カレンダー・ガールズ

カレンダー・ガールズ

「何の映画見るの?」「サメが人を食う話」また別の日「どういう映画?」「首なし騎士が人の首ぶった切る話」「あなたねぇ・・そういう血なまぐさいの好きだねえ・・何でもっとまともな映画見ないの?もっとほのぼのしたやつ・・」あら、私だって見ますわよ、ほのぼのしたやつ。私だって別に人が食われるところ見たくて「ディープ・ブルー」見るわけじゃないの。首が切り落とされるところ見たくて「スリーピー・ホロウ」見るわけじゃないの。血みどろ映画が好きなんじゃなくて、私が見たいと思った映画がたまたま血みどろ映画だったってだけのこと。私が映画を見るのはたいてい目的があるから。でもその目的が「血みどろ度」ってことはまずないわねえ。我が家では二人で映画を見に行くことはほとんどない。この間感動させてやれ・・と思って「大脱走」に引っ張って行ったけど、終わった後で「これのどこが名作なの?」・・だってさ。「シャル・ウィ・ダンス?」の時は終わった後で「あの夫婦、別れちゃうの?」・・なんて真顔で聞くの。芝生の上で仲むつまじくダンスをする主人公夫婦が、離婚を決意したように見えるらしい(何でやねん)。・・てなわけで私ってやっぱり一人で映画を見に行く運命(さだめ)なんだわ・・まあいいけど。今回は「カレンダー・ガールズ」について書くけど、私だってこういう血のないほのぼの映画見ることちゃんとあるのよ。中年のオバさんがヌードカレンダー作ったらたくさん売れたっていう話なんだけど、以前新聞に記事が載っていたから内容は知っていた。記事には映画化されるとも書いてあったので、何でも映画の題材にしてしまうんだなあ・・と思ったものだ。その後このことは忘れていたので、新聞の映画欄で批評を読んだ時には、ホントに映画になったんだ・・とちょっとびっくりした。でもそれだけだったら別に見に行かなかった。こういうのってテレビで見てもスクリーンで見てもそんなに変わりはないと思うから。レンタルされるまで待ってる。でもそうしないでわざわざ見に行ったのはヘレン・ミレンが出演しているから。ミレンは「2010年」の女船長(宇宙船の、ですよ)もよかったけれど、テレビで見た「グリーンフィンガーズ」での園芸評論家(だったっけ?)が印象に残っている。最初登場した時にはいかにも気取った高慢ちきな女性に見えるんだけど、けっこうちゃんとしていて・・。

カレンダー・ガールズ2

ちゃんとしていると言うのは仕事に対してであって、家庭の方は失敗しているのだけれど。しっかりしているようでいて抜けているところが何だかかわいらしかった。この映画で彼女が演じているクリスも似たようなところがある。行動派でてきぱきと物事を処理し、常に前向きだが、大ざっぱなところもあり、時々ポキッと折れたように悲観的になる。カレンダーの宣伝をしようと記者会見を開くが、誰も来ていなくて(実際にはたくさん来すぎて会場に入りきらず、別の場所に変更になったのだが)うろたえて泣き出すところ。新聞にやらせ記事が載って、マスコミに追いかけられるのがいやで家族をほったらかしてハリウッドへ逃げてしまうところ。一方親友のアニーはクリスとは正反対の性格。考え深く辛抱強い。正反対の性格だからこそ、この二人は一番の親友でいることができた。しかしカレンダーが有名になり、マスコミに持てはやされ、ハリウッドに招かれ・・と思いもかけない方向に人生が進み始めると、二人の友情にも亀裂が入ってしまう。元々はアニーの夫ジョンの死がきっかけだった。彼が世話になった病院に皮のソファを寄付しよう。今あるソファじゃ固すぎる。婦人会では毎年カレンダーを作っているけれど、橋や教会じゃ売り上げはしれたもの。クリスは自分達がヌードになったカレンダーを作ったらどうかと思いつく。その奇抜さで売れるかもしれない。仲間をつのり、カメラマンを捜し、婦人会の許可を取り、やっとのことで撮影し、売り出してみたら大成功。無事病院にソファを寄付できました。ジョンの命を奪った白血病研究のための寄付もできました。メデタシメデタシ・・。ストーリーはこんな感じ。ジョンの死でホロリとさせ、カレンダー製作のドタバタで笑わせ、ハリウッドまで行っちゃって気分はセレブ。絵に描いたようなハッピーエンド。・・普通に作ればそうなる。でもこの映画はちょいと違う。甘くない。ホロ苦・・いや、かなり苦い。まだ原作は読んでいないけど、パラパラッとページをめくってみたところでは、カレンダー製作はほんの序の口。その後の方がずっとずっと長い。映画はその後のあんまり楽しくないことにも時間を割く。もっとお手軽に作るならジョンが白血病におかされ、アニーの懸命な看病も空しく亡くなるところにもっと力を注ぐだろう。「見ているお客の涙をもうひとしぼり、しぼり取ってやれ」・・そんな描写もできたはず。

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私はこの部分では泣かなかった。闘病生活を送るジョンのまわりでは冗談が飛びかう。アニーが暗い顔をして沈み込むのはジョンの前ではなくて、休憩室(待合室?ここのソファが固いのよ)でだ。私がちょっとホロリとさせられたのは、アニーに寄せられたたくさんの手紙を読むところ。このシーンでは「メンフィス・ベル」を思い出した。基地の司令官は戦死した兵士の遺族に一通一通きちんとお悔やみの手紙を書く。普通は戦死の通知が来るだけだから、遺族は驚く。そして悲しみにうちひしがれながらも感謝の手紙を返して寄こすのだ。直接戦争シーンを描かなくても、ごく普通の人々を悲しみに突き落とす戦争の悲惨さが鮮やかに伝わってくる。アニーだけでなく他のメンバーもたくさんの人から感謝や激励の手紙を受け取った。このシーンを引きのばし、観客に涙を流させるのはたやすい。この映画を見にくるのは圧倒的に中年女性が多いが、彼女達にとっては身近な問題だから。家族の誰か誰かをなくしている年代だから。でもシーリアに来た刑務所に服役中の男性からのファンレターで笑わせて終わり。ホロリとさせても引きのばさず、さらりと終わりにしてしまう。撮影ももっとどたばたさせて(ダンナの反対とかでね。この映画のダンナ連中は大人しい人がほとんど)笑わせることもできたが、適度に笑わせてはいおしまい。この映画には「うんと○○してやれ」という作り手のいやらしさがない。もちろんいやらしいものは出てくる。押しかける記者、軽薄なショービジネスの連中。だが彼らは存在を誇張する必要がない。存在そのものがいやらしさ、あざとさのかたまりであるから、そのまま普通に描くだけで十分なのである。もみくちゃにされ、精神的に傷ついたりしたけれど、ヨークシャーに戻ってきて、婦人会に出席して、歌を歌って、彼女達は本来の自分を取り戻す。映画の冒頭、婦人会の活動がいかに退屈なものであるかが描写される。ブロッコリーについてだの敷物についてだの、おもしろくも何ともない講演ばかり。聞いている者は半分寝ていたりクリスみたいに笑いをこらえていたり。元々彼女は婦人会になんか興味はない。母を喜ばせるために入っただけ。ジャムが何よ、ケーキが何よ。コンテストにはスーパーで買ってきたスポンジケーキを出した。そしたら賞を取っちゃったけどさ。

カレンダー・ガールズ4

あら、ずるなんかしてないわよ。ちゃんと正直にスーパーで調達してきたってスピーチの中で言いましたからね。冗談だと思ってみんな笑ってたけどさ。・・彼女達を見ていて感じるのは品のよさである。多少ふざけていても婦人会にはきちんとした服装で出席し、背筋をのばして座り、歌は心をこめて歌う。少し前、毎日新聞の映画批評欄で、あるコメディー映画についてこんなことを書いていた。「ほのぼのさせてはくれるが、良質の作品となるには気品が必要だ」・・笑わせたりほのぼのさせたりする映画はたくさんあるが、その場限りのものか後々まで残るものかの境界は品位にあると思う。手段を選ばない「笑い」や「泣かせ」は、そういうのの方が好みと言う人もいるだろうが、私は空しさやいやらしさを感じてしまう。裸だってチラリの方がなまめかしいことあるでしょ。コメディー映画で例えば「タイムトラベラーきのうから来た恋人」なんかは良質の作品だと思う。ふざけたところもあるけれど、人間にとって大切なことは何かをきちんと表現している。「カレンダー・ガールズ」が表現したいことって何だろう。家族(夫婦)愛・友情・中年だからってくすんでしまわないで、目的に向かって一歩前進しなさい。人生の主役になろう!映画の宣伝文句やパンフレットに書いてあることは、私が感じたことと必ずしも一致しなかった。私はクリスやアニーに共感を覚える一方で、ヌードに反対する婦人会会長のマリーにも目が行った。保守的で誰よりもきちんとしていて、反対したり邪魔したりしたけれど、カレンダーが有名になるとコロリと意見を変える。取材を受ける彼女のまわりには子供が三、四人。婦人会ではすましている彼女だが、家では育児や家事に追い回されているのだ。あの男の子ときたら「元気がいい」なんて言うんじゃなくて「クソガキ」だよな。きっと大変だろう。そんなことおくびにも出さず、婦人会をしっかりまとめているマリー。美しいガーべラの花束を持って(カレンダー発売を断念させようと)アニーを訪問するが、冷たくあしらわれて気落ちして帰って行く。私はなぜか彼女のことが気になった。夢に向かって前進するクリスやアニーがいる一方で、変化のない毎日を送っていてそれに満足している者もいるってことを、この映画はきちんと描いている。で、一方を全くの悪として描くのではなく、共感できるものとして描いているのがいい。

カレンダー・ガールズ5

ラストシーン、クリス達は丘の上で太極拳をしている。女性だから、さあ練習終わり!ポテト食べる?食べる!ってことになる。男性だったら水分補給にビールだ!となるだろう。それがお決まりのコース。太極拳に限らず、運動していてもちっともやせないのは、練習の後でついつい飲んだり食べたりしてしまうから。話はそれるけどこの映画太極拳が出てくるんですよ。びっくりしましたよん。バッタのポーズとか言っていて、あれじゃまるでヨガじゃん・・なんて思いながら見ていたのよん。クリスにあたるトリシア(原作を書いた人)はヨガの先生らしい。ヨークシャーの大自然を見せるのにヨガじゃちょっとね・・と太極拳に変更になったのか、トリシアさんが太極拳もやってるのか、そこらへんは不明。話のそれついでに太極拳が出てくる映画についてちょっと。「ノッティングヒルの恋人」では背景程度。ちゃんとやっているんでびっくりしたのが「点子ちゃんとアントン」。伝統楊式太極拳の85式(たぶん)をやってます。太極拳の極意(?)を教えてくれるのが「女デブゴン・強烈無敵の体潰し!!(ドラゴン酔太極拳)」ですな。香港製おちゃらけカンフー映画だけどけっこうまともなこと言ってます。テレビでもたまに中継で「皆さん朝から太極拳やってます」なんてやるけど、たいていは気功か練功18法。朝→公園→ゆっくり→太極拳という図式ができあがってしまっている。・・で、話を戻すとあの「ポテト食べる?」という言葉がすごく印象に残ったのよ。少しでもきれいにうつしてもらおうと、撮影前には節食していた人もいる。でも日常の暮らしに戻るとやっぱりポテトだケーキだパイだ・・となるのよ。シーリアみたいに元々運動を生活に取り入れている人は別として、また前の生活に戻っちゃう。運動してカロリーを消費してもそれ以上にまた食べたり飲んだりしてしまう。一時的にスポットライトを浴びてもまた元のくすんだ生活に戻ってしまう。それが普通。人生の主役になろう!・・なんていう言葉はうそっぽくていけない。華やかだろうがくすんでいようが余計なお世話。自分の人生の主役は自分しかいないに決まってるじゃん。そりゃ彼女達の体験したことは刺激的で非日常的なことだったけどさ、映画はそれ、つまり「変わることの大事さ」だけじゃなくて「変わらないことの大事さ」もちゃんと表現しているのよ。「ポテト食べる?」の一言でね。

カレンダー・ガールズ6

この映画にはヨークシャーの大自然が出てくる。人間と違ってスケールが大きいし、サイクルも長い。クリスの息子ジェムが、友達のガズと一緒に登る巨大な岩にはびっくりさせられる。とても雄大で思いがけない自然の造形。ヨークシャーは晴れていてもどこかしめりけを感じさせるところだ。ハリウッドは乾いている。人工的でうるおいがない。そこに集まってくる人間達、クリス達がハリウッドで出会った人達ということになるが、テレビの人気司会者、CMの製作者、有名(らしい)バンド・・。彼らはハデで時めいてはいるが別の世界の住人だ。「あなた達はストリッパー?」・・そんな言葉は(例え相手をリラックスさせるための方便だとしても)聞きたくないな。ジェイ・レノは有名人だし、トリシア達はショーの出演を楽しんだらしいが、私にはこんなことを言うレノがりっぱな人だとは思えないな。洗剤のCMではヌードになるよう言われ、クリス達は困惑する。製作者はこともなげに言う。「アンタ達のウリは裸だろ」・・服を着ていたのではただの中年のオバさん。モデルが彼女達である必要はない。重要なのは皮膚がむき出しかどうかってこと。その皮膚につつまれたなかみ、人間性なんかどうでもいいのだ。アニーはがまんしきれなくて撮影現場を飛び出す。「シャワーはどこ?」自分がすごく汚れてしまったように感じる。この汚れを洗い流したい。追いかけてきたクリスはつい本音が出てしまう。「私がうまく仕切るのがねたましいんでしょ。聖人気取りで手紙の返事書いてるけど、いつから人生相談の回答者になったのよ」とか何とかきついことを言ってしまう。クリスだってこのCMでヌードになるなんて(いちおうは隠すけど)今初めて知ったのだ。素人の悲しさ、洗剤のCMだから普通に洗濯物を干すところを撮影するんだと思っていた。自分だって他のみんなだって脱ぐのはいやだ。でもカレンダーのアメリカ版を出すには、この仕事をやらなきゃならないのだ。二人の友情に亀裂が入ったところでこのシーンは終わるけど、結局はあのCMどうなったの?いずれにしてもこの件が一つのきっかけだった。こんなふうに流されていてはいつかとんでもないことになる。故郷に帰って、まわりを見回せば自分が何をすべきかはわかる。いろんなことがあって、傷ついたりもしたけれど、楽しんだことも確か。思い出は思い出として、とにかく今は元の生活に戻りましょ。

カレンダー・ガールズ7

映画はそれですむけれど、現実だともっといろんなことも起きる。トリシアは危うく離婚するところだったらしいし。さて私が行ったのはその館での公開最終日だったが、レディス・デーだったせいかお客でいっぱいだった。中年女性がほとんどで、年配の夫婦も多い。「ハリポタ」がなければもっと長くやっていたかも。この映画のよいところはとにかく安心して見ていられるってこと。どぎついところや気まずい思いをするところがない。いや、けっこう危ないことは言っているんだけどさ。「私は55歳よ、今脱がないでいつ脱ぐの?」「隠すってのが気にくわないわ、私美乳だもの」「股間はいやよ、股間はただ一人の男性のもの」「夫思いなのね」「夫じゃないわ」・・これですからねー、女は恐ろしい。したたか。何食わぬ顔をして秘密を守り通すしぶとさ。それでいて別に隠すつもりもないようで、こうやってさらっと(女友達には)言うんです。ジェムが「オフクロ、何だかヘンなんだ」とガズに打ちあけるところも笑える。この映画ヘレン・ミレン以外は知らない人ばっかりだけど、ガズ君だけはすぐわかりましたよ!何しろ前の日に「スリーピー・ホロウ」見たばっかりですからね。・・二人が家に帰るとクリスが裸になって写真をとってもらっているところ。「何だかヘン」どころじゃない、オフクロホントにおかしいよ。何で近所のオバさん達が集まってオフクロの裸の写真とってるの?クリスが現像に出した写真を受け取りに行くと、売り子達が笑いをこらえている。彼女達はなかみを見たのだ。ジェムに見られて大あわてで隠れようとする世にも情けない自分の姿。落ち込んだけれどすぐに立ち直る。ちゃんとしたカメラマンにとってもらおう!常に前向きなクリス。正直言って実物のカレンダーよりも、映画でのカレンダーの方がきれいだと思う。表情の出し方、雰囲気の出し方はプロである女優の方がずっとうまい。きれいにとってもらうコツを心得ている。実物がきれいじゃないってことではないよ、もちろん。どちらのカレンダーにしてもヌードであることはさほど気にならず、健康的で自然である。だからこそそこらへんにぶら下げておけるのだが。それにしてもこの映画イギリスで作られて、ヘレン・ミレン主演で作られてホント正解だった。辛らつだけどどぎつくない。甘ったるさを排してホロ苦。品がいいけど気取ってもいない。ハリウッド製じゃこの味は無理。