カンフーハッスル

カンフーハッスル

いつもの通りぐずぐずしているうちに(こればっか!)Sムービルは終わっちゃって、仕方がないから近くのシネコンへ・・。私っていっつもそう。一回しか見られなくてしかも日本語版。でもかえってよかったかも、内容よくわかって。映画館で香港映画を見るのはホント久しぶり。「少林サッカー」は見てないし、「カンフーハッスル」にしてもおバカコメディー映画みたいだし、見ようかどうしようか迷ったのはそのせいでもあるのよ。チャウ・シンチーの映画は見たことないの。私だってかつては香港映画見まくった過去があるし、本格的な武術映画であれば見たいという気持ちは常に持ってる。そりゃ「グリーン・デスティニー」とか「HERO」とか「LOVERS」とか切れめなくそれらしきものは公開されているけどさ、今いち心が動かん。「少林寺」の頃を懐かしんでいたって仕方ないことはわかっているんだけどさ。ところで私が一番好きな功夫映画の女性スターはジュディ・リー(嘉凌)である。「地獄から来た女ドラゴン」しか公開されていないが、彼女のアクションはホントにすごい。凄まじい。しかも美しい。「カンフーハッスル」には冒頭から小さな斧が出てくる。「地獄」にも出てくるので何だか懐かしかった。「地獄」のヒロインは兄の仇に斧を打ち込んで恨みをはらす。映画の本にはどれも36本と書いてあって、これは間違いなのだぜベイビー。人間の体に36本も斧が刺さるわけねーだろーが!実際には6本(背中に3本、胸に3本・・ビデオで見た限りではね)なのだぜい。30本もさばをよむな、こらッ。ちゃんと映画見て書いてんのかよッ!ま、それはともかくジュディ・リー、アンジェラ・マオ(茅瑛)、シャンカン・リンホー(上官靈鳳)、スー・フェン(徐楓)などなど・・みんなよかったよなー。強くて美しくてりりしくて単純でさ。・・つまり彼女達の人生って復讐・・ただそれだけでしょ。父の仇、兄の仇・・仇を討つことだけを考えて生きてる単純さ。・・さて、日曜日の朝一番、「バッドサンタ」の時は8時半開場だったけど、今日は?9時半・・あらまシネコンて日によって開場時間が違うのね。一つ利口になったわ。またピューピュー寒い中をひたすら待つのかよッ、おかげでまた風邪引いちまったぜッ、「TAXI NY」見に行って引いてやっと治ったと思ったのにまただよ、全く。

カンフーハッスル2

「カンフーハッスル」は朝一回だけだけど、親子連れとか高校生くらいの友達どうしとか、まあ若い人ばかり20人くらいはいましたな。私みたいなオバさんはいないけど。それにしてもいきなり足ちょん切るわ、女の人を撃ち殺すわでびっくりしましたな。おバカコメディーだと思うから小さな子供も来ているわけでしょ。それが・・。はっきり言って子供には見せたくないわよこんな残酷なシーン。でも考えてみればこの残酷さって昔さんざん見た香港映画に共通なもの。その点では変わってないのね。映画全体も「ミスター・ブー」みたいにもっと笑わせるのかと思ったらそうでもなくて。でも私が見に行った目的はりっぱに果たすことができましたよ。感動に胸は厚くなり(いやそれは家主のおかみさんだってば)、もとい、熱くなり、体はふるえ・・そして思いがけないことだけど涙がポロポロ流れちゃったんですよ。次のシーンに移っても涙が止まらないんです。これには自分でも驚いちゃいましたね。えーと話を整理するためにもう一度書きますけど、最終的に重い腰を上げて見に行ったのはあの仕立て屋のおじさんのせいなんですよ。あの人見たことあるんですの。パンフを見てわかりましたわ。チウ・チーリン(趙志凌)、「スネーキーモンキー/蛇拳」に出ていたのね。この映画ってアナタ、1978年ですよ!27年前ですよ!おじさんさして変わってないじゃん。何であんなに動けるの?こっちの方がよっぽど「ありえねー」だよな。まずこれに感動したわけよ。次にあの平井堅さんみたいな人足のお兄ちゃん。シン・ユー(行宇)、ホントに少林寺で修行したんですか?その部分は武術だけでなく体つきや顔つきにも出ていますな。仕立て屋のおじさんは見ていてわかるけど上半身を、つまり手をよく使う。洪家拳というやつね。平井さんは足をよく使う。足でどんなことでもやっちゃう。でも足で何でもやっちゃうにはやはり上半身が大事で、ああやって人足やって黙々と働いているところなんか、食べるための手段であると同時にトレーニングも兼ねているわけ。だからもうムリなんじゃない?というほどかついでいるのにさらにかつぐ。決して楽をしないのよ。そこが印象的だった。この二人以上に私が感動させられたのが麺打ち職人のおじさんドン・ジーホワ(董志華)。ずらりと並んだ麺棒を見たとたん、ウヒョホ!と心が躍ったのは私だけ?ありゃー棍だぜい!

カンフーハッスル3

丸っこい顔のアイソのいいおじさんだけど、ひとたび戦いの場となると・・鋭い目つき、びしりと決まった腰のかまえ、ぶれない体の軸、磐石の足のかまえ・・眼法・身法・歩法・・いやもう感涙ものです。正確な形というのは美しくりりしく清らかで潔い。すばやい動きの中に静寂がある。芯が通ってゆるがない。この映画を見た翌日、テレビで久しぶりに「バレット モンク」を見た。あちゃーほちゃー見ちゃーおれん。パッパパッパカットが変わってめまぐるしさでごまかしている。全然中国武術やったことがなくても何だかんだいじくればそれらしきものは作れますよの見本見せられているみたいで、心が痛んだ。達人は一日にして成らず。一生かかるんだけど、本物は例えおバカコメディー映画であっても燦然と輝くんだいッ!わかったかこら!ウーム、それにしてもこの映画私のツボ心得ているじゃないのよ、295295(ニクイニクイ)←アホ。・・とまあこんな具合でいつまでたってもチャウ・シンチー扮するシンの出番がないのよ。・・でもってそれがちっとも気にならないという恐ろしい(?)映画なのよ。だってこれ彼が主演の映画でしょ?それなのに・・「火山高」みたいに「またチャン・リャンかよーいいかげんくたばれー」なんてツユほども思わなかったんですの。この映画だったら「また家主夫婦かよー」なんだろうけど。最後にはシンが大あばれするってわかってて、普通ならそれが待ち遠しいはずなのにそれがないのよ。変身(再生?)して白と黒の「燃えよドラゴン」スタイルで戦うシーンになっても今いちなの。敵役のブルース・リャン(梁小龍)がガマになっても、シンが空高く舞い上がって仏様(?)とご対面しても、大気圏突入で火の玉となっても、その他モロモロのアホらしいシーン見せられてもどうでもいいやん・・て感じなの。その前に終わっているのよ、武術に関してはね。あの三人が死んでしまった時点で。ブルース・リャンは出てるとは知らなかったのでちょっとびっくりしたな。「帰って来たドラゴン」とか見ても私は彼には何の魅力も感じなかった方なので、今回肉がついてハゲたおっさんになって出てきてもゲンメツーとかそんなことはなかったな。それにしてもシンがリャン扮する火雲邪神を連れ出すシーンはおかしかったな。血がドバーッって「シャイニング」じゃん!

カンフーハッスル4

じめじめしていて、ネズミじゃなくてカエルがピョコピョコはねてるのもよかった。パロディと言えば家主のおかみさんが拳をギュッと握ってすごむところは「ドラゴンへの道」のブルース・リーそのまんま。ここで目をむいてアゴをクイッと・・あッやったやった!・・とにんまり。このおかみさん、アンジェラ・マオに似ているな。いつも特大のブラジャーが干してあるのが笑える。ダンナの方は太極拳の達人で、まあ柳に風のところとか、相手の腕にまとわりつくような円の動きが楽しかった。シンがまわりの敵を次々に足でけっていくところは「ドラゴン怒りの鉄拳」かな。「地獄」にもあるよ。テレビ放映の時にはカットされていたけど。麺打ちのおじさんが死ぬ時、何やら言うんだけど「英語じゃわからないよ」と家主さん(だっけ?)が言って、きっとこれも何かのパロディなんだろうな。殺し屋の琴奏者がおかみさんの咆哮で服がボロボロになって、パンツ姿(?)になってしまうところがケッサク。琴奏者の一人フォン・ハックオン(馮克安)はいろんな映画に出ていて、蟹江敬三氏と地井武男氏を足して二で割ったような顔をしている。今回は黒メガネのせいで、パンフを見るまで彼だと気がつかなかった。他には強いんだか弱いんだか(弱いのだろう)、利口なんだかバカなんだか(バカなんだろう)よくわからない床屋の兄さんにも笑ったな。あの半尻キャラはキョーレツ!さて次に涙ポロポロについて書くけど、それはもちろんあのアイスクリーム売りの美少女フォンとシンとの再会シーンですよ!ホアン・シェンイーですか?彼女ホントにきれいですな。清らかですな。蓮の花のようで・・。シンが子供の頃手に入れた「如来神掌」の教則本。書かれたことを信じて一生懸命練習したけど、簡単に夢は踏みにじられ、今日までチンピラ・負け犬として生きてきた。一方のフォンは口がきけないというハンディを背負いながらもけなげにまっすぐ生きている。いじめられている自分を助けようとしてひどい目に会ったシンのことを忘れず、常に心の中で思っている。その純粋な感謝の気持ち。一方のシンは自分の今の姿が恥ずかしい、情けない。いったいどうして自分はこんなふうになってしまったのか。これって見ている人の心にグサッとくる。若い人よりも年取ってる人の方が、いろいろ経験しているだけにいっそう身にしみて感じると思う。

カンフーハッスル5

あの頃のピュアな私はいったいどこへ?いやー泣けました。フォンの涙が清らかであればあるほど、シンの後悔・苦悩は深まるのでありんす。そしていじめっ子には役に立たなかった如来神掌だけど、誰に習ったというわけでもない全くの独学の拳法だけど、ずっと彼の中で眠っていて、今目覚めたのでありました・・ってそんなアホな!いやいやいいんです。クライマックスの彼と火雲邪神との戦いなんて(前にも書いたけど)どーでもいいんです。ラスト、シンはキャンデーのお店を開いている。エプロンをした彼は「燃えよドラゴン」の悟ったリーのように物静かでおだやかである。ただしリーは例え悟った人物を演じていても自分をアピールせずにはいられないタイプなので、さほど柔和な雰囲気は出ないが、チャウ・シンチーの場合はそれを出せる。見つめ合う二人はあの子供の頃に戻っている。くーいいですねえ・・心がじわんと暖かくなりますねえ。冷静に考えればこの幸せなんてそう確実なものじゃないんです。「斧頭会」がなくなってもまた別の組が現われて人々を苦しめるだけ。しかもこの時代の中国はもう少しすると日本の侵略を受けるんでしょ?ああでもそれはいいとしましょうよ。火雲邪神の武器が花に変わったように、凶を吉と変えましょうよ。人間は心がけ一つでそれができる。この映画は人間の持つ善に目を向けているように感じます。一度悪にそれても善に戻ることはできる。ばかばかしいことをいろいろ見せる一方でこういうこともきちんと伝えているので、心にずんとくるものがありましたな。「ありえねー」部分を笑ってそれで終わりにするのもいいけどさ。この映画の原題は「功夫」。いろんな解釈はあるけれど、「功夫」というのはエキスパート、つまりその道の技術・才能にすぐれた人という意味だと聞いたことがある。そういう人は人格も円満なんだろう。仕立て屋のおじさん、人足のお兄ちゃん、麺打ち職人のおじさん、みんな誠実で愛想がよく、弱い者にやさしい。キャンデー屋から出てきた時のエプロン姿のシンも、おだやかな功夫なんですよ。シンが世にも珍しい逸材・特異な資質の持ち主だったにせよ、如来神掌が常に彼に影響を与えていたわけではない。純な心で練習していた時には彼とともにあったが、肝腎な時には役に立たなかった。それはいったいなぜなんだろう。

カンフーハッスル6

少女を助けるために使おうとしたのであって、決して自分の利益のためではない。それなのに・・。しかしあの時もし力が発揮できていたらどうなっていただろう。その後もずっと純な心でいられただろうか。それとも慢心していただろうか。火雲邪神に半死半生の目に会わされたせいで、封印が解かれ、今彼は如来神掌を会得したが、彼が得たものは武術的なものよりも精神的なものの方が大きい。シンとフォンの再会は一言も言葉をかわさず、目と目を見かわしただけだが、明らかにシンの中では大きな心の変化があったのだ。普通ならもっとマシな描写で(ミイラ再生ではなく特訓とか修行で)シンは成長するはずだが、この映画はお手軽である。でもシンが前面に出ないまま物語がここまで来てしまったのだからもうしゃーないわさ。・・話はそれるけど私は普段は太極拳の練習があるから日曜日に映画に行くことはない。でも今回はたまたま前日の土曜日に太極拳のフェスティバルがあって、次の日の練習が休みになったのよ。フェスティバルには2000人以上来たらしくて、朝開場を待っている時まわりのオバさん達が(長蛇の列を見て)「えッ太極拳やってる人ってこんなにいるの?」と驚いているわけ。自分だってその一人なのにさ。で、最近の傾向として段級制度ができたために、いろいろ套路の規格が細かくなってきているわけ。・・でまた日本人てそういうの好きなのよ、細かく定義するのが。斜めって何度ですか、30度?45度?60度?昔講習会でそんなうるさい生徒達に中国の先生は悠揚迫らずこうおっしゃった。「まっすぐ以外は全部斜めです」・・で話を戻して、何が言いたいかと言うと、「カンフーハッスル」には突っ込みどころはいっぱいあるけど、そんなものはどうでもいいじゃん・・てことなの。おバカ満載映画ではあるけれど、善なるものへの強い信頼が根底にあって、それをきちんと表現している。全体的に感動できたんだから細かいことはいいじゃん。素直に「ありがとう」と言いたい。見てよかったと心から言える。前面にしゃしゃり出るのではなく、後ろでつつましく控えているチャウ・シンチーの誠実さにも好感が持てた。・・だけどなあ、子供の時はほぼ同じ年齢で、成長したらシンの方が15くらい年取ってるってのも笑っちゃうよな。これ(チャウの年齢)ばっかりはどうしようもないもんね。