メトロポリス(1926)

メトロポリス(1926)

「ゴッド」については、ちょっと一休みしてまた後で・・。だって書いても書いても書ききれないんだもの。さていつだったか銀座のあたりを歩いていたら「メトロポリス」のポスターが・・。えっと思ってよく見たらアニメの方でした。残念。「ダークシティ」にはまって「ブレードランナー」とかいろいろ関連作品を見たけど、これもその一つ。サイレントだが、現代の音楽や効果音を入れてある。字幕は最小限だから内容はよくわからないし、ストーリー展開はまだるっこい。主人公のフレダーは資本家のバカ息子で、今日も今日とて快楽の園で女性を追っかけ回している。・・とここまでは正直言ってこの映画を見始めたことを後悔していたのだが・・。突然現われた女性にフレダーは一目ぼれ。雷に打たれたみたいにフラフラになってしまう。彼はこの女性マリアに会うため地下にもぐり、そこで働く労働者達の過酷な生活を見てショックを受け、自分は今までいったい何を・・となる。まあいろいろあって、再びマリアに会うことができ、相思相愛になるのだが、途中でマリアそっくりのロボットが登場して、マリア役の人は二役を演じることとなる。このロボットが動き始めるシーンがとてもよい。カラーで隅々までくっきりと見えてしまう今の映画ではとうてい出せないであろう不思議なムードが漂っている。すべすべで冷たいんだけれど、でも微妙に暖かいロボットの表面(というか皮膚)の感じがこちらに伝わってくる。立ち上がるところとか、歩くところがとてもゆっくりなのがかえってリアルだ。一番すごいのは、フレダーの父親がロボットのマリアに命令して、ロボットがこっくりとうなずくところ。片方の目はぱっちり開いて、もう片方の目はうなずきながら閉じていく。このロボットが欠陥品であることを見事に表現している。ロボットは、地上では妖しい魅力をふりまいてクラブの客達の間に争いを起こし、地下では労働者達をあおって反乱を起こさせる。つかまって火あぶりにされるが、炎の中で哄笑する。見ていたフレダーは本物のマリアだと思っているから何とか助けようとするが、労働者達が邪魔をする。そのうちに中のロボットが現われて、見ていた人達はびっくり仰天する。

メトロポリス2

とにかくすごい映画だと思う。1927年頃の製作だから、未来都市も子供が工作教室で作ったの?みたいに貧弱だし、俳優達の演技もワンパターンだ。しかし何と言うか迫力があるのよねえ。特にマリア役のブリギッテ・ヘルム。1906年とか1908年とか資料によって生年が違うんだけど、いずれにしてもこの映画に出た時は20歳前後ということよね。しかも映画初出演。それでこれだけの演技ができるなんて本当にすごい。サイレントだから恐怖演技も声では表現できない。顔の表情や体の動きで表わすわけだが、気の狂った発明家に追っかけ回されて逃げ惑う時の凄まじい演技ときたら・・。大げさだと言ってしまえばそれまでだが、私は心から感心しながら見ていた。フレダーの方も最初はバカ息子だが、地下にもぐって働き出すあたりからだんだんいい男に見えてくる。彼の場合母親はお産の時に亡くなったから母親の記憶は全くないわけで、マリアに一目ぼれして何とか捜し出して会おうとするところ、集会で見つけて有頂天になるところ、マリアがいなくなって捜し回るところ・・などなど、その姿が母親を求める小さな子供のように思えて「不憫な子」という気がしてくるのだ。ひらたくいうと、母性本能をくすぐられたってことですかね。父親も冷たいだけの男ではなく、子供を思う気持ちは皆一緒というところがいい。このように見ているうちに、最初感じた後悔はどこへやら、ラストシーンでは深い感動が心の中に広がった。途中まではよくてもラストは今いち・・という映画が多い中で、この映画の終わり方はとてもよかった。ヒゲづらの無骨な工場長と、資本家であるフレダーの父親とが握手しようとしてお互いにためらっているのを見て、マリアがフレダーに「あなたが仲介者になって」とそっとささやく。フレダーが二人の手をしっかり握ってそれを一つにするところでジ・エンド。それも最後の瞬間はスローモーションになって、画面が暗くなって・・はー泣かせるねえ。レンタルされることもないのか、私が借りた時にはホコリが積もっていたけど、いい作品は何十年たっても心に響くものがあるのよねえ。サントラを見つけた時にはうれしかったなあ。フレディ・マーキュリーとかいろんな人の曲が入っていて、それがまた全部いい曲なのだ。