死への逃避行、氷の接吻

死への逃避行

これは「氷の接吻」のフランス版か。あっちを「氷」とつけたのは、シャロン・ストーンのと混同させようという魂胆か。こっちは1983年製作で、イザベル・アジャーニは美しさの盛り。感想を書くため、原作を読み返した。前半はほぼ忠実だが、後半・・盲目の建築家ラルフ(サミー・フレイ)をなくしたあたりからふらつき始める。あの二人組は誰なのか。モーテルでは何をやっていたのか。原作だとヒロイン、カトリーヌ(アジャーニ)はモーテルで一晩に七人も殺す。美女が金や宝石目当てに人を殺しまくる映画だが、場違いな音楽が流れ、しゃれたコメディーっぽくしようとしてるように思える。こちとらそんな軽い気になれない。探偵のルイ(ミシェル・セロー)はべちゃべちゃしゃべりまくる。彼だけじゃない。おフランスだけあってみんなしゃべりまくり、怒るし、つっけんどん。何かがかもし出されるヒマがない。針でつつかれてるような気にさせられる。いろんなタイプの女性に扮するアジャーニは確かに美しいが、シワができたら大変とでもいうように、常にうつろで張りつけたような表情。会う人ごとに口から出まかせ、恩師の存在(原作の精神科医ダラス)もなし、妊娠も流産もなし。クライマックスであるはずの食堂での面通しもなし。代わりにルイの一人芝居を延々と見せる。わざとらしくてうんざり。セローは「Mr.レディMr.マダム」で知られているが、私は見たことなし。ポアロ役とか似合いそう。別れた妻マドレーヌ役がマーシャ・メリル。こちらは行方知れずではなく、毎年電話をかけてくる。ラストはルイと一緒に娘マリーの墓参り。ルイのボスがルイボスティー・・ではなく、ジュヌヴィエーヴ・パージュ。ホテルの警備(たぶん)ボラジンがジャン=クロード・ブリアリ。他にステファーヌ・オードラン。フレイはまだハンサムで、登場人物の中ではマシなキャラ。でも(生まれつき)盲目で建築家ってのは・・。絵画に精通しているってのは・・。ラルフが車にはねられるところや、ルイが木を伝って下りるところは代役だろうな。見ていてもそんなところにばかり神経が行く。ルイにもカトリーヌにも共感できない。ベティ(ドミニク・フロ)が撃ち殺されても気の毒じゃない。今まで人にやってたことが、自分に返ってきただけ。てなわけで私は「氷」の方が何倍も好きです。

氷の接吻

私はこういう映画が大好きなのだ。初登場一位で、すぐに下に落っこちてしまうようなその場限りの映画。駄作ではないけれど一部のファンを除き、すぐに忘れ去られてしまうような映画。原作では主人公はハゲの中年男。フランス映画なら原作通りでも違和感なく作られるだろうが、ハリウッド映画ではそうはいかない。・・で、若くてかわいいユアン・マクレガーの登場となる。アシュレイ・ジャド扮する悪女ジョアナに一目ぼれして、仕事そっちのけであとをつけ回す。恋心を押さえきれず、彼女の生活を覗き、盗聴する。「恋人たちのアパルトマン」に似ているが、こちらはかなりせつない設定。ユアン扮するラッキーは仕事で家を空けている間に、愛想をつかした奥さんが娘を連れて出ていってしまう。数年後ののしりの言葉を書いた写真が送られてくるが、彼にはうつっている少女のうちのどれが自分の娘のルーシーなのかわからない。たぶんこの子だろうと見当をつけた少女が幻覚となって現われ、彼女と対話する(はたから見ると独り言)毎日だ。神経がまいっているのは明らかだが、同僚の女性達は親切だ。彼女達の仕事ぶりがおもしろい。ヒラリーという女性が「せめてクリスマスくらい一緒に」と言うと、年を取った母親が「チャットすればいいじゃないか」なんて答えるし(映画の最初の方で12月27日と出てくるのでこのセリフはちょっとおかしいのだが)、皆で古い白黒のホラー映画を見てくすくす笑っていたりする。しょっちゅう紅茶を入れているのがいかにもイギリス大使館らしい。そこらじゅうをネコが歩き回る。パソコンとか精密機械がいっぱいあるのに。ネコの毛ってすごく抜けるのよ。肉球でボタン押してデータがおじゃんになったりしないのかね。まあありそうにない職場風景なんだけど、顔色のさえないラッキーにくらべ女性達は溌剌と仕事しているね。さて上司のドラ息子ポールが女に金を貢いでいるらしい。調査を頼まれたラッキーのそばにはいつもルーシーの幻がくっついている。現われた女がポールを殺すのを見てびっくり仰天するラッキー。しかしいくら何でもあんなまる見えの場所で殺人は犯さないと思うけどな。事件を報告しなければならないのはわかっているのだが、どうしてもそれができず、女のあとを追うラッキー。彼が列車内のバーで飲んでいると、注文してから20分もたつのよ・・とジョアナが文句を言いにくる。

氷の接吻2

画面には出てこないけど、これってきっとあのウエートレスが注文を通さなかったのだろうな。注文を取った後で、ジョアナが昔知っていた女性にそっくりなのに気づき、それとなく探りを入れたのだが簡単にいなされてしまった。きっとその腹いせに・・ってこれは私の想像だけど。ジョアナが文句言ってきたことで、ラッキーは彼女にコニャックを手渡すはめになる。こんなに近くで顔を合わせ、グラスを渡す時には指まで触れた。でもジョアナは彼には目もくれない。彼女を見るラッキーの表情が印象的だ。隣りの客の「いい女だな」とでも言いたそうな表情とは全く違う顔つき。さて列車で引っかけたミッキーという男を殺して宝石を奪ったジョアナはそれを売り飛ばし、あるホテルに落ち着く。隣りのラッキーの部屋では何人ものルーシーがうるさく歌を歌い、ベッドの上で縄跳びをする。このシーンはどうやってとったのか、うまくできていると思う。ルーシーをしかりつけて黙らせたラッキーはそんな自分を恥じるが、ジョアナが風呂に入るのを見て自分もバスルームに行く。壁ごしにかすかに聞こえるジョアナの歌声。壁に耳をつけ、手で壁をなで回し、せつなそうな表情のラッキー。アホらしいと言えばそれまでだが、恋ってそういうもの。死ぬほど恋こがれているってのにこっちの気も知らず、むこうはのん気に鼻歌まじりでお風呂につかっている。そのうちにジョアナは受付のおばあさんにあとをつけている男がいることを知らされショックを受ける。このおばあさんの「この年になれば男は皆同じ(に見える)」という言葉がおかしい。ジョアナはそこらへんにゴミをポイポイ捨てるし、大金を手に入れてもすぐに使ってしまうかなりいいかげんな女性なのだが、自分の身はさすがにかわいいのかまわりに注意をはらい始める。ただおばあさんの話で自分と同じホテルにいるってことがわかっているのに、それを調べようとしないのはおかしい。自分の背後に気を配らず、すれ違う人に注意が向いているのもおかしい。あとをつけるラッキーもずっと赤い防寒着姿で、普通こんな目立つ格好はしないと思うんだけど。ずーっとこの赤いのを着たままなので、さぞや汚れているのだろうな、汗くさいんだろうな・・と思わせるのがいい。ジョアナのことばかり考えていて着るものも食べるものもどうでもよくなっているのだ。ラッキーの他にも彼女をつけている男がいたが、なんと刑事だった。

氷の接吻3

受付のおばあさんをうまくだまくらかしたのか、いきなりジョアナの部屋に入ってくる。ソルトレークって言っていたからポールをたらし込む前に起こした事件なのだろう。この男刑事のくせにあっさり銃を取られて殺されてしまう。いくら何でも無防備すぎるぜ。このように人を殺すのを何とも思わないジョアナだが、盲目の大金持ちレナードと知り合ってからは犯罪を犯さない。原作だと次々に殺人を重ねるけど、映画ではあんまり殺すといくら辛い過去の持ち主でも見る方に同情されなくなるからね。アシュレイはきつい顔立ちだが、ほっぺたがぷくっとしているので冷たさが和らげられている。ユアンは表情もしゃべり方もおどおどと頼りなく、きりっとしたところがない。それでいて仕事はきっちりとやるし(かなり本来の任務からははずれているけど)、いざとなれば人を殴るのも躊躇しない。ユアンほんとにかわいいわー。幸せをつかみかけているジョアナだが、ラッキーから見ればレナードとの結婚は正体がばれてしまうこと間違いなしの危険な行為だ。思いあまって教会のてっぺんからジョアナ達の乗った車を狙撃する。ちょうど鐘が鳴り出したところなのでまわりには気づかれないが、白い硝煙がぱっと上がるこのシーンが好き。この前銀座へ行った時(私の場合銀座へ行くのは映画を見るため。買い物じゃないの)ちょうど教会の鐘が12時でもないのに鳴り出して、いつまでたってもやまないの。ラッキーが目を覚まし、狙撃し、外に出てもまだ鐘が鳴っているけど、ほんとあれくらい長く鳴るのよ。彼が住んでいるのは教会のてっぺんだから、クモの巣だらけだし鳩もそこらじゅうにいる。時間になると耐えられないほど鐘がやかましく鳴り響く。行く先々で買い求めた地名入りの土産物がいっぱい置いてあって、あちこち転々としているのだなあという気にさせられる。でもこれ全部持って歩くには重そう。まあ後半は車で移動しているから大丈夫か。ジョアナの身元調査のために留守をしている間にルーシーはいなくなってしまう。これはラッキーの関心がルーシーからジョアナに完全に移ってしまったということだ。出かける時、ためらったあげくルーシーの写真ではなく、ジョアナの写真を持っていくという象徴的なシーンもある。さてラッキーのせいでレナードは死亡。その日結婚するはずだったジョアナはひとりぼっちになってしまう。自分を責めるラッキー。

氷の接吻4

でも結婚した後でレナードが死ねば莫大な財産を継げただろうけど、手続きの段階で正体がばれただろうし、レナードとこのまま結婚したとしてもパーティとかで人前に出ているうちに正体がばれただろうし、どっちにしても彼女の幸せは長くは続かないことは確か。ラッキーの行動によって彼女はある意味命拾いをしたのだ。まあ精神的にはボロボロになったけど。妊娠していたレナードの子供もある災難が元で流産してしまう。一度はジョアナを見失ったラッキーだが、何とか彼女の入院先を突きとめる。そこで看護婦に聞かされたのがこのこと。看護婦は流産と言い、お墓には生後15日とあるのもおかしいのだけれど。寝ているジョアナに指輪をはめるラッキーがいじらしい。今までは盗聴マイクやカメラで彼女を見守っていたけれど後半はそういうシーンは出てこない。またジョアナもすいすいと犯罪行為をこなしていたのに後半は不器用になる。その後アラスカまで逃げるが捜査の手は彼女に向かって確実に伸びてくる。不動産屋という触れ込みでジョアナの働く食堂に入りびたりのラッキー。注文を聞かれても緊張してうまくしゃべることができないが、初めて面と向かって話せたという喜びが見ている方にも伝わってくる。全く気にとめずそっけないジョアナだが、ラッキーの横に置いてあるのはあの赤い防寒着だ。あれを目印に自分をつけている男を追ったというのになぜ気がつかないのかな。ここでの彼女は珍しく仕事をしている。アラスカじゃあ都会と違って金のありそうな男に近づいて・・ってわけにもいかない。ある日ラッキーと相席になったのはジョアナを追う刑事達。捜査の手がここまで迫っている以上、何とか彼女をここから逃がさなくてはならない。ある晩彼はうまく看板の後まで居残ってジョアナと二人きりになることに成功する。ジョアナだって長い間には自分のあとを追っている存在にはある結論を出していた。星座のペンダントを贈ってくれたのがレナードでないことはわかっているし、窮地に陥った時には誰かが助けてくれた。自分はその恩人の車を盗んでそこから逃げ出したけど、病院で目を覚ましたらいつの間にか指輪がはまっていた。姿の見えないその彼はきっと自分の守護天使なのだろう。でもこんな地の果てまで来てしまってはその天使さえいない。父も夫も娘もなくしたけれど、今一番恋しいのはその天使だ・・そう言われたラッキーの心情やいかに。

氷の接吻5

自分の気持ちに素直に涙を流しているジョアナ。この時の彼女が最も素に近い状態なんだろうな。ラッキーはいつも持ち歩いている写真を取り出す。7年間捜し続けてあきらめた自分の娘。この時の「悲しいね」という短く静かな言葉が心にしみる。翌日ジョアナは昨晩の素直さがウソのようにまた元の頑なな女に戻っている。そこへ刑事と一緒に入ってきたのはジョアナの恩師ブロート博士。面通しのために連れてこられたのだが、彼女はジョアナの味方だから「あれはジョアナじゃないわ」と即座に断言する。演じているのは「1000日のアン」でアカデミー賞にノミネートされたことのあるジュヌヴィエーヴ・ビジョルドである。以前身元調査のためラッキーは刑事のふりをして彼女を訪ねたことがあった。ラッキーに気づいたブロートはなぜここに?という不審そうな顔になる。何も言わないでと懇願するラッキーの目。何の気なしにラッキーを見たジョアナは、彼がしきりに目で合図をしているのに気づく。視線の先を追うと懐かしい恩師がいる。ジョアナの顔がパッとほころび、うれしさでいっぱいになる。それがなぜここに?という不思議そうな表情に変わり、ブロートの隣にいる男達に気づく。ラッキーに刑事が来ていたと聞かされたのを思い出し、では先生は面通しのために連れてこられたのか・・と自分の置かれた立場を悟る。ここから抜け出すことに決めて、自分に気のあるらしいラッキーにさっと近づく。店を出ながら何事かをつぶやき、感謝の意を表情で表わすラッキー。涙を流し、うなずくブロート。隣にいる刑事達が全然気がつかないのはおかしいが、まあずっと遠くで起こった事件だし、ブロートは一目見るなりジョアナじゃないと断言したし、それで気乗りうすになってメニューの方に興味が移ったのだろう。ここらへんの三人の目の演技がすばらしい。目が言葉を発しているのだ。聞こえないけれど伝わる言葉を。ドジなウエートレスが料理を落っことして、そのガチャンという音でジョアナがハッと我に返るのもよい。店内はこんでいて原作だとラッキーは新婚さんと相席なのだが、映画には出てこない。ところが画面をよく見ると隅に握り合っている手が見えている。お皿もちゃんと並んでいる。原作だと新妻は「ああ、馬一頭でも食べられそうよ!」と舞い上がっていて、「胸がいっぱいで何も食べられないわ」ってのが普通だろ、おい・・と読んでいて笑ってしまう。

氷の接吻6

でも映画でそういうのを入れると、よっぽどうまくやらないと緊張感が切れてしまう。だから新婚さんとラッキーのやり取りを入れなかったのは正解。ただちゃんと原作通りに新婚さんを登場させているのに気づいた時には何だかうれしかった。ほんのさりげなくだから今まで気がつかなかったのだけど。さてうまく抜け出したジョアナをラッキーは自分の家に連れてくる。鋭い目つきのジョアナが見たのは車のキー、お金、銃。ジョアナのことを知りつくしたラッキーがわざと置いたものだ。彼女はすぐに決断するが、何かがおかしい。ジタン、コニャック、土産物、星座のペンダント。混乱するジョアナ。ラッキーに「ジョアナ」と本名で呼ばれた彼女は彼を撃ち、車で逃げ出す。守護天使は彼だった。しかし動揺し、逃げることだけを考えていた自分はあろうことか彼を殺してしまった。次々に甦る記憶。あとをつけていた彼、列車のバーにいた彼、そして一番最初の博物館で彼女の写真をとっていた彼。運転しながら泣きわめくジョアナ。その時車の横に現われたのは殺したはずのラッキー。ここで車とオートバイがスローモーションで併走するんだけど、ヘルメットなしのラッキーの顔がいかにも間抜けで、クライマックスだというのにムードぶちこわしじゃないか・・と最初は思った。ジョアナが不審そうな顔なのは当然として、あのラッキーのニヤニヤ顔はなあ。まああれは画面通り受け取らない方がいいのかも。猛スピードで走っていて、一瞬二人の目が合ったというのが現実で、ああやって両者が手をのばし、触れ合おうとしたことはどちらかの、あるいは二人の頭の中での出来事なのだ。表現の仕方としてはあまりうまくないけどそういうふうに考えることはできる。ジョアナは自分が撃ったのは空砲だなんて知らないから、現われたラッキーを見ればこの人は本当に天使なのだと思ったことだろう。彼女が動揺するのはもっともな話で、運転を誤り、事故を起こしてしまう。しかし最後はラッキーに抱かれて幸せそうに微笑む。・・てなわけで悲しいラストなのだが、DVDにはもう一つのラストシーンが収録されていて、ジョアナのお墓の前にたたずむラッキーがうつる。帰ろうとするとすぐ近くのお墓に少女がいる。お墓にはマーガレット・ウィルソンと刻まれ、少女に名前を聞くとルーシーと答える。ボロボロになった写真を取り出して調べると確かにこの少女もうつっている。

氷の接吻7

幻覚として現われていたルーシーとは別の少女である。「僕はスティーブン」と名乗ってラッキーが手を差し出し、少女と握手するところで終わり。少女の手首からは自分の星座がぶら下がっている。これだとある意味ハッピーエンドということになる。ジョアナがもし自分が死んだらここに葬って欲しい・・と言った通りにしたら、娘に会うことができたのだ。彼女のおかげだ。しかしこれだと偶然すぎてウソっぽくなる。本編の終わり方だと二人の悲恋が強調されラブストーリーの印象のままで終わることができる。どちらがよいかは別として、私はこれを見て冒頭に出てきた写真の裏側のことを思い出した。写真がいつラッキーのところへ送られてきたのかはわからないが、ジョアナが事故で死ぬまでには一年以上たっている。その間に妻は亡くなったわけだが、死因が事故ではなく病気だったとしたらどうだろう。本編のままの終わり方だと妻と娘は相変わらず行方不明のまま。妻は今でもラッキーに恨みを抱いたままどこかで暮らしていることになる。だがもし彼女がガンのような不治の病にかかり、娘を残して死ぬことへのあせりや腹立ちからラッキーに写真を送りつけたのだとしたら・・。自分が死んだら娘が頼れるのは夫しかいない。ののしりの言葉もそう思って見れば「私達を見つけて!」という悲しい叫びにも思えてくる。あるいはどうせ死ぬんだからいやみの一つも言ってやれってことかな。深読みしすぎかもしれないが、私には映画には登場しない奥さんの心の葛藤がいろいろ想像される。ジョアナの導きで孤独な父娘は出会うことができ、最初に小道具として出てきた写真が今ここでまた意味を持ち、ジョアナの言葉も添えられて非常におさまりのいい結末となる。だから私はこっちの終わり方の方が好き。何よりもラッキーがひとりぼっちじゃないところが救いだ。ところで彼の本名はスティーブンなのね。ラッキーは職場の女性達がつけたあだ名で役名はEYE。この映画は目が重要な主題で、ラッキーの目やカメラの目がジョアナを追う。逆にジョアナが愛したのは盲目のレナードだった。ラッキーだのEYEだの抽象的な存在だった彼が娘の出現でスティーブンという現実の存在に生まれ変わる。何だかもう一つのラストシーンを見て以来いろいろ想像がふくらむなあ。だからこそ本編は二人の悲恋でストップするあの結末にしたのかもね。音楽もいいし心に残るいい映画です。