危険な遊び

危険な遊び

例えばレンタル店へ行って、あるビデオとかDVD見つけて、借りたいんだけど今度にしよう・・もう今日借りるぶんは決めちゃったし・・とか思って、次に行くと、いっくら捜しても見つからない。並び順が変わったのかとウロウロするけど見つからない。そういうことってありません?ビデオならこの二週間のうちに廃棄処分になっちゃったのかしらオヨヨとも思うが、DVDはそんなことないはず。でもやっぱり見つからない。この「危険な遊び」もそうで、確かにあったのに。その日はあきらめて、次回また捜そうとか思ってて。そしたらよく行く中古ビデオ売場で見つけて・・その気もないのに衝動的に買ってしまいましたとさ。ここも数年前から比べると半分くらいに減ったかな。でも相変わらず売れ残ってて・・と言うか、私以外の人が買ってるとこって見たことないんだけど。最近ではこういう中古ビデオ売ってるとこってめっきり減って・・ビデオでしか手に入らないのもいっぱいあるのに・・って、そろそろ本題入れッ!ノベライズはだいぶ前に古本買ってほったらかしてたけど、今回ちゃんと読んだ。これもあんまり買う気なかったんだけど衝動的に。別にマコーレー・カルキン君には興味ないし、題材もあんまり・・。大昔「ナイト・チャイルド」でマーク・レスターのイメチェンが話題になったけど、あんな感じかな・・なんて。あの!「ホーム・アローン」のかわいい坊やが!悪魔のような少年を!・・とかさ。それが売り。ノべライズ読んでなかみも結末も知ってるからビデオ見てても驚きはなくて。でも私の場合驚きはこの映画には期待してなくて。じゃ何で見る気になったんだよ・・って言われそうだが。マーク(イライジャ・ウッド)の母ジャニスは病気だ。ここでのポイントは「母さんはいつでもあなたのそばにいるわ」と「僕が死なせるもんか」である。マークの願いも空しく母は死に、母さんを助けてあげられなかった・・と心に深い傷を負う。葬式の後父親ジャック(デヴィッド・モース)は、仕事でどうしても東京へ行かなきゃならないのだが、マークを残していくのは気がかり。しかし弟(ノベライズでは兄)ウォレスがマークの面倒を見ると申し出てくれる。東京行きは差し迫っているが(会社が潰れるかどうかの瀬戸際)、父子はのん気に10日もかけてウォレスの家へ。映画ではさすがに三日。

危険な遊び2

ウォレスにはマークと同年代のヘンリー(カルキン)、コニー(マコーレーの実妹クイン・カルキン)の二人の子供がいる。妻スーザン(ウェンディ・クルーソン)は二年前末の子リチャードを事故でなくし(風呂場で溺死)、いまだに立ち直れずにいる。愛する者を失った者どうし・・マークとスーザンが何やら引かれ合うものを感じるのもお約束。子供達は仲良くやれそう・・と、大人達は安堵し、ジャックは旅立つ。ヘンリーはすぐに異常なふるまいをし始め、マークをとまどわせる。そのうち深みにはまり・・。ここらへんになると映画のトーンがわかってくる。何もかもお約束通り。こうなると思うと必ずそうなる。悪く言えば薄っぺら、深みがなくサラサラ通り過ぎる。よく言えば抑制がきき、お行儀がよく、シンプル。途中ヘンリーのせいで大規模な交通事故が起きる。たくさんの引っくり返った車見せるが、乗っていた人達は出てこない。後でニュースで死者は出なかったとわかるが、それにしたって普通の映画なら車からよろめき出る人、這い出そうともがく人うつすと思うが。またヘンリーはボウガンのようなものを作り、釘を飛ばす。猫を狙った時ははずれたが、次にもっと精度を上げ、犬に命中させる。でも犬の声だけで、当たったところや死ぬところは見せないので、こちらも助かった。そんなの見たくない。サラサラ通り過ぎてもらってかまわない。スーザンの描写もお行儀がいい。彼女はいまだに悔んでいる。あの時、あの子をオフロに残して電話に出なければ・・。悔やんでも何にもならないが、それでも悔んでしまう。同時に疑念もわく。いったいなぜあんなことが。リチャードはもう2歳になっていたし、浴槽には15センチしか水が入ってなかった。15センチでも溺死するケースはあるが・・。スーザンの頭にはくり返し15センチの水という言葉が浮かぶが、映画ではそういうのなし。ウォレスとスーザンがもめるシーンはあるが、マークから見て・・という距離感がある。間接的にという感じ。映画は全体的にこの距離感・・ぼわんとした感じがあり、ギリギリ感は感じないですむ。母をなくした子供、妻をなくした夫、死んでいく母の無念、一時的なものではあるが父との別れで感じる心細さ・・これらは胸にギリギリと迫るか・・いや、そうでもない。

危険な遊び3

やわらかでオブラートにくるまれてるみたい。でもその方がいい。ずばり見せつけられるより通り過ぎてくれた方が助かる(映画で思いっきり泣きたい人は別だが)。犬の死ぬところも、事故に会った人も見たくない(残酷なシーンが見たい人は別だが)。コニーが溺れそうになるところも、映画ではわりとコンパクト。ノベライズだともっと長く・・マークは長く感じただろうな。実際はそんなに長くないんだろうけど。マークがアリスのところへセラピーに行かされ、母さんのこと(助けてあげられなかった・・)を話すシーンも出てこないので助かった。もしあれば・・ハンカチじゃ間に合わないくらい泣かせてくれただろうが、そんなシーンいらない。それにしても何でこうすぐセラピーなんだろう。スーザンもたぶんアリスにみてもらってるのだろうが、あんまり効果ないようで。いや、マークのことだけど、こういうのは気の毒だと思うわけよ。何かあるとセラピー受けなきゃならない。大人なら断固拒否ということもできるけど、子供は・・。心のうちを吐き出さなきゃならない。悲しみや苦しみを言葉にすることでもう一度体験しなくちゃならない。それだけじゃなく、克服して次の一歩を踏み出さなきゃならない。でも中にはそんなのまっぴらごめんという人もいるわけで。このアリス・・ヘンリーにころりとだまされるなど、キャラに重みがない。そりゃセラピストは人間の心理について万能であれ、間違いはゼロなんて言うつもりはないが、それにしたって彼女はぼんくらすぎるね。スーザンの悲しみも紙一枚隔てたような薄ぼんやり感が漂う。これもマークから見たスーザン?美しくやさしく優雅で理想的なお母さん。悲しみを抱えているけど、表には出さない(僕と同じだ)。一番いいのはスーザンは病気で死んでしまうという心配をしなくてすむこと。死なせるものか・・なんて思う必要がない。それと母さんはいつもそばにいると約束してくれた。叔母さんは母さんの生まれ変わりだ!冒頭のポイントとなるセリフがここで生きてくるわけです。スーザンの白いドレスは、幽霊のようでもあり、死に装束のようでもあり、ウェディングドレスのようでもあり。映画を見ていてもぴんとこないが、ノベライズには母のクローゼットにたった一枚残っていた白いドレスを見て、マークが母さん出てきてよ・・と念じるシーンがあるのだ。

危険な遊び4

だから白いドレスのスーザン(歌の題名みたいだな)見て、てっきり母だと勘違いし・・そのうちスーザンが母さんなのだ・・となって。何でこの説明映画ではカット?見え見えでくさくなるから?スーザンが断崖にたたずむシーンも、ある意味見え見え。何でこんな危ないところに?強い風が吹いたら・・ああん、もうだめ、わたしゃこんなとこ近づけな~いってそういうことじゃなくて・・。クライマックスでここでショッキングなことが起こります・・って霊能者じゃなくてもわかりますぅ~。一人物思いに浸る場所が断崖絶壁ってアンタ・・他にいくらでも場所が・・。さて、この映画の頃はマコーレーの方が実績残していたんだろうが、この映画に限っては印象に残るのはイライジャ。とにかく途方もない美しさだと思う。たぶんマッシュルームカットが大きなポイント。額も耳も隠し、女の子のようにも見える。そして何と言っても大きな青い瞳!これはもうたまりません。スーザンをお母さんだと確信するところ。大きな目がうるんで涙がたまってくるところ・・もう卑怯です!重大な犯罪だとしか言いようがない!すべての人を虜にしてしまう罪・・美罪!彼のこと知らなくてマコーレー目当てで見に来た人も、イライジャに胸キュン・・いや、胸ズッキューン!心筋梗塞起こします。あの大きな瞳!長いまつ毛・・まばたきする度にバサバサ音がしそうなくらい長い!かわいい鼻、ぽっちり小さな唇、ふっくらした頬・・ほひょ~(溶)。もし彼が16世紀のイタリアルネッサンス期に生きていたら・・画家達はこぞって彼をモデルにしたでしょう!天使そのもの!はい、私自身あまりの美しさにノックアウトされ、マコーレー君がただのスカしたガキにしか見えなかったことを否定しませんッ!と言うか、最初から注目してませんでしたけど。だって彼のキャラ見え見えでしょ。美しくて頭よくて何も問題ない、大人に心配かけない、いい子。でもそんなのいかにもうそくさい。表情もしゃべり方も・・今まで何でばれずに来たのか。もちろん大人達は自分達の見たいことしか見ないからだ。なぜヘンリーがこんな邪悪な子になったのかと疑念を持つ人もいる。彼は最後には死んでしまうが、だからと言ってそれですべてが解決するわけじゃない。

危険な遊び5

私は見ながらずっと「悪い種子」のローダと比べていた。「ナイト・チャイルド」のマーカスにも似ているが、彼の場合性への好奇心が目立っていたような。ヘンリーとローダに共通するのは、非常に強い所有欲。そのためには人も殺す。他の者から見れば、何でそんなもののために?・・となる。ローダはペン習字のメダル、ヘンリーはオフロ用のアヒル(ノベライズでは鯨)のオモチャ。元々はヘンリーのものだったけど、リチャードのものに。でもヘンリーは誰にも渡したくなかった。たぶんアヒルは口実で・・だってこっそり弟から取り上げて隠せばすむことだから・・本当の理由は母親の愛情が弟に注がれるのが嫌で・・独占したくて・・。コニーを溺れさせようとしたのもそう。リチャードの死から二年・・彼は演技力を磨き、どうやって殺すか計画を練り、度胸をつけ・・。表情もセリフも用意した。その上今度はマークという都合のいい存在も現われた。みんなの注意を彼に向ける。頭がおかしいのはマーク、ボクは被害者。彼はまたヘンリーの才能を見せびらかすのには最適の観客。彼をだまし、怒らせ、恐怖におののかせてやる。ここらへんはローダとは違う。彼女には親に愛されたいという感情はない。マークのような存在も必要としない。彼女は完全に独立しており、他人は自分にとって損か得かだけが基準。自分を養ってくれるか、自分の欲しいものをくれそうか。スーザンもウォレスも子供達を分け隔てなく愛する善人である。でもヘンリーが何を感じ、何を欲しているのかには鈍感だった。ヘンリーはある時点で強いシグナルを発していたはずなのだ。僕を見て!僕をかまって!でも彼らはヘンリーを手のかからない、いい子と思い込み、それ以上踏み込もうとしなかった。ヘンリーは死ななければりっぱな犯罪者に成長したことだろうが、だからと言って子供のうちに死んでよかったとは言えない。この映画を見て彼を気の毒に思う人がいるのは当然だ。ヘンリーは自分では恐怖を克服したと思っている。自分は何でもできる、自由だ。でも現実には思い通りにならないことは次々出てくるわけで、そのうち折り合いをつけられなくなる。両親に素直に甘えることができない。いつも演技してしまう。

危険な遊び6

クライマックスでの彼も、マークを始末と言うより、あんな状況になってさえも演技してしまうと言うか。邪悪さではなく憐れみを感じてしまった。こっそり吸ったタバコ、犬の死体、スーザンから取り返したアヒル・・それらをヘンリーは井戸に投げ込む。目の前からなくなってしまえば元からないのと同じ。誰かのものになってしまう心配もない。彼はいろんなものをこの中に投げ込んできただろう。たぶん感情も。彼はとうとう母親まで消すことにする。何たって母さんは今ではマークの母さんなんだから。今から葬式で泣く練習だ。スーザンはヘンリーに崖から突き落とされる。ここはたぶん誰もびっくりしない。崖にたたずむシーンは何度も出てくる。びっくりするとしたら、何もなさそうなのに彼女が途中で引っかかって助かること。たぶん崖がうつされると、ほとんどの人はスーザンなんか見ず、崖の途中あたりを見る。途中で引っかかるような出っ張りやくぼみはないかと目を凝らす。見た限りではめぼしいものはなし。でも、引っかかるのだ。まあこちとら別に落ちて死ぬの見たいわけじゃないからいいんですけどさ。その後ヘンリーは上から石を落そうとする。間一髪駆けつけたマークともみ合いになる。たぶん見てる人全員思うはずだ。ウォレスとアリスは何やってる。マークはウォレスに閉じ込められるが、ヘンリーがスーザンを誘い出すのを見て、居ても立ってもいられず、窓を壊して外へ・・と言うか、窓のカギが内側から開かないってアンタ・・外側からなら開くのかよッ!で、そんなマークをウォレスは追いかけるはずなの。アリスは年だから無理としても彼は絶対・・。これがノベライズだとジャックまでいるの。マークからの電話に心配になった彼は、たった一日で帰ってくるの。東京(しかも深夜)からメーン州まで・・。半分ワープしたのかな。いや、何が言いたいかというと誰もマークのあと追ってこないのは変・・と。頭がおかしくなって何するかわからない(とウォレスとアリスは思ってる)マークを・・。崖の上でくんずほぐれつやってる二人の子供を見て思う。普通こういうのは荒くれ男がやるはずだが・・ジョン・ウェインとか。だって崖の上ですぜ、危ないじゃん。

危険な遊び7

まあ木の上の小屋もどきに上るシーンもかなりアレでしたけど、このシーンもアレです。高いところ苦手な人にはちょっとね。この崖のシーンはなあ・・だって落っこちるという前提で出てくるわけでしょ。それなのにスーザン何とか這い上がっちゃうんですよ。絶対無理そうなのに。まあ這い上がるという前提で落っこちるんでしょうけど。彼女きっと普段から筋トレしてるんだろう。あるいは元ロッククライミングの選手とか。彼女が這い上がるのと入れ替わりに子供二人は転げ落ちる。言い換えると、彼女が這い上がるまでは絶対落ちないんです。法律で決まってるのだ(ウソぴょん)。スーザンの片手にマーク、もう片手にヘンリーがかじりつくわけです。だからぁ・・ウォレスは何やってんだよっての。アリスにお茶でも出してるのかよッ!・・究極の選択を迫られるスーザン!!ノベライズを読んでいて印象に残るのは、あまりにも追いつめられた状態になると、それまで感じていた苦悩が薄くなってしまうこと。ヘンリーが誰かを殺すのでは・・誰も僕を信じてくれない・・こういった苦悩のせいで、マークは母を失った悲しみが薄れてしまう。もちろんなくなるわけではないが、頭の中を別のことが占める。たぶんスーザンも、今度のこと・・ヘンリーを見捨て、マークを助けたことが心に重くのしかかり、それまで頭の中を占めていたリチャードの死の悲しみが薄れたのでは?絶対に癒えることはないけど、比重は少し・・。まあ手の指を骨折した後に腕を骨折したら、あまりの痛さに指の痛みは少しは忘れるみたいな・・?(←アホ)ヘンリーの死はウォレスにはどうやって説明するんだろう。真相は話さないだろうなあ。アリスにも話したりはすまい。ヘンリーの死を克服するためのセラピーも受けたりしまい。今度の場合彼女は我が子を見捨て、血の繋がっていない子を助けたのではない。彼女にとってマークは我が子同然なのだ。逆に言うとヘンリーには他人のような、理解できないものを感じたってことだが。とにかく彼女一人では二人の子供を助けることはできなかった。崖から這い上がるので力使い果たしちゃったし。スーザンとマークは、ヘンリーについて秘密を共有することとなる。

危険な遊び8

二人の絆はますます強く、深いものになったことだろう。この先二人は遠く離れ、めったに会うこともないだろうが、それでもお互いを感じるだろう。う~ん二人はそれでいいだろうけど、ウォレスはヘンリーの死に絶対マークが絡んでると思い、釈然としないだろうなあ。ラストはあいまいなぼわんとした感じ。ノベライズだと一年後、再び訪れ、再会となるが、映像では無理。大人はいいけどマークやコニーは成長してるはずだから。さてと・・ありきたり、お約束通りの映画なのに、あれこれ書いてたら長くなっちゃったわ。何だかんだ言いつつ、わりとよくできてるってことになるのかな。悪口あんまり書いてないでしょ。全体的にぼわんとしたゆるい感じだけど、そのおかげで心がギリギリ痛むこともない。何て後味の悪い映画だ!見なきゃよかった!となることもないし。しかしゆるいと言いつつ心に引っかかるところが二つあって、一つはタバコを吸うシーン。いくら映画でも子供にタバコ吸わせちゃいけません。煙の出るニセモノだっていうのなら別だけど、本物でしょ?悪ぶってるのを表現するのに最適の小道具だけど、タバコ以外の選択肢もあったはず。あと、クライマックスで二人が崖に宙吊りになるところもねえ。あれって本当に宙吊りになってるんですってね。安全を十分に考慮して、ハーネスもつけて、万全の状態で撮影したらしいけど、それでも子供にそんなことさせちゃだめですってば。合成丸わかりでもいいから安全なところでやってよ。こんなところにリアリティーなんか求めませんてば。木に登るところもたぶん・・。思い出しただけで目が回るぅ~。それにしてもマコーレーの方が絶対目立つおいしいキャラのはずだったのよ。もちろん彼は達者な演技で。井戸にアヒルを投げ込むとこなんか、さっと投げ込むように見せてふわっと落とすとか・・芸が細かい。ニクイ。でも完全にイライジャに食われているんだよなあ。イライジャは演技もすばらしいけど、その前・・素材の部分でもう光り輝いていて・・。あの年頃の・・まだ男とも女とも、子供とも大人とも、人間ともそうでないものとも・・区別があいまいな年頃。半分は光の世界の住人・・天使、精霊。スーザン役クルーソンは「エアフォース・ワン」に出ていたらしい。ハリソン・フォードの奥さん役?