ギャザリング

ギャザリング

見に行ったのは公開一週目のレディス・デー、お客は30人くらいかな。私は別にキリスト教ではないんだけれど、キリスト教が題材になっている映画はよく見ている。・・と言うか多いのよね。あきもせずに作られているなあ・・という感じ。それだけ題材が豊富なんだろう。それにくらべると仏教は・・こちらも題材は豊富だと思うけど・・。この「ギャザリング」は、見ながら「何だかあの映画に似ているぞ、ここはこの映画を思い出すぞ」と思ってしまうような作品。イギリスのグラストンベリーというところで、最古と思われる教会が発見される。「アリマタヤのヨセフ」という人物が、キリスト処刑直後にイギリスに渡り、建てた教会だと思われる。大発見だがなぜか教会は地中に埋められ、中の様子も変だ。調査を依頼されたのは美術研究家のサイモン。彼は教会側の態度に不審の念をいだく。彼の見るところこの教会は間違いなく1世紀に建てられたものだ。しかし教会側はこの発見に当惑し、公表したくないようだ。なぜなんだろう。見つかっては困る大発見・・これって「抹殺者」ふう。その頃サイモンの後妻マリオンは、キャシー(クリスティーナ・リッチ)という女性を車ではねてしまう。幸いキャシーはほとんど無傷、ただ頭を打って名前以外の記憶をなくしたらしい。責任を感じたマリオンはキャシーを自宅へ泊めることにする。その日からキャシーは夜は悪夢に悩まされ、昼間は妙なものが見えてこれまた悩まされる。こういう能力って絶対授かりたくないよな。ふと見ると口から血を吐いている。ふと見ると心臓のあたりから血が出ている。ふと見ると目に穴が開いている。この人達は近いうちに絶対死ぬのだろう。自分には予知能力が授かったのだろうか。自分とは全く関係のない人達ならまだいいけど、家族や恋人だったらどうしよう。そうなったら人と会うのが怖くなってノイローゼになって閉じこもると思うな。だって自分の大切な人に死のカゲが見えたら耐えられないもん。どうすることもできないんだもん。その他に見覚えはあるんだけど誰だかわからないって人達がキャシーをつけ回す。あの人達は誰なんだろう。そのうちにキャシーはダンという青年と親しくなる。彼に悩みを打ちあけ、力を貸してくれるよう頼む。彼女が一番気になっているのはサイモンの息子マイケルのことだった。彼はキャシーと同じく毎晩悪夢に悩まされ、吠える犬の声を聞いていた。

ギャザリング2

サイモンもマリオンもマイケルの姉エマもそんなことは体験していない。マイケルだけが怖い思いをしているのだ。なぜなんだろう。ダンと一緒に調べていくうちに、キャシーは自分が今泊まっている屋敷が昔は孤児院だったことを知る。ここで孤児の虐待事件が起こり、新聞ダネになったのだが、どうもうやむやのうちに葬り去られてしまったらしい。犠牲者の生き残りアーガイルは成長した今もグラストンベリーに住んでいる。どうやら彼は事件がトラウマとなって、牧師や医師など当時の関係者に対する復讐を計画しているらしい。しかも彼はマイケルに自分を重ね合わせ、マイケルを殺すことで自分の中にある忌わしい記憶を消し去ろうとしているらしい。マイケルは実母の死から立ち直れず、精神科医の治療を受けている。その上に悪夢や犬の吠える声に悩まされている。マイケルの血だらけの顔を予知したキャシーは、何とか彼を守ってあげようと決心する。しかし警察に訴えても相手にされない。ある晩サイモンがうつした教会内部の像の写真を見たキャシーは、それがあの正体不明の人達なのに気づく。しかもそのうちの一人は・・。収穫祭でにぎわう中、アーガイルは行動を起こす。医師や牧師を撃ち殺し、広場には爆弾をしかけ、マイケルを殺そうと屋敷に現われる。キャシーがいろいろ妙なものを見るところや、彼女の正体が実は・・というところは「シックス・センス」や「アザーズ」と同じである。少年がおびえたりするところも。マイケルは喘息持ちだが、この設定は最近多い。「サイン」でしょ、「コール」でしょ。トウモロコシ畑の中で・・は「サイン」だな。だから新鮮味があんまりなくて、「あっそう」の次に「また?」をつけ加えたくなる。撮影もあんまりスマートじゃない。場面のつなぎ方が字あまり・・みたいな。「ゴシカ」みたいにスパッと場面が切り替わると緊張感、スピード感が出るんだけど。それと音楽がちぐはぐ。キリスト教が題材だからって荘重な音楽をうるさく流す必要はないと思うよ。全体的に地味で静かなムードのホラー映画なんだから、音楽もそういうのの方がよかったと思うよ。エンドロールの曲もあんなやかましいのじゃなくてしみじみとした曲にすれば余韻が残ったのに。内容も出演者も悪くないけど何かちょっと物足りないなという感じでずっと来るんだけど、トウモロコシ畑のシーンあたりからはかなりドキドキさせられた。

ギャザリング3

マイケルが風船を持っていて、隠れなきゃならないのに畑の上に風船がぷかぷか浮いてる。追いかけるアーガイルには丸見えなわけ。そこがよかった。エマもマイケルも自分達がなぜ逃げなきゃならないのかその理由がわからない。マイケルは自分がアーガイルに目をつけられているなんて知らない。楽しいお祭りに出かけて行ったのに、突然わけのわからない災難に巻き込まれてしまったのだ。その彼らの無防備さ、危うさがこの風船によく表われている。ぷかぷかのどかに浮いているけど、次の瞬間には撃たれて破裂してボロきれのようになっている。この映画は子供達を必死で守ろうとするキャシーの奮闘ぶりを主に描いていて、彼女の目にうつる妙な人々の存在はあんまり表面には出てこない。いちおう彼らの正体は少しずつわかってくる。キリストの処刑を見に集まってきた人々である。彼らは「ただ見ている」という大きな罪を犯した。そのために呪われ、2000年もの間人間の起こすさまざまな悲劇を目撃するはめになった。彼らは目撃するために集まってくる(ギャザリング)のである。彼らは古くは絵に描かれ、近くは写真にとられ、ニュースフィルムにうつることとなった。今回発見された教会の壁に刻まれた像と、絵や写真の顔は同じである。その彼らがグラストンベリーに集まってきているということは、ここで何か惨劇が起こるということだ。胸騒ぎがしたサイモンは大急ぎで家に戻る。マリオンはアーガイルに撃たれてはいたが命に別状はなさそうだ。では子供達は?・・結局彼らは見るだけである。何にもしない。でも彼らが揃ってトウモロコシ畑の中に入るところは・・何とも言えず怖い。何にもしないのに怖い・・これっていいアイデアだと思う。最近の映画はしなくてもいいことまでするからかえって怖くない。それにしてもなあ・・見ただけで罪になるってどういうことよ。罪かどうか決めるのはいったい誰よ。呪われたってことは呪った者がいたってことよね。それは誰なの?アリガタヤ・・じゃない「アリマタヤのヨセフ」?正しくないことが行なわれているのに、抗議もせず悲しみもせずに見ているのは罪だ・・って2000年も呪われる。じゃあ実際に正しくないことをした人達はもっとひどい目に?地獄に落ちるのかな。彼らは快楽のために集まった・・そりゃ人の不幸は見ていて楽しいからね。でもそれにしては集まってくる彼らは皆無表情だよ。

ギャザリング4

2000年前もこうやって無表情にながめていたのだろうか。それとも好奇心丸出しでワクワクしていたんだろうか。その後2000年もの間くり返し悲劇を見させられて、いつしか心も表情も風化して、あんなふうに無表情になってしまったのだろうか。彼らの中には若いのもいて、うすら笑いを浮かべていたりする。そういう者にはまだ悲劇をおもしろがる心根が残っているのだろうか。彼らの着ているものが時代によって変化するのは大目に見るとして(買うの?盗むの?それとも幻?)、車やオートバイに乗ったり住むところがある(ダンは別荘の管理人)のはどう解釈したらいいのかな。キャシーはアメリカ人ということになっているし、ダンがパブにいたってことはお金を持っているってことだし、普段は普通の人間として暮らしているってこと?ダンとキャシーが結ばれるシーンも?だ。彼らは生身の人間ではないんでしょ?・・そう、キャシーもダンも「彼ら」なのだ。キャシーはグラストンベリーの悲劇を見るためにここへ来たのだ。偶然マリオンの車にはねられ、自分が何者なのかという記憶を失ってしまったのだ。あのー生身の人間ではないのに記憶喪失になるの?彼女は「人間」として行動し、ダンに「君は仲間だ」と言われても信じない。悲劇をくい止めようと奮闘する。でも子供達を助けようとしてアーガイルに撃たれた時、彼女は自分が彼らの仲間なのだということを知る。彼女は死なない。死ねないのだ。まあここらへんはどうしても「シックス・センス」を思い出してしまい、心から感動というわけにはいかない。私にはどちらかと言うとダンの言葉の方が印象に残った。起こることは止められない・・彼が2000年間見つめ続けて出した結論はこれだった。悲劇はくり返される。起こしてはならないとわかっていても起こる。それが人間の業だ。彼らの多くが無表情なのはそういう無常感をひしひしと感じているからだ。ただダンは無表情でもないし、一部の若者のようにうすら笑いを浮かべているわけでもない。この目に焼きつけようとでもするかのように真剣に見ている。彼はキャシーに言う。「自分達にも存在する意味があるとわかってきた・・」でもキャシーは彼の言葉を途中でさえぎってしまう。彼は何と言おうとしたのだろう。彼の考えを最後まで聞けなかったのが私にはとても残念だった。彼は彼なりの考えを持っていると思うんだけどな。

ギャザリング5

さて彼らにかけられた呪いが、永遠のものではないことが最後にわかる。身を捨てて悲劇を防ごうとし、黙って見ていることの罪を自覚したキャシーは呪いも解け、成仏・・じゃない天国へ召される(・・と言うか召されたんでしょ?)。うーん、規模の小さい「ゴーストシップ」ふう昇天シーンだよな(何じゃ、それ)。ダンだってそのうち・・他の人は考えるのをやめてしまっているけれど、彼は少なくとも自分はなぜ存在しているのか、存在させられているのか考えているからね。人間はあきもせず同じ過ちをくり返している。くり返す原因の一つはそれを受け入れる者がいるからだ。過ちを過ちと指摘せず、反対もしないから同じことがくり返される。それを見続けさせられる自分の勤めはそれを現実として受け入れることだ。起こることを目に焼きつけ、覚えておく。例えそれが見るに耐えないものだとしてもだ。それが自分にできるせめてもの罪滅ぼしだ。どうか彼も成仏させてあげてくださーい。だって彼(キャシーもそうだけど)人の不幸を見る快楽のために集まってきたヤジ馬には見えないんだもーん。たまたま歩いていたら処刑に出くわしただけ。事情もわからずに見ていただけ。でも「アリマタヤのヨセフ」にとっては、ただの通りすがりの者ですら呪われるべき存在だったわけよ。たまたま処刑されていたのがキリストで、彼の死はすべての者が悲しみ、抗議すべきものだったわけよ。そんなこと言われたって・・ねえ。さてと・・ダンを演じたヨアン・グリフィズのきりっとした顔がいい。みんなが騒ぐブラピもトムクルもベン・アフレックも、私から見るとどうもね・・ゆるいと言うか、顔にしまりがない。だからヨアンとか「ギャンブル・プレイ」のサイード・タグマウイを見ると新鮮に思えるの。ヨアンのファンサイトには美しい写真がどっさりある。ウヒョホ!マリオン役のケリー・フォックスもいい。こういう顔つき、体つきの女性って日本人にもいるよなー。ラスト、せっかく発見された貴重な教会は再び埋められてしまう。歴史的には貴重だが宗教的にはまずいのだ。うーん、ここらは「抹殺者」と同じだな。発見されたから悲劇が起きたのではないし、埋められたからって悲劇がなくなるわけでもない。人間がいる限り悲劇は起こり、悲劇が起こる度に「彼ら」は集まってくる。なかなか考えさせる内容だよな・・あーでも音楽がうるさくて・・ここはディスコかよ!