モーテル

モーテル

11月から12月にかけては、お正月用大作話題作が公開される前のちょっと一休み感がある。小粒な、二~三週間持たせられればそれでいいみたいな、ビデオ本命みたいな、穴埋め的作品が多い。いやいやそういうのは一年中公開されているんだろうけどさ。とにかく興行界に活気がなくて、「常に三丁目の東京タワー」とか「ケータイ小説赤ちゃんができたの俺達別れよう」とかさ。そんなのばっかお客集めてる。でも私はそういうのには全く興味がなくて「ヒッチャー」とか「フライボーイズ」とか「モーテル」とかにそそられていて。ひっそり公開されているそれらの作品が「よかったら見に来て~」と遠慮がちに私を呼ぶのだ。一年に何本作ってるんだ?・・なんて思いたくなるような「沈黙」シリーズもやってるし。でもまずはショーン・ビーンの「ヒッチャー」だよな。これからかたづけよう・・そう思ってシネパトスへ行ったら・・ゲッ!時間が変更になってる。何でだよ~。いやいや人生何があるかわからない。「ヒッチャー」がだめなら「モーテル」があるさ・・と東劇に向かう。ここは「ヒストリー・オブ・バイオレンス」以来だな。「モーテル」は前「ハリウッド・エクスプレス」で見て、だいたいのことはわかってた。泊まったモーテルの部屋がスナッフ・フィルムの撮影場所、自分達はその出演者。単純すぎてあんまり期待はできない。限られた場所、少ない登場人物、おそらくは低予算。主役のうち、ケイト・ベッキンセールはいいとして、夫役ルーク・ウィルソンは・・。こういうまのびした顔の俳優は・・合ってます?二枚目というにはちょっと顔に肉がつき・・小判型なので見る度にコロッケとか草履とか思い浮かべちゃう。さしてそそられるものはないんだけど、毎日新聞の批評ではほめていたし、見て損はなさそう。せっかく銀座まで来たんだしつまんなきゃ一回で帰ればいい。まあ私の性分として「モーテル」の後で「ヒッチャー」とはならないの。その方がうんと経済的だけど(レディス・デーだったし)、一日一本が私のポリシー(何のこっちゃ)。すいてるだろうとは思ったけど来てみたらホントにガラガラ!一回目は15人くらい、二回目は六~七人。ウーム、シネコンならともかくこういうところでこういう人数というのは・・心配だし残念。最初にここで見たのは「クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア」。その時もガラガラで、映像に音楽に陶酔しながらも残念で仕方なかった。

モーテル2

新宿の小さいところで「ブレードランナー」やってて混雑してたなんて聞くと、何でこういうところでやらないんだよ~と文句言いたくなる。広いしスクリーンはでかいし音はいいしさぞかし・・。さてと話それまくってるけど、長い予告終わってやっと本編が始まると・・音楽が映像が・・何だかすごいんですわ。始まったとたん全速力飛ばしまくり。「サイコ」みたいな「ホステージ」みたいな。ジャンジャンというあおるような音楽にこっちまで心臓バクバク。出てくる文字も力強い上にトローリ溶けてるような・・いやこれは口では説明しにくいんだけど、とにかく近頃珍しいようなオープニングなんですわ。ウワーッ、サントラ欲しい!って思っちゃった。でも出てないみたいなんだな、何で?「ハンニバル・ライジング」「サンシャイン2057」そしてこの「モーテル」が、「欲しいのにサントラ出てない何でだ2007年ベストスリー」でありんす。いやもうこれだけで来てよかった、二回目も見るぞ!と決意させるに十分なオープニングでした。その後は・・夜の田舎道を走る車。乗っているのはデビッドとエイミーの夫婦。一人息子をなくしたせいでエイミーは鬱病になり、夫婦仲は悪化して離婚寸前。疲れて会話もとげとげしい。その上車がエンコし、モーテルに泊まらざるをえなくなる。モーテルと言えば「サイコ」。この映画のせいで当時モーテルのお客は激減したらしい。今回のこんなとんでもないモーテルなんて現実にはないだろうけど、営業に響くだろうなあ。響かないにしても気分はよくないだろうなあ。モーテルの主人メイソン役はフランク・ホエーリー。出てきたとたん、どこかで見たような・・。今回はメガネとヒゲつきだけど「レッド・ドラゴン」に出ていた人だとすぐわかる。あっちはちょい役(しかもノンクレジット)だったけど今回は悪党一味のボス。普通に見えて実は異常というやりがいのある役。でも・・見ていてちょっと・・普通にすっと引っ込めばいいのに何かちょこっとやる。それが私には余計なことのように見えて仕方がない。まあこれも計算のうちだろうけど。モーテルの一室に落ち着くまでの何十分かは正直言って退屈。二回目なんか見ていてちょっと眠気催したほど。で、これももちろん計算のうち。始めゆっくり、そのうち加速、暴走。

モーテル3

ドアをドンドンたたく音、無言電話、地下道にネズミうじゃうじゃ・・驚かせ方、怖がらせ方に新味はない。残酷なシーンほとんどなし・・とパンフには書いてあって、そうだったっけ?と思うけど、今こうして思い返してみると確かにそう。たくさん見させられたような気になってるけど実際は・・。デビッドが退屈しのぎに、部屋に置いてあったビデオを再生してみると・・。でもうつりは悪いし我々は間接的に見ているだけ。その前モーテルに来た時、フロントは無人で奥の部屋からは女性の悲鳴が・・。悲鳴だけで画像が出るわけじゃない。どうせビデオを再生しているんだろうと予想はつく。こちらも間接的。でも我々には想像力があるからあれこれ思い描く。デビッドやエイミーはメイソンが趣味の悪いホラーかスプラッターでも見ているのだろうと思い込むが、我々にはそうではないことがわかっている!そのうち二人は自分達の陥った境遇に気づく。何とか生きのびようと奮闘する。離婚寸前だったけどそんなのはどこかにふっ飛んでしまう。途中でトラックが来て、仲間なのかただの客なのか・・というのがある。もしかしたら助かるかも・・と希望の光が差す。しかし・・運転手はでき上がったテープを受け取りに来たのだ。仲間なのだ。一味はどれくらいの人数なのだろう。運転手は闇のルートを通じて愛好者にテープを売り捌いているのか。この経験のせいで、次に警官が来ても疑いの方が先に立ってしまう。「サイコ」のアーボガスト同様殺されること間違いなしの不運キャラ。もうすぐ停年・・みたいな初老の警官。せっかく今まで無事にこれたのにたまたま当直だったせいで・・気の毒に。でもって警官を殺したメイソンはおまえらのせいだ~とか叫ぶわけ。自分が何かやってもそれは自分の責任じゃないわけ。全部まわりの、誰かのせい。だから罪悪感もないし後悔もしない。人間としてのある部分が欠落しているの。こういう人って・・殺人とまではいかなくても、ある部分が抜け落ちている人って現実にもいるよなあ。さてメイソンの場合はわりとキャラがはっきりしているけど、手伝っているあとの二人は・・よくわからない。一人は修理工(イーサン・エンブリー)だけどもう一人は?メイソンの場合は人が苦しんだり殺されるところを見て性的な興奮を覚えている。撮影し、編集し、何度も見て楽しむ。

モーテル4

実際の殺人は主に他の二人がやる。テープにうつってもいいようにメッシュのマスクのようなものを顔につけている。最初は顔に何か塗っているのかと思った。表情がわからないし不気味でいい。あるシーンでは部屋が暗くなり、一瞬明るくなった時にエイミー達の後ろにマスクマンが立ってるのが見え、ギョギョッ!何で?何で部屋の中にいるの?不気味な顔が一瞬浮かび上がり・・しかも二人は全く気づかず・・ウーム、何とうまい描写(感心)。彼らは絶対失敗しないプロの殺し屋というわけでもない。現にデビッドとエイミーにはかなりてこずる。今まで何度もくり返し、成功したので今度の獲物も簡単に料理できると見くびっていたのでは?自分達は絶対優位と思い込んでいたような。確かにテープに記録された犠牲者達・・女性二人とか夫婦らしい二人連れとか・・突然の災難におびえ、泣き叫び、なすすべもなく殺される。何言ってるかわからないけどずっとくどくど命乞いしているおじいちゃんがいて、その頼みも空しく殺されちゃうんだけど、そういうのを見ると・・。一回目は長く感じたけど二回目はあれよあれよ(ちなみに85分と短め)。それでも二回目という余裕があるからこのおじいちゃんとかに目が行くわけ。こんな無力な老人に対して恨みも何にもないのに、ただ楽しみのため(プラスお金)だけにナイフで突き刺す。人間ってここまで落ちることができる。ここまで壊れることができる。そう思うとゾーッとする。こういう人達は例えつかまっても病気ということで死刑にはならないかもしれない。かと言って出てくればまた同じことくり返すんだろう。メイソンの部屋には大量のテープがあって、いったいどれだけの人が犠牲になったのやら。お客は必ず車で来るが、その始末は修理工がつけたのか。それにしたってある地域で行方不明者が続出すればこのモーテルにも聞き込みとか・・。今は高速道路に監視カメラとかあるし、ここを通過した後行方不明に・・となれば・・。そんな引っかかりもあるけど、でも見て本当によかった。「消えた天使」もそうだけど、時々こういうひりひりした苦い映画を見たくなるのだ。不愉快ではあるけれど人間にはこういう闇の部分が確かにある。エンドクレジットはオープニングと同じ曲。この二つの部分を聞き、見るだけで料金の元は取れる。本編はたっぷりのおまけぶん。こういう経験ができるから、こういう掘り出し物に会えるから・・小粒映画めぐりはやめられない!