ゴッド・アンド・モンスター

ゴッド・アンド・モンスター

最初にホエールがクレイを見て感じたのは性的な興味だと思う。ちょうど昔の恋人デービッドが訪ねてきていたけど、もう愛情はお互いにさめていて、よそよそしいとまではいかないけれど、何となくとりつくろっているような雰囲気がある。もしまだホエールがデービッドに未練を持っているなら、キスの後でデービッドの顔を(心を読み取ろうとして)じっと見るだろう。しかしホエールは見送りもせず、吸い寄せられるように窓へ近寄り、外のクレイを注視する。ハンナから新しく雇った庭師だと聞くと、早速仕事中のクレイに近づいて話しかける。好奇心まる出しなので、クレイはけげんそうな顔だ。この時のブレンの低い声がよい。吹き替えだととたんに高い声を聞かされてがっくりくる。ブレンの持ち味であるあの美しい低音をいかした吹き替えのできる声優さんはいないものか。さてケイの訪問中発作を起こしたホエールは、夜錠剤を手にあけて「自殺した自分」を想像するが、一笑にふしてまたビンに戻す。自分がゆっくりと死に向かっているのはわかっているが、まだ差し迫って悩むほどではない。自殺を笑い飛ばすくらいの余裕もある。従って逆光を浴びて怪物そのものに見えるクレイのシルエットを見ているはずなのに何も感じない。お茶に誘ったら来てくれたという単純な喜びしか感じていない。ホエールにとってクレイは未知のおもちゃなのだ。ケイみたいに見たとたんすべてがわかってしまうような相手ではない。スケッチのモデルになることも承知してくれたし、これからいろいろ楽しめそうだ。しかし意図に反してクレイと向き合っていると、過去の思い出が次々とわき起こってしまう。それがなぜなのかホエールにはわからない。テレビで「フランケンシュタインの花嫁」を見た晩、ホエールは荒野をさまよい、クレイに脳を入れ替える手術をしてもらうという悪夢を見る。映画の冒頭で、同じく荒野をさまよう怪物が出てくる。そのすぐ後は、クレイがぱちっと目を覚ますシーン。これってクレイの見た夢なのだろうか。それともただ象徴的な意味でこのシーンを入れたのだろうか。ひげをそり、身支度をし、寝足りない様子で車を走らせるクレイに夢の影響など全く見られないが、ホエールと出会う前にそういう夢を見て、しかも自分では全く覚えていない状態でどんどんホエールと関わっていく運命の不思議さ。そういう見方もおもしろいかもしれない。

ゴッド・アンド・モンスター2

夢から覚めたホエールは、一人では用も足せずハンナの手を借りる有様だ。この時のハンナ役のリン・レッドグレーブの困惑した顔ときたら・・。クレイが午後から来ると聞いて少し元気が出たホエール。夢の中でクレイに手術をしてもらったように、彼と話すことで何かなぐさめを得られるのでは・・と期待しているのか。さりげなく戦争の話を持ち出して探りを入れているのは、何か魂胆があるのか。一方前の晩べティにふられたクレイ。表には出さないがかなり傷ついていたはずだ。一人前の男のつもりなのに子供扱いされ、さんざんバカにされる。普通の男なら一発くらわせるところだが、クレイにはそれができない。食事の時ホエールがしつこく戦争のことを聞いてくるのは、彼にとっては苦痛でしかない。ついさっきハンナからホエールがホモだと聞かされたので、スケッチのモデルも気が進まない。この時のリンの演技もすばらしい。卵の殻をすっ飛ばすところなんかもう・・私の中では第71回アカデミー賞助演女優賞はあなたです!さて食後二人で葉巻を吸うシーンは、最初はわからなかったが何度か見ているうちに気がつくことがあった。「花嫁」のワンシーンとの関連とかいろいろ見方はあるだろうが、あれはどう見たって二人の志向の違いを、葉巻の吸い方で見せてるとしか思えない。ホエールは思わせぶりにいやらしい口つきで葉巻をくわえるが、クレイは全く気がつかない。ぱっとくわえて自分も一人前の男になったつもりでいるのが何とも無邪気だ。相手の無知をいいことにわざと露骨な動作をし、喜んでいるホエールの何とずるく下品なことか。無神経な言動は結局クレイを怒らせ、彼はアトリエから出ていってしまう。ここらへんの自分のやりすぎに気がつかず、クレイの激烈な反応にとまどっているホエールの姿が悲しい。ついさっきまでは確かに自分の方が優位に立っていたはずなのに。なごやかないいムードで思い出話をしていたのに。クレイの潔癖ぶりもちょっと子供じみている。たいていの男なら適当に相槌を打って受け流すところをまともに受け取ってしまう。もっともきのうの晩自尊心を傷つけられたことでクレイも敏感になっていたのかも。体は人並み以上に大きいけれど、なかみはまだ子供のクレイ。

ゴッド・アンド・モンスター3

モデルを頼まれたとまわりに自慢したり、ホエールが有名人だと知ると図書館に行っていろいろ調べたりするところ。モデルの一日目に新品のシャツを着込んでいくところ。おもしろくないことがあっても、例えばハンナに声をかけられた時「何か用ですか?」と言った後ニコッとするところ。性格に深みがあるわけではないが、かといってただの軽薄なだけの若者でもない。気のいい無邪気な若者をブレンは好演している。百戦練磨のホエールに対し、クレイは本当に無防備だ。そりゃあ女の子も引っかけるし、ブタ箱のお世話になったこともあるみたいだし、品行方正ってわけでもないんだけれど。さてどういうわけかホエールの元へ戻ったクレイ。ここは父親が病気で金が必要だからとか何とか、はっきりした理由があった方が話の筋が通る。「話がおもしろくて・・」じゃあ説得力がない。まあ実際は思い立って家族に電話をしたものの、心が晴れるどころかかえって重くなったので、その現実から逃れようとしてまたここへ戻ってきたのだろう。クレイが戻ってきたことでホエールにも変化が起きる。最初のスケッチの日に現われたのは父親の幻覚だった。いつも怒ってばかりいた父親が、なぜかやさしく微笑んでいた。自分の生まれをごまかそうとしたがクレイの澄んだ瞳に見つめられ、とりつくろうのはやめて正直に話した。「君を見てるとウソはつけない」と言ったホエール。この日彼が思い出したのは若き日の恋人バーネット。しかし思い出はなぜか彼を混乱させる。涙ぐんだかと思うといきなり怒り出し、クレイをおびえさせるホエール。クレイの顔を覗き込み、そこ(実際には自分の頭の中)に何があるのか知ろうとする。自分の頭の中に何かが芽生えたのはわかるが、それが何なのかまだわからないのだ。園遊会でボリスと会い、後ろに立っているクレイとの相似に気づいた時点で、それははっきりとした形をとる。物事は近すぎてもだめ、ある程度の距離があって初めて見えてくるものもあるのだ。自分の頭の中に怪物が存在していることははっきりした。老いたボリスとは違う若くてたくましいクレイのような怪物だ。しかし自分は彼に何をしてもらいたいのだろう。それが死であることはわかっているが、恐ろしいことなのでまだ意識の表面には出てこない。しかし死の恐怖を和らげてくれるバーネットの幻がひんぱんにホエールに見え始める。

ゴッド・アンド・モンスター4

雨が降り出し、ずぶぬれになって家に帰った二人。外は嵐、ハンナは娘に会いに行っていて留守。見ている方はさあここでクライマックスと心の中で思う。ところがまたまた長い対話シーン。ここはちょっと拍子抜け。クレイのシャワーシーンとか(シュワちゃんだったら絶対入れるだろうな)、思い(?)を遂げるためにホエールがクレイに一服盛るとか、ドラマチックな展開に向けてのお膳立てがあってもいいところだ。しかし出てくるのはバーネット。あんなくだけた服装じゃロマンも何もなくて興ざめだが、幽霊じゃなくて幻覚だから仕方ないか。さてこの対話シーンでは、マッケランの名演技がさえわたる。彼が話すと目の前にその有様、バーネットの死体が鉄条網に引っかかり、腐敗してだんだんふくれあがってくる様子が浮かんでくる。その前のクレイが自分の戦争体験を語るところでのホエールもよい。興味深く相手の話を聞き、先をうながし、最後に気のきいた一言でしめくくって、長年もやもやしていたクレイの悩みに決着をつけてくれる。自分が求めていた度量の広い経験豊かな父親の存在を、クレイがホエールの中に見出した瞬間だ。二人が父と子のように心が通い合った・・と感動するのは、クレイと観客だけ。ホエールは別のことを考えている。クレイを怒らせて自分を殺させよう・・。普段は大人しい彼がいったん感情を爆発させるとどうなるかは、例のアトリエでの一件で経験ずみだ。結局クレイが思っていたようにはホエールは彼のことを思っていなかったわけで、それはホエールの方から見ても同様。つまりはお互いに片思いだったわけ。ホエールにとってはクレイは息子ではなく自分を殺してくれる怪物。ハンナに「庭師を友人とは言わん」と言った時には、見ているこちらも唖然とさせられたが、彼には計算高いところや、冷酷なところがある。クレイが見かけによらず繊細な性格だってことは、先ほどの戦争体験の話でもわかっているはずなのだ。それでも自分の欲望を遂げるための手段として利用しようとする非情さ。それにくらべクレイは、性格が無防備な上に体も無防備で、まんまとホエールのワナに引っかかってしまう。しかしホエールの誤算はクレイの本当の性格を見抜けなかったこと。傷つけるようなことを言って怒らせることはできても、その先にあるのは暴力ではない。

ゴッド・アンド・モンスター5

ホエールの顔をひっぱたいても、「痛くも何ともない」とうそぶくホエールに対し、クレイの方はあべこべに手の痛さに驚いて顔をしかめる始末。ホエールを殺すどころかおいおいと泣き出してしまう。がらりと気持ちを切り替えたホエールはしおらしくあやまるんだけど、クレイの方はそう簡単には気持ちの切り替えはできない。何しろ怖くて泣いているのだから子供と同じ。「意気地がないな」なんて言われても言い返せない。すすり泣くクレイを残して寝室へ行ったホエール。一人ではシャツのボタンもはずせないほど疲れているのに気づき、そこで初めて自分で自分の始末をつける気になったのだと思う。他人を利用しようとしたのはとんでもない間違いだった。彼の心は後悔の念でいっぱいになったことだろう。そこへあんな目に会って傷ついたはずのクレイが来る。おずおずと寄ってきて「何か手伝うことは?」と聞く。親に邪険にされてもそばへ寄らずにはいられない小さな子供のようだ。今こそホエールは本当の父親のようにふるまうことができる。素直にシャツのボタンをはずしてくれと頼むこともできるし、クレイの頭をやさしくなでてあげることもできる。疲れきった表情で眠りにつくホエール。彼には若いクレイのように「朝になれば元気に」と言ったり、そう思うような意欲はもうない。・・それにしてもこの時のブレンはよかった。心の中は傷ついているはずなのに、またホエールに対しては嫌悪感をいだいているはずなのに、そういうものはひとまず横に置いといて、疲れきったホエールを世話するクレイの人柄のよさ。激情の後の静けさを感じさせる美しい横顔が印象的だ。次の夢のシーンは、どちらが見ていた夢なんだろう。画面が真っ白になって、その後怪物がホエールをぐいぐいと引っ張って荒野を歩くシーン。大きな怪物とは対照的に、やせて老いたホエールは前へつんのめり、よろよろと歩く。私はこのシーンが一番好きだ。ホエールの心の中を一番よく表わしている。どこへかはわからないが、怪物は自分を否応無しに引っ張っていく。その強引さを自分はずっと待ち望んでいたのだ。自分を生から引きはがしてくれる何かを。実際にはそれは自分自身の意志に他ならないんだけれど。

ゴッド・アンド・モンスター6

大勢の兵士の死体の中に降りていって、バーネットのそばに横たわるホエール。感動的なシーンだけれど、おいおいその手をどこに置いているんじゃい。どさくさにまぎれて・・まあいいか。そして朝、嵐は去り、明るい日差しが窓から差し込み、忙しく動き回るハンナがいて、クレイも観客も「現実」に引き戻される。あれは夢?しかしプールに浮かぶホエールの死体。嵐の夜の出来事はやっぱり現実だった。ハンナの「神様のお迎えが待てなかったの?」という言葉がジーンと胸にしみる。罪深いホエールだって神様は平等に愛してくださっているはず。神に召される日まで精一杯生きて欲しかった・・そんなハンナの無念さが伝わってくる。しかし、しっかり者のハンナは気持ちの切り替えも早い。クレイがここにいてはいろいろ面倒なことになる。自分が一人で死体を見つけたことに・・とせっかく引き上げた死体を再びプールに突き落とす。前にホエールはクレイに自分の映画は「死についての喜劇だ」と語ったが、皮肉にも彼自身の死も喜劇になってしまった。笑うシーンではないのに、プールへ投げ込むところで観客は爆笑していたもの。ラストの雨のシーンは美しい。細かい雨粒が見るまにザーザー降りになって、クレイも町並みもぼんやりとしか見えなくなるが、感じるのは冷たさではなく、湯気の立つような暖かさ。とても複雑で重苦しい内容の映画なのに、それをさっぱりと洗い流してくれる癒しの雨。すばらしい映画のしめくくりにふさわしいラストシーンだった。この映画を見る度に私は、ホエールの役をピーター・オトゥールがやっていたら・・といつも思ってしまう。その昔「スタントマン」という映画で狂気すれすれの映画監督を演じていた。もし彼だったらよりいっそう人生や人間に対してシニカルなホエールになっていただろうし、狂気電波(?)も増幅して発射されたことだろう。わりと最近の出演作である「ファントム」でも、さほど出番は多くないものの、主演のベン・アフレックとは明らかに違う声の迫力、表現の巧みさに感心させられたものだ。もちろんマッケランはこの上なくすばらしいが、オトゥールだったら、あるいはジョン・ハート、アルバート・フィニーだったら、などといろいろ想像してみるのも楽しいものだ。あ、でもクレイ役は絶対ブレンダン・フレイザーしか認めませんけど。

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海外のブレンファンのHPにpilgrimageという単語を見かけることがあって、調べてみたら巡礼という意味だった。だいたい「いつかあなたに逢う夢」の舞台となったサンアントニオへ行くのがファンにとっての巡礼らしい。日本でいうと「陰陽師」ファンが晴明神社に行くようなものだ。私にとっての巡礼はただひたすら映画館に通うことである。特に「ゴッド」のような映画はね。通い続けるのがファンとしての義務だ・・なんちゃって。私がブレンにはまったのは「タイムトラベラーきのうから来た恋人」を見てだが、彼の出演作の中で最高なのは「ゴッド」だと思っている。雑誌の「プレミア」で試写会があるのを知ったが、場所が遠いのと時間が遅いのとで行くかどうかかなり悩んだ。時刻表を見、終電に間に合わなかったらカプセルホテルかな・・なんて本気で考えていた。当日はビデオのレンタル開始日でもある。ビデオで見られるのだから無理して行くこともないかな。当日朝レンタルビデオ店に急ぐ。歩いて行ける近くの店には(普段の品揃えから見て)置いてないだろうと判断し(実際後で見たら置いてなかった)、バスに乗って別の店に行く。あった!一本だけ。早速家に戻って続けざまに三回見る。普通の人なら映画館での感動を損なうようなこんな方法は取らないと思う。でも私はあらかじめストーリーを頭にたたき込んで、上映中は字幕を見なくてもすむようにしておきたかった。たった一度のチャンスかもしれないのだ。ブレンから目を離したくない。そう、行くのだ試写会に。生まれて初めてぴあでチケットも買った。さてビデオ・・何だか色がうすいなあ。音もよくない。出てきたブレンは顔つきも体つきも他の作品とは別人のよう。でも声はいつもの・・。マッケランを見るのは初めてだが、上映推進運動が起きるのもわかる気がした。彼の演技は大変な迫力がある。彼がアカデミー賞を取れなかった原因はただ一つ。彼がゲイだからだ。今年のにもノミネートされていたが、テレビにうつった彼は横の男性の腿のあたりに手を置いていた。「ゴッド」のラスト近く、バーネットにも同じように手を置いていたのを思い出す。あーこれじゃあ今回もこの先も受賞はムリですぜ、マッケランさんよ。あまりにも堂々としすぎですよ。「ねえママ、ガンダルフの隣りにいるあの男の人はだあれ?」「息子さんでしょ、きっと」厳格な家庭ではそうやって子供に説明したりしてね。

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さて東急3は「シュリ」の上映が終わってからもなかなか開場しない。待ってる時間て長く感じるのよね。それにしてもずいぶん並んでいるなあ。やっと始まったと思ったら何と予告編の上映。コノヤロー!こっちは終電に間に合うかどうか、何度も時計を見てホームまでの所要時間を頭の中で計算してるってのに、のんびり予告編なんぞ流しやがって。「グリーンマイル」も「オール・アバウト・マイ・マザー」もぜーったいに見てやるもんか・・と心の中で絶叫している私でありました。・・で今もって見ていません。これからも見ない。はーでは気を落ちつけて。内容から言ってもっと皆シーンとして画面をくいいるように見るかな・・と思ってたら、あちらこちらで笑い声。これってそんなに笑う映画?ほとんど満席で、珍しいことだが前の人の頭が邪魔で画面が見にくい。いつもはガラガラの映画館で見ているからね。何となく熱気のようなものも感じられる。いや一体感かな。驚いたことにビデオとは全く色調が違う。こんなにも色彩豊かで、鮮やかで何もかもくっきり見えるのに、ビデオときたら寝ぼけたような申し訳程度の色具合。音だってズンズンと響いてくる。まあ音はしょうがないにしても色調がこんなに違うのはなぜなんでしょうね。エンドロールでは次々に席を立つ人が・・。わかるわかる、私だって半分お尻が浮いてましたもん、座席から。映画が完全に終わって起こった拍手。こんなことは初めて。もちろん私も心から拍手しましたよ。正直に言うとこの映画のすばらしさに対して拍手したんじゃないんです。上映にこぎつけてくれた人達の努力に対しての感謝の気持ちを込めてね。この上映がなかったらビデオのあの単調な画面をこの映画の真実の姿と信じ込むところだった。受付でビデオを売っていたけど、昼間見てわかっていたから買わなかった。今見たのと画質が同じなら無理してでも買うけれど、あれではね。でもポスターは欲しかったな。アンケートも書いているヒマはない。走りに走って・・でももう路線によっては終電の時刻なのに何でこんなに人がいるの?のん気に歌なんか歌っちゃって全然帰るそぶりもないじゃない。ここで夜明かしするつもりかね。さて何とか最寄の駅までは来たけれどバスなんてとっくに終わっているから長い長いタクシー待ちの行列に並ぶ。二月だから寒いのなんのって。あーでも思いがかなって幸せだと寒さも疲れも感じないのよね。

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その後WOWOWで放映されたけどやっぱりあの画質。頼みのDVDもだめ。あのくっきりした画面はもう頭の中で残しておくしかないのね・・とあきらめていたある日。これで何度目かしら・・と思いながら見ていると・・あら?いつもと始まり方が違う。冒頭のトレーラーハウスのシーンの色具合が違う。バンザーイ!でも録画しようにも空きテープがない。これが最後の放送じゃありませんように・・と次の機会をひたすら待って、今では映画館と同じ・・とまではいかないけれど、まあそれに近い状態、というかビデオよりはよっぽどましな画面で見ることができる。はー幸せ、ありがとうWOWOW!そのうちNHKあたりでやってくれないかな。CMなんぞ入らないで(TBSの「陰陽師」はひどかったもん)全国の人が見られるように。とにかくこんなすばらしい映画が人に知られずにいるなんて、どうにももったいなくて・・。その後銀座でレイトショー公開と知り、予告目当てで(それと場所を知るために)行ってみた。呆れるほどたくさんの予告がかかったけれど、肝腎の「ゴッド」のはなし。がっくり。この時見たのは「マルコヴィッチの穴」だったけど、これってそんなにいい映画?私にしては珍しく一回で出てきちゃいましたよ、あほらし。公開が始まると20世紀最後の、そして21世紀最初の映画はこれ・・と思い定めてせっせと通った。「フランケンシュタイン」と「魔の家」のDVDも買った。「透明人間」のビデオも買えばよかった・・と後で後悔した。いわゆるフランケンシュタイン映画を見るのはこれが初めて。ブレンは形としては本当にカーロフ扮する怪物によく似せていたのだなあと改めて感心した。「フランケンシュタイン」は映画としても実によくできていて、最後のわざとらしいハッピーエンドを除けば名作だと思う。「フランケンシュタインの花嫁」もレンタルビデオ店で見つけて早速見てみた。「ゴッド」で使われているのはこっちの方なのね。ビンの中で生活する小さい人間達が出てくるんだけど、このシーンはやりすぎというかどうも好きになれない。でも当時これを見た人はきっとすごくびっくりしたんだろうな。前作とうまくつなげてあって、こちらもおもしろい映画だと思うが、私は一作目の方が好きだな。公開中は10人くらいしかお客がいない時もあったが、最終日はかなり盛況で、私と同じく皆も名残を惜しんでいるのだろうなと思った。

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去年の1月、22回目の「陰陽師」を見終わって、これでもうDVDの発売までしばらくお別れかな・・なんて思っていたら、2月に入ってまた上映との情報が・・。よし、23回目と24回目を見るぞ・・と意気込んでいたら、ある朝新聞休刊日のはずなのに朝刊が入っていて、入っているとは思わないから新聞受けを見たのは遅くて。何気なく見た映画案内欄に「ゴッド」の文字が!「ラブ・アンド・デス」との二本立てで明日まで?秋以来「陰陽師」に浮気のしっぱなしで、ネットでのチェックを全くしていなかったのよね。朝早く見ていれば映画館に直行!したけど、調べてみたら場所は池袋(と・・遠い)、時間は9時半から(は・・早すぎる)。・・で迷う気持ちが出てくる。きっと小さな映画館だろうし、試写会も行ったし銀座にも通った。ビデオもとったしDVDも持ってる。これでもう十分じゃないの・・なんてね。でも行かなければ後できっと後悔するだろうし・・。これって一種の強迫観念ですかね(別名ブレン病)。上映はたったの二日間だし、明日は何とか早く家を出て・・。でも結局いろんな雑用があって遅くなり、初めての場所なのでウロウロし(まわりは怪しげなお店ばっかり。閉まってましたけど)、やっと見つけた時には10分ほど過ぎていた。入れてくれなかったらどうしようと心配したけど大丈夫だった。・・で中に入ってびっくり仰天!何とまあ大きなスクリーン。後で調べたら横が何と10メートルもある。もうもう(牛になってます、私)その大きなスクリーンの真ん中にマッケランがいて、後ろには色とりどりの花が咲き乱れて、あまりの見事さに口はポッカーン、目は釘づけ。客席数からいってきっとこぢんまりした映画館だと・・いや私は世間知らずでした。両側の壁には網みたいなのが取りつけてあって、こういうのも見たことがない。音響効果を上げるためかしら。確かに犬の声(アトリエでホエールとクレイが話している時に聞こえた)とか、虫の声、塹壕での兵士達の話し声(これは今まで全然聞こえたことがなかったのでびっくりした)、園遊会での雷の音(雨が降り始める前からゴロゴロ鳴っていたのだ)は今回初めて気がついた。それに対しオープニングでのテーマ曲は、他の館ではズンズンという感じで響いていたのに、ここではさほどでもない。次の「ラブ・アンド・デス」のオープニングはびっくりするくらい響いていたけどね。

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さて一回目が終わって明るくなった客席を見ると男性客が多い。それもどちらかというと年齢の高い・・。渋谷でも銀座でも若い女性が多かったからちょっと不思議に思った。平日の昼間のせいか、この館の常連客か・・なんて思ってた。ところが予告が始まると何だかおかしい。こういう映画を続けてやるなんて何とマニアックな・・。「ピストルオペラ」の予告もやったので、こういう映画ばかり専門にやるというわけでもなさそうだが。しかしなんなんですか、「ピストルオペラ」って。こんなアホらしいのやるくらいならもっと「ゴッド」を長くやってくれい。帰りの電車で、館でもらったチラシを見てびっくり。「生と性を見つめる映画集」だって?どうりで・・とやっと気がついたウブな私。それにしても「ラブ・アンド・デス」とのカップリングで本当によかった。もっと早くにわかっていれば予告編を見ることもできたのに・・と悔やまれたが、きのう偶然映画欄を見なければ上映されていることにさえ気がつかないでいただろうし、ウーム。それにしても「ゴッド」の劇場用予告、一度見てみたいものだ。前にも書いたが銀座ではかからなかったし(レイトショーの前にはかかったのだろうけど)。ところでビデオの予告はひどかったな。これを見るためにわざわざ他のビデオを借りてきたのだが、あれを見た人は絶対勘違いする。スリルとサスペンス、ショッキングな内容、暴力的な描写満載のホラー映画・・とかね。今でもDVDの売り場に行くとスプラッターものと一緒に置いてあったりする。違うんだってば。そのセンで売ってやれという意図が見え見えで頭にくるが、逆に予告にだまされてはいけないといういい教訓でもある。あれ以来カバーの説明文や予告の宣伝文句を鵜呑みにしなくなったもの。それにくらべるとDVDに入っていたオリジナルの予告はすばらしかったな。最初見た時は何じゃこれは・・と思った。軽快なジャズと監督時代のホエールで始まり、ホエールとクレイが和気あいあいと葉巻を吸うところで終わり。なんなのこの明るさは。おどろおどろしいビデオ予告とはえらい違いだ。ごくフツーにいくつかのシーンを見せて、いい音楽が流れて、凝った編集もなく何とも単調で盛り上がりがない。何か物足りない。でも何度か見ているうちに心の中がじわーんとしてくる。これが感動っていうものなのかな。特に後半流れる曲がいいのよ。何の曲だろ。

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マッケランのセリフと表情はほんの数秒で彼が大変な名優であることをわからせてくれる。リン・レッドグレーブもそうだ。無愛想な表情の中に見え隠れする人間味。そしてどの一瞬の表情も例えようもなく美しく繊細なブレンダン。そう、この映画は名優達によって演じられたヒューマンドラマなのだ。ウイットに富んだ古きよき時代を描きながらも、戦争が残した傷あとのことも忘れない。それがこのオリジナル予告からは伝わってくる。ビデオ予告を作った人にはこの作品の本質がわかっていない。いや、わかっていても目をそらし、どぎつさを前面に押し出し、いくらかでも稼いでやろうという目先の利益を優先している。ホラーだと思って借りたら全然違うじゃないか・・という怒りの感想を目にした時は悲しかった。予想と違ったとしても、見たことで何か得るものはなかったのだろうか、この人には。さて話を戻して、男性客の多い理由はわかったが、若い人ももちろんいる。私から見てお客はまあまあ入っている方だったが、見るのは全く初めてという人はどれくらいいたのかな。ところで私はこの作品は家庭でじっくり鑑賞するのに向いていて、画質さえよければ画面は小さくてもいい、つまりテレビ向きの映画だと思っていた。でも今回巨大スクリーンで見てその迫力に圧倒され、考えを改めた。いい作品は例え内容が地味でも大画面負け(?)しないのだ。まず自然が美しい。草花の色彩、量感はすぐれた画家の絵画を見ているようだ。スクリーンの中央にゆったりとかまえたマッケランの存在感。そして何と言ってもブレンダンの肉体の美しさ。クレイがすっくと立ったそのシーン(どのシーンかわかるでしょ!)の感動的なこと。どんな特殊撮影もセットも衣装もメイクも、人間の美しさにはかなわない・・とつくづく思う。ブレンダンと他の肉体美俳優との違いは、「見せびらかしている」とか「誇示している」といった押しつけがましさのないことである。そこに立っているのはブレンダンではなくクレイであり、彼はたまたまいい体をしていたというだけだ。ギリシア彫刻のように完璧な美しさだが、クレイはただつつましくそこに立っているだけ。その静けさ、ホエールに向けられた純粋で寛大な微笑は見ている者を感動させる。その後すぐに純情を踏みにじられるだけに特にね。しかしまあこの作品はブレンダンの演技でも肉体の美しさでも頂点にある作品だと言えるだろうな。

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今回は脚本から見た「ゴッド」。クレイは26。タバコはラッキーストライク。朝起きるとパンチングボールで2、3ラウンド。汗を拭き、朝刊に目を走らせ、カードテーブルに積まれたペーパーバックの山をかき分け、今日の予定が記されたカレンダーを見つける。最初の仕事は午前10時、場所は・・。トレーラーハウスは彼が立つと天井に頭がつかえそうだ。きれいにひげをそり、Tシャツに作業ズボンで出かける。中古の芝刈り機にさびたピックアップトラック。彼は庭師である。最初に海、ホエールの家ではくるくる回るスプリンクラーに水をたたえたプール。脚本には水に関するものがいくつか出てきて、ラストのホエールの溺死につなげようとしているかのようだ。映画にはプールは出てこないが、これは意図的に出さなかったのだろう。あんまり出すとホエールの自殺の衝撃がうすまってしまう。1957年のサンタモニカ。芝刈り機を下ろすクレイを窓からじっと見つめるホエールは67歳。ヒソヒソ話をしている昔の恋人デービッドは55歳、家政婦のハンナは50代後半のハンガリー女性である。飛行機の時間があるからとそそくさと去るデービッドと、見送りに出るハンナ。二人が行ってしまうとホエールは再び窓からクレイを見る。芝刈り機が回り、白い煙が上がるとホエールは12歳の頃に引き戻される。イギリス中部の重工業地帯ダドリー。煙を吐く煙突の列、見つめる赤毛の少年。映画はここまでだが脚本だと教会へ急ぐホエール一家が描かれる。六人の兄弟姉妹、「しゃきっとしろ」と苦い顔つきの父親。この頃からもうホエールは普通の少年とは違っていた。・・映画ではこの部分はケイとの対話の最中に挿入される。さてホエールの目はクレイのTシャツをまくり上げた上腕に彫られた刺青に引きつけられる。ハンナに尋ねると「ボーンだかブームだかビーだか」と名前もあいまいだ。「安かったので」・・それが彼女にとっては一番重要なことだ。一方ホエールの関心はクレイ自身。早速ステッキを手に外へ出、陽気に歌いながらクレイに近づく。「地獄のベルは鳴る、チリンチリンと・・」。「おはよう」と声をかけてもクレイはあいさつは返すものの顔も上げない。さらに話しかけ、刺青の意味を尋ねる。朝鮮戦争での海兵隊の活躍を持ち上げ、「君のようなヤンキーが言うところの焼けつくように暑い日だ・・」と自分がイギリス人であることをほのめかす。

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自分でさえ今日は暑い。その上自分はこの家の主人でものにはこだわらない。どうぞ遠慮なくプールを使いたまえ。裸だってかまわんよ。当然のことながらクレイは用心して「午後も仕事がありますから」と断る。ホエールはそんなクレイをじっと見て「じゃまたの機会に」と笑って離れるが、頭の中はいたずらっぽい喜びでいっぱいだ。デービッドは仕事にかこつけてここを早く去りたがっているのを後ろめたく思っていたようだが、自分はそんなこと全然気にしちゃいない。いい気晴らしとなる若者が現われたのだから、昔の恋人の心変わりで心に開いた空虚な穴なんてどこにもない。アトリエに入ったホエールは今度は16歳の頃の思い出にひたる。何度目かを見ていて、「トイレそうじの番だよ」と母親が言うシーンで、後ろにうつっている窓に雨の筋が流れているのに気がついた。当時のトイレは屋外にある。雨の降りしきる夜のそうじは気が進まなかったことだろうが、この頃の彼には辛らつなユーモア精神も芽生えていた。「気取りやなんだから」と呆れる母親。次に出てくるケイちゃんは22歳の大学生。一目で彼の性向を見抜いたホエールは軽く失望する。きちんと身支度をし、サンドイッチにアイスティーも用意し、久しぶりの来訪者への準備を整えて待っていたのに。なよなよしたしぐさ、かん高い笑い声、カーロフのものまね。ミーハーまる出しで騒々しいだけのケイ。しかしホエールはそ知らぬふうを装い、彼をプールサイドへ誘う。ドアを開いてケイを先に通し、後ろからケイの大きなお尻を検分する。客の訪問をホエール以上に喜び、いそいそとサンドイッチなどを作っていたハンナの顔がしかめっ面に変わる。プールサイドに降りる途中「これが私の絵を描くスタジオだ」とホエールが指差しても、そんなことで止まるケイのおしゃべりではない。「ナイス」の一言でかたづけ、「魔の家」だの「透明人間」だのの話を手をぱたぱたさせながらぺちゃくちゃしゃべり続ける。彼は相当な映画オタクである。クレイはホースから水を飲み、プールサイドの椅子に座っている二人の方を見ている。「もう帰る時間ですよ」という声にふり返ると、お盆を持ったハンナが立っている。「もう帰るところです」とクレイが言っても、彼が動き出すまでハンナはそこを動かない。ハンナがクレイをせかしたのは、これから起こることを知っていて雇い人のクレイには見られたくないからだろう。

ゴッド・アンド・モンスター15

ハンナの不機嫌さがこちらにも伝わってくる。映画だとクレイはホエールに刺青のことを聞かれた後しばらく登場してこないが、脚本ではそうでもなかったのね。このシーン入れて欲しかったな・・。で、その後「ケイさん、何を聞きたいのかね」というプールサイドでのホエールのシーンになる。ケイとホエールのやり取りは何度見ても笑える。くにゃくにゃしたケイは、気持ちが悪いというよりはむしろ愛すべき存在で、彼をからかってパンツ一丁にさせてしまうホエールの人の悪さがここでは際立つ。発作を起こしたホエールのそばでBVD姿でうろうろしているケイと、ホエールを心配しながらもしかめっ面にならざるをえないハンナ。まわりの者を振り回す困ったジイさんだ、ホエールは。朝、隣人のドワイトの声で目を覚ますクレイ。隣りで寝ている少女にびっくりするが、彼には彼女の名前すら思い出せない。彼女は18より上には見えず、「私だったらここをもっと居心地よくしてあげられるわよ」と裸の体を押しつけてくる。ため息をつくクレイ。彼は彼女に早くここから出て行ってもらうことしか頭にない。後でベティに「私の目の前でオンナのコを誘った」となじられるシーンが出てくるが、こういうことはクレイにとってはいつものことなのだろう。ベティが彼を結婚相手として考えないのも無理はない。さてアトリエで思うように絵が描けないでいるホエール。そばに置いてある石膏の足をスケッチしているのだが、ケイに靴と靴下を脱がせ、それを覗き込んでいたし、足フェチなのかな。静けさを破る芝刈り機の音。ホエールは微笑して画筆を置く。チャンス到来。クレイは誰かの視線を感じて立ち止まり、あたりを見回す。聞こえてくるホエールの歌声。「地獄のベルが鳴る、チリンチリンと・・」芝刈り機が一瞬クレイの手からはずれる。映画だと芝刈り機が故障してクレイがけとばしているけれど、脚本だと少し違う。クレイが誰かに見つめられている・・と感じるところがいい。聞いていてあんまり気持ちのよくない歌がここでも使われる。さてクレイをお茶に誘いながらも、受けてくれるかどうか不安で、握った杖がふるえてしまうホエール。承知してくれた、よかった!クレイはホースで水をかけて手や腕を洗い、帽子で拭く。その帽子を今度は丸めてTシャツの中に押し込み、腋の下の汗をぬぐう。少しはちゃんとしなくちゃ・・と身繕いするクレイ。

ゴッド・アンド・モンスター16

ホエール本人よりも映画の方に夢中だったケイとは違い、クレイはホエールが監督だったことを聞き、素直に驚き興味を示す。いきいきとして誇らしげなホエール。ケイの時とは明らかに態度が違う。ハンナはホエールのことが心配なので、入ってきてもクレイの方は見もせず、音を立ててグラスや銀の器を置く。ホエールはハンナに「少し会話をして・・」と言い、ハンナは「前も少しでしたか」とやり返す。この時のbrief chat(短い会話)というのは、ケイちゃんのブリーフ姿と引っかけてそう言っているのかしら。クレイが何も知らないのをいいことにホエールがふざけ、ハンナがたしなめているように見える。後ろで「???」となっているクレイがかわいい。彼は「お医者様の」という言葉を聞きとがめて不審に思っているのだ。ところで先日「ゴッド」はBS2で放映されたわけだが、テレビのガイド誌の記事のうちあるものは、ホエールを脳腫瘍としていた。映画では脳卒中となっているが、頭痛や感覚障害など症状は確かに脳腫瘍っぽい。BSのガイドで映画評論家の女性はちゃんと「ゴッズアンドモンスターズ」と言っていたので感心した。ちなみに私がここで「ゴッド」と表記するのは「ゴッズ」では文を読んだ時、語感があまりよくないのと、カタカナだと「ゴッズイコールGods」とは連想しにくいからなんだけどね。さて音を立ててお茶を飲み干したクレイ。グラスを置くとホエールがじっと彼を見ている。スケッチのモデルを頼まれ、鼻について言われると「こんな鼻が?」と不思議がる。映画ではそこまでだが、その後少しやり取りが続く。クレイが大学に一年行って(その後海兵隊に入るわけだ)、フットボールで鼻を折ったのだということがわかる。ずっと後でホエールが「チームメイトとは?」と聞くシーンがある。字幕では「フットボールの」の部分が省略されているので何のことかわからないが、「フットボールのチームメイトにホモはいなかったのか?」という意味なのだ。さて単純そうに見えるクレイだが、ヌードはいやだとはっきり断る。体に興味はないと答えるホエールの言葉にもすぐには判断がつかない。しかしホエールの笑みに結局はころりとだまされる。それとお金の誘惑には勝てず、困惑しながらもクレイはモデルを承知する。この時とランチの時(好みじゃないし・・)、戻ってきた時(誓う)と計三回だまされとるぞ、クレイ君。

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うひょ!久しぶり!・・クレイがトラックのミラーを覗き込むシーンの後、映画では図書館のシーンになるが、脚本ではドクターとの対話シーンになる。その後ホエールは中年の娘の肩にすがって歩く老女や、絶望したような目の車椅子の老人と廊下ですれ違う。彼を悩ませている頭痛やありもしない臭気は直る見込みはない。そんなホエールのやりきれない思いを強調するためのシーンなのか、それともこの人達と自分との間にはまだ距離があると自分に言い聞かせるためのシーンなのか。このシーンは映画にはなく、図書館のシーンからスケッチの一日目のシーンへと続く。ハンナがドアを開けると、作業ズボンに白いシャツのクレイが立っている。ホエールはアトリエで鉛筆をとがらせ、準備に余念がない。表情も意欲的、今夜テレビで「フランケンシュタインの花嫁(以下「花嫁」)」があると聞いても「ショウ・ボート」か「透明人間」の方がいいのに・・と機嫌がいい。クレイはホエールに敬意を表して新しいシャツを着てきたのだが、ホエールは白すぎて気になる・・とか何とかうまいことを言って、首尾よくシャツを脱がせてしまう。腕の刺青がこちらを向くようにポーズをつける。脚本ではかなり刺青にこだわっているが、映画ではそうでもない。と言うか、どんな刺青なのかよく見えない。「写真にとって云々」のクレイの言葉の後、ホエールはスケッチをしながら「君は自分がどんなにハンサムか気づいていない」などとおだてる。クレイはモデルなんだから動かないようにと気をつかうが、アトリエの中は暑く、汗が流れてくる。ホエールはすかさず「靴と靴下を脱いだらどうだね」と声をかける。ここらへんはケイちゃんへの手口そのままだが、クレイはそれほど浅はかではないからはっきり断る。その後で映画の「医者に診てもらう時のように云々」というホエールのセリフ、貧しかった子供時代の思い出、父親の幻覚・・となる。夜、ハリーの店で「花嫁」を見るクレイ達。途中でジュークボックスでプレスリーの曲をかけ、若い水兵が踊り出したので、クレイは怒って店の外へ追い出してしまう。ずいぶん乱暴だが、クレイはベティやドワイトにさんざんバカにされてムシャクシャしていたので、その矛先が水兵さんに向いてしまったというわけ。彼はホエールに尊敬の念をいだいているので、まわりが古くさいだの陳腐だのとけなす映画も、理解しようと一生懸命に見る。

ゴッド・アンド・モンスター18

ところでそれまで気がつかなかったのだが、店の奥にはちゃんと若いカップルがいたのね。彼らは出演シーンをほとんど削られ、ただのぼやけた背景としてしか映画には出てこない。水兵さんはちゃんとセリフもあったのにかわいそー。でもこのシーンを入れてしまうとこの映画の中で重要な意味を持つ「花嫁」をホエールとクレイが場所こそ違え、同時に見ているという緊張感が切れてしまうものね。カットして正解よ。さて映画が終わった後もクレイはぐずぐずしていて、何とかベティの気を引こうとするが、結局はふられてしまう。汚い言葉をどなり散らし、荒れるクレイ。その頃ホエールはベッドに入り、ハンナが持ってきた薬を飲んでいる。他のは飲んだがルミナールは飲まず、手のひらにあけて自殺した自分を想像する。自分を見つけた時のハンナの取り乱した様子を想像し、フンと鼻を鳴らす。この時点では彼は明らかに自殺なんて軽蔑すべき行為だと思っている。錠剤をビンに戻し眠りにつくホエール。ここで「花嫁」撮影時の夢(映画では回想)を見る。この夢にはカーロフも出ていて、例のバラの世話云々のエピソードも盛り込まれている。目が覚めると3時15分で、それっきり眠れなくなったホエールはしぶしぶルミナールを飲む。今度は悪夢である。夜。外は雷雨。「花嫁」のセットの独房につながれているホエール。怪物が現われドアをはぎ取って中に入ってくる。顔を見るとクレイで、海兵隊のユニホームを着ている。刈り鋏でホエールの体に巻きついた鉄のチェーンを切断する。「ありがとう、どうもありがとう」・・クレイはホエールを腕に抱いて、子供にするようにゆすり、かかえ上げる。フロアの照明やケーブルを慎重によけながら隣りのセットに移る。嵐模様の夜のイギリスの田舎を描いた背景の前を通りすぎると、そこはフランケンシュタインの研究室。横たわるホエールと医者のスモックを着たクレイ。画面ではよくわからないが、取り出されたホエールの脳はすすけて黒焦げ。クレイがその古い脳を床にほうり投げ、心臓がドキドキするくらい輝いているかたまり、すなわち新しい脳をトレイから取り上げるのを、開頭されたままうっとりと見るホエール。映画ではうっとりと言うより、目をキョロキョロさせていて、期待で胸をわくわくさせているように見える。映画では脳を投げたりせず、ちゃんと容器に入れるのだが、その時のネチョッという音が何とも不気味!

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クレイはホエールのこめかみを縫い合わせ(縫う時にブレンダンの小指が上がっているのは、何度見ても笑える)、電気を流す。パチパチと火花が散り、ニヤリとするクレイ。映画ではここまでだが、この後も夢は続く。突然パニックに襲われるホエール。「脳が働かない。実験は失敗だ」そんなホエールにクレイは眠るよう言い、ホエールはやがて死ぬ。はっと目を覚まし、時計を見ると9時過ぎだ。インターホンを押し、「起きたよ、ハンナ」・・ふと見るとベッドの上には草や木の葉が散らばっている。「いったい何が・・」振り返ると隣りにはクレイが寝ていて、ホエールは息が止まりそうになる。「眠るよう言っただろう」怒ったように言い、ホエールの首をしめるクレイ。そこでやっと本当に目が覚める。パニック状態で立つこともできないホエール。映画では目を覚ましたホエールが、あわてたようにベッドカバーをめくったり、隣りの枕に手をのばして探ったりしていて、その意味がわからなかったのだがこれでわかった。クレイがいないことを確認し、それでやっと現実の世界に戻ってきたとわかる重要なシーンなのだ。悪夢の後半がカットされてしまったために、ホエールの行動の意味がわからなくなってしまった。ハンナに助けられて用を足すシーンも、それほど消耗したとも思えないのに・・と思っていたが、夢の中とは言え、首をしめられたのだ、あんなふうによれよれになるのも当然だ・・と納得できる。それにしてもこのシーン、何でカットしちゃったのかな。観客が一番はっとするシーンだと思うけど。男二人のベッドシーンはまずいってこと?きゃはは。さて、ベッドで朝刊を読んでいるホエール。朝食のお盆を下げにきたハンナに、クレイが午後から来ると聞いてやっと元気が出てくる。昨晩荒れたことなど忘れたかのようにせっせとバラの枝を刈り込んでいるクレイ。「私は(クレイさんには)きっと何か他の用事があるでしょうからって言ったんですけど、どうしても聞いてみるようにとだんな様に言われたものですから」・・ハンナの言葉にはランチの誘いを断って欲しいという願いがこもっている。承諾したクレイへ「食事だけですよ」と言うとげとげしい態度には、朝から具合の悪そうなホエールへの気遣いがある。何も知らないクレイはさっぱりとしたシャツ姿で現われる。ホエールは着替え中ということで、台所に腰を落ち着け、ハンナに話しかける。

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ハンナの態度は固いままだ。カウンターの上に置いてある聖書に気づくクレイ。ハンナが卵の殻を流しに投げるのは脚本には書いてない。アドリブ?ハンナは無愛想で頑固で生真面目な、脚本によればマフィンのような顔をした中年女性である。マフィンてことはごつごつした顔立ちってことかな。それでいてどこか意表を突く行動に出るところがあって、ここでの卵の殻でクレイを驚かすところもそうだし、後の方でホエールの死体をプールに投げ込むところもそうだ。普通はあんなことしないよ。クレイにからかわれても器用に受け流すハンナにはしたたかさを感じるが、これくらい肝がすわっていないとこの家の切り盛りはできないだろう。ホエールからして一筋縄ではいかないしたたか者だし。さて息子みたいな年齢のクレイと話しているうちに気持ちがほぐれてきたのか、ハンナはホエールについての心配事を打ちあける。彼女はハンガリー人だし、ホエールのような人物のことを英語でどう表現したらいいのかよくわからない。歯がゆそうなハンナだが、信心深い彼女のこと、クレイにわからせようとしながらも心にブレーキ(そういう言葉を口に出したくないという)がかかっているのがよくわかる。さっきクレイに「時々若い男の人達が泳ぎに来たりした」と話したが、そういう時のハンナはきっと出すものだけ出して(つまり食べるものとか飲むもの)、あとは部屋に閉じこもって聖書を胸に罪深いホエール達の救済を祈っていたことだろう。プールでの乱ちき騒ぎなど、彼女の理解を超えるものだったろうから。さすが鈍いクレイもやっと気がつき、(それまでは気軽にくつろいでいたのだが)椅子に座り直す。何も知らなかったとは言え、きのうはアトリエで上半身裸になってしまった。ベティやドワイトに対し、むきになってホエールの弁護もした。ホエールに会っていない彼らの方が自分よりずっと正確にホエールの正体を見抜いていたとは・・。これってホエールがホモだと知ったことよりショックかも。ランチに呼ばれた・・と単純に喜んでいたけど、とたんに気が重くなって、ホエールのわざとらしいせき払い(ハンナや、クレイ君を早くこっちへ来させなさいという催促のせき払いである、もちろん)が聞こえてもすぐには体が動かず、ハンナにうながされてしぶしぶ立ち上がる。断ればよかったなーなんて今更後悔しても遅いのだよ、クレイ君。

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「仕事をしてきっとおなかがすいていることだろう」ホエールの言葉にためらいがちに微笑むクレイ。ホエールは手紙の山から封筒を取り上げる。「失礼するよ。私にとって郵便は一日のうちでの一番の楽しみでね」そんなことを言ってしごく機嫌がいい。クレイは離れて立っている。用心しているのだ。マーガレット王女からの招待状にいぶかしげな顔をするホエール。しかし場所がジョージ・キューカー邸だと知ると呪いの言葉を吐く。「デービッドの仕業か?」気を取り直し、クレイを先に立たせて食堂に入る。この時のホエールが後ろからクレイのどこを検分していたのかは不明。昨晩放映された「花嫁」の話になり、ホエールは怪物の高潔さを力説する。しかしテーブルに肘をついて食べているクレイに気がつくと話題を変える。ここらへんは何か意味があるのだろうか。ホエールが戦争について聞き出そうとしてもクレイはしゃべらない。モデルを頼んでも都合が悪いと断られてしまう。賃金の上乗せを持ち出してもだめ。この時の少しさびしそうなホエールと、バツの悪そうなクレイの表情がいい。ホエールは海千山千のしたたか者だから、ははーん、ハンナに何か言われたな・・とすぐわかる。クレイは善人だから断ってホッとしていると同時に、ホエールに対して「悪いなあ・・」とも思っている。ホエールがつけ入るスキはいくらでもある。だから脚本では「わかった」と言いつつホエールはクレイをじろじろ見ると書いてあるのだ。食後葉巻を吸いながらホエールは自分から同性愛者であることを明かす。この時のクレイの反応、目をぱちくりさせているのがいい。ノーマルな彼には理解できない世界だ。ホエールはクレイをうまく丸め込んでしまい、「モデルを断ったのはこのことのせいかい?」などと言って、クレイをあわてさせる。ちくりと皮肉を言い、ずるそうな笑みを浮かべる。ここらへんはずっとコミカルに描かれている。頑固者のハンナ、ずるがしこいホエール、無防備なクレイ。二人の名優に囲まれているブレンダンだが、長身で動作がゆったりしていて声も低いので、コミカルと言っても軽薄さは全くない。ちょっとした動作も踊りの一部のように優雅なので、粗野な庭師という感じはしない。これでクレイの声が高かったり、動作が雑だったりしたら映画のトーンも変わっていたことだろう。原作のクレイはどんなふうに描かれているのかな。

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さて再び椅子に掛けるクレイと、画架のそばに立つホエール。これまでに描いたものを見せてくれるよう言っても「君を自意識過剰にするだけだから」と見せてくれない。またシャツを脱ぐよう言われたがクレイは断る。やめときゃいいのにホエールは、シャツの中に手を入れたりボタンだけでもはずせとか相当しつこい。クレイは気持ちが悪いので怒り出すが、ホエールはそんな彼に目が釘づけ。わかった、わかった・・とクレイをなだめて、それから「君のことを聞かせてくれ」というシーンになる。映画だとクレイがいきなり変態話に怒り出したようになっているが、実際は事前にいろいろされて、その火種はあったのだということがわかる。ここでの対話でソローの名前が出てくる。「森の生活」というのが文庫本で出ているので、そのうちに読んでみようかと思っている。冒頭にペーパーバックの山をかき分けという描写があったし、クレイはけっこう読書家なのかも・・という気がする。図書館にも行ってるしね。さてホエールは引退に至ったいきさつを話しているうちに、ちょっとばかりいい気になってしまった。クレイが熱心に聞いているので固い話からやわらかい話へというサービスのつもりだったのか、いたずら心を起こしたのか・・。先ほどのシャツの件でもそうだが、ホエールにはクレイをうまくあやつれるという自信はあった。「今君が座っている椅子でポーズを取ってくれた若者もいたよ」などと言われ、クレイは居心地が悪くなって顔も赤らんでくる。「もちろん彼らにははにかみなどなかった・・」プッツーン!とうとうクレイは頭にきてホエールをどなりつけ、アトリエから出ていってしまう。この時のクレイの荒っぽい動作さえも私には優雅に見える。きっと曲線を描いているからだろうな。・・取り残されたホエールは幻覚の世界へ・・。映画ではカットされているがこの幻覚にはクレイも出てくる。監督用の椅子に腰掛け、片手にマティーニ、片手に葉巻を持ち、プールで戯れる若者達を見ているホエールは、無害な老人といったところだ。「用意はできた」・・ということはこれも撮影のつもりか・・。ふと見ると他の者とは離れたところにクレイがいる。ホエールはポラロイドカメラを手に近づき、「エキストラはいる。今我々に必要なのはスターだ。プールに飛び込んでくれないかね」と言う。「あなたが先に」とクレイ。「いや私は泳がないんだ」

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そう言いながらクレイのタバコを取り上げ、靴で踏みつぶす。後ろのプールは今や裸の人影でいっぱいだ。「君はシャツを脱がなければならない」とクレイの胸に触れると、クレイはホエールの手をつかみ、苦痛の声を上げさせる。プールではエキストラ達が驚きあわてて悲鳴を上げる。クレイの手がホエールの喉をしめ・・彼はあえぎながら目を覚ます。映画ではアトリエで甘い追想にひたっているところで終わりだが、こちらはいつの間にか悪夢に変わっている。彼がいるのは寝室のベッドの上。しかし部屋の中にはまだ若者達の悲鳴が残っている。だんだん深刻になるホエールの症状。脚本ではアトリエでの対話中に、ホエールがポケットからルミナールのビンを取り出す。その後飲んだのかは不明だが、ルミナールを飲んだ後で悪夢・・という前と同じ経過をたどっていると思われる。クレイのシャツを脱がせようとするのも、その直前のアトリエでの行為と重複し、ホエールの執着ぶりが強調されている。プールに人影があふれているというのは、後で出てくる若者の死体でいっぱいの塹壕を連想させる。死体だからプールの若者達と違って騒いだりしないのだが、プールイコール穴(塹壕)というふうに私は連想してしまう。この幻覚のほとんどの部分がカットされたのは、重複表現を避けるためだと思うが、脚本に何度も同じことが書かれているというのは、脚本家がそこにこだわりを持っているってことでもある。さてクレイは飛び出した後別の家へ仕事に行くが、そこの主人はいやみなやつ。しかしクレイは疲れて怒る気力もない。酒場に行けばベティは他の男とデート。ドワイトは奥さんと一緒で知らんぷり。年増の女性を引っかけてうさをはらすが、翌日図書館へ行ってホエールの記事をあさる。再びホエールのところへ戻ってきたクレイ。図書館でいろいろ調べてきた後だから、なぜ戻ってきたのかと聞かれた時の「話がおもしろくて」という言葉もわかる。映画では図書館のシーンはもっと前に出てくる。ここに入れると話はつながるが、アトリエでの映画監督時代の思い出話と、クレイが調べていた絶頂期のホエールの姿に重複する部分が出てくる。それで映画ではここでの図書館のシーンを省いたのだと思う。さて相変わらず戦争の話を避けるクレイ。ホエールはクレイの痛いところを突いたと感じているが、見ている方は何でそう戦争体験にこだわるのか・・と思ってしまう。

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S様メールありがとうございました。とうとう見てくださったのですね「ゴッド・アンド・モンスター」!この映画おそらくはビデオスルーになるところ、熱心な方々が上映推進運動をし、その結果一回限りの有料試写会が実現しました。満員でした。熱気がありました。上映終了後は拍手が起きました。その後銀座でレイトショー公開され、私も通いました。映画館で見ると色が鮮やかなのに驚きます。テレビ放映、DVD、ビデオ、いずれも画質は非常に悪いです。とは言え、内容のすばらしさ、出演者の演技のすばらしさには何度見ても感動させられます。最初はマッケランの演技に圧倒されます。ホエールがとてもかわいそうな人に思えるのです。しかし何度も見ているとちょっと変わってきます。彼のしたたかさ、いやらしさ、ずるさ。それでいておセンチ(死語)だったりユーモア(それも辛口の)たっぷりだったり。知識や経験が豊富で人を引きつける。けっこう好きかってに生きてきて、子供時代は貧しかったけど今は暮らしに困らない。死ぬにしても何かひねくったことやって死にたい。実に複雑な人間なのだという気がします。それをまたマッケランがホエールの霊が乗り移ったのではと思うくらいうまく演じていて見事です。逆に最初は目立たないのに、何度か見ているうちに気になってくるのがクレイとハンナです。特にハンナはそっけないぶっきらぼうな態度の裏に何とも言えない暖かさを隠し持っています。よく気がつき親切で必要以上にべたべたせず、信仰心が篤く、常識世界に住んでいます(ホエールが非常識な世界に住んでいますからね)。出番は少ないけどリン・レッドグレーブは強い印象を残します。クレイについては、私はブレンダン・フレイザーのファンなのでどうしても目がくもりますが、そのシンプルさが好きです。ホエールがいろんなもの(過去の栄光や失意、その他モロモロ)をくっつけているのに対し、彼はその日暮らし。クレイのようにシンプルに生きることは私の願い、あこがれです。現実世界はごちゃごちゃしていて、しかもどうにも逃れられないことばかりですからね。監督のビル・コンドンは、この映画の脚本も担当しており、アカデミー賞の脚色賞をとりました。低予算、地味な内容(年老いて死にそうなゲイの元監督の話ですから)ということでいろいろ苦労したようですが、実にりっぱな作品に仕上がりました。

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その後のコンドンは「シカゴ」、「愛についてのキンゼイ・レポート」、そして公開中の「ドリームガールズ」と絶好調。いずれの作品も必ずアカデミー賞に絡んでくるほどです。ブレンダンは必ずしも絶好調とは言えないのが、ファンとしては残念です。「愛の落日」「クラッシュ」・・特に「クラッシュ」は思いがけない受賞でしたが・・。「ゴッド」は彼の最高傑作だと思いますが、それ以外でのオススメは・・まず楽しいコメディーとして「原始のマン」や「ジャングル・ジョージ」はいかがでしょう。ぜひ息子さんと一緒に見て大いに笑ってくださいませ。大きな体、セリフなし(原始人ですから)、オバカなようでいてその純粋さにホロリとさせられること請合いのリンク。同じく引き締まった体に何とも愛敬のある顔が乗っかったジョージ、くらくらすること請合いです。あと家族で見るには「ハムナプトラ」二作がオススメ。ロマンチックなラブストーリーとしては「タイムトラベラー きのうから来た恋人」・・これは私がブレンダンにはまるきっかけとなった作品です。とってもとっても純粋なアダム。とってもとってもおかしいパパとママ。何しろ演じているのがクリストファー・ウォーケンとシシー・スペイセクですから!一見オバカコメディーに見えて、なかなか考えさせられるところもある映画です。「くちづけはタンゴの後で」でのブレンダンはまぶしいほどの美しさ。まるで天使です。この二つの作品ではステキなダンスシーンが楽しめます。「いつかあなたに逢う夢」もロマンチックです。あまり知られていない作品ですが、この作品のファンは多いです。運命の人とは赤い糸で結ばれているんだ・・って女の子なら一度は思うはず。限りなくやさしく忍耐強くて、限りなく暖かくつつみ込んでくれる・・そんなフレッチャーは女性のあこがれなのです!他には何がいいでしょうか。「青春の輝き」にはマット・デイモン、ベン・アフレック、クリス・オドネルら若手がいっぱい。そうそう「地獄の変異」のコール・ハウザーも出ているんでしたっけ(DVDが今日発売されます)。他にもハンサムがいっぱい出ていて目移りすること請合いです。あまりオススメはしませんが、ちょっとキモイのが「聖なる狂気」。ここでのブレンダンはぶくっとふくれていて、いつもとは別人のようですが彼ダークリーの境遇が哀れで・・。不条理な世界をどうぞ・・。

この感想は継続中です(いつになるかわかりませんが)


ゴッドアンドモンスター(別バージョン)

そもそもは某HPに投稿したこの感想文がきっかけでした。せっかく入力した文章が消えてしまったり、四苦八苦しました。感想を書き始めるきっかけを与えてくれたことを今でも感謝しています。

最初にホエールがクレイを見て感じたのは性的な興味だと思う。昔の恋人デービッドが来ていたけど、もう愛情はお互いにさめていて、よそよそしいとまではいかないけれど、なんとなくとりつくろっているような雰囲気がある。もしホェールがまだ未練を持っているなら、キスの後でデービッドの顔を(心を読み取ろうとして)じっと見るだろう。しかしホエールは見送りもせず、吸い寄せられるように外のクレイを見る。仕事中のクレイのそばへわざわざ行って話しかける.好奇心丸出しなのでクレイはけげんそうな顔だ。この時のブレンの低い声が良い。吹き替えだととたんに1オクターブ位高い声を聞かされて、がっくりくる。発作を起こしたホエールは、夜錠剤を手にあけて「自殺した自分」を想像するが、一笑にふしてまたビンに戻す。自分がゆっくりと死にむかっているのはわかっているが、まだ差し迫って悩むほどではない。自殺を笑いとばすくらいの余裕もある。従って逆光を浴びて怪物そのものに見えるクレイのシルエットを見ても何も感じない。お茶に誘ったら来てくれたという単純な喜びしか感じていない。ホエールにとってクレイは未知のおもちゃなのだ。ケイみたいに、見たとたんすべてがわかってしまうような相手ではないから、いろいろ楽しめそうだ。しかし意図に反して、クレイと向き合っていると過去の思い出が次々にわきおこってしまう。それがなぜなのかホエールにはわからない。

「フランケンシュタインの花嫁」を見た晩、ホエールは悪夢にうなされ、救いを求めるかのようにクレイをランチによぶ。夢の中でクレイに手術をしてもらったように、彼と話すことで何かなぐさめを得られるのでは、と期待しているように見える。一方前の晩ベティに子供扱いされバカにされたクレイ。普通の男なら一発くらわせるところだが彼にはそれができない。ホエールがしつこく戦争のことを聞いてくるのは彼にとって苦痛でしかない。ついさっきハンナからホエールがホモだと聞かされたのでスケッチのモデルも気がすすまない。

食後二人で葉巻を吸うシーンは、最初はわからなかったが何度か見ているうちに気がつくことがあった。「花嫁」の1シーンとの関連とかいろいろ見方はあるだろうが、あれはどう見たって二人の志向の違いを、葉巻の吸い方で見せてるとしか思えない。ホエールは思わせぶりにいやらしい口つきで葉巻をくわえるが、クレイは全く気がつかない。パッとくわえて自分も一人前の男になったつもりでいるのが何とも無邪気だ。相手の無知をいいことにわざと露骨な動作をし、喜んでいるホエールの何とずるく下品なことか。無神経な言動は結局クレイを怒らせ、彼はアトリエから出て行ってしまう。クレイの潔癖ぶりもちょっと子供じみている。たいていの男なら適当に相づちをうって受け流すところを、まともに受け取ってしまう。体は人並み以上に大きいけど、中身はまだ子供で・・・。モデルを頼まれたとまわりに自慢したり、ホエールが有名人だと知ると図書館へ行っていろいろ調べたり、一日目に新品のシャツを着て行ったり、おもしろくないことがあっても、ハンナに声をかけられた時「何ですか?」と言ったあとニコッとしたり、クレイの人のよさ、無邪気さは好もしい。百戦練磨のホエールに対し、クレイは本当に無防備だ。そりゃあ女の子も引っかけるし、ブタ箱のお世話になったこともあるみたいだし、品行方正ってわけじゃないんだけど。

さてどういうわけかホエールの所へ戻ったクレイ。ここは父親が病気で金が必要だからとかなんとか、はっきりした理由があった方が筋が通る。話がおもしろくて・・じゃあ説得力がない。でもそういうふうに言うクレイがまた何とも人がよさそうで、ボーッとしてのどかな感じなので(実際には家族に電話しても心が晴れなかったので、その現実から逃れようとクレイはまたここへ来たのだが)、ホエールみたいに感受性の強い人は、すぐに感応してしまう。最初の日「君を見てるとウソはつけない」と言ったのもそうだし、今ここではじめてバーネットを思い出したのもそうだ。

ホエールは涙ぐんだかと思うといきなり怒り出し、クレイをおびえさせる。クレイの顔をのぞきこんでそこ(実際には自分の頭の中)に何があるのか知ろうとする。自分の頭の中に何かが芽生えたのだが、それが何なのかまだわからないのだ。園遊会でボリスと会い、後ろに立っているクレイとの相似に気づいた時点で、それははっきりとしたかたちをとる。ものごとは、近すぎてもだめ、ある程度の距離があって初めて見えてくるものもあるのだ。自分の頭の中に怪物が存在していることははっきりした。老いたボリスとは違う若くてたくましいクレイのような怪物だ。しかし自分は彼に何をしてもらいたいのだろう。それが死であることはわかってはいるが、恐ろしいことなのでまだ意識の表面には出てこない。死の恐怖をやわらげてくれるバーネットの幻がひんぱんにホエールに見えはじめる。

嵐になってさあここでクライマックスかと思ったら、また対話シーンである。ここはちょっと拍子ぬけ。クレイのシャワーシーンとか、思い(?)をとげるためにホエールがクレイに一服もるとか、ドラマチックな展開に向けてのお膳立てがあってもいいところだ。しかし出てくるのはバーネット。あんなくだけた服装じゃロマンも何にもなくて興ざめだが、幽霊じゃなくて幻覚だから仕方ないか。さてこの対話シーンではマッケランの名演技がさえわたる。彼が話すと目の前にその有様、バーネットが鉄条網にひっかかり、腐敗してだんだんふくれあがってくる様子が浮かんでくる。その前のクレイが自分の戦争体験を語るところでのホエールも良い。興味深く相手の話を聞き、先をうながし、最後に気のきいた一言でしめくくって、長年もやもやしていたクレイの悩みに決着をつけてくれる。自分が求めていた、度量の広い経験豊かな父親の存在を、クレイがホエールの中に見出した瞬間だ。父と子のように心が通い合ったと感動するのはクレイと観客だけ。ホエールは別のことを考えている。クレイを怒らせて自分を殺させよう・・。結局クレイが思っていたようにはホエールは彼のことを思っていなかったわけで、それはホエールの側からみても同様。つまりはお互いに片思いだったわけ。ホエールにとってはクレイは息子ではなく自分を殺してくれる怪物。ハンナに「庭師を友人とは言わん」と言った時には、見ているこっちも唖然とさせられたが、彼には計算高いところや冷酷なところがある。クレイが傷つきやすい繊細な性格だってことは、先ほどの戦争体験の話でもわかっているはずなのに、それでも自分の欲望をとげるための手段として利用しようとする非情さ。それにくらべクレイは、性格が無防備な上に体も無防備で、まんまとホエールのワナにひっかかってしまう。

しかしホエールの誤算は、クレイの本当の性格を見抜けなかったこと。傷つけるようなことを言って怒らせることはできても、その先にあるのは暴力ではない。ホエールの顔をひっぱたいても、「痛くも何ともない」とうそぶく彼に対して、クレイはあべこべに手の痛さに驚いて顔をしかめる始末。怒るどころか反対においおい泣き出してしまう。がらりと気持ちをきりかえたホエールはしおらしくあやまるんだけど、クレイの方はそう簡単には気持ちのきりかえはできない。何しろ怖くて泣いているんだから子供と同じ。「意気地がないな」なんて言われても言い返せない。

寝室に戻ったホエールは、一人ではシャツのボタンもはずせないほど疲れている自分に気づき、そこで初めて自分で自分の始末をつける気になったのだと思う。他人の力を借りようとしたのはとんでもないまちがいだった。そこへあんなめにあって傷ついたはずのクレイが来る。おずおずと寄って来て、「何か手伝うことは?」と聞く。親に邪険にされてもそばへ寄らずにはいられない小さな子供のようだ。今こそホエールは、本当の父親のようにふるまうことができる。

次の夢のシーンは、どちらが見ていた夢なのだろう。画面が真っ白になって、その後怪物がホエールをぐいぐいと引っ張って荒野を歩く。大きな怪物とは対照的に、やせて老いたホエールは引っ張られて前へつんのめり、よろよろと歩く。私はこのシーンが一番好きだ。ホエールの心の中を一番良く表している。どこへかはわからないが、怪物は自分を否応なしに引っ張っていく。その強引さを自分はずっと待ち望んでいたのだ。自分を生から引きはがしてくれる何かを。実際にはそれは自分自身の意志にほかならなかったのだけれど。大勢の兵士の死体の中に降りて行って、バーネットのそばに横たわるホエール。感動的なシーンだけど、おいおいその手をどこに置いているんじゃい。どさくさにまぎれて・・まあいいか。

そして朝、嵐は去り、明るい日差しが窓から差込み、忙しく動き回るハンナがいて、クレイも観客も「現実」に引き戻される。そしてプールに浮かぶホエール。あの嵐の夜の出来事もやっぱり現実だった。ハンナの「神様のお迎えが待てなかったの?」という言葉がジーンと胸にしみる。罪深いホエールだって神様は平等に愛してくださっているはず。神に召される日まで精一杯生きてほしかったというハンナの無念さが伝わって来る。しかし、しっかり者のハンナは気持ちのきりかえも早い。クレイがここにいてはいろいろ面倒なことになる。自分が一人で死体を見つけたことに・・とせっかく引きあげた死体を再びプールに突き落とす。前にホエールはクレイに「自分の映画は死についての喜劇だ」と言ったが、皮肉にも彼自身の死も喜劇になってしまった。笑うシーンではないのに、プールへ投げ込むところで観客は爆笑していたもの。ラストの雨のシーンは美しい。細かい雨粒がみるまにザーザー降りになって、クレイも町並みもぼんやりとしか見えなくなるが、感じるのは冷たさではなく湯気の立つようなあたたかさ。とても複雑で重苦しい内容の映画なのに、それをさっぱりと洗い流してくれる癒しの雨。すばらしい映画のしめくくりにふさわしいラストシーンだった。

なにげなく見た新聞の映画案内欄に「ゴッド」の文字が。で、行ってきましたよ池袋。試写会に行って、銀座に5回通って、ビデオもDVDも持ってる。これでもう充分と思ったけど、行かなければあとできっと後悔すると・・これって一種の脅迫観念(別名ブレン病)ですな。初めての場所なのでウロウロし(まわりは怪しげなお店ばっかり)、やっと見つけて中へ入ってびっくり仰天!何とまあ大きなスクリーン。あとでわかったけど横が10メートルもある。もうもうその大きなスクリーンの真中にマッケランがいて、うしろには色とりどりの花が咲き乱れ、あまりの見事さに口はポッカ-ン、目は釘付け。客席の数からいって、きっとこじんまりとした映画館だと・・いや私は世間知らずでした。両側の壁には網みたいなのが取り付けてあって、あれって音響効果をあげるためなのかしら。確かに犬の声(アトリエで二人が話している時に聞こえた)とか、塹壕での兵士達の話し声とか、園遊会での雷の音(雨が降り始める前からゴロゴロ鳴っていたのだ)とか今回初めて気がついた。1回目が終わってまわりを見ると男性客が多い。東急3でも銀座テアトルでも若い女性客が多かったから不思議に思った。平日の昼間のせいかしらなんて。予告が始まると何だかおかしい。こういう映画を続けて上映するなんてなんとマニアックな・・。帰りの電車で館でもらったチラシを見てびっくり。「性と生を見つめる映画集」だって?・・どうりで・・。とやっと気がついたウブな私。でも「ゴッド」と「ラブアンドデス」のカップリングで本当に良かった。

もっと前に上映があるのを知っていたら「ゴッド」の予告も見られたかも、とその機会を逃したことが悔やまれたが、かといって「司祭」とか「美少年のなんとか」とかそういうのは見たくないし・・。おととし予告目当てに銀座まで行って、かからなくてがっくりして帰って来たこともあったっけ。

ところでビデオの予告はひどかったな。あれを見た人は絶対勘違いする。スリルとサスペンス、ショッキングな内容、暴力的な描写満載のホラー映画とかね。そのセンで売ってやれという意図が見え見えで、頭に来るが、逆に言うと予告にだまされてはいけないといういい教訓でもある。その点DVDに入っていたのは良かったな。最初見た時は何じゃこりゃと思った。軽快な音楽と監督時代のホエールで始まり、和気藹々と葉巻を吸うシーンで終わる。なんなのこの明るさは。おどろおどろしい日本版とはえらい違いだ。何か物足りない。でも何度か見ているうちに心の中がじわーんとして来る。これが感動っていうものなのかな。マッケランのせりふと表情は、ほんの数秒で彼がたいへんな名優であることをわからせてくれる。ブレンの表情がスローで流れ、そのどの一瞬の表情もたとえようもなく美しいことに驚嘆させられる。この映画は名優たちによって演じられたヒューマン・ドラマなのだ。それがこの予告からはちゃんと伝わってくる。

さて私は、この作品は家庭でじっくり鑑賞するのに向いていて、画質さえ良ければ画面は小さくてもいいと思っていた。ところが今回巨大スクリーンで見てその迫力に圧倒され、考えを改めた。いい作品は、たとえ内容が地味でも大画面負け(?)しないのだ。マッケランの存在感、草花の量感、そして何と言ってもブレンの肉体の美しさ。クレイがすっくと立ったそのシーンの感動的なこと。どんな特殊撮影もセットも衣装もメイクも、人間の美しさにはかなわないとつくづく思う。ブレンの特徴は、ほかの俳優みたいに「見せびらかしている」とか「誇示している」といった押し付けがましさがないことである。そこに立っているのはブレンではなくクレイであり、彼はたまたまいい体をしていたというだけだ。ギリシャ彫刻のように完璧な美しさだが、クレイはただつつましくそこに立っているだけ。その静けさ、純粋で寛大な微笑は見ている者を感動させる。シュワちゃんもスタローン君もいいけどブレンは別格。ブレンばんざい。

クレイは26でタバコはラッキーストライク。朝起きるとパンチングボールで2,3ラウンド。ハンナにクレイのことを聞き、早速ステッキを手に外へ出るホエール。たくましい体といい、刺青といい、次に出てくるケイちゃんとは対照的である。ケイちゃんは22。ひとめで彼の性向を見ぬいたホエールは、軽く失望する。なよなよしたタイプは、彼の好みではないのだ。カーロフのまねにもかん高い笑い声にもそしらぬふうをよそおい、プールサイドに誘う。ドアを開いてケイを先に通すホエール。うしろからケイの大きなお尻を検分する。最初客の訪問を喜んでいそいそとサンドウィッチなどを作っていたハンナが、しかめっつらにかわるのも無視。プールサイドに降りる途中「これが私の絵を描くスタジオだ」と指差しても、「魔の家」だの「透明人間」だの映画の話をぺちゃくちゃ話し続けるケイ。クレイはホースから水を飲み、二人の方を見ている。「もう帰る時間ですよ」と言われて振り向くと、お盆を持ったハンナが立っている。「もう帰るところです」と言っても、クレイが動き出すまでハンナはそこを動かない。ハンナがクレイをせかしたのは、これから起こることを知っていて雇い人のクレイには見られたくないからだろう。ハンナの不機嫌さがこちらにも伝わってくる。映画だとホエールに刺青のことを聞かれたあと、クレイはしばらく登場しないが、脚本ではそうでもなかったのね。で、そのあと「何を聞きたいのかね」というシーンになる。

さて朝クレイは隣人のドワイトの声で目を覚ます。隣りで寝ている裸の少女にびっくりするが、彼には少女の名前すら思い出せない。あとでベティに「私の目の前で女性を誘った」となじられるシーンが出てくるが、こういうことはクレイにとってはいつものことなのだろう。ベティが彼を結婚相手として考えないのも無理のないはなしだ。アトリエで思うように絵が描けないでいるホエール。クレイの芝刈り機がパンクして静かになると、微笑して画筆を置く。チャンス到来!クレイを誘いながらも、受けてくれるかどうか不安で握った杖が震えてしまう。承知してくれた。良かった。クレイはホースで水をかけて手や腕を洗い、帽子で拭く。その帽子を今度は丸めてTシャツの中に押し込み、腋の下の汗を拭う。少しはちゃんとしなくちゃ・・と身繕いするクレイがかわいい。ホエール本人より映画の方に夢中だったケイとちがい、クレイはホエールが監督だったことを聞き、素直に驚き興味を持つ。いきいきとして誇らしげでもあるホエールは、クレイとの会話を心から楽しんでいる。

お茶を持って来たハンナにホエールは、「少し話をして・・」と言い、ハンナは「前も少しでしたか」とやり返す。この時のbrief chat(短い会話)というのは、ケイちゃんのブリーフ姿とひっかけてそう言っているのかしら。クレイが何も知らないのをいいことにホエールがふざけ、ハンナがたしなめているように思える。うしろで「???」となっているクレイの表情がなんともかわいい。彼は「医者の」という言葉を聞きとがめて不審に思っているのだ。スケッチのモデルを頼まれ、鼻について言われ、「こんな鼻が?」と不思議がるクレイ。映画ではそこまでだが脚本ではそのあと少しやりとりがあって、彼が大学に一年いって(そのあと海兵隊に入った)、フットボールで鼻を折ったのだということがわかる。あとでホエールが「チームメイトとは?」と聞くシーンが出てくるが、フットボールのチームメイトという意味なのだ。

クレイが車のミラーをのぞきこむシーンのあと、映画だと図書館のシーンになるが、脚本ではここでドクターとの対話になる。さてスケッチの一日目。首尾良くクレイのシャツを脱がせたホエール。「写真にとって云々」のクレイのセリフのあとスケッチをしながら「君は自分がどんなにハンサムか気づいていない」などとおだて、クレイが(暑くて)汗をかいているのにつけこんで「靴と靴下を脱いだらどうだね」とすすめる。ここらへんはケイちゃんへの手口そのままだが、クレイは断る。そのあとでホエールの「医者に診てもらう時のように云々」のセリフになる。

夜テレビで「花嫁」を見るクレイ達。途中でジュークボックスをかけて踊り出した水兵を怒って追い出す乱暴者のクレイ。それまで気がつかなかったけど、店の奥の席にちゃんと若いカップルがいるではないか。彼らは出演シーンのほとんどを削られてしまったのだ、かわいそうに。映画が終わったあともクレイはぐずぐずしていて、なんとかベティと二人きりになろうとするが、結局ふられてしまう。汚い言葉をどなりちらし、荒れるクレイ。そのころベッドでハンナが持ってきた薬を飲んでいるホエール。ほかのは飲んだがルミナ-ルは飲まず、手のひらにあけて自分の自殺したところを想像する。錠剤を戻して眠りにつくホエール。ここで「花嫁」撮影時の夢(映画では回想)を見る。これにはカーロフも出ていて、例の「バラの世話云々」のエピソードも盛り込まれている。目がさめると3時15分で、それきり眠れなくなったホエールはしぶしぶルミナ-ルを飲む。今度は悪夢である。

「花嫁」のセットの中の独房につながれているホエール。怪物が現れ、ドアをはぎとって中に入ってくる。顔を見るとクレイで、彼は海兵隊のユニフォームを着ている。そして刈り鋏でホエールにまきついた鉄のチェーンを切断する。「ありがとう、どうもありがとう」クレイはホエールを腕に抱いて、子供のようにあやし、抱きかかえたまま隣りのセットに移る。そこはフランケンシュタインの研究室。横たわるホエールと医者のスモックを着たクレイ。画面ではよくわからないが、取り出されたホエールの脳はすすで黒焦げ。新しい脳はどきどきするくらい輝いている。開頭されたままのホエールが目をキョロキョロさせているのは、期待でわくわくしているからだろう。映画ではパチパチ火花がちっているところで終わりだが、このあとも夢は続く。突然パニックにおそわれるホエール。「脳が働かない、実験は失敗だ」そんなホエールにクレイは眠るよう言い、ホエールはやがて死ぬ。はっと目を覚まし、時計を見ると9時過ぎだ。「起きたよ、ハンナ」・・ふと見るとベッドカバーに草や葉がちらばっている。「いったい何が・・」振りかえると隣りにはクレイが寝ていて、彼は息がとまりそうになる。「眠るよう言っただろう」怒ったように言い、ホエールの首をしめるクレイ。そこでやっと本当に目が覚める。

パニック状態で立つこともできないホエール。映画では目を覚ましたホエールが、あわてたようにベッドカバーをめくったり、隣りの枕に手をのばしてさぐったりしていて、その意味がわからなかったのだが、これでわかった。クレイがいないことを確認し、それでやっと現実の世界に戻ってきたとわかる重要なシーンなのだ。悪夢の後半がカットされてしまったので、ホエールの行動の意味がわからなくなってしまった。ハンナに助けられて用を足すシーンも、それほど消耗したとも思えないのにと思っていたが、夢の中とはいえ首をしめられたのだ、あんなふうにげっそりしてよれよれになるのも当然だ・・と納得できる。さてベッドで朝刊を読んでいたホエール、朝食のトレイをさげにきたハンナにクレイが午後から来ると聞いてやっと元気が出てくる。クレイに「食事だけですよ」と言うハンナのとげとげしい態度は、朝から具合の悪そうなホエールを心配してのことだろう。

食堂でハンナと話すクレイ。彼はカウンターの上にのっている聖書に気づく。ハンナからホエールがホモだと聞かされた彼は、ハンナにせかされてしぶしぶ立ちあがる。「仕事をしてきっとおなかがすいていることだろう」ためらいがちに微笑むクレイ。ホエールは手紙の山から封筒を取り上げる。「失礼するよ、私にとって郵便は、一日のうちでの一番の楽しみでね」そんなふうなことを言ってしごく機嫌のいいホエール。クレイはホエールから離れて立っている。用心しているのだ。 ランチのあといつものようにアトリエで向かい合う二人。これまでに描いたものを見せてくれるよう言っても見せないホエール。シャツを脱ぐよう言われても断るクレイ。やめときゃいいのにホエールは、シャツの中に手を入れたりボタンだけでもはずせとか相当しつこい。クレイは気持ちが悪いので怒り出すが、ホエールはそんな彼に目が釘付け。わかった、わかったとクレイをなだめて、それから「君のことを聞かせてくれ」というシーンになる。映画だとクレイがいきなり変態話に怒り出したようになっているが、実際は事前にいろいろされてその火種はあったのだとわかる。

そのあとのホエールの幻覚にもクレイは出てくる。監督用の椅子にかけ、マティーニと葉巻を手にプールの中の若者達を見ているホエール。ふと見ると若者達から離れたところにクレイがいる。ホエールはポラロイドカメラを手にクレイに近づき、「エキストラはいる。今我々に必要なのはスターだ。プールに飛び込んでくれないかね」と言う。「あなたが先に」とクレイ。「いや私は泳がないんだ」そう言いながらクレイのタバコを取り、靴で踏み潰す。後ろのプールはいまや裸の人影でいっぱいだ。「君はシャツを脱がなければならない」とクレイの胸に触れると、クレイはホエールの手をつかみ、苦痛の声を上げさせる。プールではエキストラ達が驚きあわてて悲鳴をあげる。クレイの手がホエールののどをしめ・・彼はあえぎながら目を覚ます。映画ではアトリエで甘い追想にひたっているところで終わりだが、こちらはいつのまにか悪夢に変わっていて、彼がいるのは寝室のベッドの上。しかし部屋の中にはまだ若者達の悲鳴が残っている。だんだん深刻になるホエールの症状。

一方クレイは飛び出したあと別の家に仕事に行くが、そこの主人はいやみなやつ。しかしクレイは疲れて怒る気力もない。酒場に行けばベティはほかの男とデート。ドワイトは奥さんと一緒で知らんぷり。年増の女性をひっかけてうさをはらすが、翌日図書館へ行ってホエールの記事をあさる。ここは映画と順番が違う。再びホエールのところへ戻ったクレイ。図書館でいろいろ調べてきたあとだから「話がおもしろくて」という言葉もわかる。本人からじかにきけるんだから。ここで初めてバーネットが出てくる。彼は19、背が高くハンサムでりんごのようなほおをしている。19ってことは字幕の「大学を出て」はおかしいわけね。ハロウを出てすぐ戦場にってホエールも言ってるし。園遊会へ行く約束をしたあと家に電話をかけるクレイ。ここも映画と順番が違う。話すのも妹のヘレンではなく母親とである。母親は連絡のないことを怒り、べらべらと一方的にしゃべり続ける。電話が切れ、外に出てほっとひといきつくクレイ。そのころホエールはガスマスクを見つけ、またもや回想にとらわれる。

ハンナがドアを開けると、午後の日差しを浴びたクレイのシルエットが戸口いっぱいに見える。大きな体に平らな頭が強調されるのは前のアトリエに入ってくる時と同じだが、ホエールはここでもまだ怪物との相似に気がつかない。きちんとした服装で体格もいいクレイの男っぷりを単純に喜んでいる。さてマーガレット王女に拝謁する時、帽子をとるのを忘れてしまったホエール。「ここでお会いできるなんて」と親しげに言われてあっけにとられるが、如才なくあいさつする。「王女を知っているなんて」と横で感動しているクレイ。そのうちに写真家のセシル・ビートンにまちがわれたことがわかる。屈辱をこらえてキューカーにあいさつをするホエール。キューカーの悪意に満ちた皮肉にも動じず王女にクレイを紹介する。王女と握手するクレイ。今度はキューカーの顔が怒りで蒼白になる。ここらへんの二人のやりとりはクレイには何がなんだかわからないが、聞かれたホエールは「二人の老人が百合でお互いをたたいただけさ」と答える。この言葉、優雅だけど笑える。

ホエールがいるのに気づいたデービッド。彼もクレイが庭師だと紹介されて凍りつく。その場の険悪な雰囲気にクレイは「エリザベス・テーラーを見てくる」と言って(映画ではビールを、となっている)姿を消す。彼にはホエールとキューカーの毒のある応酬も、デービッドの複雑な感情もちんぷんかんぷんだ。美女を見ている方がよっぽどいい。キューカーもデービッドもクレイが庭師だと聞いたとたん態度を硬化させている。王女に庭師を紹介するなんて・・というのがその理由だが、ホエールは「彼女から見れば我々はみな同じ平民さ」と気にしない。字幕だと「ジョージは彼に熱い視線を」となっているがこれはおかしい。どう見たってキューカーはクレイにみとれているようには思えない。「クレイトンを見た時の(恥をかかされたと怒っている)キューカーの顔を見せたかったよ」と言っているのだと思う。

さてカーロフ達と再会したホエール。カーロフのうしろに立っているクレイ(彼は胸の大きい女優達の方を見ている)。この瞬間ホエールの昔の怪物と将来の怪物とが同時に存在している。帰ってきて一緒に夕食をとる二人。自分のことを話すクレイ。父親も海兵隊だったが船が出る前に戦争は終わってしまった。真珠湾攻撃のあと、今度こそはといさんで再入隊しようとしたがだめだった。年をとり太って目も悪い彼は家にいた方がいいと・・。彼のためにそして自分のためにと入隊したクレイ。しかし彼をおそったのは猛烈な痛み。盲腸の破裂だった。それを聞いて血管が破れるかと思うくらい大笑いした父親。クレイは「父親の代りをするのはやめよう」と悟る。

ホエールに慰められたクレイはビールを飲み干すとホエール同様スコッチを飲み始める。 居間でスコッチを飲みタバコを吸うクレイと、同じくスコッチを飲みながらスケッチするホエール。バーネットの話を聞き、ホエールをとらえてはなさない苦悩を知ったクレイはしばらく考え込んだあと自ら裸になる。映画と違い、ここではまだホエールはスケッチを見せていない。ところでクレイはなぜ裸になる気になったのだろう。過去に取りつかれているホエールを手っ取り早く力づけるには、絵を描く意欲を起こさせれば良い。それによって生きる意欲もわいてくるだろう。クレイはホエールの体調をそれほどよく知っているわけではない(毎晩クレイに首をしめられる夢を見ているなんて知らないし)から、目標さえあればと考えた。文学もパーティも彼とは無縁の世界。愛情の交換は問題外、となれば彼にできることは絵のモデルしかない。ヌードはいやだがホエールには彼の長年の悩みを解決してくれたという感謝の気持ちがある。ここはひとつ・・。まだスケッチを見る前だから、クレイはホエールがどんな絵を描いているのか知るよしもない。

ホエールはガラスにうつったクレイを見るが、まだ何がおこったのか理解できないでいる。タオルを取ってもまだ背を向けている。ふり返るとその光景が消えうせてしまうのでは・・と思いながら、ゆっくりふり返る。しかしクレイはちゃんとそこにいる。急いでキッチンへ行くホエール。捨てようとごみの缶の上においてあった帽子の箱。中味はガスマスクである。突然大きな手が現れ、彼に箱を渡す。光の点滅(稲光だろう)の間にうかびあがる怪物の顔。戻ってきたホエールはふたを取り、箱をソファにおく。その箱を膝にのせマスクを取りあげるクレイ。マスクをかぶったクレイの視界は丸い二つの穴を通してだけ。口をおおわれているので彼の声は頭の中から聞こえる。不安になってマスクを取ろうとするクレイを「ひもを切りたくないから」と止めるホエール。

・・で一連の出来事があって、クレイは逃げようとしてテーブルにぶつかりグラスやデカンタが床に落ちる。ランプが投げ出され部屋の中が暗くなる。ソファに足をとられて床に倒れ、息をつまらせながらもなんとかマスクを取ろうとするクレイに背後からすがりつくホエール。ひもがちぎれ、やっとマスクが取れる。クレイに触ろうとするホエールの手を片手でつかみ、もう一方の手で重いクリスタルのデカンタを拾い上げる。絞め殺してくれと言われ凍りつくクレイ。「だんだん自分が失われ、すぐに何もなくなってしまうのだ。このスケッチを見てくれ」とここでホエールの描いた絵が出てくる。「死にたいのなら自分で死ね」とクレイ。ホエールは第二の怪物になってくれだの、(殺しても)君に罪はない、家も車も残すよう書いておいただのとかきくどく。クレイはふるえはじめ「おれはあんたの怪物じゃない」とわめく。ホエールから離れすすり泣くクレイ。映画と違いホエールの首をしめるような行動はしていない。「私はいったい何をしようとしていたのだ、何を考えていたのだ」と我にかえるホエール。彼はタオルを拾い上げ、クレイの肩にかける。え?タオル?・・てことは映画と違ってクレイはここまでずっと・・。

ホエールを寝かしつけキッチンでシーツをひろげ、それにくるまるクレイ(そりゃタオル一丁では寒いでしょう)。次に居間でタバコを見つけて火をつけ、家具を元通りに直す。ガスマスクを拾い上げ、乱暴に箱に押し込む(その気持ちわかる)。そしてシーツにくるまって眠る。一方ベッドから起き出すホエール。あかりをつけ、紙をひっぱり出す(遺書を書くのだろう)。夢のシーン。爆発かなにかでできた穴の中は死体であふれている。クレイに連れて来られたホエールはその中に降りる。一番近くにあった死体はバーネットのだ。どこにも傷も穴もなく、夢のない眠りの中にいるバーネット。上を見るとクレイはもういない。ほかに生きている物と言ったら、まばたきしながら疲れたように彼を見ているふくろうだけだ。ホエールはバーネットの隣りに横たわり目を閉じる。

そして電話の音で目を覚ますクレイ・・となる。ラストは1972年、40歳になったクレイ。小さいけれどこぎれいな家。夢中でテレビを見ている10歳の息子マイケル。クレイの膝の上には赤ん坊。かわいくて快活な妻ダナ。ゴミを出し、稲光が走る空を見上げる。振り向くと二階の窓に赤ん坊をあやす妻の姿が見える。すさまじい雷の音と雨。幸せなクレイを見てほっとしながらも、怪物のまねをして歩くのを見て、あの出会い、経験によってクレイが得たものは・・と考えさせられる。いまだに何らかの形で彼の中に残っていることだけはまちがいない。ところでホエールのスケッチのうらに書いてあった「Friend?」が「友人より?」になっていたけど私には「悪いことしましョ!」でE・ハーレーがやっぱり「Friend?]と言った時の「仲直り?」の訳の方がぴったりだと思える。あれには[許してくれるかい?]とか[友達でいてくれるかい?]みたいな気持ちがこめられているように思う。