ頃に見た「コントロール」に似ているなあということ。もちろん「コントロール」はハリウッドの娯楽サスペンス映画だから、どこに共通点が・・と思うかもしれないが・・。「コントロール」の主人公は凶悪犯。死刑になるところを、新薬の被験者になる条件で生きのびる。凶暴な性格が薬でおだやかな性格に変わるのか。性格が変わったとして、罪を悔いたとして、真っ当な人間に生まれ変わったとして、被害者の家族が彼を許すのか。もちろん許すはずもなく、主人公を殺そうとする。ここで殺したとして殺人罪になるのか。

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だって主人公は死刑になってこの世には存在しないはずの人間。彼が誰かを殺しても、彼が誰かに殺されても殺人罪は成立するのか・・。まあそれはともかくこの映画のテーマは子供の頃の環境が気の毒なものだったからと言って、新しく生まれ変わった後でどんなにまともな人間になったからと言って、犯した罪が消えるのか、まわりは許してくれるのか・・ということである。「息子のまなざし」でははずみで人を殺してしまった少年が五年たって出所してくる。少年院で五年過ごしたことで彼の罪は消えたのか。まわりは許してくれるのか。もちろん「コントロール」の主人公とは違い、少年は凶悪犯ではないし、出所後は彼をサポートしてくれる保護司もいる。たまたま被害者の父親が働いている学校へ行かなかったら、少年は何事もなく過ごしていったことだろう。この映画を見て思い出したもう一つの映画は「ミスティック・リバー」である。「コントロール」にせよ「ミスティック・リバー」にせよ「人を許す」こととは対極にあり、被害者(の家族)は加害者を許さず、機会を得ると被害者が加害者の立場に回る。まあ「ミスティック・リバー」についてはまた後で触れるけど。職業訓練校で木工を教えるオリヴィエ。何やら動揺している。家に帰って夕食の支度をしていると女性の来客が・・。どうやら別れた奥さんらしい。彼女マガリは再婚して人生をやり直そうと思っている。子供も生まれる。マガリがしゃべるのをオリヴィエは背中で聞いている。それでいて帰りかけるマガリに、走って行ってせき込むように聞く。「なぜ今日なんだ?」「水曜定休だからよ」「なぜ今週なんだ?」「検診の結果が出たからよ」・・マガリにはちゃんと理由がある。でもオリヴィエはあの日以来何度自分に問いかけたことか。いったいなぜなんだ?なぜあの子なんだ?何かが起こるには理由や原因があるけど、「わからない」「何となく」で何かが起こることもある。殺された人間にとっては、その時点で理由も原因も解決も不要となる。わかったって、解決したって生き返るわけじゃない。それらが必要なのは後に残された者だ。家族・友人・警察・マスコミ・・。オリヴィエは考え続けた。息子はなぜ殺されなければならなかったのか。なぜ殺されるのが自分の息子でなければならなかったのか。マガリはなぜ、よりにもよって今日、再婚や妊娠のことを告げにきたのか。

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自分が受け持っている木工のクラスへ入りたいという者がいる。願書を見た時にはショックだった。息子を殺した犯人じゃないか。いちおう理由をくっつけて断ったが溶接クラスへ回されるらしい。あそこへはノミを研いだりとかで顔を出すことも多い。全く顔を合わせないでいられるものだろうか。自分は相手がどんなヤツなのか全然知らない(知りたくもなかった、少なくとも今までは・・)。他の学校に回されるのであればそれで問題はかたづく。今まで通りの日々がこれからも続く。でもこの学校に残ることになった。今まで通りにはいかない。変化はそれだけじゃなかった。マガリの突然の訪問。自分が混乱し、過去にとらわれているというのにマガリの方は・・。彼女は幸せそうだ。明らかに訪問の理由を聞いて欲しがっていた。話すきっかけを作って欲しがってモジモジしていた。こっちが何も言わないのでとうとう自分から言い出した。元の夫が快く祝福してくれるのを期待していた。多少後ろめたいのか「あなたは誰かいい人いないの?」なんて聞いてきたりもした。いるわけがない。それどころか息子の仇が現われたのだ。マガリが再婚、出産というこれからのことを考えているのなら、自分は失った息子、現われた犯人のことを考えよう。マガリが訪ねてこなかったら、オリヴィエは少年フランシスを自分のクラスに・・とは考えなかったかもしれない。考えたとしてもすぐには入れず、しばらく迷っていたかもしれない。そのうちに溶接が希望ではないフランシスは別の学校に移ったかもしれない。だがマガリはフランシスが現われたその日にオリヴィエを訪ね、再出発することを告げたのだ。しかも幸せそうに!オリヴィエにはフランシスへの興味ももちろんあった。と同時に彼の行動はマガリに対する当てつけめいたところもあった。息子を失ったのにまた別の子供を得ようとしている。しかも別の男性との間に!この映画は多くのことが省略されている。息子の名前も年齢もわからない。写真くらい飾ってあっても不思議ではないが何もない。与えられる情報が少ないので、そのぶん見ている者はいろいろ想像することとなる。事件当時マガリは狂乱状態だったろうし、オリヴィエは自分の悲しみや怒りはともかくとして、妻の世話に没頭したことと思われる。二人が立ち直るきっかけとして、新しく子供をもうけることも提案したはずである。

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息子のことはとても忘れることなどできるものではないが、マガリの気が少しでもまぎれるのなら。少しでも生きる張り合いが出てくれるのなら。だがマガリはとてもそんな気にはなれなかった。子供を奪われた悲しみは、別の子をもうけたからって癒えるものではない。むしろまたこの子を失うのでは・・という恐怖をどうしてもぬぐえない。お互いを思いやりながらも、二人の心は少しずつ離れていく。二人とも不器用な人間なのだ。二人が離婚したのは息子の死のせいだが、離婚後の二人を結びつけていたのもまた死んだ息子であった。二人には共通の思い出がある。そのバランスが今崩れようとしている。オリヴィエはマガリに幸せになって欲しい反面、過去のことも忘れないで欲しかった。当時は何とか立ち直って欲しいと、事件のことを早く忘れて欲しかったのに、今になって忘れさせるものか・・なんて思うのは矛盾しているが・・。彼女の今の幸せは「知らない」ことの上に成り立っている。犯人は一生刑務所の中にいて、死ぬまで罪を償う。今現在も閉じ込められていて、社会に出てくるなんて未来永劫ありえない。自分が黙っていればマガリはずっと事実を知らず、自分の考えた論理の中で安心していられる。彼女の運命は自分が握っているのだ。こういう精神的な葛藤をそのままにしておくことはできない。いちおう分別のある大人として、オリヴィエには自分のしていることはわかっていた。フランシスのことが気になって仕事に身が入らない。ストーカーのようにあとをつけ、覗き・・こんなことをしていて仕事でポカをするより、対象を自分の目の届くところに置いた方がいい。それにしてもどんな少年なのだろう。その前に彼はこっちのことを知っているかどうか確かめた方がいい。オリヴィエは昼食時、奇妙な行動を取るが、フランシスが被害者の家族のことを知っているかどうか試してみたのだと思う。食堂はうるさいからとか何とか言って厨房に入り込み、ナイフを使って弁当を食べる。その後で「ナイフ借りるよ」などと言うのはおかしい気もするが・・。ナイフを使わなければ食べられない弁当を持ってきているのだから、ナイフは持参したものでしょ?それなのに何で借りるの?忘れたフリをして厨房のを借りるのなら「借りるよ」と言った後で弁当を食べるはず。ここらへんはうつし方のせいもあるが、意味がよくわからない。

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厨房をウロウロし、ナイフを洗って水気を拭き取る。なぜナイフ?身を守るため?もしかしたらフランシスは凶暴な性格で、食事を受け取る時オリヴィエに気がついて何かしでかすかもしれない。もちろんそんなことはオリヴィエの妄想であって、起こるはずのないことだ。だがオリヴィエはナイフを用意した。ある意味では護身用だがある意味では殺意の表われ・・。ここらへんのオリヴィエの行動はかなり突飛である。相手をまだ知らないせいで過剰に反応している。さて今殺意という言葉を使ったが、この映画でオリヴィエが初めて殺意らしいものを感じさせるのがこのナイフのシーンなのである。もちろんこれは映画の内容を知っているからそう思うのであって、もし全く予備知識なしで見ていたとしたら、このオッサン、ストーカーな上に被害妄想?・・となったことだろう。さて最初の方でも書いたがこの映画画面がゆれる。全編手持ちカメラでの撮影。そりゃ興味のある人にとっては斬新な手法でしょうよ。どうやってとったのだろうというシーンもある。無造作にとられているようでいて綿密な計算、リハーサルの上でとられたものであることは間違いない。車の窓とかオリヴィエのメガネ、ショーウインドーその他カメラがうつってしまいそうなものはいっぱいある。光のかげんだって車の外の風景だって・・大変だったろうとは思う。思うけど見る人にとって不親切なことには変わりはない。ゆれることの他にうつす範囲ということもある。うつされる範囲が非常に限定されている。見ていてもどかしい。もっと離れてくれ・・と思わずにはいられない。何かしていても顔だけうつし、手元をうつさない。何か見ているとして見ている対象はうつさない。うつったとして100万光年くらい離れているようなうつし方。部屋の中にいたとしてその部屋がどうなっているのかわからない。車のシーンが多いが、どこを走ってるのか不明。あまりきれいとは言えないガラス越しに見える風景で想像する他ない。ガラスがピカピカでないのはカメラがうつると困るから?映画を見る場合、我々はもちろんカメラのうつしたものを見ているわけだが、たいていの場合これはカメラがうつしたものだなんて考えながら見るわけではない。しかしこの映画はカメラの存在を意識せずにはいられない。我々は全体を見ることはほとんどない。手持ちカメラがうつせる範囲の風景だけを見る。

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さらに言うとカメラ(作り手)がうつしたい、見せたいと思っているものだけを見せられる。例えばオリヴィエは床に寝ころんで腹筋をする。他の映画なら例えば天井をうつすだろう。オリヴィエが見ている天井。近くなったり遠くなったり。あるいはフランシスの部屋に忍び込んだ時、オリヴィエは当然部屋の中を見回す。でも部屋の中はうつさない。カーテンのかげからそっと外を覗く。でも外の風景はうつさない。フランシスのベッドに寝てみる。でも天井もまわりもうつさない。うつさないということはカメラ(作り手)がうつす必要がないと考えているからだ。うつっているのはオリヴィエだけ。だが人間には想像力があるから、見ている人はオリヴィエの目にうつったであろう彼の家の天井、フランシスの部屋の中の様子、窓からの景色等を想像する(実際に見たような気にさせられるからおかしなものだ)。かと思えばカメラの執拗な視線を感じさせるものもある。つまりカメラがうつしたい、作り手が見せたいと思っているものである。・・その前に「息子のまなざし」という邦題のせいもあるが、「まなざし」について書いている人が多い。「息子のまなざし」ではなくて「父のまなざし」ではないのか。父、即ちオリヴィエの視線。オリヴィエが見ているのはフランシスである。彼は息子ではないが、息子に摸することはできる。息子が生きていたとしてちょうどフランシスくらいの年齢で、もしかしたら木工への興味を抱いていたかもしれない。もう一つの幸せな未来・・。あるいは息子を殺した憎い犯人としてフランシスを見るまなざし。逆にフランシスがオリヴィエに向けるまなざし。フランシスから見たオリヴィエといううつし方はこの映画にはないと思う。カメラ→オリヴィエ→フランシスという構図はあるが、カメラ→フランシス→オリヴィエというのはない(あったとしても「見る」以外の行動が主。また後で書くけど)。だがオリヴィエを見るフランシスの姿は何度か出てくる。そのまなざしは先生を見る、あるいは自分には欠けている望ましい父親として見るものだ。生徒イコール息子という目で見れば、フランシスのは「息子のまなざし」である。もう一つは「死んだ息子のまなざし」。オリヴィエの背後にぴったりくっついて、オリヴィエとオリヴィエの見ているものの両方を見ている存在。この世には存在しないけど、でも「まなざし」として存在しているもの。

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言い方を変えると神のような存在。まあ何とでも言うことはできる。私自身は原題が「息子」なのであるから、「息子のまなざし」の意味を考えたって仕方ないのでは?・・とも思う。「のまなざし」をくっつけたのは映画全体をおおっているカメラの存在のせいだ。この映画はカメラの存在を頭からはらいのけることはできず、PRする人も例外ではなかったというわけ。存在を主張するカメラ。これをうつしたい、これはうつさなくていい、選択するのはカメラ。カメラがうつしたいものをうつしているのだから、この映画の題に「のまなざし」をくっつけるとしたら「カメラのまなざし」。・・そしてカメラが執拗に追いかけるもの、それは・・。オリヴィエを後ろからうつすことが多いので、我々は彼のうなじを、木くずで汚れた肩のあたりを、うすくなった後頭部を見せられる。オリヴィエの後ろからうつすのは、彼が見ているということ、及び彼の見ているものをうつすためだ。彼は何かを見ている。彼の視線の先にあるものは・・。彼のまなざしの意味するものは・・。視線はものをながめる目の方向、まなざしはものを見る時の目の表情、あるいは視線の雅語的表現。ごちゃまぜに使うべきか区別して使うべきか・・。あ、オリヴィエがうつっていることでもわかるけど、カメライコールオリヴィエということはないのよ。カメラがオリヴィエ自身だったらオリヴィエは画面にうつらないはずだから。オリヴィエが見ていて、見ていることを我々に教えたくてカメラが執拗に追うもの、それはフランシスのうなじである。オリヴィエのうなじばっかり見せられると書いている人もいるが、そうではなくて我々が見せられるのはフランシスのうなじである。私にはこれが非常に印象的だった。オリヴィエはいつもフランシスの後ろにいる。彼はいつもフランシスのうなじをじっと見ている。オリヴィエは中年で背が高く、体つきはがっちりしている。対してフランシスはまだ大人になりきってはいない。小柄だし色白だし首は細い。そういう弱々しく未熟なものをカメラは執拗にうつすのである。別にクローズアップするわけではない。しかしちょうどフランシスのうなじに光が当たって、白さや細さが際立つようなとり方をするのである。オリヴィエがそれを見ているという設定のおまけつきで。

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オリヴィエがなぜフランシスのうなじを見るかというと、それは彼の息子がフランシスによってしめ殺されたからである。オリヴィエの息子が(何歳だったか不明だが)弱々しい存在であったのと同様、今のフランシスも(オリヴィエにくらべれば)弱々しい存在である。体力差は歴然としている。この映画「許し」とか「受け入れ」とか「愛が生まれる」とか、まあそういう内容であることは確かなんだけど、私にはそれ以外のものも強く感じさせられた。つまり「殺意」とか「暴力の爆発」とか、そういうものを予想させるサスペンス映画のように思えたわけ。一回目を見ている時はもちろんそんなことは思わない。画面のゆれと説明不足な内容のせいで、何じゃこりゃ状態。終わった時にはもう二度と見たくないやってのがホンネ。いい映画だとは思うけど画面のゆれががまんできない。何でこんなとり方するのよ・・って怒りすら覚えた。・・でも、やっぱり見てしまう。二度、三度と見ているうちに何やら見えてくる。フランシスの白いうなじ。日本だとフランシスが立ってこっちを見ている写真が代表的。これに「息子のまなざし」という題がくっつけば・・後はいいように勘違いの世界にはまる。息子イコールこの少年。人を許す、人を受け入れる、そこから愛が生まれる・・ウーム、何となくわかったような(わからないような)。心の交流、人間愛の物語なんだろう(息子側から見た)。でも外国だと手前にフランシスがいて、後ろにオリヴィエが立ってフランシスを見ている写真が一般的。何かを考えている中年男と、何も気づいていない少年の図。あるいは仕事をしているフランシスと後ろからサポートしているオリヴィエ。この写真なんかモロフランシスのうなじ強調。だってフランシスの顔ほとんど見せてない。視線がフランシスのうなじに行くように。内容知らずにこの写真見たら「大工版ベニスに死す」だと思うこと必至。内容知っててこういう写真見たら・・サスペンス映画なんですってば!映画の中では先ほど書いたナイフを初めとしてノミ、金槌、電気ノコギリ、角材、テープ、ロープ、シートなど凶器になりそうなものがわんさか出てくる。何度見てもオリヴィエがロープ巻いたり、ナイフぬぐったり、上から角材差し出したり、シート用意したり・・そして!フランシスのうなじ見つめたり後ろから覗き込んだりする度に「ヤ・・ヤバイ!」とドキドキしてしまうのだわん。

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そんなこと起こらない、ああいう結末だと知っていてさえドキドキは毎回経験する。それはつまりオリヴィエを演じているオリヴィエ・グルメがうまいってことでもあるんだけどね。それにしてもこれでカメラさえ固定されていたらなあ・・。ゆれなくていい時でさえゆれている画面を見なければならない苦痛。カメラが誰かの視線であることはありえない。だって私達が見る時視界はあんなふうにゆれたりしないもの。地震やめまいを起こしているのでない限りね!さて話は戻るけど、オリヴィエを訪ねてきたマガリ。部屋と部屋の間に立っているのでオリヴィエは出入りする度に彼女とぶつかりそうになる。普通ならあんなところに立って道をふさいだりしない。邪魔にならないところに立つ。それと・・別れた夫にわざわざ再婚するだの子供ができたなどと報告しに来るものですかね。マガリを招き入れたオリヴィエ、ほんの少し唇の端が上がっている。メガネの奥の目がやさしくなっている。でもそれ以上は変化しない。再婚や妊娠を知った時には明らかに気落ちしている。「とうとう・・」と思っている。弁当箱を洗っているが全然汚れていないみたいで(フタしかうつらないが)、マガリと顔を合わせなくていいようわざと仕事作ってるみたいで。マガリはこれからのこと、子供のことロベールのことを考えることができる。では自分は?今までは共通の思い出があった。これからの自分には?マガリとロベールの間に生まれる子供に代わる自分の子供は?息子を殺したフランシスに自分は何をしようと思っているのか。再婚、妊娠によってますます自分から離れていくマガリの穴を埋める存在、息子の代用品、それがフランシス?はっきりしていることはただ一つ、マガリの新生活なんて考えたくないってこと!翌日オリヴィエは所長のところへ行く。所長が電話中なのを見ると引き返しそうになる。しかも二回も!心がゆれているのだ。筋の通らないことだとわかってる。気違い沙汰だ。溶接クラスへ行く。いよいよ正面から対決とあって緊張するが・・。更衣室にいるというフランシスは寝ていた。ハッとした表情のオリヴィエ(視線が下に落ちるのがいい)。相手はまだほんの子供、無防備に眠りこける。まわりには誰もいなくて彼の足元に一人横たわる。緊張することも恐れることも不要な立場にいる自分。でもその圧倒的優位さがかえって怖い。何でもできる状況なのがかえって怖い。

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オリヴィエはしばらく観察した後フランシスを起こす。彼は最初から優位に立っている。彼は先生だし、彼の言うことをフランシスは素直に聞く。自分の希望である木工クラスへ(満員なのにもかかわらず)入れてくれた先生には感謝の気持ちもある。オリヴィエはロッカーを与え、作業着を与え、大工道具を与え・・そんなふうにして一日目は過ぎていく。フランシスに指示を与えながらも、オリヴィエは心の中では相反する声を上げていたことだろう。おまえが殺したのは私の息子だ!私の息子を返せ!その一方で、私は教師で彼は生徒だ、私は教師として当然のことをやっているにすぎない、私は他の子と同じように彼を扱わなければならない、誰にも事実を知られてはならない、自分のやっていることは気違い沙汰だ、自分はいったいなぜこんなことをしているのだ・・。心の中でこれらの思いがわんわんと反響しているのに、気がつけば少年の乗ったバスを必死に追いかけている。バスから降りた少年を追いかけている。まるでタジオを追ってベニスの町をさまようアッシェンバッハのようだ。本人は必死なのだがまわりから見ると少々滑稽。しかもオリヴィエはフランシスに見つかってしまう。乏しい荷物をぶら下げたフランシスのいじらしさ。オリヴィエの心の中など知るよしもなく、知らない町で迷って、見つけた知人に走り寄る。地図まで見せる。オリヴィエはさりげないふうを装いながらもさぞ所番地を頭に刻みつけたことだろう!マガリの働くスタンドへ車を走らせるオリヴィエ。会う前にタバコを一服する。指が一瞬ふるえる(カメラのゆれではない)。彼女に知らせて動揺させる必要のないことはわかっている。半日フランシスを観察してみて、彼が凶暴でも何でもなく、ごく普通の少年であることもわかっている。息子を殺されたという事実さえなければ・・。この事実で彼を憎むことはできるだろうか?マガリなら何の躊躇もなく彼を憎むだろう。フランシスがどういう人間であるかなどそんなことは無関係だ。マガリにおめでとうと言う。マガリの幸せそうな笑顔。その後でさりげなく爆弾発言。ショック、動揺、詰問。受け入れを断ったとウソをつくが、マガリは「また来たらどうするの」としつこい。犯人は永遠に刑務所にいるはずなのに・・。自由になって社会に出てきて、しかも自分達の身近にいる!

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マガリは怒りと言うよりショックに打ちのめされる(怒りは後でわいてくるのだ、次の日とか・・)。「二度と口にしないで・・」と力なく言う。自己嫌悪に陥るオリヴィエ。結局自分は彼女に嫉妬していたのだ。彼女に過去を思い出させたかった。あるいは彼女が取り乱すのを見て、自分にはいっこうにわき上がってこないフランシスへの憎悪をかき立てるつもりだったのか。帰ろうとするオリヴィエをマガリが追いかけてくる。なぜ訓練校をやめて(オリヴィエの)弟の製材所で働かないのかと言ってくる。二度と口にしたくもないと言いつつ、次の日には学校に現われてフランシスに会おうとする。これらは前の日から今日にかけてのオリヴィエの行動と全く同じである。別れた妻(夫)が現われ、爆弾発言。帰ろうとする相手に追いすがって質問。その後の行動(一度断ったのを変更して次の日、自分のクラスに入れる。見たくもないはずなのに次の日、見に現われる)。オリヴィエがマガリにしたことは迷いながらのことで、フランシスのことを知らせてしまった後でもそれがよかったのかどうか、わからないままである。軽食屋でじっと物思いにふけるオリヴィエの表情は、後悔しているようでもありそうでないようでもあり・・。オリヴィエがおだやかな性格であることは確かだが、100%そうかと言うと・・。ラストの方で一度はフランシスの首に手をかけるし。結局は思いとどまるとは言え首をしめようとしたのは事実である。それともう一つ、無断欠勤をしたダニーを訪ねて行った時、ダニーの母親と口論になる。横から口を出した男性客を乱暴に突き飛ばしている。大人しくて全く暴力などふるわないと言うわけでもないのである。ちょっとしたきっかけさえあれば・・。軽食屋を出たところで思いがけなくフランシスに声をかけられる。この時はフランシスを見張っていたとも思われず、偶然だったのだろう。一度は車の中へ入ったものの、思い直して外へ出る。外で食べていればフランシスが寄ってくることはわかっていた。なぜフランシスが寄ってくるよう仕向けたいのだろう。いったい何を話す?オリヴィエはいつも仏頂面をしている。決して愛想のいい方ではない。ただ教師としてやるべきことはきちんとやっているし、卒業した者も含め、生徒達には慕われている。友人(?)からも頼りにされている。それは家に帰ったオリヴィエが聞く留守番電話の内容からでもわかる。

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どうしたらいいんでしょう、今晩行ってもいいですか、今晩泊めてくれないか・・。みんなオリヴィエに聞いてくる。みんなオリヴィエに頼んでくる。そのオリヴィエは困ったことがあったとして、わからないことがあったとして、いったい誰に聞けばいい?いったい誰を頼ればいい?オリヴィエの勤めている訓練校は更生施設なのだろうか。映画でははっきりしないが、おそらくはそうなのだろう。卒業したダニー、せっかく手に職をつけて送り出したのに母親のせいで泥沼にはまり込んでいる。せめて彼だけでもまともな生活が送れるようにと気にかけている。彼はダニーだけでなく、何人かの後見人になって、面倒を見てやっているのだと思う。彼にとってはダニーやフィリポ達は息子でもあるのだ。そんな生真面目な男であるから、フランシスに対してもできるだけ普通にふるまうよう努める。とは言えフランシスを見る彼の目つきにはいろいろな思いがにじみ出ている。時にはいまいましげに、時には厳しく、時にはとまどったように、時には恐れるように(フランシスを恐れているのか自分自身を恐れているのか・・)。ナイフをぬぐったりテープを手に巻きつけたりする時の表情には殺意さえ浮かんでいる。木工の仕事を教えるという何気ない行為の中にちらちらと点在するスリル。ナイフ(で刺す)、テープ(で首をしめる)、ロープ(でしばる)、電気ノコギリ(で切断する)、シート(で死体をくるむ)、角材(で殴る)、そしてフランシスの無防備な白いうなじ!オリヴィエの頭の中には幻想・妄想がくり返し浮かんでは消え・・ているはずだとカメラは無音でわめき散らす。いかにも凶暴そうな男が見かけ通りに暴力をふるうのより、一見大人しそうな男のいつ切れるのか状態を見ている方がよっぽどサスペンスフル!・・とは言うものの元々がしょぼくれてさえない中年のオッサンであるから、サスペンスフルでありながらも、どこかにほのぼの感が漂い・・。相手のフランシスがこれまたちっぽけな少年で・・。これが首が太くてがっちりした体格の青年だったら・・。ヒゲの濃い髪の毛の豊かな(あるいはツルツルにそり上げた)マッチョな兄ちゃんだったら・・。サスペンスもへったくれもなし。フランシス危うし!どころかオリヴィエ何かしたら反対にボコボコにされそう・・となるわけよ。この映画の場合フランシスはあくまでも弱い存在でなければならないの。

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「ラブ・アンド・デス」とか「ベニスに死す」とか「ゴッド」とか、どこか似たような雰囲気を持つ映画はいくつかある。フランシスはその中でも「ゴッド」のクレイに似たところがある。相手の意図に気がついていないこと。相手を(父親のように思って)尊敬していること。肉体的・精神的・物的にシンプルなところ(二人とも髪は短く刈り、ヒゲやピアスなどはなし。無口で孤独だが人懐こい。ほとんど無一物のフランシスと、トレーラー暮らしのクレイ)。最後に首をしめるシーンが出てくるところもね。見ている者にとってはフランシスはタジオのような手の届かない存在ではない。美貌でもなく取り立てて才能があるわけでもない、平凡で孤独な少年。・・さて、思った通りフランシスはオリヴィエのそばへ寄ってくる。いちおう食べませんか・・とポテトを差し出したりする(かわいい!)。どうして自分を見ただけで身長を当てることができたのか聞いてくる。ここからのエピソードのなごやかなこと!ポテトを食べながらチラリチラリとオリヴィエの方を盗み見る。オリヴィエもフランシスの方をチラチラ見てるから二人して目が合っちゃったり、そらしたり・・(うう、かわいいぞ二人とも!)。フランシスがここからここまでの距離は?・・なんて聞いて、オリヴィエも根がクソ真面目なものだから何メートル何センチなんて律儀に答えるわけよ。そうするとフランシスは今日与えられたばかりの畳み尺を使って早速はかってみるわけよ。質問しようとする時、眉をひそめるせいで、額がちょっとぷくっとふくれるのがかわいい。二回質問して二回ともほぼ正確に言い当てたオリヴィエを、「この先生すごいや!」とでも思っているような顔つきで見るのがかわいい。映画を見ている者がフランシスを憎めないように、オリヴィエもフランシスを憎めない。これ以上一緒にいたら好意さえいだいてしまいそうだ。だからオリヴィエは食べ終わったのを機にさっさとフランシスから離れる。「また明日」・・とフランシスは言う。そう明日は来るのだ。だが息子には明日は来なかった。ポテトを手にしたフランシスは一人きりで取り残される。彼はひとりぼっちだ。自分は?ひとりぼっちだ。憎むべき相手とは言え、彼と自分との間には何と共通点の多いことか。今夜寄っていったのはフランシスではなく、自分の方なのでは?話しかけてもらいたかったのは自分の方なのでは?

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次の日、まだ慣れないフランシスがはしごから落ちそうになるハプニングの後、オリヴィエはダニーの件で外出。その際フランシスのコートからカギを盗む。ロッカーには自分で錠前を買ってつけろ・・と言ってある。でもまだ二日目だしフランシスはお金もなければ盗まれるようなものもなく、錠前はついていないのだ。第一先生が生徒の家のカギを盗むなんて・・誰も思うわけない。ダニーの件はかたづいたのかかたづかなかったのか、とにかくすぐには学校に戻らず、フランシスの下宿に忍び込む。一日しかたっていないから、部屋の中には何もない。前にも書いたがカメラはオリヴィエをうつすだけなので、部屋の様子はよくわからない。テーブルの上には大きな牛乳ビン。ちょうど一杯分くらい減っていて、そばに置いてあるグラスで飲んだのが今日のフランシスの朝食か。あとは灰皿。いちおう部屋にキッチンはついているが、フランシスに料理はできるのか。朝は牛乳、昼は学校に食堂があるからいいとして、夜は?昨晩のようにポテトフライだけ?それともあれは夜食?一人用のベッドは乱れたままだ。二脚ある椅子のうち、一方にはラジカセがでんと置かれている。彼のたった一つの楽しみなのだろう。他には目覚し時計。四角いものはタバコ?包み紙のようなものは睡眠薬?息子が生きていたら・・部屋の中はきっといろんなものであふれていることだろう。ゲーム、サッカーボール、マンガ、サッカーや車の雑誌。壁にはポスターがべたべたと貼られ、トロフィーだの記念品だの写真だのがところ狭しと並び、他にもプラモデルやスケボーや・・。がらんとしたこの部屋の、何と自分の部屋に似ていることか・・。オリヴィエは窓から外を見てみる。椅子に座ってみる。ベッドに横になってみる。フランシスの目線でこの部屋を見てみる。彼を憎む気持ちはわいてきただろうか。彼を理解できたような気がしただろうか。自分が今やっている一種の犯罪行為に対する正当な理由は思いつくだろうか。結局わかったことって彼もフランシスも孤独だということなのでは?何食わぬ顔で戻ったオリヴィエ・・最初の仕事であるフランシスの道具箱作りを手伝う。他の生徒は帰り、残っているのは二人だけ。週末は?そんな質問からフランシスの境遇が少しわかってくる。フランシスには帰る家はない。母親の彼氏に嫌われているし、父親の居どころも知らない。

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フランシスが口に出さなくても、彼の母親が同棲相手に気に入られようと息子をうとんじているのがわかる。母親は息子ではなく恋人の方を選んだのだ。道具箱につけるテープでフランシスの首をしめることを妄想していたであろうオリヴィエも(考えていなかったとは言わせない!)、ふと哀れを催す。私もねえ・・このシーン見る度「ダークリーママ」じゃなくて「フランシスママ」になってしまうわ!つまり「フランシス(の)ママ(になりたい!)」にね。(ちなみにダークリーママという私のHNは、「ダークリーのママになりたい!」の略ですの。両親があんなでなかったらダークリー・ヌーンは!・・以下省略)さて道具箱が完成し、帰り支度をする二人。オリヴィエのまねをして、コンプレッサー(?)で木のくずをはらうフランシス。へたな口笛を吹くフランシス。最初の作品である道具箱を作り上げた喜び。帰る家もないとは言え週末であること。少年にとっては楽しいひとときだ。本当はオリヴィエだってそんな様子を見れば微笑ましく思う。でも息子のことを考えると・・(背中で演技をするオリヴィエ・グルメ)。それにしてもこの映画で音楽らしきものと言ったらフランシスの口笛だけ。軽食屋も学校の食堂も商店街も音楽なし?何てうらやましい!コートを着るフランシスの後ろ姿を見るオリヴィエ。彼はオリヴィエが今日カギを持ち出したことなど全く気づいていない。無防備な後ろ姿。コートのえりのあたりに穴が開いているのが何とも・・(涙)。ろくに着るもの持ってないしぃ・・。さて、「じゃあな」とぶっきらぼうに別れを告げた後、思い直してフランシスを呼び返すオリヴィエ。車に乗っていくか?・・これってきっとフランシスの部屋に忍び込んだという引け目があるからだろう。せめてもの罪滅ぼし。そこへ現われたのがマガリ。さすがは元妻、オリヴィエがウソをついていることを見破ったのだ。生徒が帰る頃を見計らって(仕事ほっぽり出して?)やってきて待つ。他の子は帰ったのにオリヴィエだけ姿を見せない。現われたと思ったら新入りらしい子と一緒。真新しい道具箱が何よりの証拠。彼がフランシスに違いない。何とか二人が顔を突き合わせることは防げたが、「狂気の沙汰よ、なぜなの」というマガリの問いには「わからん」としか答えられない。二人の関係は被害者と加害者だが、教師と生徒でもある。

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教師と生徒という関係はオリヴィエにとっては日常的なもの、慣れているものである。この関係さえはずさなければ、何事もなく日々を過ごす自信はある。気が変わることもないとは言えないが、今のところは・・。そうやって自分を納得させることはできるが、マガリにはムリだ。彼女は二重のショックに打ちのめされたことだろう。フランシスを送っていく車中、黙り込むオリヴィエ。マガリとの距離が決定的になったことを感じているのだ。普通ならここでフランシスがあの女性は誰?とか聞くところだが、気まずい雰囲気になるのを恐れたのか黙っている。聞きたくて言葉が喉まで出かかっているんだけど、がまんしている・・そういうところがいい。オリヴィエは突然明日製材所に行かないかと誘う。他の生徒は経験ずみだという言葉に込められた言い訳がましい調子にも気がつかない。フランシス、少しは疑えよ・・。オリヴィエは日課の腹筋をする。背中を痛めているからだ。腰に巻いているサポーターの修理をする。フランシスがはしごから落ちそうになった時、どさくさにまぎれて一部壊れてしまったからだ。彼は一日一日を生真面目に過ごしてきた。やるべきことをやり、修復すべきことは修復し・・。中には修復できないものもあるが・・。休日には弟の製材所に行き、授業で使う木材を分けてもらう。どうしてフランシスを誘ったのだろう。彼に木材を勉強させるため?車を降りる時、フランシスはごく自然に握手を求めてきたが、自分はそれを無視した。ハンドルに両手を置いたまま。フランシスに触れたのははしごから落ちそうになったのを下から支えた時だけだ。あとは接触を避けてきた(彼に触れる時があるとしたら彼の首に手をかける時で・・)。それでいて彼のベッドに寝ころがって、しばらく物思いにふけったりした。きのうの夜、畳み尺で距離をはかっていたフランシス。4メートルと11センチ。彼とフランシスとの距離。残りの11センチをはかる時の、オリヴィエの足元にしゃがんでいたフランシス。オリヴィエの靴に当たったか当たらないか、自分には畳み尺の先っぽが当たるコツンという音が聞こえたような気がする。どんどん近づいてくるフランシス。でも最初に距離を縮めたのはオリヴィエの方である。彼の方からフランシスに近づいていったのだ。彼がフランシスを自分のクラスに入れたのだ。

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さて映画はここから少し趣きが変わる。舞台が学校や町の中から郊外に移る。ここでちょっと書いておくが、フランシスのうなじを強調していたカメラは彼の器用そうな手もうつし始める。握手のために差し出された手の繊細さ。道具箱を作るシーンでの、無骨で毛の生えたオリヴィエの手とは対照的な、白くてすべすべした手。体のわりには掌が大きく、指も長い。これで体の骨組みさえしっかりできあがれば、彼はいい大工になれるだろう。うつし方は相変わらずオリヴィエ経由で、フランシスがオリヴィエの後ろにいたとしてもオリヴィエの方はほとんど見ていない。二人して道具箱を肩から下げ、階段を降りるシーンや、もう少し前の方に出てくるフランシスを木工クラスへ連れていくシーンなど、あとについていくだけでオリヴィエの方を見ていない。これ(二人の目線の違い)はつまりオリヴィエには何か意図があり、フランシスにはないってことなんだろう。彼はオリヴィエを教師としてしか見ていない。何も疑いを抱いておらず、映画がこのまま終わるはずない以上(木工を教えて終わりということはないでしょう!)見ている者は何か起こる予感にドキドキする。何も知らないフランシスが何かを知る瞬間を待ちわびる。しかも舞台は郊外に移るし!翌朝、学校で落ち合い、必要なものを車に積み込む。ロープを巻き、シートを用意し・・あと足りないものは?死体!何も考えていないなんて言わせない。フランシスをしめ殺してシートにくるみ、ロープでしばって重しをつけて湖にでも沈めるか。ロープでしめ殺して人目につかない山奥に埋めるか。人を受け入れるだの愛が生まれるだの、そんなコピーにまどわされちゃだめ。オリヴィエは聖人君子じゃない。人の親。子供を殺されて復讐を考えない親がいる?頭の中で何度も、今この瞬間もフランシスを殺していたはずなの。考えてみれば御膳立ては揃ってる。食堂でフランシスが殴りかかってきたら?おまえの息子のせいで五年も少年院に入れられたんだぞ!たまたま厨房で弁当を食べていたオリヴィエは、肉を切るのにナイフを使っていて・・。フランシスにナイフが刺さったとして、それが故意である可能性は?はずみである可能性は?刺さったのか刺したのかその区別は?木材をかついではしごに登る練習中、誤って落下する。初心者にはよくある事故だ。いやベテランだって・・(オリヴィエが背中を痛めたのはおそらく・・)。

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打ちどころが悪くて命にかかわることも・・。月曜日、フランシスが学校に出てこない。下宿にもいない。学校がいやで遊び回っているのか。週末をオリヴィエと過ごしたなんて誰が知ってる?行方不明のままだったとして母親は心配する?少年院を出たとたん行方をくらます子なんて別に珍しくもない。誰がオリヴィエを疑う?「息子のまなざし」はサスペンス映画なのだ。製材所は遠い。途中で眠りこけるフランシス。オリヴィエはわざとブレーキを踏み、フランシスを起こす。ウサギがいたとウソをつく。誰が信じると言うのだ。でもフランシスは信じる。オリヴィエにはフランシスに手をかけてゆり起こすなんてできない。体に触れずに起こそうとすればこの方法しかない。何をやった・・などと探りを入れ始める。フランシスがやったことはわかっているが、直接彼に話をさせたい。一番気にかかっているのは、息子を殺したことをどう思っているかだ。ウソをついてごまかそうとしたってだめだ。少なくとも殺しをやった・・などと得意がるほどのバカではなさそうだ。あまり話したくなさそうなそぶり。・・と言って切れて怒り出すわけでもない。起きているのが辛いのか後ろで寝てもいい?と聞いてくる。彼は睡眠薬を飲んでいる。そのせいで昼間はボーッとしていて、夕方くらいになると目がさえてくるのだろう。夜中まで起きていて、眠るためにまた薬に頼る。体を動かしている時は何とか起きていられるが、希望ではない溶接クラスにいた時や、今みたいに車にゆられていたりすると、とたんに眠気が襲ってくるのだ。まだ16だというのにこんなことでどうする。横になる時のフランシスの表情がいい。子供らしくない厳しい顔つきに見えるし、小さな子供が時折見せる厳しい顔つきにも見える。子供ってしかられたわけでも、何かいやなことがあったわけでもないのに、眉をひそめていることあるでしょ。大人びた表情。それでいて目を閉じると・・もう無邪気でお気楽な寝顔になっちゃう。赤くてふっくらした唇が印象的。それにしても向こうから罠にはまってくれたようなもの。当分目を覚ましっこないから、どこか山奥へ連れていって、殺害して埋めて・・。とは言うもののやっぱりオリヴィエは途中で車を止めて、軽く腹ごしらえをするために、ぐっすり眠っているフランシスを起こすのよ。

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背中を痛めているオリヴィエにとって、長時間の運転は辛いのよ。ああそれで出発前サポーターを修理していたわけね。寝ぼけまなこのフランシス、何ぐずぐずしているんだとでも言いたげな表情のオリヴィエ。それでいて「アップルパイを」と注文する時のおだやかな表情。「ボクも」とフランシスが言った時の表情。おごってくれるのだと勘違いしたフランシスがあわてて小銭を捜すのを見る時の表情。長さ当てのシーンと並ぶほのぼのムード。決して親切というわけでもないオリヴィエと、文句言うわけでもなく振り回されているフランシス。彼サイフすら持っていないようね。ポケットかき回して小銭集めて・・(涙)。どうやって暮らしているのかしら。どこからお金出ているのかしら。福祉から?あ、母親がいるんだっけ、母親から?出し渋るでしょうね。オリヴィエは貸しを作るのがいやなんでしょうね。お金を払ってやることは相手を受け入れることでもある。相手に触れるのと同様、相手にかかわることは避ける。・・でも木工は別。だからこうして連れてきた・・そういう論理なんでしょうね。二人してアップルパイをほおばる。親切なんだか意地悪なんだかよくわからないオリヴィエに対し、フランシスは「後見人になってください」と突然頼む。びっくりするオリヴィエ。無愛想にすればするほど、反発するどころか近づいてくるんだもの・・。オレ親切にしたっけ?さっきは寝ているのを急ブレーキで起こしたし、アップルパイのぶん払わなくて恥かかせたし、しかもポケットかき回しているあいつを見て、してやったりとほくそえんで・・。でもフランシスには他に頼む人がいない。11の時からまわりは少年院の職員とか保護司とか、そんな人ばっかり。後見人には外部の人になって欲しいのだ。今までの暮らしとはおさらばしたいのだ。オリヴィエは仏頂面ばっかりしてるけど頼りになりそうだ。無条件に庇護を求めてくるもの、それって子供、息子でっせ。生きていた時の息子は絶対的な信頼感を持ってオリヴィエ(あるいはマガリ)にすがりついていたはず。その時の記憶が今甦る。やばい!フランシスがかわいく思えてきちゃった。そう言えばさっきも、安心しきって座席の背に顔を押しつけて幼児のように眠りこけているのを、おまえに安らかな眠りなど与えてやるもんかとばかりに乱暴に急ブレーキをかけて起こした。

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そのままだと感情が変な方向に向かいそうだったから。微笑ましく思えてきそうだったから意地悪してやった。ダッシュボードにたたきつけられていい気味だった。ウサギのことも・・。ああ自分はいつからこんなウソつきになったんだろう。マガリにウソを言いフランシスにウソを言いカギを盗み・・。いやとにかくフランシスは憎まなくちゃいけない存在なのだ。動揺しまくるオリヴィエはコーヒーの熱さにも気づかないようで・・。あのーホットコーヒー・・ですよね。あっという間に飲み干していましたけど。頭の中は後見人なら彼にもっと立ち入ったことも質問できるぞとかそういう計算でいっぱいで。カフェに備えつけのサッカーゲームをする二人。このゲーム「コントロール」のラストにも出てきたな。何でこんなことしなくちゃならないのだ?・・でもオリヴィエは他にすることがないと困るのだ。サッカーゲーム、車の運転・・何もしないでただフランシスと話をするのは困るのだ。手を動かしていないと、注意力の何割かは他に向けていないと・・。とうとうフランシスは「人が死んだ」と白状する。その後でちょっと得意げに「少年院では無敵だった」と言うので、腕っぷしのことかな?と最初は思った。殺人犯ということで少年院でも一目置かれていたのか?って。でも違うのね。ゲームのことを言っているのね。殺人のことなど話したくないので話をそらしたのね。全然反省しているようには見えないフランシスにオリヴィエの心は重く沈む。いっぱしのプレイヤー気取りでゲームに夢中になり、オリヴィエと呼んでもいい?などとなれなれしく言ってくる。名前なんか呼ばれたくないけど断る理由も見つからず・・。トイレで丹念に手を拭きながら鏡で自分の顔を見る。表情に殺意が表われていないかどうか確かめる(表われてますぜ)。自分はこれから何をしようとしているのか。ここへ寄ったことで自分とフランシスのことは、カフェの女主人の記憶に残る。ここへ寄ったのは何のため?腹ごしらえのため?自分にブレーキをかけるため?もう誰にも知られずにとはいかないぞ。それにしてもいくら拭いても落ちないぞ、この両手についた見えない血は・・。手を拭いたと思ったら今度はメガネを水で洗う。あのーまた手がぬれましたけど・・。心を落ち着かせるための時間稼ぎ。そして決戦の場に臨む前にタバコを一服。

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「一本ください」オリヴィエは言われるままにタバコを渡す。フランシスの部屋を見て、彼がタバコを吸うってわかってるから黙って渡す。しかしフランシスの表情・・試合の後のボクサーみたい。疲れきった暗い表情。過去にがんじがらめで未来がない。さて製材所まではあと2、3キロだ。それまでに聞き出そうと質問する。後見人なら知る権利がある(なるつもりあるの?)。カメラがうつすのはフランシスの横顔。グリーンの目がくもっている。ためらっている。先生だし後見人になって欲しいし、ウソはつけない。でも何で怒っているのかな。・・殺人のことは言いにくい。だってあれは仕方のないことだったんだし。カーラジオを盗もうとしたら後ろの席に子供がいて・・逃げようとしたけど子供が手を放さないんだもの・・だからすっかりあわてちゃって子供の首をつかんだんだ。あの時手を放してくれていたら、あの時後ろの席に子供がいるって知っていたら・・。そうだ、あの子を一人で置いておいた自分(あるいはマガリ)がいけないのだ。どちらかが残っていれば、あの子を一人きりにしないでおけば、ドアをロックしておけば・・このフランシスさえいなかったら・・フランシスが両親に愛されて幸せに暮らしていたら・・つまりカーラジオを盗もうなんて気を起こさないようなそんな暖かい家庭だったら。息子がフランシスの首をつかんでいたら・・盗むのを止めようとして逆にフランシスを殺していたら・・そもそもカーラジオなんてものがなかったなら・・オリヴィエは運転中ラジオも音楽も聞かないが、事件の原因がカーラジオだからかな。もしかしたら自分はフランシスの代わりに息子を乗せて製材所に向かっていたかもしれない。そしてもしかしたらその息子は人を殺したことがあるかもしれない。もしかしたらそうであったかもしれないもう一つの未来。もしそうだとして息子は自分のやったことをどう思っているだろう。夜も眠れず薬のお世話になっているのか。人に過去を問いつめられ、言葉を濁しているのか。サッカーゲームの腕を自慢しているのか。それでもオリヴィエはフランシスにこう聞かずにはいられない。「後悔しているのか」「当然だよ」「何が当然だ」「五年もいたらそう思う」・・フランシスの思いはオリヴィエの思いとはかみ合っていない。フランシスは人生を五年もムダにしたことを後悔しているのだ。

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でも被害者に対してすまないことをした、反省していると言ったら・・自分は納得できただろうか?製材所は休日なので誰もいない。オリヴィエ、チャンス!・・でも彼は先生だから始まるのは木材の講義・・クソッ、何という展開だ!「ゴッド」でホエールとクレイがサンドイッチ食べてるシーンみたいじゃないか、期待させといて!(何のこっちゃ)・・でもやっぱり妄想してしまう(クレイのシャワーシーンみたいに←アホ)。木材の山に登って授業で使うぶんを降ろす。投げ落とせばフランシスは木材の下敷きに・・。長さをはかって電気ノコギリで切断する。覗き込んでいるフランシスをちょっと突き飛ばせば・・。さんざん妄想させたあげく、本当にポロリという感じで爆弾発言。ふいを突かれたフランシスの表情。次の瞬間パッと逃げ出す。息詰まる追いかけっこ・・でもないか。隅々まで知り尽くしている製材所の中、入口さえロックしておけばフランシスは逃げられないのよ。でもオリヴィエ、ムダに走り回って捜していたな。「何もしないから」と言ってあのまま普通に作業していれば、フランシスだって用心しつつも出てきたはずよ。町まで戻るにはまた車に乗せてもらわなきゃならないんだし。追いかければ逃げるに決まっているじゃん。でもいちおうクライマックスだから逃げる。逃げるのを追いかける。逃げられると話にならないので追いつく(オリヴィエはああ見えてまだ若いのだ。演じているグルメだって撮影当時まだ40になったかならないかだし)。見ている人全員の希望なのでフランシスの首に手をかける。え?もっと真面目にやれって?でも映画だからこういう成りゆきになる。映画だからフランシスはオリヴィエの勤めている訓練校に入ってくる。映画だからオリヴィエは憎しみだけでなくモロモロの感情をいだく。映画だからフランシスはオリヴィエに自分には欠けている父親を見出し、なついてくる。見ている者はフランシスには助かって欲しいと思う。・・で、映画だからその通り彼は助かる。フランシスに追いつき、飛びついて押し倒し、馬乗りになってしまえばオリヴィエの勝ち。息子の復讐という大義名分もある。でも途中でやめる。フランシスはほとんど抵抗できなかったし、首をしめられた時には死を悟ったかもしれない。何もかもオリヴィエにとっては都合のいい状況。でも途中でやめる。見ている人全員がやめて欲しいと願っているから。

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ダルデンヌ兄弟の作品がカンヌでパルムドールを受賞したそうでおめでとうございます。・・で、続き(いつまで続くんだぁー)。フランシスに助かって欲しいと同時に、オリヴィエに罪を犯して欲しくないと思うから。これと逆なのが「ミスティック・リバー」。見ている者の願いをよそにショーン・ペンがティム・ロビンスを殺しちゃう。最愛の娘を殺した犯人を警察の手になんか渡してたまるもんか・・と自分の手で殺す。あれを見ていていやな気分にさせられるのは、ロビンスが犯人ではないことを、見ている者は知っているからである。ペンが犯さなくてもいい罪を一時の激情にかられて犯すからである。さらに言うと、殺された娘が父親の思っているようなただただ父親思いの無垢な娘ではないからである。娘はその年頃の娘としては当然のことだが、恋人に夢中で、父親が二人の仲を許さないことはわかっているので、駆け落ちするつもりだった。彼女が殺されずに(無事に)駆け落ちしていたら?かわいさあまって憎さ百倍・・捜し出して娘を折檻、恋人は半殺し・・父親が暴力をふるうことは容易に想像できる。さらにやりきれないのは真犯人が見つかって、ロビンスの仕業ではないとわかっても、ペンは知らんぷりを決め込むのである。ロビンスの家族のことなど知るもんか・・かくして見ている者は期待をことごとく裏切られ、どよーんと後味の悪い思いのまま映画館を出るわけよ。「息子のまなざし」も、オリヴィエがフランシスを殺してしまうという結末にすることもできた。よろめきながら林の中に消えるオリヴィエ・・あとにはフランシスの死体がころがっているというような・・。でもそうしなかった。この映画のテーマは監督達が言っているように「殺せる状況にあったけれど殺さなかった。人間にはそれができる」ということだ。逆に「殺せる状況にあったから殺した」もアリだろうし、「殺すつもりはなかったけど結果的に人が死んだ」もアリなのよ。前者は「ミスティック・リバー」のペンだし、後者は11歳の時のフランシスの状況。さてこの映画、最初は気がつかないけど一つのシーンが非常に長い。オリヴィエがフランシスを押し倒し、首をしめようとして思いとどまり、気を静め、立ち上がりヨロヨロと林に消えていく・・までがワンシーン。ところでオリヴィエ、歩いていく方向が逆じゃないの?林の奥へ消えていく(ように見えるんですけど)。

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あれでいいんですか?・・てことはお二人さんだいぶ林の中走ったってことよね、まあいいんですけど。感情の高ぶり、思いとどまった後何とか気持ちを静めようと努めるところ、体をふるわせ、額には血管が浮く。最初は怒り、何とかおさめて次にわき上がってくるのは悲しみや空しさ。こんなことをして何になるのか。フランシスを殺したところで息子は戻ってこない。自分がやったことはフランシスが息子にやったことと大して変わりはない。分別があり人を教える立場にある自分でさえ感情に押し流されれば罪を犯しかねないのだ。オリヴィエはフランシスの方を見ない。目をそらしたまま立ち上がる。フランシスをその場に残したまま立ち去る。なぜならこれは彼自身の問題だから。フランシスが後悔したり反省したりすれば問題は解決するのか?フランシスがこの世からいなくなれば問題は解決するのか?そうではなくて問題は彼自身が彼自身の中で解決しなくてはならないのだ。フランシスもマガリも関係ない。解決できるかどうかもわからない。はっきりしていることはただ一つ、今この瞬間がスタートだということ。彼にとってもフランシスにとっても。爆発→鎮静→無常感・・一連の感情を一つのシーンで表現するグルメには本当に感心させられた。見ているこちらに怒りで熱くなっているその熱気が押し寄せてくるし、メガネがくもり、額の血管がどくどくと脈打つ振動までが伝わってくるような気さえした。目の前でみじめな姿をさらしているフランシスを見るのを断固拒否して、自分を立て直すためにその場を離れる。目をそらすためには首をねじらなければならない。そのねじったために感じる首の違和感さえ伝わってくる。普通ならここで印象的な音楽が流れるところだが、そんなものなくたっていいんだよな。音楽の力借りなくたってたいていの役者はちゃんと表現できるはずなんだよな。次にオリヴィエが木材を車に積むシーンに変わる。フランシスがいるのに気づく。フランシスが近づいてきて一瞬にらみ合い(と言ってもにらむのはオリヴィエの方で、フランシスは恭順の意を示している)、お互いに木材を持ち、車に積み、シートでくるみ、ロープでしばり、そこでプツッと切れて無音のエンドロール。だからここも長い。一人で作業しているオリヴィエは何事もなかったようなおだやかな表情。

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一度爆発したが、その後気持ちの整理がついたわけではないが、取りあえずはやるべきことをやる。木を相手にしていれば心が落ち着く。フランシスは林の中に置き去りにしてきたが、あんまり考えないことにする。町へ戻るには車に乗らなきゃムリだ。話をしたくないなら後ろの席で寝ていればいい。それともあんなことがあった後だから少しは用心して起きているだろうか。ヒッチハイクで戻るのならそれもいいだろう。殺されるところだったと誰かに訴えるかもしれないが、自分は正直に罪を認めよう。一瞬にしろ殺意はあったのだから言い逃れはしない。職も失うかもしれないが・・そうなったらマガリの希望通り製材所で働くことになるのかな。それともどこか遠くへ行って再び木と生徒を相手にするのか。・・ふと見るとフランシスが立っている。泥で衣服が汚れている。あの表情は?怒りでも恨みでも恥ずかしさでも後悔でもない・・まるでこの世に自分とオリヴィエと、たった二人しか存在していないとでもいうような表情だ。全身から感じられるのは孤独感。人とのつながりに飢えている。人とのつながりを切望している。自分のやったことの意味を理解しているのだろうか?反省しているのだろうか?それがわかっていて、つまり本来ならそういう相手にはつながりを求めたりしないと思うのだが、それでもつながりを求めてああして立っているのだろうか?この場合何か言葉を発したところで、つまり許してくださいとか私はもう怒ってはいないとか、そんなこと言ったところであんまり意味はないんだよな。許すとか許さないとか、受け入れるとか受け入れないとかの話じゃない。許したくても許せないし、受け入れたくても受け入れられない。だから取りあえずは行動する。フランシスは自分から距離を縮める。立っているフランシスを見た時のいまいましそうなオリヴィエの表情(何たって彼は生きているのだから!本来なら今頃は林の中に死体となってころがっているはずなのだ!)。近づいてくるフランシスを見てびっくりし、警戒する。なぜなら木材は凶器になる。さっきフランシスはオリヴィエに木の切れっぱし投げつけたし・・。二人の視線が合うが、フランシスに下心はない。ただ手伝うだけだ。すみませんという言葉より黙って手伝う方が心が伝わる。ボクが手伝います、ボクに手伝わせてください、ボクは手伝いたいんです・・。

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会話はいっさいなく、二人とも目と体での演技だ。天気が悪いので木材をシートでくるむ。ロープでしばるにはどちらかがシートを押さえていなければならない。フランシスは察してシートを押さえる。オリヴィエはロープをばらし、一端を地面に垂らし、もう一端をシートをくくるために巻きつけ始め、ここでプツッと映画は終わる。このタイミング、実はビミョーなのよ。つまりオリヴィエはフランシスの後ろにいてロープを握りしめているわけ。巻いたのをばらした時点でエンドにするとサスペンス映画になっちゃうのよ、ええ(断言)。全く警戒していないフランシスの首をしめ・・とも想像できるわけ。ありえないなんて誰が言える?そりゃオリヴィエはそんなことしないでしょうよ。一度思いとどまったのだからここで気が変わるなんてありえない。でも人の心は闇ですからー。映画がそこで終わってしまったら、何かが起こったのか何も起こらなかったのか見ている人には不明。その点木材をロープでくくり始めるところでエンドになれば、どことなくハッピーエンド?になるわけよ。ロープでくくったのがフランシスの首でないってはっきりしてますから。人の心は闇・・なんて心配する必要なし。と言って木材しばり終わって製材所出発するところまでうつしたら今度は蛇足でしょ?だからあのタイミングでいいのよ。しっかり計算されているのよ。どことなくハッピーエンドに見えるのは、フランシスが警戒心ゼロだから。ほんのちょっと前あんな目に会わされたというのに・・もう心から信頼しきっているでしょ。手伝うことがうれしいみたいな。シートがはずれないようしっかり抱きついていて、ロープ持った怪しいオッサンが後ろでウロウロしているのに全然気にしていないノーテンキさ。そういうのを見てたらいじらしいと感じるか、もう許してあげなよって感じるか、それともいやいやそんなものじゃない、親にとっては未来永劫許すことなんかできないってなるか。この映画別に答はないのよね。これからどうなるのかもわからない。オリヴィエは今の態度のままでフランシスに接していくのか。つまり他の生徒はちゃんと名前で呼ぶのにフランシスだけは「おまえ」のままなのか。体が触れるのを避けるのか。あるいは後見人の件は引き受けるのかとか・・。帰りの車の中でも二人は無言だと思うな。学校で木材降ろしてフランシスを家まで送って、握手せずに別れるのだろうな。

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それぞれ一人きりで夜を過ごし、疲れきってぐっすり眠るのか、眠れずに輾転反側とするのか・・。月曜日オリヴィエはおそらくは後見人を引き受け、後見人になってもずっと仏頂面で・・。二人が笑い合ったり抱き合ったりすることなんてあるのかな。とても想像つかないな。でも一つ確かなことがあって、後見人になったことでマガリとの距離は決定的なものとなり・・オリヴィエはマガリとの過去ではなく、フランシスとの未来を選んだのだから・・。そしてフランシスは少々奇妙な関係ではあるけれど、オリヴィエの「息子もどき」になった・・と。そういうことなんでしょうかね。この映画前にも書いたけど音楽なし、セリフ最小限、説明拒否、描写限定で、ある意味非常に不親切。「不足しているところは自分で補って見なさい」という映画なのよ。だからこれまで私が書いた文章の大半は私の想像、妄想なのよ。たいていの映画は映像にしろ音楽にしろまるで洪水のようにあふれ、押し寄せてくる。水が引いた後、つまり映画を見終わった時にはロクなものが残っていない。なぜなら大半はなくてもすむものだから。この映画はある意味では日本人向きの映画かもしれない。日本人は何もないことに意味を見出すことに慣れているから。生きていく上で必要なものってそんなに多くない。最近の私は物量攻撃を仕かけてくるものに対しては批判的になっている。例えばテレビの旅番組。食べきれないほどの料理を並べて・・これっておかしい。残るってわかっててなぜこんなに出すの?エビもカニもゴミになるために生まれてきたんじゃない。ゴミになるために命ささげたんじゃない。「栄養と料理」という雑誌に載っていたアメリカの家庭の夕食の献立。デザートがコーヒーにチョコレートケーキにバニラアイスクリーム。そんなに必要?そんなに食べるから後で太るんでしょ?部屋についてもそう思う。例えば「アイ,ロボット」のスプーナーの部屋。さまざまなものがところ狭しと置かれた部屋が画面いっぱいにうつる。一つ一つが考えて置かれているんでしょ?スプーナーという人物を表現するために・・でも、わざとらしい。「コンスタンティン」に出てくるビーマンの部屋。天井すらものでおおい尽されている。それらにはみんな重要な意味(魔除けとか)があることはわかっている。それに対してオリヴィエの部屋は?フランシスの部屋は?

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何もないから何も伝わってこなかった?とんでもない!何もないことによってより多くのものが伝わってきた。挿入される過去のシーンがないぶん、彼らの過去を好きなだけ好きなように想像することができた。この映画の特徴は、多くの映画評が指摘しているように「無駄なものや余計なものが一つとしてない」ことである。よく考え吟味されたものだけが残っているエッセンスのような映画。ごはんと味噌汁と漬物だけの食事のようなもの。全部残さず食べてしまえる量。逆に言うとムダなもの余計なもののくっついた映画がいかに多いかってことなんだけどさ。もちろん視覚的には不満の残る映画ではある。手持ちカメラと感じさせないで(つまり画面が不自然にゆれないで)これと同様のインパクトを与えてくれていたら・・あたしゃシャッポでもパンツでも脱ぎますぜ(脱がんでいい)!まあ今回のカンヌでの受賞作品も同じような作りらしいですけどね。さて何もないところに何かを見出す日本人はまたしめっぽさ大好き人種でもある。全員がそうとは限らないんだけど、多くの作り手はそう決めつけていて・・。息子を殺した犯人の少年と何の因果か向き合うハメに陥った実直な父親。悶々とする毎日。日本映画でこの設定だったら涙・嘆き・くどき(同じことをしつこくくり返す)がプラスされ、湿度100%の愁嘆場が延々と・・。でもこの映画は違う。しめっぽくない。しめっぽさは甘さにもつながる。しめっぽさがないから甘くもない。二人が抱き合って涙にくれる和解シーンなんてとんでもない。公式サイトには「父オリヴィエの慟哭」と書かれているけど、声を出して泣くわけではないのだから慟哭とは言えない。フランシスは許してくださいなんて言わないし、オリヴィエも許すなんて言わない。甘い涙で流してしまえるほど彼らの自我はやわくない。じゃあ無味乾燥な後味かと言えばそんなこともない。何だかよくわからないけど胸の中に広がるものはある。映画が終わってもしばらく席を立てなかったとか、涙があふれたとかそういうことは私の場合なかったな。カメラのゆれによる不快感がまずあって、涙とか感動とかそういうのはなかったのよ。胸キュンは何度もありましたよ。ええそりゃもうさびしがりやの子犬みたいにキュンキュンキューン。私にとってのこの映画のディープインパクトは(きのうのレースよかった!)ずばりモルガン・マリンヌ君!

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人を許すだの受け入れるだのそんなことはどーでもいいの。そりゃこの映画はほとんど宗教的な意味さえ持つような深い内容の映画だってことは私も否定しない。でもその一方で、この映画は復讐をテーマにしたサスペンス映画でもあるわけ。そしてストーリーが魅力的である以上に登場人物もまた魅力的なわけ。ぶっちゃけて言うと私はフランシスにほれ込み、モルガンにほれ込んだと・・まあそういうことですの。若いだけあって毛も生えてないし・・(手のことですよ、もちろん!)生えていたとしても金色のうぶげだから見えないんですの。ヒゲもぜーんぜん。それにくらべると顔の方は・・たった四日間の話なのにいろいろ出たり引っ込んだりしてますな。木工クラスへ移ってきた時には額にポチッと赤い点。次の日にはなくなってる。クレアラシルでも使ったんでしょうか。代わりに耳のつけ根あたりに赤いものが二個三個・・若いお肌は忙しい(とゆーか撮影にそれだけ時間がかかっているってことなんですけどね)。私くらいになると傷なんかいつまでたっても治らないしニキビ出る元気もなし。その若さがまぶしくもいとおしい。モルガンという役者をこの役に得ることができたのは、そしてこの映画の存在を知り、彼を知ることができたのはラッキーなことでありました。ハリウッドの有望スターではないから、出演作が続々・・というわけにはいかない。これ一本だけ・・ということもありうる。そうなって欲しくないけど(どうか「素晴らしいひと時」が公開されますように!)、いろんなのに出て欲しいとも思わない。つまり男と女のドロドロを演じる彼なんか見たくない!ってことなんですけどね。はい、ワガママですよ、わかってます。とにもかくにもフランシスの印象はキョーレツ!彼の目の演技、オリヴィエをチラッと盗み見るような目つき。これが何とも言えずいいんですわ。え?グルメ?グルメもよかったですよ、もちろんね。私が感心したのは歩き方。背中だか腰だかを痛めているからそういうふうに歩くのだ・・と想像できる歩き方。左右の肩の高さがちょっと違っている。体がちょっとゆがんでいる。歩く時のリズムがちょっと偏っている。それでいて何かに登ったり降りたりする時の身軽さ。腰を痛めていることが彼の頑丈さには何の影響も与えていない・・みたいなところが印象的だった。だって彼の頑丈さに影響受けるのフランシスですからー。

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・・で、またフランシスに話が戻るけど、彼の置かれた境遇、彼の形成する世界・・がまた私には衝撃的だった。つまりほとんど無一文、無一物。私が普段目にする彼と同年代の少年少女はもっといろんなものをくっつけている。体に心に身の回りに。その多くはなくてもいいものだ。ない方が彼らのためだし、ない方が彼らは明らかに美しい(余計なお世話だが)。私自身だってそうだ。ものに埋もれて生活しているようなもの。歩く度にものをけとばし、ものにぶち当たり、ものに引っかかり、ものを踏んづける。部屋の中をまっすぐ歩けない。ジグザグに歩く(まあ半分は何でも手の届くところに置きたがるダンナのせいでもあるんだけどさ)。そんな私にとってはフランシスの「何もない」ぶりがディープインパクトで・・。「何もない」ってことは、「これから」ってことでもある。オリヴィエに出会ったことでフランシスの「これから」は、出会わなかった場合の「これから」とはだいぶ違ったものになるだろう。これからいろんなことがあり、持っているものも増えていくんだろう。「ゼロからの出発」とはよく言ったものだ。・・二人の関係は最初はオリヴィエからの一方的な視線だった。互いにまじまじと見合うことなんてほとんどなかった。覗き見る、盗み見る、チラリチラリとうかがう。あるいは後ろにしたがいながらも視線は下に落ちているとかさ。車の中では時々向かい合っていたけど片方は詰問し片方は言いよどみ・・。片方には運転というやらなければならないことがあったし、片方はともすれば眠かった。それが・・最後のシーンではしっかりと見つめ合っていた。顔も心も体も真摯に相手に向いていた。あとについていくのでも並んでいるのでもなく・・。言葉はなかったけどね。ではこの次の段階って「向き合って話す」ということなのかな。今日はまだムリでもそのうちに・・。ああ!何ともまあ最後まで妄想のしがいのある映画ではありますな!久しぶりだよな、こんなに深い内容の映画を見るのはさ。「無いものはないのではなくて、ないものも有るのだ」という作り方。こういう「ないこと」によっていろいろ考えることのできる禅的映画なんて、そうめったにあるものじゃない。あたしゃこの映画つつしんで「色即是空 空即是色映画」と命名させていただきますぜ、兄弟!有るものは無いのであり、無いものと有るものは同じことで、何も無いのだ(「禅」より)!

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少し前のことだが、「ある子供」の公開記念ということでダルデンヌ兄弟の三作品が特集上映された。見に行ったのはもちろん「息子のまなざし」。私ってこういう場合、まだ見てない作品を見よう!ということにはならないのよね。すでに見たものを改めてスクリーンで見て、どういう感じなのかな・・って確かめる方なの。もう映画館で見る機会はないだろうと思っていたので、この上映はとてもありがたかった。他の二作品も見たいが、それはまた別の機会に・・。恵比寿は初めてなのでかなり迷った。動く歩道がずーっと続いている。私は往復歩いたが、帰りは試しに何歩か数えてみた。歩道の始まりから終わりまで(数え間違いでなければ)ジャスト500歩、ぴったんこ。さて恵比寿ガーデンシネマのあるところは、日本とは思えないような町並み。あたしゃどうもこういうのはぴんときませんな。なじめない。お客は20人くらいですかね。もっと入って欲しかった。もっと多くの人に見て欲しかった。こういうのを見て考えて欲しい。DVDと違うのは画面が鮮やかなこと。それと音がよく聞こえる。大工仕事だからキーンとかトントンとかいろんな音がする。そりゃあもううるさいくらいに。それと人間の息づかい。オリヴィエの荒い息、小さなため息、みんな聞こえる。マガリがノックする音、フランシスの口笛・・うちのテレビじゃ何にも聞こえん。音がにぎやかなのでBGMがなくても気がつかないほど。でもエンドクレジットが無音というのはやっぱり変てこな気分ですな。画面のゆれはもう何十回も見ているので気にならない。この場面でこうゆれる・・ってインプットされてるから。でも一番前の真ん中に座った人がいてびっくりしたな。どうだったんだろ、気持ち悪くならなかった?字幕ももう頭に入っているのでひたすら人物を追っていた。特にオリヴィエ・グルメの存在感には圧倒される思いがした。ここはスクリーンがでかいのでなおさらなんだけど・・。ホントにフツーのオッサンなのよ。汗くさそーな。生真面目で考えも狭そーな職人タイプ。でもそこがいい。浮わついたところがなく質素で実直。「イゴールの約束」や「ロゼッタ」を見てもいいかなーって思い始めたのは、もっとグルメの演技を見たい・・と思ったからなの。「ある子供」にも出ているようだし「素晴らしいひと時」にも・・。特に後者はモルガン・マリンヌ君も出ている。

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何とか見たいものだ・・と公開を待ちわびているのよ。彼ってホント出演作が少なくて・・普段何をしているのかしら。情報もないし・・。その一方でヘンな映画には出て欲しくないっていう気持ちもあるし・・複雑ですワ。さてダルデンヌ兄弟は「ある子供」の公開に合わせて来日し、新聞に載ったりNHKの「クローズアップ現代」で取り上げられたりした。私も番組見たけど正直言って掘り下げ不足という気がした。フランスの暴動、日本の若者が陥っている状況、不況、就職難、ニート、こんなのを30分かそこらで解明できます?その上兄弟の業績も紹介しなくちゃならないから「ロゼッタ」や「ある子供」が挿入される。でもって兄弟のしゃべりはゆっくりしている。時間がかかる。物足りなさだけを残して番組は終わり。・・1時間くらいなきゃだめですってば。暴動や若者が直面している諸問題は確かにタイムリーと言うか現実的な問題なんだけど、皮肉なことに幼い命が奪われるという事件が連続して起きて、そっちの方がより騒がれている。「息子のまなざし」のオリヴィエ達と同じ思いを体験するはめになった人達がいるわけだ。こうして見るとダルデンヌ兄弟は、いつの世にも存在し、なくならない問題を、実に的確に取り上げているのだということがわかる。彼らの目は常に人間に向けられている。たいていの人は思いがあふれ出すように早口でペラペラとしゃべるけど、彼らは考え考え言葉を選びながら話す。毎日新聞の夕刊に載った記事によると、彼らへのインタビューなのに逆に記者の方が質問されたらしい。彼らは日本の若者が置かれている状況にとても興味を持っているらしい。・・いや日本だけでなくどこの国の若者にも。外国だと親と衝突した子供は家を飛び出す。しかし日本では仕事につかず、学校に行かず、家を出るわけでもなく家にいても親と会話するわけでもなく、引きこもってテレビゲームとかして・・。こんなことができるのも親にそれなりの余裕があるからで・・。これが親も失業中だったら・・。ダルデンヌ兄弟の「三世代揃って失業中という家庭もある」という言葉が印象的だった。そういうことに目を向け、取材し続け、じっくりと練ってていねいに作品を作り上げる。彼らの真面目で真摯で一貫した姿勢には心がうたれるものがあった。こういうのはNHKスペシャルでじっくりやってよね・・と新年からかってなことをほざいております。