マン・オブ・ノー・インポータンス

マン・オブ・ノー・インポータンス

きのうは「インソムニア」を見てきた。映画館で見るのは八ヶ月ぶり。さてIMDbでルーファスの出演作をチェックしていたおかげで、深夜に放映されたこの映画を見ることができた。ラッキー!アルバート・フィニーの名前はずっと前から知っていたけど、見るのは初めてである。1963年のダブリンが舞台で、隣りのイギリスはプロヒューモ事件で大騒ぎ。私もキーラー嬢の写真を見たことあるけど、当時は子供だったから「コールガールって何だ?」なんて思っていたぞ。主人公のアルフィーはバスの車掌。緑色をした二階建てバスは、出てきただけで絵になる。乗客は皆顔なじみで、ラッシュでも日本みたいにギューギュー詰めってこともなく、わりとのんびりしている。アルフィーはオスカー・ワイルドに心酔していて、毎朝乗客達に詩を読み聞かせるのが常。芝居の演出が夢で、四年ほど前にやった作品は失敗に終わったらしいが、まだあきらめたわけではない。ある朝バスに乗ってきた若くて美しいアデルを見たとたん、彼女こそ「サロメ」のヒロインにぴったり・・と確信する。早速アデルに出演を頼むアルフィー。おいおい後ろに車がつかえているぞ。早く発車しないと皆に迷惑がかかるぞ。二人をバスの窓からじっと見つめているグレイス夫人の顔が笑える。タバコばっかり吸っているラリーというおじさんもいい味出してる。イギリスとアイルランドの映画ということで、フィニーは別としてあまりなじみのある俳優さんは出ていないのだが、一人一人がとてもよいのだ。さて芝居をやるといっても、バスの乗客達がやるのだからなかなかうまくは行かない。そこらへんを描いたコメディーなのかなと思っていると、途中からだんだん悲劇的様相を呈してきて、救いようのない結末のまま終わるのかと思っていると、一転してハッピーエンドとなる。いくつかのどんでん返しがあるのだが、一回見ただけじゃわからない、あるいは忘れてしまって、二度目に見た時にやっとわかることがいくつかある。例えば相棒の運転手ロビー(ルーファス)がふと見ると、アルフィーがボンネットに肘をついて彼を見上げている。「洗車したんだ、汚すなよ」と言うと、アルフィーは「何と美しい、ナルシスのごとくに」と言う。またいつものように詩の一節を言っているのだろうと、ロビーは気にもとめない。別のシーンではアルフィーは光を浴びて運転するロビーの後ろ姿をじっと見ている。

マン・オブ・ノー・インポータンス2

こっちも目では見てるけど、映画が終わる頃にはそんなシーンのあったことなどとっくに忘れている。アルフィーの部屋には厳重に鍵がかかり、妹のリリーも入れない。ロビーの写真が置かれ、アルフィーは鏡の前で髪をいじくり回し、酒場へ行って若い男を盗み見る。ありゃー彼はホモ?・・で二回目に見てあっこのシーンは、あっあのシーンは・・となる。詩にかこつけてロビーをたたえ、運転する後ろ姿を見て幸福感にひたっていたのだ。また芝居の稽古の休憩中にアデルが差し入れの果物を食べるシーンがある。ムシャムシャ食べているところはちょっとだらしない女性に見える。リリーはこれで兄も結婚する気になるかもと喜び、彼女を家に呼んだりデートのお膳立てをしたりする。彼女の故郷を聞き出し、手紙で問い合わせ(これには下の階の大家カーニーが手を貸しているらしいが)、妊娠して田舎にいられなくなり、ダブリンへ逃げてきたのだとわかる。その頃にはもう先ほどのシーンのことなど忘れていて、二度目に見た時に彼女がせっせと食べているのがオレンジらしきものであるのがわかり、なるほど妊娠しているからすっぱいものが欲しかったのか・・となる。ちゃんと画面にはうつっているんだよね、こっちが忘れているだけで。デートの時、アデルに好きな人がいることを知り、喜ぶアルフィーとそのわりにはあまり幸せそうではないアデル。アデルはサロメにぴったり・・とウキウキしているアルフィーにロビーは「ほれたな」と言い、見ているこっちもロビーへの愛情とはまた別の、アルフィーのアデルへの純愛を描いた映画なのかな・・と思う。ロビーはロビーなりにアルフィーのことを心配していて、彼を玉突きに誘う。密かに恋こがれているロビーに手取り足取り突き方を教えてもらい、天にも上る心地だったであろうアルフィーは、ロビーに「あの女はやばい」と忠告されても気にもとめない。彼女は清純無垢だと信じきっている。そのわりには神父のところへ行って「子供を身ごもったとしたら男はどうすればいいんでしょう」なんて聞いたりして(この時点ではアルフィーはまだアデルが妊娠していることは知らないのだが)、案の定「何てことを」と勘違いされてしまう。「私はただアドバイスを受けに来ただけなのに・・」と怒って、その勢いでアデルの部屋へ行っちゃう。そこで彼が見たものは・・ってアデルさんよ、鍵くらいかけましょうね。

マン・オブ・ノー・インポータンス3

ショックを受けたアルフィーはロビーと玉突きをした店に行く。ふるえているアルフィーに女主人が近づき、タバコを勧める。「彼に会いたいの?」えっという顔をするアルフィー。「あのハンサムな坊や」・・って何でもお見通し。バイクで現われたロビーは待っていた女の子とキス。思わずカップを取り落とすアルフィー。あやまる彼に女主人は「カップが割れただけ。ハートじゃないわ」・・って。きゃーかっこいい、この女主人好きだなー。女の子をバイクに乗っけて走り去るロビーを呆然と見送るアルフィー。この後の、憑かれたように詩を口ずさみながら、鏡を覗き込み化粧をするフィニーの演技がすごい。理性による歯止めがきかなくなり、目には狂気が宿り、もはや彼を止められるものは何もないといったふうだ。しかしはたから見れば、オスカー・ワイルドを気取って妙な服装と化粧で歩く彼は、完全にまわりから浮いている。酒場で若い男(前に盗み見ていた)に声をかけるが、数人の男に袋だたきにされ、お金は奪われ、警官の肩にすがって歩いているところをリリーとカーニーに見つかり・・ともう踏んだり蹴ったり。絶望して川に飛び込むが水は膝にも届かない。一人では上がれず、犬の散歩をしていた女性に手伝ってもらってやっと岸に上がる始末。「すべったの?」と聞かれて「飛び込んだ」と答えると、「ごめんなさい」と言いつつ女性は笑いころげる。そうそう自分にとってはこの上ない悲劇も、他人から見れば全くの喜劇だったりして。「何と愚かでつまらぬ男なのだ」と自嘲的につぶやくアルフィー。うわさはあっという間に広がり、乗客達の態度もぎこちない。運転席には別の男が座っている。「ホモはブタ箱入りなのによく助かったな」日頃からアルフィーを嫌っている上司のカーソンは、ここぞとばかりにいやみを言う。「ロビーは?」と聞くと「話を聞いたとたんあいつは逃げ出した」という答え。心のよりどころを失い、打ちのめされるアルフィー。発車しようとするとカーニーが乗り込んできて「こんなバスに乗るのか」と客達に詰め寄る。しかしぎこちない態度を取っていても客達はアルフィーの味方。誰も降りない。ここらへんはアルフィーが孤立無援ではないことがわかり、見ていてホッとさせられる。芝居は中止、アデルは「イギリスへ行くの」・・と別れを告げにくる。この時初めてアルフィーはアデルが妊娠していることを知る。

マン・オブ・ノー・インポータンス4

「ジョンも君達と一緒に行くんだろ?」と言うとアデルは首を振る。「彼は私を愛してはいないの」「だって君達は・・」と理解できない様子のアルフィー。ジョンはアデルの部屋にいたではないか。子供もできたことだし当然ジョンはアデルと結婚して・・とアルフィーは考える。純粋無垢なのはアルフィーの方で、甘い詩の世界にひたっているのはいいが、要するに世間知らずで地に足が着いていないってこと。アデルの方がよっぽど現実を見すえている。分厚い詩集を胸にがらんとしたホールを歩き回るアルフィー。ここで終わればそれこそ「愚かでつまらぬ初老のホモ男の悲劇」だが、ホールのドアがぱっと開いて金髪のロビーが入ってくる。アルフィーはロビーに「サロメ」のヨカナーンをやらせたくてずっと頼んでいたのだが、ロビーは「絶対にいやだ」と断り続けていた。それが自分から進んで「あんたの芝居に出るよ」と言ってきたのだ。ぽかんとした顔から見る見る幸福に満ちた表情に変わるアルフィー。しかし今の彼は前ほど抑制はきかない。その表情やしぐさには媚びやシナがあり、甘ったるい声で「私の坊や」を連発する。気持ちはわかるけど、節度のある態度を取らないとこの幸せは長続きしませんぜ、アルフィーさんよ。ストレートの若者が父親ほども年齢の違うおじさんに「坊や」なんて呼ばれて、そうそうがまんできるものじゃあありませんて。「そう呼ぶな。あんたのことは聞いたぞ」とクギをさすロビー。でもアルフィーの顔を見ると、あんまりこたえてはいないような。今はただいとしい恋人の前で喜びにうちふるえる純真な乙女・・とでもいうふうだ、大丈夫かね。カーソンの言ったことはうそっぱちで、ロビーは逃げたわけではなく、転属させられそうになったのだとわかる。(ホモだとしても)アルフィーのことは大事な相棒として好きであり、だからこうして避け続けていた芝居にも出る決心をしたのだ。金髪のカツラをポイッと投げ捨て、「オレの役は何なんだい?」と言いつつ、そこらへんにあったハリボテのヨカナーンの首にびっくり・・なんていうロビーは本当にいいやつだ。「芝居はしない、でも君の役はあるんだ」と言ってアルフィーはロビーに自分が持っている詩集を朗読させる。「何だよ、また詩か」とぼやきながらも素直に読み始めるロビーと、それをうっとりと幸せそうに聞くアルフィー。ステージに腰掛ける二人の姿で映画は終わる。

マン・オブ・ノー・インポータンス5

さてこの映画、さして有名な人は出ていないのだが、前にも書いた通り、いい味出している人はたくさんいる。大家のカーニー役のマイケル・ガンボンは「スリーピー・ホロウ」に出ていた。また玉突きのシーンにジョナサン・リース・マイヤーズがちょこっと出ている。私が注目したのはアルフィーの友人バード役のデヴィッド・ケリーである。「ウェイクアップ!ネッド」で、死んだネッドの身代わりをやることになった小心者のおじいさんを演じていた人だ。宝くじが当たって(というか当たったふりをして)驚きのあまり口をふがふがさせたり、素っ裸でバイクに乗ったりと笑わせてくれた。あっちはドタバタ系だが、この映画では一本芯の通った友情に厚い老人を演じている。夢想家で地に足が着いていないようなアルフィーと違って、真面目な顔で皮肉を言い、筋の通らないこと(アルフィーへの嫌がらせなど)に対しては断固たる態度を取る。アルフィーと亡き妻のことを語るシーンがいい。「料理上手でアイロンの腕もばつぐん・・でも一番よかったのは・・」と言うと、アルフィーが「大柄だった」と答える。「そう大変な力持ちでしたよ・・強かった」ツルのようにやせてしなびたおじいさんがこんなことを言って妻を偲んでいるのだ。笑えると同時にしみじみとした気分にさせられる。名声も財産もあるわけではない、社会の片隅に静かに生きる平凡な老人ではあるが、その言葉には含蓄があり、生きる姿勢はまっすぐですがすがしい。主人公のアルフィーより、このバードの生き方の方が私には興味深かった。あーそしてルーファス。くしゃくしゃの髪。いつもタバコを吸っていて、赤いシャツがかわいいわ。背が低いわけではないんだけれど、小柄に見えるのは、フィニーが大柄だからなんでしょうね。「君の髪を天使のような金髪に」なんて言われても気にもとめない。自分がアルフィーに愛されているなんて全然気がついていなくて、彼のことはヘンなじいさん・・みたいに思っている。バスが故障した時、修理の人が来るまでの間詩の話をしようと言って隣りに座るアルフィーから、ついと体をずらし、距離を置くシーンがある。それはロビーが詩は苦手ということもあるが、自分にある種の感情を抱いているアルフィーから逃げようとする本能的な行為のようにも見える。この時点ではアルフィーがホモであることを彼はまだ知らないが、体の方は無意識に反応しているのだ。

マン・オブ・ノー・インポータンス6

ある朝なぜかバスの発車を遅らせるアルフィーに困惑顔の乗客達。仕方がないなあ・・という顔のロビー。ミラーに走ってくるアデルの姿を見つけて「なるほどね・・」という顔をする。ある時はバスからマイカー通勤に切り替えた「裏切り者」に二人してしっぺ返しをする。そんな無茶な運転をして事故を起こしたらどうするのかね。バスには他の客だって乗ってるんだぞ。アルフィーは子供みたいにはしゃいでいるけど、ロビーはけっこう冷静。またある時はアデルに夢中になっているアルフィーにそれとなく忠告をする。しかし「あの女性は無垢だ」と信じ込んでいるのを見てそれ以上は言わないでおく。彼女のうわさを話せばアルフィーが傷つく・・だから黙っている。ぶっきらぼうでいて思いやりのある、さして有能なわけでも美男子なわけでもないごく普通の若者ロビー。どちらかというとその容貌から異常な役の多いルーファスだが、このロビーははまり役。ちょっとクセのある声や表情が、年配の登場人物が多いこの映画の中ではアクセントとなっている。あまり出番は多くないんだけれど、彼が出てくるとその大きな鋭い目と白い肌ときびきびした動きとで、ヘンな言い方だけど「画面が若返る」のよね。この映画の主題の一つは「老人と若者の交流」だと思う。若さは失われたけれど知識と経験は豊富な老人。健康と未来はあるが、知識も経験も乏しい若者。老人は若者に自分の持っている知識や経験を与えることができる。その代わりに若者からは生きる喜びを・・まあアルフィーの考えていることはこんな感じのことなんだろうけど、これって「ラブ・アンド・デス」でデアスが言っていたことと同じ気がする。デアスの場合はその他に財力があったけど。まあ映画はいちおうハッピーエンドで終わるけど、これからもうまくやっていきたいのならアルフィーはあんなふうにでれでれしてはだめ。恋する気持ち、それはそれとして大切に持ち続けながらも、表面的には節度のある態度を取らなくては。デアスはロニーにフィアンセと別れるよう迫ったけれど、アルフィーはそんなこと言っちゃだめよ。アデルに好きな人がいるのを知って喜んだように、ロビーにガールフレンドがいることも喜んであげなきゃだめよ。とはいえ将来アルフィーがロビーにあいそつかされるだろうってことは、明々白々なんですけどね。思いを心に秘めてじっと見ていた頃の方が幸せだった・・なんてね。