メダリオン

メダリオン

公開最終日、お客は二回とも25人くらい。例によって最後の日まで行こうかどうしようか迷っていたのよ。ごめんね、ジャッキー。本音を言うと「サンダーバード」実写版の宣伝用品が欲しかったのよ。もうなくなっちゃっていたら、館内が寒すぎてがまんできないようなら、一回で帰るつもりだったのよ。でもまだあったし、冷房もさほど強くはなかったので、ちゃんと二回見たからね!やっぱガラガラだと冷房もさほど強くは入れないのかしら。さて「メダリオン」だけど、「タキシード」よりはずっといいと思う。「バレット モンク」よりいいかも。ストーリーは同じようにメチャクチャだけど、アクションはジャッキーの方が格段に上だから。50歳であれだけ動けるなんてホント脱帽。昔からのファンとしては、ワイヤーもCGも使って欲しくないってのがホンネ。ついでに言うとキスシーンも見たくない。ジャッキーには似合わないから。キスしようとして美女にビンタくらって目を白黒させているのがジャッキーなの。少女にキスしてもらって(おでこやほっぺに・・ですよ)目を細めているのがジャッキーなの。いくら天下の美女クレア・フォラーニでもだめなのよん。さて、一度死んだけど生き返って、不死身に近くなったという設定だけど、驚異的なジャンプとか(どうしてクレア扮するニコールのマンション訪ねるのにジャンプしたり壁を伝って登ったりしなくちゃならないの?)、高いところから落ちても平気とか、そういうのはあんまり見たくないの。不死身になったけど、前とそう変わらなくて、ありえないことが軽々とできちゃうんじゃなくて、いちおうスーパーマンにはなったけど、がんばってやっとこさできる・・っていうふうであって欲しかったの。銃で撃たれても死なないけど、ジャッキー扮するエディの方から相棒のワトソンにナイフで刺してみてくれ・・なんて言ってはいけないの。ギャグとしてはおもしろいけど、子供がマネしたらどうするのよ・・なんて思ってしまった。敵役の蛇頭のボスも、エディと同じ力を身につける。それを悪の方に使おうとしている。悪人は地道な努力なんかしなくてもすごいことが軽々とできちゃっていっこうにかまわない。悪人は努力なんて嫌いなの。楽してお金や権力を手に入れたいの。だからこういうメダルや巻物を狙うの。危ないことや面倒なことは手下にやらせて、自分はふんぞり返っているのよ。

メダリオン2

内容的にははっきりしていることってほとんどなくて、あいまいなことばかり。「1000年ごとに」「選ばれた少年」「メダルの両面が合うと」「ものすごい力が授かる」「メダルは人を甦らせる一方で殺傷能力もある」・・これをちょっとアレンジすると「60年ごとに」「守護者」「太巻きと細巻き」「軍艦と手巻き」・・ムム・・何だかヘンだぞ、「巻物」あっ、これだ(アホ)。・・などとなって「バレット モンク」と同じじゃん。場所もチベットから香港に移っただけ。一般の人は知らないけれど秘密の儀式が行なわれていて、でも悪人は嗅ぎつけていて・・「モンク」のナチと同じじゃん。パンフレットが売り切れだったのではっきりしないけど、お坊さんだしお寺だし仏教の一派なのは確か。何しろ1000年に一度のことだから、古書に載っているだけで実際に見た人はいないわけ。一部のお坊さんの間だけで代々仕事が引き継がれてきていて、その仕事ったって要するに「伝える」ってことでしょ。後は少年を見つけること。どういう方法でかは不明だけど。2001年にってことはその前は1001年だったんでしょうな。でもこれって西暦でしょ?仏教と西暦は関係ないと思うんですけど・・。この映画は少年ジャイとメダルを利用してとんでもない力を手に入れようとする蛇頭のボスと、それを阻止しようとする香港警察のエディとの戦いがメイン。だからそれ以外のことはつけ足しってことでろくに説明されていない。ジャイの力は本来は何に使われるためにあるのか。誰を甦らせるのか。何のために不死身のスーパーマンにするのか。ジャイはエディと蛇頭のボスとニコールの三人を甦らせたけど、それは彼の争奪戦が起きて、彼の目の前で三人が死んだからだ。すべての命は等しく大事なもので、ジャイは悪人善人の区別なく甦らせる。そういうものの考え方はわかる。・・でもスーパーマンにする必要はないでしょ。あの設定だとジャイのまわりで死んだ人はみんなスーパーマンとして甦るってことになるよ。儀式が誰にも知られることなく無事に終わっていたらどうなっていたのかな。映画だからいろいろ起こるけど、秘密のままだったらジャイは何もせず、授かった能力はそのうちに消えるのかな。不思議な力がただ存在していて、結局は使われずにそのうち消滅・・ってのも私はアリだと思っている。宝の持ちぐされだが、その代わり悪用もされない。

メダリオン3

存在するってのが確認されて(別に死人を甦らせなくても、あの光でわかるでしょ)、後は1000年後の御開帳まで封印される。メダルを仏像の目にはめ込んで、坊さん達はまたひたすら次の1000年間守り続ける。そういうわけのわからないことを大真面目にやるってのも宗教の一面でしょ。秘密にしているのは、悪用されたら人類さえ滅びかねないからで、そこらへんは「モンク」の巻物と同じよね。昔にくらべりゃ今は何でも開けっぴろげだけど、こうやって人知れず・・っていうことも、世の中にはまだまだたくさんあるのだろうな。・・で、何を言いたいかと言うと「この宗教にはこういう力があります。見てー、聞いてー、信じろー!」というんじゃなくて、「人に知られようとも思わないし、使おうとも思わないけど、でも力は存在する」っていうものの考え方もアリだってこと。ものは使わなきゃ存在する意味がないけど、使わないでおく方がいいものもあるってこと。さて東洋人と欧米人がコンビになると、しゃべりまくり、動きまくり、ものを壊しまくり、要するに無駄が多いのはたいてい欧米人の方だ。この映画だとエディの相棒となるインターポール(国際警察)のワトソン。彼は部下を引き連れてお寺に踏み込み、いちいち仏像に銃を向ける。赤い光に照らされ、静けさをまとって、仏像はただそこにある。人間が作った物体にすぎないが、存在するだけで「人を救う」という役目を果たしている。ワトソンがへっぴり腰で仏像に銃を突きつけるのは、お客を笑わせるためのギャグだ。「アイツ、人とものとの区別がつかないんだ!」エディだったらそんなことはしない。人は殺気を発するけれど、仏像は発しない。そもそもエディは銃を持ってみだりにお寺に踏み込んだりはしない。お寺は聖域だ。そしていつものようにジャッキーはなるたけ銃を使わないようにしている。他の連中は「面倒だ!やっちまえ!」・・と銃に頼るけど、エディは弾をかわし、ベルトを引き抜いてしばり上げ、ついでにズボンも引き下ろす。靴ひもとネクタイをささっと結んじゃう。ロープがなくたって手錠がなくたって、頭を使えばたいていのことはできるのよ。それと取っかかりがあればどこへでも登ってしまうのもすごい。「ラッシュアワー」でもそうだったけど、この技術にはホントに脱帽。私にはこれだけでもエディは十分にスーパーマンに思えるんですけど。

メダリオン4

ジスカールという黒人を追いかけるシーンも見ごたえがある。ジスカールもよく跳んでいたけど、ジャッキーは50歳ですよ。しかも足が短い。それでいて若くて足の長ーいジスカール以上に動くんですからね。訓練の賜物、いよっ中年の星ジャッキー!ジスカールはタクシーを降りると、そのドアにガムをなすりつけるような人間。次のお客(この場合はエディだったけど)が乗ろうとしてドアに手をかけると、当然手にガムがくっつくわけ。タクシーから降りるというただそれだけの行為なのに、もう人の迷惑になるようなことを平気でしているわけよ。一方のエディ、張り込みの最中わずかなヒマを見つけて屋台でイカを食べようとしたら、そばにいた野良犬がつんつんとつつく。かわいそうなのでイカを犬にやり、また新しく自分のぶんを頼む。でも食べようとしたら緊急連絡が入って結局は食べ損ねてしまう。彼はやさしいのだ。極めつけはジャイと一緒にコンテナごと海に落とされてしまうところ。中にビニールテントがあったのでそれをふくらませ、ジャイを中に入れ、空気がもれないようきつくしばる。コンテナの中が水でいっぱいになっても、しばらくはこの空気で生きられるだろう。自分が中に入ることは考えない。二人で入ったら救助される前に二人とも死んでしまう。子供だけでも助けよう。死を前にして子供ににっこり笑いかけるエディ。この後エディはジャイの力で甦り、死体安置所にいるからスッポンポンで、ワトソン相手にいろいろ笑わせてくれるのだが、予告編などでそういう展開になるとわかっていても、このシーンでは涙が流れてしまった。子供のために命を投げ出すエディのやさしさ、勇気・・これこそスーパーマンだよなぁ。それにくらべると蛇頭のボスは、ジャイとメダルを手に入れると毒を飲んでわざと死ぬ。どんな悪人でも命の大切さに変わりはないからジャイはボスを甦らせる。善悪に関係なしという寛大さにつけ込んで、それを悪用する。苦痛を伴わない楽な死に方を選ぶ。もし自分が甦らなかったら子供を即殺せ、と手下に言いつける。得るためには手段を選ばず、得たものは自分のためにしか使わないエゴイスト、それが彼だ。一方のジャイ、彼には不思議な力があるけれど、自分のためには使えないようだ。コンテナの時だってエディがいなかったらそのまま死んでいただろう。彼の力は他人を助けるためだけにある。

メダリオン5

スーパーマンになったボスがこれから何をするつもりだったのかはよくわからない。ジャイを奪ったり助けたり、その他いろいろ起きるけど、見せ場であるアクションシーンはどうしても長くなるし、お客を笑わせるためのギャグのシーンも入る。・・で前にも書いたけど肝腎なことはおろそかになってるわけ。・・って言うか、最初からきちんと説明する気もないんだと思う。エディは誰も殺さないから蛇頭の一味をたくさん逮捕できたはず。彼らからいろいろ聞き出せたはずなのよ。でも香港警察も国際警察もなーんもつかめていない。ワトソンは部外者には情報は渡さない・・ってエディに協力しないしね。香港警察から正式に派遣されてきた刑事にそんな態度取れるわけないでしょ、普通。何のための国際警察なのさ。・・と言うか、そもそもワトソンが何か情報持ってるとはとても思えないんですけど・・。いちおう刑事ものなのに信じられないくらいずさんな構成なの。さて舞台は香港からアイルランドに移る。活気にあふれた香港とは対照的に自然が美しい。ワトソンの家の前にあるコマみたいな形をしたものは何だろう。ボスのアジトである古びたお城。ファンタジックな世界を感じさせる一方で・・。ワトソンの妻シャーロットはしとやかで控えめでワトソンにはもったいないくらいの中国系美女。ところが!ボスの手下が一家を襲った時に彼女が取った行動は・・。ワトソンだって頼りなさそうに見えても職業柄銃は扱えるし、武道もできる。しかしシャーロットときたら・・。そうじ用具を入れる小部屋の奥に隠し部屋があって、盾や銃や弾などがいろいろ揃えてある。全く取り乱すことなく冷静にバンバン撃ち、格闘技もできるわけ。決断が早く、肝がすわっていて、手順が流れるようにスムーズ。ワトソンは妻の思いがけない一面に呆然とするばかり。彼は妻には司書だと偽って、国際警察に勤めていることは秘密にしていたのだが、シャーロットにも夫に隠していたことがあったわけ。ワトソンは妻を心配させないために、シャーロットは家族を守るために。ちぐはぐではあるが、相手のことを思ってという点では同じである。このシーンはよくできていて、私は大いに笑ったが、その一方でふと思うことがあった。美しくのどかなアイルランドで何で自衛のための武器を揃えるのか。たいていの人は変に思うかもしれないが、少し前まではアイルランドと言えばIRAだった。

メダリオン6

宗教をめぐる争い、イギリスからの独立を求める争い、ゲリラだのテロだのと最近まで騒いでいたのはイギリスの北アイルランド。この映画の舞台になっているのはアイルランド共和国だけど、アイルランド島の歴史を考えれば、シャーロットが万一に備えてあんなにたくさんの武器を隠していたって不思議はないわけ。さてエディがボスと戦ってやられて、目を覚ますとそこはワトソンの家。ボスは逃げてしまったけれど、手下をつかまえて何やら白状させたらしい。見せ方が雑で二回見てやっとわかったのだが、手下は台所のテーブルか何かに仰向けに寝かされ、ナイフ投げの的みたいになってる。・・で手下は耐え切れなくなってボスの居どころを白状したんでしょ?私はナイフで脅したのはシャーロットだと思うんですけど。ワトソンだと手際が悪そう。この映画アメリカではヒットしなかったらしいけど、やっぱりクリス・タッカーみたいな強烈なキャラでないと受けないんでしょうね。ワトソン役の人は時々ギャグや演技がすべっているような気がした。演技が上手とかへたと言うことではなく、地味でパンチに欠けるってこと。まあ私はあんまりうるさいのよりはこっちの方がいいんですけどね。ラストの戦いは何でもアリで、まあ好きにしてくださいとしか言いようがない。一つ不満だったのはヘリコプターが洞窟の中で飛んでいたこと。あの狭い入口からヘリコプターが入ることは絶対に無理。メダルの中から魚と竜が出てくるところは、とんでもないエイリアンが出てくるよりはマシですけど、私はなぜか「あっ、夕食のオカズが出てきた!」って思っちゃいましたよ。ボスが連れ去られるところは「ハム」のイムホテップ思い出しました。ジャイは墜落して死んだニコールを甦らせた後、彼女が現われた渦巻き状の穴に入って消えてしまう。穴は言わば異界への入口。彼はこの世界での役目を終えたのだ。この映画でよかったのはこの少年の存在。まだ世間のアカにまみれる前の、人間と神との中間的な存在。仏が形を借りてこの世に姿を現わしたのだと言ってもいいかもしれない。怜悧で余計なことはしゃべらず、恐れや憎しみなどの感情がない。現象をうつし出す波一つない水面のような存在。去る時もニコニコして、何も言わずに行ってしまうのよ。自分が何をすべきかちゃんと心得ているの。何だか見ているこちらまで清められたような気がしたわ。