抹殺者
美しい未亡人の考古学者シャロンが発見したキリストのものらしい遺骨。それをイスラエル、パレスチナ過激派、バチカン法王庁が何とか手に入れようと、あるいは葬り去ろうと入り乱れて暗躍する。・・とまあこういう宣伝文句で、主人公は元情報部員の神父、演じるのはセクシーなアントニオ・バンデラス君。見る前からあらぬ想像(?)をかき立て、サスペンス、アクション、おまけに古代ロマンまでてんこもりの欲張り映画・・と思い込んだとしても、それは乗せられた自分が悪いのであって、実物はだいぶ違うじゃないか・・となっても、バンデラス君が悪いわけではありません。マットは元情報部員なのにちっとも強くないし、襲われてもやられっぱなし。まあ神父だから暴力は絶対ふるわないだけで、実際は強いのかもしれないが・・。あーでもどんな時もそんなそぶりは全然なかったからやっぱり弱いのかな。情報部員という言葉にだまされてはいけないのよね。でもそうなるとバリバリのアクション映画にはなりにくい。銃をぶっぱなしたり、カーチェイスをしたり、爆弾をしかけたりもなしだし。お祈りをしたり、苦悩に満ちていたりしてもそういうのはバンデラス君のカラーじゃないから、どうにもピンとこない。観客が期待する(?)、法王庁にアイソつかして神父をやめて一般人に戻ってシャロンとゴールインして二人で世界中を遺跡発掘の旅・・なんていう夢のある結末もなし。そう、本当に地味な内容なのよ。私なんぞには理解しがたい宗教上のあれやこれや。キリストの遺骨が見つかったのなら信者は皆大喜びでしょ・・と思ったら全然違うのね。磔の痕跡のある骨がキリストのものだとなれば、彼は100%人間だということになってしまう。つまり「復活」は起こらなかったことになり、キリスト教は根本から引っくり返ってしまう。だから法王庁としてはこれが本物であっては絶対に困るわけ。枢機卿は「そんな重要な任務に私など適任ではありません・・」と辞退するマット神父を説得し、エルサレムに調査に送り込む。忠実な彼なら法王庁の意図(例え本物であってもニセ物として処理すること)を理解してうまくカタをつけてくれるだろう。人当たりがやわらかく、誠実なマットはとにかく騒ぎを起こさないようにと気を配る。まわりの思惑など気にしないシャロンは発見をすぐにでも公表したいと思っているが、そんなことをしたら大混乱が起きる。
抹殺者2
当然二人の間には衝突が起こり、反発したり、仲直りをしたり。そのうちにお互いの心に引かれ合うものが生まれ・・ってこりゃ使い古されたテだなあ。ただ見ていてシャロンの性格や生き方がハナにつかないのは、彼女がこういう映画にはつきものの鼻っ柱の強い野心まんまんの考古学者ではないからだ。彼女は世紀の大発見で名を上げようと思っているわけではない。キリストのものらしい遺骨が見つかったことを発表したいだけだ。本物かどうかを決めるのは詳しい科学的調査をやってからのこと。だから遺骨と一緒に見つかった壷が鑑定の結果紀元70年のものであるとわかり、それがキリストの墓にあるのはおかしいから、この遺骨はキリストのものではないということになった時も、大発見がおじゃんになったと落胆するわけでもなかった。それが事実なら学者として受け入れるまでのことだ。まあこの鑑定はその後すぐにくつがえるんだけど。彼女の不満はちゃんとした調査ができないことに由来する。壷の製作年代を調べたり、病理学者に骨の様子を見てもらうといった遠回しの調査しかできない。それを見ているこっちも歯がゆいし、骨の一本くらい持ち出したって当局は気づかないだろうになぜ持ち出さないのかなと思ってしまう。舞台となるエルサレムは雑然とした都市だ。何か盗まれても翌日には市場に売りに出されるから買い戻せばいいとか、事件があっても何派の仕業かすぐにわかるとか、そういうところがいかにもという感じ。人と人との距離の近さ。雑多な人種・宗派が入り乱れているけど情報の手づるはあちらこちらに存在する。活気があって皆たくましく生きているけど、いつ何が起こるかわからない不穏な空気は常に感じられる。平和な日本に住んでいる私達にはとても想像もつかないけれど、彼らにとってはそれが日常。ところでこの件に関してイスラエルの武官が言った言葉が印象的だ。いわく例え遺骨が本物であったとしても、多くの信者はそれを認めない。少しはキリスト教から離れる者も出るだろうが、大部分の信者は残る。だからキリスト教は大丈夫だ・・と。確かに人間は事実を信じるとは限らない。自分が信じたいものを信じるのだ。それが宗教。しかし法王庁はそうは考えない。何であれ自分達の存在を脅かすものは公になる前に握りつぶしておくに限る。そういうふうに考えることができる上つ方は精神も強靭だから苦悩することもない。
抹殺者3
彼らが苦悩するのは自分達の権威・地位が失墜することに関してだけ。でも誠実で敬虔な信者にとっては遺骨の出現は深い苦悩をもたらす。マットは尊敬する神父が苦悩の果てに自殺するのを目撃し、強いショックを受ける。彼には育ての親とも言うべき神父を、情報部員時代に誤った情報を伝えたために死なせるという過去があった。今また同じように自分の伝えたことが元で神父を死に追いやってしまった。自分のせいだ・・と苦しみ、だんだん自分のやっていることに疑問をいだくようになる。・・で見ている方はこれでマットも情報部員としての経歴をいかして活躍し始めるのだろうと期待するのだが、やっぱりそれはなし。最後までなし。期待はずれと言えば期待はずれなんだけど、でも・・。何だか煮えきらない文章が続くけど、ぶっちゃけたハナシ、私けっこう気に入ったのよマット君。パレスチナ側とイスラエル側の衝突があった時、マットは必死になって「殺さないで」とパレスチナ人をかばう。引き金を引けば男の命は簡単に失われるが、捕虜にして連行して取り調べ、収容所に送り込む手間は省ける。そっちの方がよっぽどラク。しかしマットにとっては理由はどうあれ殺人は絶対にだめ。気が立っているどちら側からも殺される危険があるのに割って入る。この映画で私が一番感動したのはここ。襲われた時も自分からは絶対に手を出さない。神父だから当然なんだけど、こういう場所・状況では銃や腕力に頼った方が簡単にことが運ぶのに、そうでない方の道を取るってところが何とも感動的。さて戻って枢機卿にタンカ切ったマットだけれど、一般人に戻ったというわけではなく、彼なりの方法で信仰に生きていくようだ。その決意を書いた手紙を読むシャロン。まわりで遊ぶ子供達。はー結局ロマンスはなしで終わりなのね。マットなら子供達のいいお父さんになったのに。こんなに清く正しく美しい関係のままで終わる映画も珍しいわな。でも私好みよ。それとぱっとしないけど誠実なマットを好演したバンデラス君も好きになってしまいましたよ。映画としては迫力不足という感が否めないけど、おもしろい題材を最後まであきさせず楽しく見せてくれていると思う。最後お墓は埋められるのだけど、崩れてきた石に刻まれた文字は・・。純粋に発掘調査されていればこの文字も日の目を見て、真実が明らかになったのになまじ余計なことするから・・。人間てホント愚かよね。