下宿人、謎の下宿人

下宿人(1926)

これはサイレントで、もう少し字幕が欲しいと誰もがじれったく思うことだろう。原作は古本屋で見つけて、ちょっと高かったけど買った。復刊されれば別だけど、次に見つける機会はないだろうと思って。発行は昭和29年で、かなり汚れている。印刷も全体的に薄く、読みづらい。文章もわかりにくく、ところどころ誤植がある。原作だと、下宿屋夫婦のうち、妻のエレンが主人公ということになるのか。二人とも召使いあがりで、今は下宿屋をやっているが、誰も入ってくれず、生活はひっ迫している。売れるものは売り、今では食べるものにもこと欠くありさま。と言ってもヤキモキしているのは主にエレンの方で、夫ロバートはわりとのん気。ある晩・・エレンが絶望的心境でいる時・・スルースという男が下宿したいと訪ねてくる。部屋を気に入り、一ヶ月分気前よく前払いしてくれる。これで暮らしていける・・と、エレンは安堵する。スルースは他の下宿人をいやがったが、エレンからすればその分下宿代を高くできるし、世話をするにも楽ということで、これ以上のことはない。ただ、スルースはかなりの変人で、現われた時はほとんど荷物もなく、手紙のやり取りもなく、夜中に外出するのが気になる。おりしも世間では”復讐者”を名乗る連続殺人事件が起きていて、大騒ぎ。ロバートも新聞を読みふけり、刑事のジョーが立ち寄る度、話をせがむ。そういうのを苦々しく思っているエレンだが、そのうち彼女も気になり始める。スルースは大人しい紳士で、とても殺人鬼には見えないが・・。それに彼が払ってくれるお金のおかげで夫婦はやっと暮らしているのだ。彼がいなくなったらまた貧乏に逆戻りだ。ロバートにしろエレンにしろ、警察を信用していない。警察や記者に追い回されたくない。それにエレンは、犯人は病気なのだから、裁きより精神病院へ入れられるべきだと思っている。彼女は審問を傍聴した時には無残に殺された被害者達のことを思って恐ろしくなるが、すぐにまた犯人同情派に戻る。原作ではこのようにエレンのギリギリの精神状態が詳細に書かれる。映画では夫婦は別に追いつめられてはいない。下宿人はいないが、普通に暮らしている。デイジーも彼らの娘として最初から出てくるが、それも映画だから無理はない。中年の女性が思い悩むシーンなんか誰も興味ない。

下宿人2

原作ではデイジーはロバートと先妻(故人)の間にできた娘で、普段は伯母(先妻の伯母で、金持ちの寡婦)のところにいる。エレンはデイジーが嫌いなわけではないが、ややよそよそしい。孤児院育ちでやや堅苦しいところのあるエレンは、デイジーとジョーの微笑ましくさえある恋も気に入らない。若い女性はもっと慎み深くするべきだ。もちろん映画ではこんなのはなく、エレンは二人を見てお似合いだと喜んでいる。原作でのロバートは、ジョーがデイジーに夢中なことには気づいていない。ジョーがしきりに訪れるのはデイジー目当てなのだが、彼は事件の情報を聞き出すことしか頭にない。原作は元々は短編小説で、長編に書き直され、単行本で出たのが1913年らしい。1888年に起きたジャック・ザ・リッパーの事件が元になっている。ラジオはまだなく、人々はうわさや新聞が唯一の情報源。ロバートが新聞を手に入れようとしたり、読みふけったりする描写が何度もあるが、それしか方法がないからだ。映画だともう少し時代が新しくなっていて、すでにラジオも登場しているようで。原作と違う一番の点は、下宿人の正体。数日後彼はデイジーと親しくなる。ここまではほぼ原作通りの流れだったのに、いきなり方向転換し、あらら・・とびっくりする。ここからは別の映画になるのだろう。「巌窟の野獣」もそうだったし、今更驚かないけど・・。原作のデイジーは前にも書いたが普段は伯母のところにいる。時々帰ってくるが、下宿人とはほとんど顔を合わせない。最後の方で彼女は18歳になるが、映画ではもっと上で、ファッションモデルらしい。重苦しい映像の中に、華やかなファッションショーがはさまれるのはサービスか。事件をうわさする踊り子達も出てくるが、私最初はデイジーも踊り子なのだと・・。だってモデルだけで食っていけるか?両親は無収入だし。でも結局彼女は踊り子とは無関係のようで。まあ要するに出てくる若い女性がみんな同じ顔に見えて区別がつかないってことなんですけどさ。途中何とデイジーの入浴シーンまで出てくる。サービス満点ですな。サスペンス、ミステリーのはずが、ラブロマンス風になってるぞ。それにしても彼女はジョーのことはどう思っているのだろう。彼は明るい性格で、悪気はないもののややデリカシーに欠けるところがある。ふざけてデイジーに手錠をかけ、困らせたりする。

下宿人3

最初の方に出てくるパイ生地のシーンなど微笑ましいが、見ている我々はデイジーがジョーをからかっているのだと思う。気のないそぶりをしてじらしているだけで、本当は彼女も彼が好きなんだろうと思ってる。その後も、キスを許すなどしているから、下宿人に引かれているように見えるけど本命はジョーなのだろうなと。そしたら途中で完全にジョーを振っていて、見ていてあらら。じゃあ彼女は殺人犯である下宿人と恋に落ちてしまい、悲恋物に路線転換?ジョーは下宿人に嫉妬し、余計デイジーに嫌われてしまう。ショック状態の彼は、下宿人が残した靴のあとが犯人と同じなのに気づく。令状を取り、部屋を捜索すると隠してあったカバンが出てくる。中にあったのは銃、印のついた地図、事件を報じる新聞の切り抜き、そして被害者の一人の写真。切り抜きの一枚から、下宿人が犯人でないことは見ている我々にも予想がつく。彼は写真の女性の兄なのだ。妹を殺した犯人をつかまえようと一人で調べて回っているのだ。ちっとも調べているようには見えないが、映画だから突っ込んではいけない。彼は手錠のまま逃亡し、気の立った群衆からリンチを受けそうになるが、危ういところを助かる。犯人はなぜか・・いつの間にか・・都合がいいにもほどがあるが・・つかまった。さて、最後まで書いてしまったが、また戻る。この映画、テレビで見られるとは思っていなかった。そしたら運よくザ・シネマでやってくれて。同じ題名でもっと新しいのがあって、それでは下宿人はサイモン・ベイカーらしい。うわ!見たい!こちらは1926年製作で監督はヒッチコック。映像のここがすごいとかいちいち書くつもりはない。他の誰かが書いてくれるから。まあ・・最初の方の、ニュースを聞く人々の顔・・表情がうつろで、愚かしく見えるのが珍しいかな。クライマックスの暴挙、リンチを暗示しているようで。自分がなく、流されやすい感じ。出演者では下宿人役アイヴァー・ノヴェロが印象に残る。登場した時から異様な雰囲気、孤独を身にまとっている。原作ほどではないが映画のエレンもあれこれ心配し、思い悩む。しかし見ていて感じるのは別のことである。エレンは食事を作り、掃除をし、下宿人の世話をし、夜は編み物をする。ロバートの方は暖炉のそばでパイプをくゆらし、新聞を読みふける。奥さんだけ働いていても何とも思わない。

下宿人4

原作のロバートも怠け者で、下宿人のことなど何も気づかないが、エレンの様子がおかしいのは不審に思っている。そのうち夜中に外で下宿人と出くわし、しかも血がついているのに気づいて、それ以来思い悩み始める。エレン同様どうすればいいのかわからない。それまでは話を聞きたくてジョーの訪問が待ちきれなかったが・・新聞を読むのが楽しみだったが・・。それにデイジーのことが心配だ。最初読んだ時は意味がよくわからなかったが、今回読み返して結局犯人はスルースだとわかった。彼は以前別の場所で何件かの事件を起こし、つかまって病院送りになったのだが、脱走したのだ。ついでに病院の給料も盗む。下宿に現われた時大金を持っていたのはそのせいなのだ。最後の方で彼はあることが起こって姿をくらます。彼がいなくなると当然殺人もやむ。エレンは、スルースはお金も持たずいなくなって困っているのではと心配する。しばらくたってもう戻ってこないと思われたので、彼女はお金を寄付する。映画でも無造作に置かれたお金が出てくるが、こちらの下宿人は犯人ではないから、要するにお金持ちだということだ。最初の方の、部屋に飾ってあった美女の写真をはずさせるシーンは、原作にもある。映画だとたぶん殺された妹を思い出させ、つらいのだろうが、最初見ている時は下宿人が犯人だと思っているから、ああ、原作通りだと思う。デイジーと仲良くなり始めると、彼が犯人とは思えず、じゃあ犯人を変えてあるのか、もしかしたらジョーが犯人なのかと思ってみたり。結局犯人が誰だったのかは不明。聖書も犯罪博物館も審問の傍聴もマダム・タッソーの蝋人形館もなし。かなりはしょってあるが、さほど不満も感じないのは下宿人が助かってホッとするから。あのまま殺されていたら後味最悪だったろう。ラストは下宿人にデイジーが寄り添う病室のシーンで終わればいいのに、わざわざ結婚して幸せいっぱいのところをうつす。ロバートやエレンも幸せだ。何しろこれからは生活の心配ない。どうせならジョーも出てきて二人を祝福して欲しかったが。あのままじゃいくら何でも気の毒で。

謎の下宿人(1944)

アイヴァー・ノヴェロはなぜか1932年版の「下宿人」にも同じ役で出ている。ヒッチコックのとり方が気に入らなかったのかな。見てみたいのだが、DVDは出ていないようで無理かな。こちらはマール・オベロン、ジョージ・サンダースと言った有名な人が出ているし、サイレントではないし、どんな感じかなと思って見てみた。ヒッチ版より時代は前にしてある。ラジオも電気もまだ。連続殺人鬼イコール切り裂きジャックになってるが、狙われるのは娼婦ではなく、舞台に立つ、あるいは立ったことのある女性にしてある。ロンドンの夜、警官がたくさん出ているが、それなのにまた女性が殺された。これで四人目とか言ってる。すぐ号外が出て、人々は争って買い求める。ロバートもその一人だ。スレイドという男が部屋を借りたいと訪れ、妻のエレンが部屋を見せる。元々はおばの部屋で、メイド用の部屋が屋根裏にある。スレイドは気に入って両方借りると言い、家賃を前払いする。エレンはいちおう事情を説明する。本来は下宿屋ではないが、ロバートが少し前商売で大赤字を出してしまった。資産があるので暮らしていけるが、少しでもお金があればそれだけ早くまた商売が始められる。この家にはデイジーという通いのメイドがいる。だから原作のような追いつめられた暮らしではない。ロバートの姪キティも同居している。彼女は売り出し中の女優だ。人気女優の家が貧乏でかつかつの暮らしというのではつじつまが合わないので、このような設定に変更したのだろう。ノヴェロと違いこちらのスレイドは大柄。原作では背が高くやせぎすだが、こちらは太っている。彼は病理学者で、不規則な生活をしているとあらかじめ断る。その言葉通り夜中に外出し、いつも裏口から出入りする。夕食を持っていったら、部屋に飾ってある女優達の写真を裏返しているのはお約束。ロバートは部屋を貸すことには乗り気ではない。でももうエレンは金を受け取ってしまった。男は自分では何もしないくせに文句だけは言う。さて、ヒッチ版が華やかなファッションショーを見せたのに対し、こちらではキティが歌い踊る。私はこういうのはあまり好きではない。怪奇ムードに浸りたいのに、パッと明るくハデなショー。歌や踊り、あるいはヒッチ版みたいなファッションショーを見せられると違和感を感じてしまうのだ。

謎の下宿人2

でも当時はこれが普通だったのだろう。映画なんだから美しい女優による夢の世界を見せなければならない。そう言えば東宝の特撮物でもキャバレーの踊りとか歌とか必ずと言っていいほど出てくるな(←?)。キティのショーは成功し、祝っていると警視庁のワーウィック警部達が来る。原作とは違い二人はこの時が初対面。まあ原作とはいろいろなところが違っている。ヒロインの名がデイジーからキティに変更されているし。デイジーは原作では老女の身の回りの世話をしているが、それじゃあ映画にならないので華やかな職業にしてある。こちらのデイジーはメイドだけどいちおう若い女性。狙われるかと見ている者を心配させたいのかな。結局何もなかったけど。公演前、楽屋を見たいとウロウロしていたのがアニー。キティと違い、彼女は有名になりそこねた。その彼女が新しい犠牲者。ワーウィックによると手がかりはほとんどなし。犠牲者には舞台経験があるというのと、医者の使うような小型の黒いカバンを持ってるのが目撃されているくらい。そう言えばスレイドはそんなカバン持ってたし、現われたのは事件のあった日だった・・とエレンは心配になる。おまけにスレイドの部屋からは焼けたカバンの残骸が見つかった!しかしロバートは、今はそういうカバンを持っているだけで疑われる現に犯人と間違って襲われた者もいるだから自分も隠した、スレイドの行為はむしろ賢明と説明する。ここらへんはうまくできてる。エレンもキティも納得するが、キティはスレイドの職場が本当に大学病院か調べてみることにする。彼を尾行し、大学病院へ入るのを確かめる。ここらへんも原作とは違い、説明的になっている。一番違うのはスレイドには弟がいたが、若くして亡くなったらしいこと。彼に暗いカゲがあるのはそのせいということ。そう言えばヒッチ版では妹の死だったな。理由もなく殺人を重ねるというのでは見ている者が納得しないと、作る方は考えるのか。ワーウィックはキティを犯罪博物館へ案内するが、そこで彼は母に会ってくれと言い出す。こりゃ遠回しに球根・・いや、求婚しているんですな。原作だとただの刑事と老女の世話をしている女性だから結婚には何の支障もないけど、こっちはどうですかな。芸能活動を続けるのと警部の妻の両方は無理だと思うよ。地方公演もあるだろうし。

謎の下宿人3

これから警部は出世していくと思うけど、奥さんがカンカン踊ってたんじゃ・・。もっともこの映画では二人が結婚してハッピーエンドというラストシーンじゃないんだけどね。話を戻してキティは孤独なスレイドをむしろ気の毒に思い始める。彼は弟を深く愛していたのだ。若くて美しく才能もあったのに。彼を癒してくれるのは水である。テムズ川に手を浸すのだ。夜出かけるのはそのせい。その間にも犠牲者が出るが、今回は室内で、どうやって入ったのか、どうやって逃げたのかは説明されない。発覚が早く、すぐ警官達に包囲されたのに。たぶん忍者修行でもしたのだろう!キティは夜中にスレイドが外套を燃やしているのを見つける。そばには何やらシミのついた衣類。でも実験でミスって汚染されたから燃やしているのだという弁解を信じ込む。しかしエレンとロバートは心配になる。これからは二人きりにするのはやめよう。そう言いつつ二人して外出する。外でバッタリ会って、家にいたんじゃなかったのか、あらあなたがいると思って私も出てちゃったわ・・となる。二人して大急ぎで・・と思ったらロバートだけ帰る。エレンはそのまま買い物。何も気づかないキティは、新劇場での公演にスレイドを招待。弟は美女のせいで破滅したというスレイドの言葉が聞こえんの?そしてまた華やかな歌い踊るシーン・・もういいってば。彼女はロバート達がワーウィックに相談し、警察が動いていることは公演に差しつかえるからと知らされない。楽屋に現われたスレイド。さあどうなる?あれこれあって客はパニックに。スレイドは天井へ逃げる。下にいるキティを狙っておもり用の砂袋か何かを落とすが失敗。ワーウィックに撃たれて負傷しているが、最後は窓を破って川に落ちる。窓を背にしている時点でこれからどうなるか予想がつくけど、そこへ行くまでをスレイドの大きな目玉で引っ張る。カッと大きく見開いた目。演じているレアード・クリーガーは30歳(あるいは31歳)で病死したらしい。どことなくオーソン・ウェルズに似ていて、ブレンダン・フレイザーやジョン・キャロル・リンチにも似ている。キティがオベロンで、ワーウィックがサンダース。エレン役サラ・オールグッドは1944年版「ジェーン・エア」のベッシー。と言うわけでこちらの”下宿人”もまずまずでした。”下宿人”の配役に成功すれば、あとはもうしめたものです。

下宿人(2009)

これは日本では未公開か。見るのはたぶんサイモン・ベイカーのファンか、ヒッチコック好き。それと根強いレイチェル・リー・クックファンとか?原作を読むのは難しいけど、ヒッチのはDVDが出てるから、見て比較できる。もちろん内容は変更されている。特典で作り手が言ってるように、ヒッチへのオマージュ満載。「北北西に進路を取れ」は見てないのでわからないが、「サイコ」はわかる。多くの監督にとって、ヒッチは神様なのだろう。同じことをやってみたい。できればヒッチの上を行きたい。私なんかはそんなのに凝るより、内容をもう少し練って欲しかったが。舞台はロンドンではなく西ハリウッド。こんなに雨が降るか?というくらい、よく雨が降る。夜と言っても現代の都会だから明るいし、霧もない。これじゃあまりムードは出ない。エレン(ホープ・デイヴィス)は生活に疲れた感じの主婦。ちょっと尖った感じなのはジャネット・リーを意識しているのか。あと、下着姿も。夫ジョー(ドナル・ローグ)は夜間警備員。仕事に行く前にジムに寄るとかで、いつも黒いバッグを持ってる。夫婦仲は冷えていて、ジョーは粗暴な感じの見かけなので、非は彼にあるように思える。家は大きいし、離れもあって、ここを人に貸したいのだが、借り手がいない。夫婦は金に困っているようだが、あまりはっきりしない。薬を飲めとジョーが何度か言うが、エレンの治療にお金がかかるのか。原作のような、家具を売り払ったり・・みたいなところまでは行っていない。ある日マルコム(ベイカー)という青年が現われる。作家で、静かな環境を求めているようだ。一ヶ月1000ドル、それを三ヶ月分前払いしてくれる。私はいつもの癖で見る前にネットで調べて・・DVDを買ってハズレだったら困るので・・だいたいの流れはわかってる。でも、調べてなくて白紙の状態で見たとしても、小さな男の子・・ティミーが出てきた時点で「はは~ん」と思ったことだろう。ジョーが顔を出すが、その時は子供はうつらないし、子供のことは何も言わない。この子は存在しないのだ。エレンの妄想の中でだけ存在するのだ。となればマルコムの存在も怪しいものだ。世間では女性の連続殺人が起きている。ロドリゲスがどうのというのは原作にはない。刑事マニング(アルフレッド・モリーナ)の部分が、エレンのと同じくらい比重かかっていて、交互に描かれる。

下宿人2

マニングの妻は自殺を図って、今病院にいる。夫の顔を見ると錯乱状態になるが、何があったのかははっきりしない。娘のアマンダ(クック)は父親を非難する。支配欲が強すぎて追いつめたとか何とか。この映画・・ヒッチのようなタッチでと、そっちの方に気を取られ、登場人物の背景がおろそかになっている。せっかくいい俳優揃えているのにもったいない。七年前二件の娼婦殺しがあって、マニングが逮捕し、死刑になったのがロドリゲス。でも今、同じ手口の犯行が起きているということは・・彼は無実だったのでは?最初は誰かがロドリゲスの犯行を模倣しているのだと思っていたが、違った。七年前と同じ手口。しかもこの犯行手口自体が、1888年に起きた切り裂きジャック事件の模倣。もしそうなら、あと二件事件を起こして、そのまま沈黙してしまう可能性大。その前に見つけないと。マニングは規則を守らず暴走するタイプ。彼につかされたのが新入りのウィルキンソン刑事(シェーン・ウェスト)。マニングは彼をゲイ扱いするが、後で彼のアパートへ押しかけた時、妻が出てきたのでびっくりする。ここは意外でよかったけど、たいていの映画ならウィルキンソンは独身で、アマンダとの間に恋が芽生える。まあとにかくマニングの家庭のゴタゴタ、不幸な生い立ちはくっつける必要ないと思うが。女性が襲われるシーンは何度も出てくる。ここが腕の見せどころ・・と張り切って長々とうつすが、見ている方はうんざりだ(足の好きな人は別だが)。それと最後に襲われるのはアマンダ・・というのも予想つく。さて、エレンはハンサムな下宿人の出現に心がときめく。邪魔しないでくれと言われているけど、行く口実はある。お茶を持っていくとか。でも、お盆にはカップが二つ・・下心が見え見え。原作でもエレンは食事を口実に部屋を覗こうとする。下宿人への興味もあるが、金をもらっている以上ちゃんと大家の務めを果たしていますよというのも見せたい。こちらの下宿人はそもそも存在してるのかどうかも怪しい。エレンはジョーに金を見せるが、ジョーは「実家の金だろう」と信用していない。この、実家の金というのは吹き替え版を見てわかった。字幕版では出てこなくて、私はマルコムが想像の産物だとしたらあの金はどこから?と不思議だった。犠牲者の女性から奪ってきたのかな・・なんて思ってた。

下宿人3

途中でマニングは切り裂きジャックに関する著書がある研究者に会う。今はネットでも情報は手に入るから、そっちも集めさせる。エレンが本を読んでるシーンがあるが、そういうのを出してくるなら、警察の手が入った時、関連本がどっさり出てきたとか、そういうふうにしてもよかったのでは?見ていてああすりゃいいのにこうすりゃいいのにと思いっぱなし。容疑者リストのトップにマニングの名前があって、ウィルキンソンは驚くが、唐突な展開だ。七年前の事件が起きる、その前からマニングは関連サイトにしばしばアクセス。どうも怪しい。捜査する側が身内に疑われるというのはよくある展開だ。そんなことやってるから犯人は野放しになる。リストにはジョーの名前もある。二人連れの娼婦に声をかけられたが、彼は相手にしなかった。それを見ていた人がいたのかも。黒いバッグを持っているのを目撃されただけじゃあ・・そんな人いくらでもいるでしょ。それにしてもマニング達が聞きに回っていたのは・・。研究者が名前をあげた当時の容疑者・・今生きてるはずはないから、その子孫とか・・だと思っていたら・・。老婦人が出てきていたから。そしたら次に訪ねたのがジョーで。何を基準に聞きに回ってるのかいな。ウィルキンソンが受け取ったリストに従っているのだとすると、ジョーは中ほどで。何人か省略したのか。マニングはこの時点ではリストも見てないのか。ウィルキンソンは彼がリスト(の筆頭)にあることは言ってないようだ(探りは入れてる)。そもそもマニングは停職中なのだが、全然気にしてない。さて、ベイカーの出演シーンは少ない。それは見る前から予想(覚悟?)していた。でも、こういう謎めいた役の彼を見たかった。「メンタリスト」の初期のジェーンにはこういうムードがあって、それが魅力だった。シーズンを重ねるうちに薄れてきたけど、それはまあ置いといて。出てきた時からエレンは怪しいし、マニングは暴走男。こんなのが二人もいたのではマルコムの印象はますます薄く・・。かかっていた絵をはずすというのは原作通り。キャビネットから赤い液体がこぼれ出す(映画ではあふれ出していたが)のも原作にある。夜になると出かけるという描写はわりとさらりと描かれる。どうしてもエレンは家にいるというのを強調したいから、マルコムの行動の印象が薄くなる。

下宿人4

それと・・これを言っちゃおしまいかもしれないが、エレンがベッドに横たわっていたり、窓から外を見ていたりすればするほど、実はエレン自身が出歩いているのだとわかってしまうのだ。新聞にしてももう少し強い関心持ってるように描かなきゃ。あ~でもベイカーはよかった。彼を下宿人にしてくれてありがとう。この世の者ではないような感じがするのがいい。はまり役!彼は夜の霧の中から現われるのでもないし、マフラーで顔を隠してもいない。雨は降ってるけど、昼間で明るいし、帽子もかぶっていない。黒いバッグ一つでふらりと現われ、姓も名乗らず名前だけ。書類も書かない。ミニマリストじゃあるまいしバッグ一つじゃ荷物少なすぎて変でしょ・・と思うが、エレンは気にしない。原作では写真も飾ってない、手紙も来ないと不審に思うが、それもなし。代わりに彼女は変わる。髪をとかし、口紅をつけ、服装を整える。お盆を持って離れを訪ねる。クライマックスは・・揺り椅子に座るエレン。「サイコ」みたいになってるのが(不気味じゃなくて)笑える。FBIの行動分析官が出てきて、ズラズラッと説明してすませているのはちょっと手抜き。エレンは八年前の死産のせいで精神的におかしくなり、子供の存在を妄想するようになったと。娼婦を襲い、子宮を取り出すなどするのはそのせいか。下宿人の妄想はわりと最近になってかららしい。娼婦を殺して回っているのはその男。七年間のブランクの理由は、私にはよくわからない。最後の方になると、事態をはっきりさせてやれというよりも、あいまいにしてやれという作り手の意思を感じる。私が気になったのはマニングのこと。ロドリゲスが逮捕されたのは自宅から凶器や血痕が見つかったせいだが、エレンにそんなことができるだろうか。七年前の二件が彼女の仕業だったとして、彼女には誰かに罪をなすりつける気はなかったと思う。私にはマニングがロドリゲスをはめたように思えるのだが。ロドリゲスのことはほとんど説明されない。どんな前科があるのかとか。でも彼はマニングが考える犯人像にぴったりだったのだと思う。必要なのは物的証拠だけ・・となって、捏造に走ったのだ。後で赤インクの手紙が来ても無視したのは、ロドリゲスが犯人と信じて疑わなかったからだ。でも、死刑が執行されるとやはり気がとがめ、妻に理不尽に当たり散らすなどしたのでは?

下宿人5

マニング達は刺されて倒れているジョーを見つけるが、運び出される時顔を出していたから、まだ生きているようだ。死体なら顔をおおうだろうから。ジョーがマニングに何を言ったのか(あるいは言わなかったのか)は不明。もし「妻に刺された」と言ったのなら、すべてはエレンの仕業となる。しかしマニングは事件が解決したというのに浮かぬ顔で、ウィルキンソンは不審がる。マニングの沈黙が、例えばジョーの「男に刺された」という言葉のせいだとしたら?マニングはまたロドリゲスの時と同じ間違いをしているのでは・・と、心穏やかではいられないだろう。まあそれだとウィルキンソンの「彼女じゃないとでも?」というセリフにすんなり繋がるけど。私がちょっとびっくりしたのは、下宿人は本当に存在したのだと書いてる人がいること。だからラストの、別の下宿に現われたマルコムに繋がる。その根拠は、エレンの「ティミー?七年前に死んだわ」というセリフ。妄想の世界で自分を見失っているわけではなく、現実を理解しているという・・。私はただ一時的に精神状態がまともになってるのだと単純に考えていたけど。別の下宿にマルコムが現われるのは、エレンのような妄想を抱いている中年なりかけの女性は、他にもいることを表わしているのだと。夫とはうまくいっていなくて、家事をこなしながらも、こんな平凡な日常生活に何か変化が起こってくれないものかと思っている女性。こういう男性に借りて欲しいなあと思うようなタイプ・・それがマルコム。ハンサムで愛想がよくてちょっと控えめ。謎めいているけど、さほど危険な感じはしない。エンドクレジットの後でサンタモニカの地図がうつる。誰かが赤インクで印をつける。次はこの町で犯行を再開するのかと思わせる。前に届いた赤インクでの手紙も、今回の手紙もエレンではなかったってこと?キャビネットに隠してあった赤インクのシーンはこのため?ただ、これら全部をひっくるめてエレンの妄想かもしれないわけで。まあとにかく最後の方はごちゃごちゃして、まとまりがない。でもこうやってああでもないこうでもないと書いてる私なんかは、作り手の術中にまんまとはまっているのだろう。監督のデヴィッド・オンダーチェは俳優でもいいくらいの顔立ちしている。他の出演はフィリップ・ベイカー・ホール。