恋人たちのアパルトマン

恋人たちのアパルトマン

「ザ・クロウ」でV・ペレーズのファンになったので見たが、最初にうつった時から最後まで、それこそ口をぽかーんと開けて彼の姿を追っていた。この映画はソフィー・マルソーの魅力爆発・・ということになっていて、彼女のファッションやヘアスタイルがウリらしいが、まあそんなことはどうでもよい。ペレーズの驚異的な美しさの前では・・。「ザ・クロウ」では素顔はほとんど見せないし髪はばらばら、アクションヒーローだから体つきもがっちり。こちらのアレクサンドルは美しくウェーブした金髪、まるで女性のように長いまつげ、ほっそりと長い手足・・とおとぎばなしの王子様のよう。実際にそういう扮装をするシーンもある。笑っても怒っても悲しんでも、何をやってもこんなに美しい人はめったにいない。まあこのころから髪がちょっと・・なのがとても残念。ストーリーは大したことじゃない。アレクサンドルとファンファンがすったもんだの末結ばれてハッピーエンドというだけ。でもそのかげにはアレクサンドルに捨てられたフィアンセがいるわけだし。この先二人がずっと今みたいに愛し合っているかといえばアヤしいもんである。結婚式の直前になって相手が他の女性に心を奪われていると知ったロール。何をしてもムダだということは残酷なことである。動揺して思わず「妊娠しているの」とウソをつくが、すぐにばれてしまう。落ち込んで買い物の途中思わず果物を取り落とし、拾おうとしてしゃがむと目の前の下水に先ほど自分が書いた結婚式の招待状が次々と流れてくる。目を上げると少し離れたところで招待状を捨てているアレクサンドルの姿が・・。目が合った二人。いたたまれずよろめき人にぶつかりながらそこを走り去るロール。苦悩するアレクサンドルの顔。しかしいくら何でもこれじゃあロールがかわいそうだ。アレクサンドルはバスに乗ったファンファンに追いつこうと走りに走るが、次の停留所でせっかく追いついたバスに乗らないでしまう。それは「今はこうして後を追って走ったけれど、五年後のボクはやっぱり同じように彼女の後を追うだろうか」という考えが頭に浮かんだからである。実際問題として男女が永遠に変わらぬ愛情を持ち合うことなど不可能である。出会って五年目のロールに魅力を感じない(といって嫌いになったわけでもない)のと同様、五年後にはファンファンへの愛情もさめるとまでは行かなくても変化しているはずである。

恋人たちのアパルトマン2

それでも仲良くやっていくのが夫婦ってもんでしょ。原作では子供もできて、いつまでも変わらない愛情を持ち続けたなんて書いてあるけどうそっぽい。こんなはずじゃなかった・・とかあの頃の二人はどこに・・でもこれからもこうして暮らしていくのだろうなあ・・ってのが現実だよーん。さてS・マルソーのことを「象」なんて書いている失礼な批評もあるけどまあ確かに太め・・。でもぴちぴちと健康的で好もしい。若さと生命力にあふれている。二人のやることはあまりいいことじゃなくて、旅行中の他人の家に入り込んで食事をしたりする。アレクサンドルはマジックミラーを取りつけてファンファンの生活を覗き見し、ファンファンは前のボーイフレンドを使ってアレクサンドルを嫉妬させようとする。どちらかというと後味の悪いエピソードばかりだ。原作だともっと変態的な行動(アレクサンドルがファンファンのベッドの下にもぐり込む。でも寝てしまってイビキをかいてしまうところがご愛嬌)を取るが、映画はそこまで行かず、甘くロマンチックにしてある。覗き見をしながらも「ボクは変態じゃない」とか「こういう生活もしんどいな」とつぶやくところが矛盾していて笑える。一番おかしいのは喫茶店で二人が話し合うところ。白いアイスクリームの上に赤いチェリーが乗っていて、まるで女性のおっぱいのように見えるのだが、深刻な話(恋人ではなく友達でいよう・・)をしながらアレクサンドルがそのチェリーをいじくり回すのである。恋愛感情じゃなく友情を・・と言いつつやっぱり相手のことが好きでたまらないのだ。それが無意識の行動となって現われているのに本人は全然気がついていない。この後アレクサンドルはファンファンの水に眠り薬を入れるのだが、トイレから戻ってきた彼女に見つかりそうになる。水をストローでかき回し、それをかんでしかめっつらをして何事もなかったように装う。そういう時のペレーズの演技がうまい。ナイーブで純情でロマンチストで・・でもずるくて軽薄で自分かってで冷酷で・・と矛盾する人格を美しい顔立ちと細い体で表現する。何度見てもその美しさには感動させられる。いちおう問題を提起しているけど、それが「愛」という言葉によって都合よく、あいまいなままに解決されていて、人生そんな甘いものじゃないよって思わされつつ、それがあんまり気にならないのも彼の美しさのせいなんだろうな。