キャプテン・ウルフ

キャプテン・ウルフ

ヴィン・ディーゼルとの出会いはWOWOWの「ピッチブラック」だった。この映画、公開されたのは知っていたがいつ?どこで?・・という感じ。すぐに終わってしまったようだ。新聞での批評は悪くなかったし、興味もあったのでWOWOWで見た。特異なSF映画という印象を受けたがその後放映されず、ビデオにもとらなかったのでそのままになってしまった。レンタルビデオ店でふと思いついて借り、日本語版しかなくて、その音声もいやに聞き取りにくかったのだが、ああ私はやっぱりこの映画好きなんだ・・とわかって、2枚組のDVDを買った。特典のほとんどはばかばかしいものだったが(2枚組のDVDを買うと時々アホらしい特典に出くわす。「アンダーワールド」もそう)、映画のパンフレットがついているのはうれしい。ディーゼルを映画館で見たのは「トリプルX」だけ。スケールがでかいというだけであとは別に心に残らない。それでも「2」ができたら見るぞ・・と思っていたらディーゼルは出なくてアイス・キューブですか。・・でもってコケたみたい。アイス・キューブじゃだめよ、ヒットするわけないじゃん。でも私は見ます!スコット・スピードマン出てるらしいから。スコットラブ!日本公開はいつ?え?近くビデオとか発売?ビデオスルーってやつですか、あらま。去年の夏「ピッチブラック」の続編ということで「リディック」には大いに期待したのよ。そしたら何だかすごく大がかりでしょ。お金たくさん使って。それはいいけどストーリーが・・。何と何がいて何がどうしたって?「スター・ウォーズ」に対抗しているのかしら。サーガとかクロニクルとかそんなごたいそうなもの、リディックには似合わないわ。彼はケチなお尋ね者なのよ。宇宙の果てでこそこそやっているからいいんじゃないのよ。そんなわけでいっぺんに見る気失せましたの。テレビでやれば見ますけどね。「ワイルド・スピード」も見たことないし、私にとっては「ピッチブラック」の印象が一番強いな。マッチョだけど顔がのっぺりしていて(声もそう)何となくしまりがない。凶悪犯という触れ込みだけど全然そうは見えなくて気のいいアンチャン。

キャプテン・ウルフ2

スキンヘッドに筋肉モリモリだけど、ハートは意外とあったかくてやわらかそう。過去スタローンもシュワちゃんもコメディーに出てイメチェンをはかったことがあった。スタローンは「刑事ジョー/ママにお手あげ」でオムツ姿まで見せていたが、これで笑いを取れるんですかね。シュワちゃんの「ジングル・オール・ザ・ウェイ」はわりといい評価受けているけど私にはあんまり・・。子供の願い、望みってそんなに死に物狂いでかなえてあげなくちゃいけないものなの?パパが約束破ったとか(それも例えばショッピングセンターへ車で送ってくれるはずだったのにぃ・・といったささいなことだ←今読んでる「レッド・プラネット」のノベライズ本より)そういったことで子供に文句言われ、親は何であんなに自分を責めるわけ?別に親は遊んでいるわけではない。家族を養うため、あるいは地球を救うため(「レッド・プラネット」の場合ね)必死で働いているのだ。子供がつべこべ言ったら一喝すればいいのだ。自分の過去を振り返ってみても(昔の親はたいていそうだが)子供のことはあとまわしだった。着るものや食べるものには心を砕いたが、子供の気持ちにはむとんちゃくだった。子供が傷ついてもたいていの場合知らん顔をしていた。暮らしていくだけで精一杯だったし、子供の持つ不満なんてたいていは一時的なものだ。子供の願いをかなえるために親は大奮闘、最後にはパパはヒーローにまでなってしまう・・アホらしい、いいかげんにせーよ。てなわけで「ジングル~」は私にはちーともおもしろくなかった。子供にこびすぎ!スタローンにしろシュワちゃんにしろ、コメディーで受けようと無理をしている部分がどうしてもある。しかしディーゼルはこの二人ほど固まったイメージはまだないし、柔軟性が最初から感じられる。リディックには人のよさや、子供を引きつけるカリスマ性が確かにある。実際のディーゼルも恥ずかしがりやでお母さん大好き息子みたいだし(インタビューとかで受ける感じはね)。「キャプテン・ウルフ」はそういうイメージの下地があるせいか、さほど突飛な役だとも思えなかった。むしろはまり役なのでは?さて・・私が行ったのは平日。ここは入れ替え制ではないので、吹き替えと字幕両方を見ることができた。字幕の方が倍くらいお客が入っていた。休日は子供が多いんだろうけど平日はやっぱりねえ・・。

キャプテン・ウルフ3

吹き替えはガレッジセールのゴリさんということで心配していたが、第一声を聞いて、うん・・まずまずかな・・と。当然だけど真面目にやってるし、何言ってるかちゃんとわかるよう発音しているし。声聞くぶんには意外と二枚目。ただし微妙なニュアンスとなるとまだムリ。単調、一本調子。子供が聞くぶんには十分だけどね。相棒の川田さんはカモ役ですか。予告と違ってカモ全然出てきません。予告の調子じゃもっとひんぱんに出てきて、人間の言葉しゃべるのかと思ったら・・また予告にだまされたわ。いえ別にカモが活躍しなくたっていっこうにかまわないんですけどね、ちょっとゴリさんとの差がありすぎて気の毒になってしまったのよ。アメリカ製の映画を見ていていつも感じさせられるのが独善性。アメリカは世界の中心、人類のリーダー、危機を救うのはアメリカ・・そんなのばっかり。何かやらかしても被害受けるのはアメリカ以外、主にアジア。救うのはアメリカでその理由はもちろん愛!・・ってこれ、「ステルス」のことなんですけどね。ホント見ていて呆れ返っちゃう。いくら娯楽映画だからってそんなんでいいの?今のハリウッドってこういう筋立てでないと映画作れないのかしら。「キャプテン・ウルフ」も似たようなもの。ウルフは海軍特殊部隊のエリート。プラマー教授が開発したのが核発射阻止プログラム(通称ゴースト)。それを狙うのが○○ビアであり、二人組のニンジャ。ニンジャだから日本人かと思ったら北○○ですってよ。吹き替えでは言わないけど字幕では堂々と出しちゃうのよ、びっくりしたなあもう。あのねー北○○の子供がこの映画見たらショック受けると思うよ。何で某国にしとかないのさ。「ステルス」でも・・ああそれはまた別に書くけどさ。こんなに簡単に敵国・悪者に仕立て上げちゃっていいの?ディズニーのブランドが泣くぜ!あたしゃ別に北○○の肩持つ気はないけどさ、子供向け映画にまでやっぱりアメリカの独善性が出ているわ。一番いけないことは核兵器の存在でしょーが!まあそれは置いといて(話がちっとも進まん)・・ウルフはほんのちょっとの気のゆるみで任務に失敗。プラマー教授は殺されてしまう。出てきてすぐ死んじゃったけどこのプラマーさん、どこかで見たような・・。「バレット モンク」のショーン・ウィリアム・スコットに似ているなあと思ったけど「メンフィス・ベル」のティト・ドノヴァンでした。

キャプテン・ウルフ4

落ち込んでいる時に命じられたのが教授の家族の警護。ゴーストのありかをめぐって家族に危険が迫るかもしれない。汚名返上のために(と言っても教授の死はウルフのせいではないことは後でわかるが。そうなると○○ビアと北○○は裏で手を組んでいたってこと?)任務につくウルフだが、やらされることと言ったらお手伝いさんと同じことで・・。ゴーストはこの家のどこかにあるかもしれないが、スイスの銀行の貸金庫にあるかもしれない。プラマー夫人はウルフの上官ビルとともにスイスへ。二日で帰ってくるはずがパスワードがわからず、スイスにとどまることとなる。ウルフは二日どころか二週間も子供達の世話をするはめに。ウルフは父親も軍人で、子供の頃から家庭の味を知らずに育ってきた。彼の行動・思考の規範はすべて軍隊にある。彼は何をやるにしても自分がリーダーだと宣言し、言うことを聞けと強要する。父親は留守がち、母親も忙しく、気ままに育ってきたプラマー家の五人の子供は当然のごとく反発する(末の二人は何が何だかわからないでいるが)。まとまりのないプラマー家(混迷する世界)には強力なリーダー(大国アメリカ)が必要で、それがウルフ(軍事力)なのだ。物事を解決するのは有無を言わさぬ力なのだ。世界に置きかえると何とも物騒でちーとも賛成しかねるやり方だが、家庭だと「そーだそーだもっとやれ」となるのは奇妙なことだと思う。鼻につく独善性もこの映画ではうまくすり替えられている。ウルフにとっては物事は単純明快である。五人をかって気ままに行動させていたのでは支障が出る(こっちは一人しかいない)。自由はあとまわし、一番大切なことは安全である。これが何よりも優先される。したがって夜の外出(デート)も、他人の訪問(自宅でのパーティ)も厳禁。子供達には追跡装置をつける。食事は軍隊の携帯食。何ヶ月だって生きのびられる。子供達、特に上の二人長女ゾーイと長男セスはウルフの追い出しにかかる。だが二人の計略に引っかかり、怒って出て行ったのはベビーシッターのヘルガだった。おかげでウルフは赤ん坊の世話までするはめに・・。この時のドタバタは、スタントウーマンだっていうのが見え見えで気がそがれる。階段落ちなどごていねいに見せる必要はない。ウルフの家事悪戦苦闘シーンはもっとあってもよさそうなものだ。そうじとか洗濯とかそういうのは省略されているような気がする。

キャプテン・ウルフ5

代わりに学校のこと、例えばマーニー教頭との対立などに時間を割きすぎているように感じる。アメリカ人にとってはおもしろいのかもしれないが、私にはどうもねえ・・あんまりおもしろくない。マーニーは黒帯なのでレスリングを教えている。そこからしてどうもよくわからない。黒帯なら柔道教えるでしょ、普通。自分の強さを恥ずかしげもなく吹聴する。ちゃんとした黒帯の達人ならほのめかしもしませんてば。・・でもってウルフとマーニーとのレスリングの試合があるけど、試合でも何でもありませんてば。いくら子供用の映画でももうちょっとちゃんとやってくれい。私にはマーニーさん、ミスキャストのように思えます。校長のクレアは、海軍に四年いたということでウルフはたちまち気に入ってしまう。規律・規範・海軍の精神がツーカーで伝わる相手なんて、なかなかいませんから。ラストは二人してこれからどうするの・・とか何とかイチャイチャ。事件解決すりゃプラマー家ともおさらばだしぃ。軍隊生活しか知らなかったけど普通の生活も知ってみたいしぃ。ぐだぐだしていてしゃっきりしないラストだぜ。ディーゼルにぐだぐだは似合わない。顔立ちがのっぺりまのびしているから余計ね。任務完了!これからのことはおいおい考える。ひとまず撤収!シャキーン!!そういう終わり方してよ。デレデレするな。女はクレアだけじゃない(おいおい)。あたしゃてっきり次男のピーターあたりが「シェーン、カムバーック!!」ってやるのかと思ったわ。ウルフの名前シェーンだし。さてと・・ラストのこと書いちゃったけど感想文はまだまだ続きます。冷静に考えて、物事をやり遂げるのに一番確実な方法はルールにしたがうことだと思う。ルールを守っていれば基本的に安全で、たいていのことはうまくいく。ここらへん「トランスポーター」思い出す。そのうち「2」が公開されると思うけど、こっちも子供がらみなのよね。ルールを守らなければ作戦の失敗につながり、時には命を落とす。今のウルフの任務も命に関わることだが、子供にそれをわかれと言ってもムリ。ゾーイとセスは反抗期。世の中に怖いものなんてない。反抗心、自立心、その一方での無気力感。他人に指図されるなんてまっぴら。ほうっておいて欲しい。自分のことは自分でできる。だがニンジャ軍団(と言っても二人だが)の出現により、自分達が本当に狙われているのだと知ると大人しくなる。

キャプテン・ウルフ6

二人とも現実を見せられれば理解できる年齢に達している。末の二人ピーターとタイラーは前にも書いたが何が何だかわからない。父親の死も理解できない。ゾーイやセスのように反感持つわけでもなく、真ん中のルルのように興味持つわけでもない。何だか知らないけどウルフにお世話されているのである。3歳のピーター役の子がかわいい。と言うかピーターも赤ん坊のタイラーも双子が演じている。見分けがつかないけどね。3歳ならいろいろ話すはずだがセリフほとんどなし。演技しているんだかいないんだか、よそ見(カメラ目線)していたり。上の三人はそれなりに演技しているけどピーターだけは天然ボケ。母親を恋しがって泣くとかぐずるとかもなし。なぜか水槽の中に立っていたり、テーブルクロス引きずって上に置いてあるもの全部落としたり(携帯食食べたくないらしい)。いるのかいないのかわかんない存在感のなさに、ウルフはついピーターをレストランに置き忘れてきたりする。このピーターにパパと言われてじわーんとなっちゃうウルフ。そうそうわかるわかる。無力な存在に無条件にすがられれば誰だってウルウルしちゃいますってば。例え海軍のエリートでもね。彼のためにウルフがピーターパンダダンスなるものを覚えて踊るシーンがある。ディーゼルが何でこんなシーンを・・と思うが、ちゃんと後でこのダンスが生きてくる。ゴースト発見の重要な手がかりなのだ。五人の真ん中ルルがまたおもしろいキャラ。8歳だが「あたしはもう子供じゃないの」という自覚がある。ゾーイやセスだと同年代の異性が気になるが、ルルはそこまでいかない。マッチョなウルフのオッパイが気になる。まとわりつくかと思うとすげなくする。いっぱしの大人の女性気取り。ガールスカウトの任務としてクッキーを売らなくちゃならないけど、ボーイスカウトの子達が邪魔するの。ところで彼女のチームの名前は「FIREFLY」。「サンダーバード」にも出てくるけど「ホタル」っていう意味なのね。意地悪されて泣きべそをかくだけだったルル達だけど、ウルフに特訓してもらってエイヤッ!ボカンと悪ガキどもをやっつけちゃうのが楽しい。車の中で元気よく歌っているのがとってもかわいい。下の二人はもっぱらオムツネタで笑わせるけど、オムツがはずれると急に自立しておませになり(ルル)、もう少したつとわがままになったり(ゾーイ)ネクラになったり(セス)。

キャプテン・ウルフ7

五人もいればその性格も発育段階もいろいろで、最初は上から押さえつけるだけだったウルフも、相手に応じて接するようになる。ゾーイの悩みを聞き、セスの演劇への情熱を応援する。・・で、気ままにふるまっていたプラマー家にも規律のようなものができ、きっとゴミためになってるわ・・と覚悟して帰ってきたプラマー夫人は、子供達の成長に目を見張る。演出家が降板し、発表がおぼつかなくなっていたセスの舞台「サウンド・オブ・ミュージック」もウルフの指揮で見事に成功する。オレは今までたくさんの作戦を指揮し、成功させてきた。自分は言わば作戦の演出家である。この経験を生かせば舞台の演出なんて簡単。オレにまかせろ、オレの言う通りにしろ・・わかったようなわからないような演説ぶってみんなをしたがわせてしまう。普通だったら何たる独善性・・といやみに思うところだが、ディーゼルだから許せちゃう。ウルフは子供達にとって最初はいやなオッサン。最後はヒーローになる。父親ではない。父親はいつも一緒にいるものだ(プラマー家の場合は死んじゃったからいないけど普通はね)。ヒーローはある日突然現われ、役目を終えると去って行くものだ。いなくなってこそ完璧なヒーロー、荒野に消えたシェーンのようにね。でもこっちのシェーン・ウルフは完璧なヒーローではない。立ち去るようでもありとどまるようでもあり(・・だからぁクレアなんかに引っかかるなこら)。いやまあ別にそれはいいんですけどね。私がこの映画で印象に残ったシーンは二つあって(ホントはいっぱいあって書ききれないんだけどさ)、一つは子供のせいでひどい目に会って(汚物まみれ)、一生懸命体洗ってるところ。どうしようもなくかわいいです!あの時いったいどうやって家まで帰ってきたんでしょう。車を使ったら車まで・・。映画だから省略してますが。その後さっぱりしてルンルン気分で階段降りてくるところがまたどうしようもなくかわいいです。もう一つはプラマー家へ行くために荷造りしているシーン。彼の自室。仕事で忙しく飛び回っていて、あまりいることはないであろうと想像されるその部屋は整然としている。他の映画ならもっとだらしない感じ、砕けた感じの部屋になる。その方がくつろげるからだ。仕事はきつくてもせめて自分の部屋にいる時くらいのんびりしたい。でもウルフの部屋にはそれがない。彼にとっては休息イコール待機なのだ。

キャプテン・ウルフ8

命令を受けたらすぐさま飛び出せるような状態にいつもしておく。だからそうじも整理も行き届いている。プラマー家も彼にとっては家ではなく仕事場・戦場である。戦場で生き残るにはルールにしたがうより他なく、したがわない者には当然の報いとして死が待っている。ただ自分はリーダーであるから部下に死傷者を出すわけにはいかず、出さないためには断固たる態度で部下(この場合子供達)に当たらなければならないのであーる。ウルフは狭い世界で育ったので視野も狭く、決して完璧な人間ではないのであーる。映画を見てこんなリーダー(上司・先生・父親)欲しい・・と思った人いる?とにかく今の世の中、自由が一番という風潮がある。自由には責任も義務も伴うものだけど、そっちの方には目をつぶり自由だけを強調する。自由と言うよりワガママ、自分さえよければいい、そんなのばっか。自分に甘い。子供に甘い。ウルフは確かに独善的だけどその根底にあるのは人命の尊重。視野は狭いけど規律を課するにも相手に応じてということをクレアや子供から学び取る柔軟性もある。彼の信条である規律や規則の遵守は、今の我々には確かに必要なことなのだろう。この映画適当に笑わせ、適当にウルウルさせ、それで終わりというそれだけの映画である。送り手はそうでも受け手(私)にはいろいろな受け取り方ができる。家庭の平和にせいぜいとどまっていて、世界の平和にまでは行っていないとか。敵となる具体的な国名をなぜ出すのかとか。そういうことにこだわる一方で、きちんとした規律の人ウルフを見習いたいという気持ちもある。一方的に放出されても受け取る側の思いは千差万別・・それが映画のいいところなのだと思う。見終わった人全員が泣いていたり、全員が何かのイデオロギーに染まっていたりするのはおかしい。映画がおかしいか見る側がおかしいかだ。私の見るところ、映画が終わった時にはみんなニコニコして楽しそうだった。私もすごく満足し、また見たいと思うほどだった。それでも心に引っかかるものがあったのは確かだし、この映画からは学ぶべき多くのことがあると思ったのも確かだ。ウルフには何よりも強固な信念があり、基盤があった。他の映画のように変に子供にこびたりしないのが気に入った。ま、ぶっちゃけた話、改めてディーゼルのファンになりましたよ。ぜひこれからもコメディーに出てください。