敬愛なるベートーヴェン

敬愛なるベートーヴェン

近くのシネコン、平日の午前中、お客は七人くらい、男性は一人。予告を見た時はベートーヴェンを演じているのが誰だかわからなかった。そのうちエド・ハリスだと知ったが、何かいつもと違う。彼はブルーだかグリーンだかの美しく透き通った目をしているはずだ。でも今回は・・黒?コンタクトでもしているのかな。うつる度に目に目が行く。あるべきはずのものがないので、黒い穴があいているように見えちゃう。これじゃホラー映画だ!こうやって見ると・・つまり髪の毛がたくさんあって目が黒いと、エドってトミー・リー・ジョーンズに似ているのね。体型は・・何?あのぽっこりおなかは・・。さぞ食いまくったんでしょうなあ。最初はCGかと思った。このベートーヴェン、汚くてむさくるしくて、お風呂になんかほとんど入っていないんだわ。わめいてツバは飛ばすし、お尻は見せるし、アパートの下の住人が食事をしているというのに天井から水をもらして平気。無神経で下品。これがあの・・教科書に載っているベートーヴェン?第九初演のカゲには一人の女性写譜師の存在があった・・という内容。演じているのは「ホワイト・ライズ」などのダイアン・クルーガー。美人だが固い感じで華がない。単調でおもしろ味がない。冒頭テンポの速い曲(大フーガ)が鳴り響き、馬車に乗っているアンナは白目を出して悶絶。こりゃまたホラー映画ですぜ!何じゃこりゃ。彼女は死にひんしているベートーヴェンのところへかけつける最中。何とか間に合ったけどすぐご臨終・・映画終わりですぜ。いやいやそうじゃなくて・・数年前に戻ります。アンナが写譜師として現われるシーン・・荘重な弦楽器の音に・・何だか体がふるえましたぜ・・これぞベートーヴェン!ぶっちゃけて言うとこのシーンと、中盤の第九の演奏シーン(言っときますが演奏シーンです。官能シーンではありませぬ)、この二つで私はOKでした。後で書くけどこの映画何かヘンな構成なのよ。でもこの二つで私は十分満足です。アンナには建築家の恋人がいる。無神経なベートーヴェンには尊敬心いだきつつ反発もするけど・・だんだんベートーヴェンの方に傾いていく。と言ってもそれは一般の恋愛感情とは違っていて、もっと深い魂の部分での寄り添い、共感である。第九の演奏中、二人は指揮を取りつつ恍惚とした表情を浮かべ、忘我の域を漂う。

敬愛なるベートーヴェン2

あるいは自分の部屋で「洗ってくれ」とアンナに頼むシーン。冒頭の大フーガのシーンも一種の官能シーンだろう。監督アニエスカ・ホランドは普通とは違う官能シーン”愛の交歓”を描きたいようだ。さて・・「ジャン・クリストフ」などで有名なロマン・ロランに「ベートーヴェンの生涯」という作品がある。それによるとベートーヴェンは1826年11月末に肋膜性の感冒にかかり、その後黄疸や下肢のむくみが出たらしい。アルコールの過度摂取による肝臓の硬縮・・つまり肝硬変と言うことか。「座ると飲んだ」というベートーヴェン。そんなこと教科書には書いてなかったけど・・。私の母も肝硬変で亡くなった。お酒なんかほとんど飲まなかったのに。何度も入退院をくり返したが、薬と食事療法だけなので、退屈で仕方がない。それでせっせと文庫や新書を読みまくっていた。古い友人が退屈しのぎに・・と世界文学大系のうちの何冊かを送ってくれた。そのうちの一冊がロランで、「ジャン・クリストフ」の他に「ベートーヴェンの生涯」が併録されていたというわけ。ただせっかくの友人の好意も、母にはムダだった。何しろ母の専門は浅見光彦や十津川警部だったから。「アンナ・カレーニナ」や「罪と罰」はお呼びじゃない。話がそれたが、パンフにはベートーヴェン本人のことはほとんど載ってない。どういう人だったんだろうという興味から「生涯」を読んでみたわけ。彼の手紙はしばしば「親愛なる○○」で始まっている。「敬愛なるベートーヴェン」という邦題もそこから来ているのだろうか。それともアンナのベートーヴェンへの気持ちが敬愛なんだろうか。若い頃から失恋ばっかりしていたベートーヴェン。アンナが出会った頃にはもう恋愛は卒業し、孤独を友とし、情熱のすべてを音楽に向けていた。慣習も他人の思惑も気にしない。それでずーっとやってきた男なのだ。傍若無人でエネルギッシュ。若く美しいアンナが現われても甘いロマンス・・とはならない。ベートーヴェンはもう卒業しちゃってるし、アンナには婚約者がいる。でも官能シーンは描きたい。それであの第九での夢うつつとか、大フーガでの目がうつろとか、アンナに体拭かせるとか・・。あたしゃてっきり断ると思ってましたけど。だってそうでしょ、彼女は写譜師であって小間使いじゃない。だけど拭いてやるんだよね~何で?この三つのいずれも私には官能的には思えなかったな。

敬愛なるベートーヴェン3

第九の時は、まわりで一生懸命演奏しているのに、何自分達の世界にひたっているんだよ・・と呆れた。ここは一番感動したシーンではあるのだけど、それでもいろいろ突っ込みたいところはある。長時間指揮をしているベートーヴェンがうっすらとしか汗をかいていないこと。ロランによれば演奏会が終わるとベートーヴェンは感動のあまり気絶し、友人宅に運び込まれたそうな。同じく長時間労働のアンナ、しかも不自然な姿勢で・・。次の日は腕が上がらなくなるほど痛むと思うが・・何もなし。楽団の連中はとても19世紀の人間には見えない。衣装はそれなりだけど、顔つきとかはそこまで手が回りません状態。せっかく本職の交響楽団と合唱団使っているのだから、彼らの演奏、合唱でいいじゃんよ。映画では別の録音使用したんだって。いろんな問題かかえ、いわば見切り発車みたいな状態でのコンサート。そこで完璧な演奏が流されると、感動するよりも、こんなにすべてうまくいくか?と思っちゃうわけ。まあそれはともかくダイアン・クルーガーだけど・・指揮をする彼女の姿に違和感感じながらも・・私は別のこと連想していましたの。髪を結い、座り、細長い腕を動かしているのを見て・・法隆寺の五重塔の中にある阿修羅像に似ているなあと。阿修羅像は興福寺のが有名だけど、法隆寺にも塑像の阿修羅があるのだ。釈迦涅槃像のそばにひっそりと座る。髪を結い、無表情で、ほっそりしていて。まわりは釈迦の死を悲しんでいるけど、阿修羅は不思議な静けさをたたえている。声を上げて泣くだけが悲しみじゃない。それと同じで髪振り乱し、ムチ打ち症になるほど指揮棒振り回すだけが指揮じゃないってこと。そんなことをふと感じた。あんまり色気の感じられないクルーガーだけど、何度も書くけど愛の交歓?何じゃそりゃ・・だけど、ここでのクルーガーは別の意味でなかなかよかった。彼女の色っぽさが出たのは、ベートーヴェンの部屋の汚さにガマンできず、そうじをするシーン。当時の衣装は動きにくいし、床をはいずり回って拭きそうじなんかしていると邪魔だし暑い。それでスソをまくって内側にたくし込もうとする。太腿があらわになり、それをベートーヴェンの甥のカールが見とれたりするわけです。この時のクルーガーが一番セクシーでしたな。

敬愛なるベートーヴェン4

アンナは自分にはそれなりの才能があると自負しているし、勉強家でもある。女性というハンデはあるけど、何とか作曲家になりたい。ベートーヴェンに近づけるのはうれしいし、チャンスは利用したい。婚約者マルティンのことは愛してるし、結婚したい。下宿している修道院の院長である伯母(叔母?)は、修道女になれと強く勧めるけれど・・。マルティンに恋していながらも、ベートーヴェンに引かれる。引かれると言っても世間一般の恋愛感情とは違う。最初はただの尊敬心だった。それが変わってきている。そもそもベートーヴェンは世間一般の尊敬心なんかあざ笑う。受け付けない。彼との交流はそのうち魂の交流にまで深まる。最終的に行きつくもの・・それは「自然」。普通なら第九がクライマックスに来る。演奏初日までの苦労がもっと描かれるはず。でも追いつめられているわりには登場人物は皆のん気で・・。第九には確かに感動したよ。でもこの後どうするの?第九は成功したけど、名声は高まったけど、「演奏会は彼に一文の収入ももたらさなかった」とロランは書いている。その後の大フーガ・・これがしめくくり?あら、大不評で打ちのめされているわ。その後ぐずぐずとラスト。ベートーヴェンの臨終は冒頭使っちゃったし・・。何とも腰くだけ。ベートーヴェン死後のアンナのことは想像するしかない。修道女にはならなかった。結婚はしておらず一人暮らし(若くて美しいのにもったいない)。彼女は作曲を続けている(けど、売れてるとは思えない)。彼女は自然から霊感を得ている。花が咲き、鳥がさえずり、風の音が聞こえる。楽器が誕生するずっと前からこれらの音はあった。・・まあこういったことなんだろうな。まあ見て損したとかつまんねえ・・とか、そういうことは思わない。音楽や映像を、設備のいい映画館で味わう喜びは強く感じた。ベートーヴェンの重厚な音楽に圧倒されもした。いい経験をした。しかし・・映画として見ると・・映画としての形がちゃんと取れていないと言うか・・。大事なところだけ抜き出して作ってしまっていると言うか。映画にはそれ以外の要素もある。エッセンスだけでは映画は作れない・・みたいな。不要なものも実は必要だ・・みたいな。映画が終わってもすとんと落ちるものがなく気分は宙ぶらりんのまま。バランスが悪く、結果的にこうなったと言うより、最初から狙ってこういう作り方をしたように感じた。