ゴシカ

ゴシカ

「ギャザリング」、「ゴシカ」と続けてホラーを見たのは、くらべてみたい気がちょっとあったからだ。片方は配役も内容も地味だけど、片方はスター三人共演で内容もハデ、どちらがすぐれているかはわからないが、どちらもそれなりに楽しめる映画だった。驚かせ方はこちらの方がストレートだ。「ギャザリング」の方はジワジワくる。公開一週目のレディス・デーだったので、けっこうお客さんが入っていた。一番後ろの席で見ていたのでお客さんが飛び上がるところがよく見えた。男の人がほとんどで、飛び上がった後「何だよー」という感じでモゾモゾするのがおかしい。一番みんなが飛び上がったのは、ハル・ベリー扮するヒロインのミランダが独房で霊に襲われる直前のシーン。ミランダがかがみ込むと後ろにレイチェルが立っているところ。血まみれシーンよりこういうのの方が怖い。驚かせ方が上手だと思う。美人でスタイルがよくて頭がよくて幸せな家庭があって・・そんなめぐまれた境遇にあるミランダは、ある雨の夜、車で少女をひきそうになる。次の瞬間には夫殺しの犯人として刑務所に。女囚をみる精神科医だったのに自分がみられる立場になってしまう。彼女には愛する夫を殺す理由なんてないのだが、まわりの状況はすべて彼女が犯人であることを指し示している。こういう映画では記憶をなくしていても、必ずと言っていいほど後で戻ることになっている。そうしないと映画が成り立たないからだが、現実にバイクにはねられたことのある私の場合は結局記憶が戻りませんでしたな。おかげですごくいやな思いをさせられましたよーん。だから事故や精神的ショックでなくした記憶を簡単に取り戻すシーンを見るといつも「ウソくさー」と思ってしまうのよーん。トラウマになってまーす。さて、信じられないような事実を突きつけられて混乱するミランダの房の入口のガラスに”NOT ALONE”という文字が浮かび上がる。これが謎を解く一つのカギだ。最初はミランダを励ます言葉かと思った。無実の罪でとらわれているヒロインを霊が「一人じゃないわよ、私がついてる」なんてはげますのもヘンだけどさ。次にシャワーを浴びている時に、錯乱したミランダの腕に傷として現われる。いったい誰が切ったのか、何で切ったのか、彼女が自分で自分を傷つけたのか。夫が殺された現場の壁にも血でこの言葉が書かれていた。

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そのうちに自殺と思われていたレイチェルが、実は殺されたのであり、被害者が「彼女一人だけではない」という意味なのか・・と思えてくる。そして実際に監禁されていた少女が見つかり、犯人はミランダの夫ダグラスだったということがわかって、これでいちおう事件は解決・・と思わされる。ところがどんでん返しがあって、ダグラスには共犯がいたことがわかり、「犯人は一人だけではない」という意味だったのだとわかる。何が「一人だけではない」のか不明なために、言葉の意味が状況によっていろいろ変化するのだ。そこらへんはなかなかうまい設定だと思った。マチュー・カソビッツは「クリムゾン・リバー」の監督なのね。この映画はWOWOWで見たけど、ストーリーがメチャクチャだった。スピード感やサスペンス感はあるんだけど、ヴァンサン・カッセルのファイトシーンを長々と見せたりして、ムダな時間使ってた。それにくらべると「ゴシカ」はムダなシーンもなく、内容がぎっちり詰まっているという感じ。ハル・ベリーが出ずっぱりで泣いたりわめいたりおびえたりと忙しい。ほとんどが刑務所の中だし、途中であきてきてもいいんだけれどそれがない。お客は息をのんだり椅子から飛び上がったりしながら、ミランダと一緒に答捜しをしているわけ。最初の方でミランダがプールで泳ぐシーンが出てくる。一見ハルのスタイルのよさを見せつけるサービスシーンかな・・と思わされるが、房から逃げ出しプールに沈んで隠れるシーンが出てくる。息つぎなしでプールのはしからはしまで泳ぐほど彼女は日頃から鍛えている。だからプールに隠れて捜し回る所員をやり過ごすことができたのだとわかる。車で逃げる途中ブレーキがきかなくなり、トラックと衝突しそうになる。危うくかわした後、ヒステリックに笑うところがいい。薬漬けの体、脱走、猛スピード、ブレーキの故障・・いくら知的で冷静な精神科医だってハイテンションで笑うしかない。次の瞬間には通行止めの標識をすっ飛ばして車がやっと止まる。「いったい何をしたいのよ」と見えない相手に向かってどなる。霊からのコンタクトは一方的だ。ミランダには霊の意図がわからない。でも彼女はその時はまだ気づかなかったけれど、道路の陥没した大穴のすぐ手前にいたのだ。霊は彼女が車ごと穴に落ちるのを防いでくれたのである。こういう見方によってはユーモラスなシーンをポコッと入れているのがうまい。

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あとミランダの逃亡を見逃してくれた守衛とかね。何で見逃してくれたのかなーという気もするけど、こういう時の人間の行動って理屈じゃないのよね。どんなピンチでも助けてくれる人はいる。彼女は「一人じゃない」のだ。自宅にたどり着いたミランダは記憶が戻り始める。このシーンは「ゴーストシップ」と同じ巻き戻し風味の作りだ。製作が同じダーク・キャッスル・エンターティメントだから?こういうのってかなり効果的な方法だと思うな。「ゴーストシップ」の二番煎じだと思いながらも見ていて引き込まれちゃうもの。命乞いするダグラスにとどめを刺す直前、ミランダは「愛してるわ」とつぶやく。印象的なシーンだが彼女がそう言うのはおかしい。この時のミランダは肉体も精神もレイチェルに支配されている。レイチェルは自分の恨みをはらしているのだ。だから斧を振り下ろすのに何のためらいもない。レイチェルはダグラスに「愛してるわ」なんて言うはずはない。それともこの時のミランダにはまだミランダ自身の意識が残っているのだろうか。だったら夫を殺すのをためらうはずだ。この時点ではまだミランダは夫の犯行を知らないし、夫を愛しているのだから。それとも雨の中でレイチェルに会い、ミランダが炎につつまれた瞬間、レイチェルの意念が彼女に伝わったのだろうか。夫がどういう人間か知り、レイチェルの望み通り恨みをはらしてあげたってこと?ダグラスがレイチェルにしたこと、妻の自分をあざむいていたこと、そういうことがわかった後ならためらいもなくダグラスを殺せただろう。しかし何と言っても彼は自分の夫である。最後の瞬間にはこう言わずにはいられない・・「愛してるわ」と・・。冷静に犯行を終えた彼女はバスタブにつかる。その後レイチェルの意念が彼女から離れた時、彼女は自分がなぜこんなことをしたのか忘れてしまったのだろうか。三日後に気がついた時には犯行時の記憶をなくしていたのだから。でもなあ、そんなに簡単に人の心の中を出たり入ったり、記憶をなくしたり取り戻したり、都合がよすぎるよなあ。第一レイチェルがミランダに乗り移ったのならその時点で保安官のボブが共犯だってわかったはずだし。結局あの「愛してるわ」のセリフはおかしいのよね。印象的ではあるけどさ。さて夫を殺したのは自分だとはっきり思い出したミランダは夫との思い出の写真を見て涙にくれる。

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自分はなぜ夫を殺したりなんかしたのだろう。その時写真にポタッと血が落ちる。鼻血かしら・・と手をやるが出ていない。その後やることは・・天井を見ると思うよ、100人中100人が。でもミランダは事件のあった日、ダグラスが農園に行くと言っていたのを思い出す。その写真は二人で農園でうつしたものだった。・・で、ミランダは農園に向かい、夫の秘密を知るわけだが、もう一度言うけど血が上から垂れてきて、それが自分のものじゃないとしたら、天井を見ますぜ。あたしゃてっきり天井から血まみれレイチェルが逆さにぶら下がってこっちをにらんでいるシーンが次に来ると思いましたぜ。それが普通でしょ?ホラーのお約束でしょ?さて最後の方はずいぶん省略されている。ミランダは結局ダグラスとボブの二人を殺す。両方ともレイチェルが関与しているが、彼女は4年前に亡くなっている。ミランダはどうやって捜査や裁判をくぐり抜けたのだろうか。言っとくが霊の関与なんて持ち出せないと思うよ。ダグラスの場合は心神喪失?ボブの場合は正当防衛?でも罪に問われずにすんだとしても、刑務所での仕事はやめざるをえないでしょうな。民間でもおいそれとは雇ってくれないでしょ。ハル・ベリーを最初に見たのは「エグゼクティブ・デシジョン」だった。何てきれいな人なんだろうとびっくりしたが、演技はあんまりうまくなかった。それが今ではオスカー女優。この映画ではホントよく動いていて、きれいなだけではなく日頃から体を鍛えているのだろうと感心した。共演はロバート・ダウニー・Jrで、見た人は誰でも彼を怪しいと思うだろうな。ミランダに気があるみたいだし、いろいろ怪しいふるまいもする。うまい配役だと思う。パンフレットを読んでいて何となく彼とハルはあんまりうまくはいっていなかったのでは・・という気がした。仲が悪いとは書いてないけど仲がいいとも書いてない。監督はフランス人だから言葉の壁があったことをハルは認めている。こういうおどろおどろしい映画の撮影現場は、内容とは逆に和気あいあいと楽しくやったなんて書いてあることが多いが、「ゴシカ」の場合はそういうことも書いてない。どちらかと言うと緊張感があって、その緊張感が映画にいい意味で影響しているのではないだろうか。まあ私のかってな推測ですがね。ハルがダウニーのせいで骨折した時にはみんなパニくったと思うよ、怒るぞーってね。

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クロエ役のぺネロぺ・クルスは出番は少ないけど印象に残る。同じ女囚という立場になったミランダの横に座って、なれなれしく頭をもたせかけるところなんか本当にうまいと思う。ラスト新しい人生に向かって一歩を踏み出す時のクロエは美しく可憐だった。ダグラス役のチャールズ・S・ダットンは「エイリアン3」に出ていたの?そう言えば・・。ボブ役のジョン・キャロル・リンチは「フェイス/オフ」や「狂っちゃいないぜ!」が印象的な人。この映画で一番まともな人であるはずの保安官をやっていて、すっかり信用しちゃったんですけどうまくだまされましたわん。うまい配役だよな。この映画は乗ってる女優二人といい脇役を揃えていて、次々と場面が変わり、お客をぐいぐいと引っ張っていく。見ている間中お客の心をつかんで離さないが、それでいてあっさりしている。話が広がりすぎて散漫になることもないし、それでいて出てくる人にはそれぞれの見せ場がある。時間も短めで、エンドロールも歌一曲の間にきちんと終わるというおさまりのよさ。ただやはり最近の映画の常として、CGの部分はやりすぎという感じがどうしてもする。ミランダの顔がレイチェルの顔になるところなんかあんなに騒々しくやる必要はないと思うよ。クライマックスで自分の正体がばれたボブは、ガラスの向こうにミランダがいるのだと思って撃とうとする。実際にはミランダはボブの後ろにいる。ガラスにうつっているのはミランダのカゲだ。だがよく見るとそのカゲに重なってガラスの向こうに誰かいる。レイチェルである。ここはせっかくのいいシーンなのにガラスにうつったミランダ・レイチェルの姿がいかにも合成。「死亡遊戯」の稚拙な合成シーン思い出しちゃいましたぜ!その後のボブが炎につつまれるシーンもひどいなあ。炎につつまれたボブをミランダが撃ち殺すのは・・いくら何でもまずいよ、それ。れっきとした殺人じゃないのさ。・・さてと、結局は何が言いたかったのかな、この映画。こういう騒々しいシーンは、その時は興味を引かれるけど、映画館を出て歩き始めた時にはもうどこかに飛んでしまっている。心に残るのは別のことだ。社会的地位のあるりっぱな人が、裏では人非人のような行為をしている。でも誰も気がつかない。精神に異常があると烙印を押された囚人は何を言っても信じてもらえない。

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信じてもらえないどころか薬漬けにされる。そういったことをこの映画は伝えたいのかな。恨みをのんで死んだレイチェルは4年たっても成仏できないでいる。父親の夢の中に現われても、父親は自殺だと思い込んでいて本当の理由に気づいてくれない。最後の手段(?)としてミランダの前に現われる。彼女の夫が自分を殺した張本人だから。別の少女が監禁されて自分と同じ目に会ってるから。ミランダがさんざんな目に会っている一週間ほどの間、少女は監禁されっぱなしだ。このままでは死んでしまう。・・てなわけでミランダを脱走させたのは少女を助けるためらしい。映画を見ている時には気がつかなかったが、パンフレットの写真を見るとダグラスの秘密の部屋には心臓が止まった時に電気ショックを与える医療器具も置いてある。それほどひどいことをしていたってことだ、許せん!ミランダは二回脱走するけど、一回目の時には霊が房のカギを開けてくれた。「ここから出して」・・シーン・・ガチャッ(ここで飛び上がった人アリ)。囚人にとっては夢のまた夢、起こって欲しいけど現実には絶対起こらないことがここではいとも簡単に起こる。あまりにもストレートで、かえってドキドキしてしまった。普通なら失笑買うシーンだよな。でもこういう静かなやり方、私は好きだなー。ラスト、クロエを見送って一人になったミランダ。ふと見ると道路の真ん中に少年が立ってこちらを見ている。そこへトラックが・・危ない!でも少年の姿は幻のように消える。ホッとして歩き出すミランダ。道路脇に貼られた行方不明の少年のポスター。ミランダはそれを見ているはずなのだが、今見た少年の幻とは結びつかずそのまま行ってしまう。少年はもう殺されているのだ。どこかに埋められたか捨てられたか。彼は自分を見つけて欲しいのだ。仇を討って欲しいのだ。レイチェルと同じでミランダに何かを伝えたいのだ。霊は見える人のところへ現われる。今は気がつかなかったミランダ。でもいつかふと自分の能力に気がつくのだろうか(「ゴシカ2」作れまっせー)。エンドロールに流れる曲、いい曲です。しみじみ余韻が残ります。この世には恨みをのんで死に、成仏できずにいる霊がいっぱいいるんでしょうなあ。”NOT ALONE”なんでしょうなあ。そういうことを伝えたかったんでしょうね、この映画。・・ところで上映中に隣りでケータイ鳴らしやがったアホ女、ノロワレロー!