ミラクル7号
公開三週目、平日午前、日本語版・・お客は私一人(バンザーイ!←やけくそ)。久しぶりのチャウ・シンチーだが、今回は功夫なし。映画が始まってからしばらくの間は、父子の凄まじい貧乏ぶりが描かれる。ティー(シンチー)は高層ビルの建築現場で働きながら、息子ディッキーを金のかかる名門小学校にやっている。夜になるとティーはゴミ捨て場をあさる。靴を拾ってきてつくろう。腐ったリンゴがデザート。うようよいるゴキブリをつぶすのが夕食後の楽しみ。テレビは二人して歩道にしゃがんでショーウインドーのを見る。貧乏なわりには電気止められていない(節電もしていない)。家の前にある信号機から電気失敬しているのか(ティーの信条には反するだろうが)。激しい労働、昼になると高い足場の上で弁当を食べる。その哀愁漂うティーの後ろ姿に胸キュン。その頃ディッキーはきれいで清潔な教室や食堂にいる。ディッキーは目が垂れていてかわいい。一番目立つのは両耳にぽやぽやと生えた毛・・うぶげ。大きくなったら貧乏人になります・・なんて、今でも十分貧乏人。しょっちゅういじめられているけど、それなりに何とかやっている。そのけなげさ、無邪気さに胸キュン。ディッキー役シュー・チャオは実際は女の子だそうな、びっくりー。ことあるごとにティーはディッキーに言い聞かせる。ケンカはするな、ウソをつくな、貧乏は恥ずかしいことじゃない。その一方で、自分は子供の頃勉強しなかったせいでこんなことになってる。だからいい学校に入れて、ちゃんと勉強させて、ディッキーには自分と同じ道歩ませまいと思ってる。現場のボスは口が悪い。すぐクビにするぞと怒る。でもティーの妻の治療費や葬式代貸してくれたのはボス。衝突もするけど、仕方ないなあ同郷だし・・と文句言いつつ結局は助けてくれる。冷たいやつに見えたけど、実は情にもろい親切な人柄なのに胸キュン。ディッキーをいじめてる連中も、最後の方ではそんなに悪いやつらでもないんじゃないの?・・と思えてくる。ナナちゃんのこと大人には内緒にとか何とかディッキーが言うと、子供の間でのことは大人には話さない・・とかジョニーがきっぱり言う。ほほぉ~悪ガキのくせにけっこう筋の通ったこと言うじゃん・・と感心。みんなして仲良く笑ってるシーンには胸キュン。ディッキーに片思いの巨大デブ女マギーのいじらしさにも胸キュンだいッ!
ミラクル7号2
マギーをやってるのは男性レスラーらしい。マギーに恋するドラゴンをやってるのは女性。金持ちの悪ガキ、ジョニー役の子は女の子。この映画の配役はかなり錯綜してますな。そこまでやるならユエン先生(キティ・チャン・・美人!)も男性でやればよかったのに。エンドクレジットでそういうのネタばらしすればおもしろかったと思うよ。話を戻して・・とにかく小さな子供にもわかりやすいストーリー。香港映画らしいどぎつさ(主に弱い者いじめ)はあるが、いやらしさ(セクシーさってこと)はゼロ。代わりに子供が大好きなギャグ(排泄物関係)がいっぱい。「カンフーハッスル」のパロディとか「ドラえもん」風の描写もある。クライマックスで、事故死したティーをあっさり生き返らせるのは「ゲゲゲの鬼太郎」と同じ。それほど目新しいものはない。出会い、別れ、再会。絶望と希望。衝突と和解。死と再生。失ってわかる大切なもの、一歩を踏み出す勇気。予告編などから、何だかよくわからない謎の生き物ミラクル7号ことナナちゃんがメインの、ドタバタコメディーなんだろう・・と。ナナちゃんは一見不気味だが、かわいらしくもある。こういうのをキモかわいいと言うのか。香港映画ならぬいぐるみか着ぐるみ、稚拙な合成画面・・なんてイメージしてたが、けっこうがんばってそれらしく作ってある。ナナちゃんの頭部はチキン・リトル連想させる。弾力ありそう。でもってこのナナちゃんが大活躍・・と思ったらそうでもなくて。この映画のメインはあくまでティーとディッキーの父子関係。ナナちゃんの正体や送り込まれた理由は不明のまま。・・近頃UFOが目撃されるようになったとテレビニュースで言う。なぜかゴミ捨て場にいたUFOは、緑色のゴムボールみたいなものを残して飛び立つ。ゴミをあさっていたティーはボールを見つけ、持ち帰る。昼間、人気のおもちゃミラクル1号が欲しくて店でだだをこねたディッキー。反抗期なのか貧乏がいやになったのか。でもゴムボールでもないよりはまし。そのうちスイッチが入ったのかゴムボールは変な生き物になる。犬のようなネコのような。言うことを聞かないディッキーに、ティーがおしおき(たぶんお尻ぺんぺん)しようとするシーンがある。最初は板きれを取り出す。それがハンガー、しまいには紙を丸めたものになるのがおかしい。ティーのやさしさ、気の弱さに胸キュン。
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ディッキーはこの変な生き物に夢中になる。でもあんまり役に立ってくれないみたいだ(この場合の役に立つとは、テストで100点取らせてくれるとかそういう虫のいいこと)。ナナちゃんは腐ったリンゴを新鮮なものに変えてくれる。どうやら壊れたものや傷んだものを甦らせることができるようだ。でもディッキーが見たのはリンゴの件だけ。新品なのに動いてくれない扇風機を直してくれたのも、ティーを生き返らせてくれたのもナナちゃんだと気づいていないみたいだ。力を使い果たしたナナちゃんは顔色が悪くなり、動かなくなり、縮んでマスコットみたいになってしまう。でも父子は電池切れだと思ってる。ティーの死、ディッキーの悲しみ、命を投げ出すナナちゃん・・このあたりは泣かせどころでもある。前にも書いたが「ゲゲゲの鬼太郎」に似ている。しかしあっちは見ていてうんざりさせられたけど、こっちはそうでもない。ディッキーは病院での大人達の雰囲気から、父親が死んだらしいと気づく。でも家に帰ってきて、学校でいつもやさしくしてくれるユエン先生から改めて聞かされると泣き出してしまう。先生を家から追い出してしまう。先生もう帰ってください、ぼくもう寝たい(眠りたい・・だったかも)んです、もう疲れちゃったんですとくり返しながら寝ているところはかわいそうでねえ・・。そりゃもちろん後で生き返るだろうってわかってるけどさ。その頃病院ではナナちゃんが最後の力ふりしぼってる。この時のナナちゃんの目の表情がとっても印象的。目に力をこめるという表現は難しいと思う。それをちゃんとやってる。ここまで技術が進歩したのか・・と感心しながら見ていた。映画を見てない人には何のことだかわからないかもしれないけど、ナナちゃんの目って人間の目と違って黒一色、白目の部分がない単純な形。笑う泣く怒るおびえるなどはできても、意志の集中、強さの表現は難しかったと思うな。ディッキーは動かなくなったナナちゃんをいつも首からぶら下げ、元に戻ってくれますように・・と何度も何度も神様に祈る。なぜならナナちゃんは友達だから。かわいいし、一緒にいると楽しいから。父ちゃんが生き返ったように、ナナちゃんもいつかきっと・・。ここらへん事情を知ってる我々お客と、ディッキーの間には「ずれ」がある。普通の映画ならディッキーは、父ちゃんの命を救うためにナナちゃんは・・と気づく。
ミラクル7号4
でも気づかないまま。私としてはいつかナナちゃんが・・と願うシーンで終わって欲しかったが、映画はその後も続く。またUFOが現われ、ナナちゃん(?)とその仲間が押し寄せてくるのだ。蛇足もいいとこだが、見ている子供客は大喜びするだろうな。この時も私はこれはディッキーの見ている夢にしといた方が・・なんて考えてましたけどさ。さて、この映画を見て私が考えたのは・・ティー達は理由は不明だが(と言うか貧しいからに決まってるが)、サンプルに選ばれたのだろう・・ということ。あの生き物を人間界に置いてみて、まわりがどう反応するのか、利用するのか試してみたんだと思う。結果的にわりとうまくいったようなので、大量生産して人間界に送り込むことにしたのだ。最初の頃にくらべ、人間達の関係は好転している。ティーとディッキーのきずなは深まった。宇宙のどこかの親切な(あるいはお節介な)誰かが、このままでは人間は、地球は危ないと心配したのだ。まあこれは私の妄想だけど、他の星の生物の助けでも借りない限り、人間達のバカな争いはやまないと思うな。でもチャウは私ほど悲観的じゃないようで、懸命に生きる父子を描き、人生金がすべてじゃない、何かしら希望が持てるはずだと説く。この父子にナナちゃんを絡める。見返りを求めず、けなげでかわいい。映画としては二つの流れがあって、必ずしもうまくかみ合っていない。ナナちゃんのおかげで父ちゃんは生き返った、ナナちゃんありがとう!ということなら、二つの流れはしっかりかみ合ったのに。なぜそうしなかったのか。でも私はこういうひねった展開の方が好み。気づかれようが気づかれまいがナナちゃんは善根をほどこす。ナナちゃんはそういうふうに作られているのだ。ティーは生き返ったけど、金持ちになったわけではない。これからも貧乏なままだ。でもユエン先生にアタックし始める。ダメで元々、せっかく生き返ったのだから、思い残すことのないように生きよう!でもユエン先生は前の(哀愁漂う)ティーの方が好きみたい。マギーはほんの少し自分に自信を持つ。ドラゴンが好意を寄せてくれる。でもマギーはディッキーが好き。でもディッキーは他の子が好き。その子もディッキーが好きだけどジョニーが邪魔する。何やらいろいろあるけど、全体的には少しよくなった。でも(ナナちゃんとその仲間のおかげで)世界的に全体的に少しよくなればいいのだ!