怪談

怪談

公開一週目レディス・デー。朝の9時だというのにシネコンの中はごっちゃごちゃ。終わって出てきた時にはその二倍くらいごっちゃごちゃ。はぁ~こんなこともあるのね。土日はもっとすごいんだろうなあ・・。私のおなかのあたりにガキンチョがウヨウヨいて、たまに体が触れるとその場所がベトベトしているのがわかる。コーラの砂糖成分だろう。朝の9時からコーラだのポップコーンだのってやってるんだもん、何を見にきたのか知らんが上映中は出たり入ったり忙しかったことだろう。「ノドかわいた~」「オシッコ~」・・その点「怪談」は子供がいないから静かに・・と思ったらやっぱり出たり入ったりしてるんだよな何で?ケータイ?切っとけよそんなもん!お客はやっぱり女性客多くて・・45人くらいか。「真景累ヶ淵」のことはほとんど知らない。ずーっと前テレビで見たような気もするが・・。今回見に行ったのは尾上菊之助氏が出ているから。「犬神」のところでも書いたけどジェームズ・スペイダーに似ているので気になりますの。彼が出ていなきゃ見になんか行かない。彼を取り巻く女性は五人ほど出てくるが、そっちの方は予想つく。お化粧してきれいな着物着て・・。でも菊之助氏(以下K氏)の場合は予想つかない。歌舞伎は見てないし「犬神」は出番少なかったし。それが今回は主役。彼が主役というのは賛否両方あると思う。歌舞伎の御曹司だし時代劇はお手のもの。女性をとりこにする色気、美しい立ち居ふるまい・・もう申しぶんなし。一方で拒否反応・・何で彼が主役?美しいと言うより気持ち悪い・・とかさ。一般的には女性の方がすんなり受け入れると思う。そりゃ若い人の中には何でキムタクじゃないの?何でオダギリジョーじゃないの?何でツマブキじゃないの?あるいは私の知らないアイドルとか思い浮かべる人もいると思う。でもちょっと年齢上の人ならおおむねオッケーだと思う。目ばり入れようが一晩たってもヒゲなしつるつるだろうが常に流し目だろうが・・。だって昔の時代劇の主役みんなそうだったんだも~ん。私自身はオッケーの方。と言うか、ずっとK氏見てた。どういうふうにしゃべり、どういうふうに動くのか。まだ若いし、映画の経験浅いし体だって大きくない。こんなんで映画支えきれるの?っていう心配と、初主演でも他のジャンルでの土台あるからけっこういけるのでは?「陰陽師」の野村氏みたいに・・という期待と半々。

怪談2

そして実際見た感想は・・十分いけてるのではないかと・・。ばっちり目のメイクしました・・みたいな雰囲気もやすやすとクリアー。気持ち悪いとも何で彼が?とも思わない。逆に彼でよかったとさえ思った。これがアナタキムタクだったら・・ぐぇ~気持ち悪いとなる。予告で「HERO」とかいうのやったけど、キムタクうつる度に、セリフ聞く度に悪寒走りましたもん。いや別に彼が悪いってわけじゃなくて私の好みじゃないってことで、もし「怪談」の主役が彼だったら、うつる度に苦痛覚えていたことだろう。それと同じでK氏うつる度に苦痛覚えていた人がいたってちっとも不思議じゃない。他の今風な背の高いイケメンが主役でもだめだっただろうなあ。着物着てカツラかぶってるだけで、あとは現代物とちっとも変わらんなんていう「時代劇もどき」にならずにすんだのはK氏のおかげですよ(持ち上げすぎかな)。原作はかなり長い。映画の方はだいぶ省略・変更してある。映画だと結局新吉(K氏)と豊志賀(黒木瞳さん)は自分達の因縁知らずに終わる。あたしゃいつ過去を知る人物現われて、これこれこういうわけで・・ああそうだったのか・・となるんだろうってずっと待ってたんですけどね、誰も出てきませんでしたとさ。だから新吉は何で自分がこんな目に会わなきゃならないのかわからない。因縁と言うよりそれほどまでに強い豊志賀の愛を強調したいんだろうけど、これが愛って言えますかね。関係ない人まで殺しまくってるじゃん。そのせいであたしゃ豊志賀あんまり気の毒とも思えなかったんですけどね。冒頭二人の親の因縁話が語られる。25年後新吉は煙草売り、豊志賀は富本の師匠になっている。新吉は豊志賀に一目ぼれするが、いつも一歩引いて決してなれなれしくしたりしない。そのうち豊志賀の評判を落とすのを恐れ、家に近づかなくなる。豊志賀は自分の方がずっと年上ということもあって、弟か息子に接するように気安くふるまっていたが、心の中ではやはり新吉に引かれていて・・。ある日二人はついに結ばれるけど、そこへ行くまでがけっこうじれったい。作り手は決して描写を急がない。引かれ合っているのは間違いないけど遠慮があり体裁があり・・。洋画みたいに出会ったその日にベッドインなんてことはしない。さてラブシーンはいやに念入りで、もう少しあいまいにぼかしてやればいいのに・・という気がした(のは私だけ?)。

怪談3

一緒に暮らし始めた二人だけど、その後の豊志賀はどうもいけない。見ていてこりゃ更年期障害の重いやつじゃないの?という気がする。イライラして稽古に集中できない。誰彼なしにやつ当たりする。若くてピッチピチの女弟子が気にくわない。新吉は豊志賀にまめに尽くしているし(いそいそそうじとかしてるし、あのぶんだと洗濯や飯炊きもやっているだろう)、遊び歩いたり浮気するわけでもない。でもムシャクシャしてしまう。弟子はどんどんやめていってしまう。弟子のうち、男どもは豊志賀目当てで通っていたので、彼女に男ができたとなりゃ稽古に通う意味もなくなりさっさとやめてあたりまえ。女弟子はそれでも芸が上達したいと願っているが、身持ちが堅いという評判が落ちてしまった豊志賀には、親の方で通わせたくないのだ。新吉はこうなるとわかっていたから一時豊志賀を避けていたのだ。ある日別れ話のもつれから、新吉は三味線のバチで豊志賀の目の上を切ってしまう。それが熱を持って腫れ上がり・・。あれだって傷口からバイキン入って・・。新吉のその後の行動も・・例えばお久殺しやお累殺し・・だって見方を変えれば呪いやたたりではなく、父親の病的資質を受けついだのかも。ずっと潜伏していたけどある日突然発病する。でも自分ではそういう資質あると全然気づいていないから、自分は正常で、何か原因があるとしたら豊志賀の呪いしか思い当たらなくて・・。時にはよくなる時期もあって、豊志賀の妹お園(木村多江さん)の助けで人足として働いている時とか、お累(麻生久美子さん)と結婚して子供が生まれるまでとかは、何事もなく平穏に暮らす。でもある日また何かのきっかけで幻覚を見、人を殺してしまう。まあ更年期障害だの遺伝的精神疾患なんてことになれば「怪談」もへったくれもなくなるからやめときますけどさ。でもこういうことが頭をよぎることからでもわかるけど、この映画息をもつかせぬ恐怖満載ジェットコースター的展開ではないのよ。もっとゆっくりしている。だから私なんかにはちょうどいいんだけどさ。さて豊志賀だが、子供の頃ある日突然父親がいなくなってしまう。新吉の父親に殺され、累ヶ淵に沈められてしまったのだ。母親はいないらしく、彼女が妹お園の面倒を見る。姉であると同時に父であり母でもあった。まわりに弱みを見せないよう気を張って暮らし、身持ちが堅いと評判だった。

怪談4

それが新吉と出会ってすっかり変わってしまう。母のような姉のような気持ち、恋人としての気持ち、さらには男に甘えたい頼りたいという弱い女としての気持ちが出てくる。幸せであると同時に気の張りが失せ、要するに骨抜きになってる。年上だけに新吉を失ってしまうのではないかという恐怖がある。疑い深くなりちょっとのがまんもできない。不安がつのる。まあ理解できますよそういうの。理解できるけど・・そんな人と一緒にいたらまわりが大変。新吉がお久(井上真央嬢)とふと逃げ出そうと思ったとしても無理のない話。お久はいいとこのお嬢さんだが、継母にいじめられている。じっと耐え続けるけなげな娘だがもうガマンも限界。江戸を離れ、下総の羽生村の叔父三蔵(津川雅彦氏)を頼ろうと思っている。羽生と言えば新吉の故郷(もちろん豊志賀・お園にとっても)、じゃあ送って行ってやろうということになる。実はお久はずっと前から新吉にあこがれていたのだ。新吉も豊志賀の長引く看護に気が滅入り、嫌気がさしていたところで・・。新吉をめぐる五人の女性の中ではお久は一番若い。井上嬢はどこかで見たような・・と思ったら「ゲゲゲの鬼太郎」で見たばかり。彼女みたいなのが出てくると、せっかくの大人向け恐怖映画が、とたんにキャピキャピアイドルホラー映画になってしまう。こういうかわいくてそれなりに演技のできる子いっぱいいるんだろうけど、古典的・正統派・江戸時代のお嬢様にぴったりはまる女優さんなんてそういないんだろうなあ・・。何か着物着ていてもたもとからケータイひょいと取り出しそう。駅のトイレで着替えとかしそう。私ケータイなんて見たことも聞いたこともありません・・みたいな風情出せる子持ってきて欲しかった。・・で、少し話を戻して、息をもつかせぬという作りの映画ではないけれど、ちゃんと原作があって新しく作った話じゃない。こうなってああなってという段取りは決まっている。ストーリーに変な破綻はないし、余計な寄り道もない。だからその点では安心して見ていられる。私自身は結末知らないけど、その結末に向かって着実にストーリーが進んでいるのだってことははっきりわかる。あとは「怪談」だからどこまで怖がらせることができるかだ。私自身は・・かなりいい線いってると思う。

怪談5

最近見た怖い(はずの)映画・・「リーピング」「ゴースト・ハウス」「オーメン」シリーズ・・いずれも怖さは今いち。向こうはたいてい悪魔が出てきて、怖いと言うより不条理だったり不公平だったり。それとキリスト教ではそうでも他の宗派ならどうなのさ・・とか。世の中全部キリスト教で成り立っているわけじゃない。あるいは幽霊屋敷なら引っ越せばいいじゃん・・とか。そういうのにくらべるとこっちは同じ不条理でも相手は人間。生きてるうちから悩まされ、死んでからも悩まされる。自分には何の罪もないのにたたられる。あんなに若くて性格もいいのに、新吉はこの先ずーっと一人で暮らさなければならないのか。「愛」をかなり宣伝しているけどこんなの愛じゃないってば。・・で、怖さだけど、見る前は何しろ朝の9時でしょ。精神的に「怪談」という時間帯じゃない。ヒヤッともゾクッともしないだろうなあ・・なんてたかをくくっておりましたの。そしたらアナタ・・冒頭部分から来るんですよ。キリキリした怖さじゃなくて、おなかの中で何やらずんと来る。こりゃいいぞ・・と思っていたら・・。実は上映前から女の子が三人くらいペチャペチャ声も潜めんとしゃべっていてうるさいんですの。本編上映中はそれでも静かだったけど、終わって出て行く時またペチャペチャ・・。まあもう終わった後だからどんなにしゃべってもいいですけどさ。「ああ、あれが一番怖かったびっくりした」ってね、口々に・・。上映前はさるぐつわしてやろうかと思うくらいうるさくて腹が立ったけど、これを聞いたらおかしくて笑っちゃいましたの。そのシーンの後いろいろあったのに、やっぱり一番怖かったのはそのシーンなのか・・って。新吉がお久と一緒に羽生村へ行こうと決心して自分の家に戻ってくると、勘蔵(父の使用人で孤児になった新吉を育ててくれた人)に怒られる。何と家で寝ているはずの豊志賀が新吉を捜し、ここへ来ているという。それでお久と出かけるのはあきらめ、病気の豊志賀のために駕籠を呼ぶ。病人だから静かに頼みますとか言っているところへ、表に誰か来る。お師匠さんが亡くなったという知らせ。そんなばかな、今駕籠に乗っている・・と、ここがゾクッとするんですの。だいたい病気のはずの豊志賀がここへ来ているという時点でおかしいぞ・・って思うわけ。でも新吉だけでなく勘蔵も駕籠かきも豊志賀見ているから、幽霊じゃないようにも思える。

怪談6

駕籠はござ(?)を垂らしているから中は見えない。でも知らせが来たってことはやっぱり幽霊で、したがってござをめくれば中はからっぽなの。それだけでもけっこう怖いのよ。みんなが見ているのに幽霊だったわけだから。新吉は思わず駕籠の底の部分手で探る。もしやぬくもりでも・・って感じで。で、こういう時はたいていじっとりぬれてるとかそういうことになるけど・・。クローゼットの中には何がいる?・・なんてのは何回見せられても怖くないけど、このシーンは怖いですぜ。みんな飛び上がったと思うな。お累にヘビが落ちてきたり、天井からお久がぶら下がって新吉つかむとか、そういうハデな怖がらせ方にはこちとら反応しない。天井が累ヶ淵になっているなんていうのはCGバレバレ。逆にCG何もなし、豊志賀の幽霊が赤ん坊じっと覗き込んでいるとか、そういうのの方が怖いです。まあ全体的に特撮はよかったけど、時々しょぼさはあったな。一番ひどかったのは累ヶ淵から上がった三蔵と甚蔵(ばくち打ち)の死体。あれってもしかして人形?あれを見たとたん私あちゃ~と思ったんですけど。とたんに映画の質が何割か下がったような気が・・。さてと・・ここからは私がこの映画で一番印象的だったことを書きますね。それは・・新吉の運命。他の人も運命に翻弄されるけど、何と言っても新吉なんですよ。最初出てきた時は貧しいし平凡だし・・ただ愛想がよくて実直で・・。若いし健康だし働けるだけでもう十分幸せって感じ。豊志賀達の父親との因縁なんか、当時赤ん坊だった彼には何の関係もないことだ。ところが運命のいたずらで二人は出会ってしまう。普通ならかなり年が離れた豊志賀は新吉の恋愛対象外だが、そこはそこ、母親を知らずに育ったから愛情に飢えてる。年上でも全然オッケー!ってことになる。幸せだったのはほんのひとときであとは苦しみの連続だけど、新吉の苦労は報われない。普通なら「今までさんざん苦労をかけてごめんなさい。こんな私に尽くしてくれてありがとう。これからは幸せになってネ」って遺言するでしょ。それが「このあと女房を持てば必ずやとり殺すからそう思え」ですよ。モロ脅迫状。でもこの時点では新吉もこれの持つ意味をそれほど重大なものとは考えていなかったのよ。死んだ者が生きてる者に何かできるなんて思ってないわけ。

怪談7

それでお久と一緒に羽生村へ行こうとする。ところが豊志賀の亡霊に襲われ、誤ってお久を殺してしまう。行き倒れているところを見つけられ、運び込まれたのは下総屋・・つまり三蔵の家。新吉を看病しているうち、三蔵の娘お累は彼に恋してしまう。お久の死体が発見されたと聞いた新吉は逃げだすが、舟に乗ろうとしているとお園に呼びとめられる。お園も新吉に引かれているのだが口には出せない。そのうち三蔵からぜひ婿に来て欲しいという話が来、お累と一緒になる。若だんなと呼ばれ、子供も生まれ・・しかしこの子供は全く泣かず、新吉を見つめるだけ。そのうち三蔵の愛人お賤(瀬戸朝香嬢)が甚蔵と組んで新吉をゆすりにかかる。どうやら甚蔵はお久殺しを見ていたらしい。金を持ち出したのを三蔵に知られ、その三蔵をお賤が殺し、死体を累ヶ淵に投げ込もうとした甚蔵は水中に引き込まれ・・。一方新吉はお久の亡霊のせいでお累を殺してしまう。赤ん坊もいつの間にか死んでいて・・。とうとう人殺しとして追われるはめになる。隠れていると追っ手の先頭に立っているのはお賤である。見つかって大立ち回りになる。お賤はきりっとした美女だが、金のためなら何でもやる悪女。自分で三蔵を殺しておきながら、新吉をつかまえるために下総屋の使用人達を案内する。まあ憎たらしいったらない。誰も殺すつもりなんかないのに、ここまで追い込まれてしまった新吉。何か言っても彼の言うことなんか誰も信じないだろう。このままつかまってなぶり殺しにされるのか・・と思ったら・・。生まれてこの方誰とも戦ったことなどないだろうに何であそこまで?・・とは思うものの、そこは映画ですからね。ただのやさ男じゃないところを見せてくれるK氏に感心したりして・・。やっぱ古典芸能出身の人は違うわねえ・・。で、ついつい長く書いちゃったけど、このあきらめないところ、生への執念が私にとっては印象的だったんですの。死を受け入れた方が楽なのは確か。今ここで逃げることできても、次の追っ手が来る。お尋ね者として手配される。それよりも何よりも豊志賀はどこにいたって彼を束縛する。女房だけじゃなく、彼に関わる者みんな殺す。しかも彼の手を使って・・。こんなひどいことってあります?ともかく新吉は必死に逃げのびようとする。追っ手をみんな倒して自分も大ケガして、もう助からないってわかってるけどそれでも逃げる。

怪談8

もうこうなったら本能だけで行動しているって感じ。それまでの彼はまわりに気に入られよう、みんなにやさしくしよう・・で、自分がなかったの。でも今は自分がすべてなの。だめだとわかっていても悪あがきせずにいられない。1分でも1秒でも長くこの世にとどまっていたい。今の彼にはそれしかできない。凄まじい生への執念は豊志賀への抵抗でもある。おそらく生きていた頃は豊志賀には何の反抗もしなかったであろう彼の・・。見ていてそこが気の毒でねえ。で、隠れているとお園がやってくる。とにかく逃げなければ・・と舟を漕ぎ出す。しかし水中から手が出てきて新吉を引きずり込んでしまう。もう新吉は半分死んでいて抵抗もできない。できないけどしっかり流し目なので、見ていても悲しいとか怖いという気分にならない。ちょっとぉーだめじゃん、ここ笑うシーンじゃないのに。ラストシーンもねえ・・意見が分かれると思うな。豊志賀が新吉の生首抱いてキスするんだけど、頬ずりくらいにしとくべき。日本人にはキスは似合わないんだってば。このシーンを怖いと見るか気持ち悪いと見るか究極の愛と見るか。作り手はもちろん愛だと思って欲しいだろうけど、私は新吉どん、顔デカッ!ってそればっか思ってましたけどね。・・てなわけでいかにも日本らしいどろどろした内容だけど、私はけっこう楽しんだ。黒木さんの美しさにも感心したし、それ以外の女性達のそれぞれの美しさもよかった(井上嬢は今いちだけど)。ただ・・妙な形の美しさもあるものだな・・って思ったシーンもあって、それは新吉と豊志賀が結ばれた翌朝。窓辺で寄り添うんだけど、新吉は上半身だけ裸で、これは不自然なんだけど(下も裸のはずでしょ?)まあいいとして、その横からうつした上半身が何ともへんてこなの。首が長くてすごいなで肩。男性の体つきとしては妙で、まるでバレリーナみたい。そばにいる黒木さんには目が行かなくてK氏の首・肩・胸に目が行ってしまう。歌舞伎の女形という職業が体つきにくっきりと現われているの。それを意識してうつしているのかどうかは知らないけど、女より女っぽいってこういうことなのよ・・と見させられている気がした。ところでエンドクレジットの浜崎あゆみ嬢の歌は最悪だったな。甘ったれた声に舌足らずな歌い方で映画の余韻ぶち壊す。何言ってるのか全然聞き取れんわい。若者に媚びるな、もっと心に残る静かな曲流せ!