ブラッド・ワーク

ブラッド・ワーク

FBI捜査官と連続殺人犯。犯人は捜査官に特別なきずなを感じているらしい。自分と捜査官の両方が新聞のトップを飾ること、それが犯人にとっての無上の喜び。これって「ザ・ウォッチャー」みたいだな。偏った愛情、執着心。でもクリント・イーストウッド扮するマッケイレブの方は、(若い頃ならともかく)苦々しく思うだけ。犯人の思いなんてくそくらえだ。犯行現場には決まって9ケタの数字が残されている。マッケイレブへのラブレター。一見ケータイの番号?って思うけど違うらしい。いったい何を表わしているのか。警察はFBIの登場を快く思わない。無造作に現場に入る彼らを見ていると、「ボーン・コレクター」がウソ映画に思えてくる。あっちの遺留品集めがウソなのか、こっちの無神経さがウソなのか。まあとにかく現場に残された運動靴の跡と同じものをはいた男を、ヤジ馬の中に都合よく見つけ出したマッケイレブは、追跡するが逃げられてしまう。しかも心臓発作を起こし・・。二年後、心臓の移植手術を受けて二ヶ月目の彼のところへ、一人の女性が訪ねてくる。始めは相手にしなかったが、彼女グラシエラの妹が心臓の提供者だと知り・・。妹グロリアはコンビニで買い物中に店主とともに撃たれ、犯人はまだつかまっていない。どうか犯人を見つけて欲しい。監視カメラにうつっていた犯人の行動には、何か引っかかるものがあった。そう、マッケイレブは「その気」になった。行動を起こす気になった。この映画が普通のアクション映画と違っているとしたら、それは主人公の置かれた状況にある。移植手術を受けて何とか生きのびたが、在職中は相手の心臓を狙って撃っていた。自分に果たして心臓を提供される価値があるのか。彼は提供者が現われるのをひたすら待っている少年のことが気になって仕方がない。人生が始まったばかりの彼にこそ、心臓は与えられるべきなのでは?しかしいくら彼がそう思ったところで、殺された女性の心臓は彼のものになった。そしてそれは奇跡とも言えるくらいの幸運だった。彼の血液型は200人に一人という特殊なもので、グロリアは彼と同じ血液型。しかもドナー登録をしていた。彼は自分の幸運を喜ぶべきであって、うじうじしているなんて愚の骨頂・・主治医の女医(アンジェリカ・ヒューストン)はそう考える。マッケイレブはさしあたっては健康以外は問題なさそうだ。家族はいないし仕事はやめた。

ブラッド・ワーク2

船で暮らし、経済的には困っていない。残りの人生楽しめばいい。・・でも何となく・・。これって例えば終戦になって、ホッとすると同時に感じる後ろめたさ、すまなさのようなものと似ているのでは?お国のために戦ってりっぱに死んでいった人がいるのに、自分だけはおめおめと・・。まあほとんどの人はそう考えた一瞬後にはこれからどうやって生きていくのか・・と現実的な問題に頭を切り替えたことだろうが、中にはずっとジレンマを感じていた人もいるはずで。「他の人は死んだのに自分だけ生きてていいのだろうか」・・マッケイレブもそうだ。自分の生はグロリアの死の上に成り立っている。自分でいいのだろうか。交通事故死ならまだよかった。しかし彼女は殺されたのであり、犯人はまだつかまっていない。自分は元捜査官で素人ではない。幼いグロリアの息子レイモンドのためにも。動き回ることが体に悪いことはわかっている。手術は成功したが拒絶反応や感染症が出れば助からない。・・でも行動に移さずにはいられない。これが自分の感じているモヤモヤを解決するいとぐちになってくれるだろう。このままじゃ何のために生きてるのかわからない。グラシエラは警察に不満を持っている。捜査はさっぱり進展していない。一方で妹の心臓がマッケイレブに移植されたことを知った。彼は有能な捜査官だ。彼なら突破口が開けるかも。この映画での彼女は火つけ役であり、尻をたたく役であり、後悔して止める役である。マッケイレブを引きずり出し、追い立てておきながら、彼の体調が悪化すると「もうやめて」ときたもんだ!おいおい、一度手をつけたら命賭けてやるのが男ってもんよ。ハートは女性のものだったけどさ。とにかくはいスタート、はいストップとはいかないんだぜベイビー、オレは機械じゃない。お約束通りグラシエラはマッケイレブに愛情を感じ始める。でもってラブシーンですか?何でそういうことになるの?つまり今書いたようにマッケイレブは体調が悪い。発熱し目の下にはクマができている。女医はヒスを起こす。彼女にすればせっかく助かった命を粗末にするなんて許せない。粗末にさせるような行動にかり立てるグラシエラが許せない。微妙な愛情が通い合うとしたら、マッケイレブと女医の間の方が好もしい。歯に衣着せずやり合うが、お互いを思いやる感情が底に流れている。もう若くないし頑固者どうしだし情にもろいし。

ブラッド・ワーク3

それがグラシエラだとちょっと違ってくる。原作ではマッケイレブは46歳。でも我々はイーストウッドが70過ぎていることを知っている。娘ほども年の違うグラシエラとのラブシーンは見ていて?だ。こらグラシエラ、体調の悪いじいさんを何ユーワクしてんだよッ!心臓に悪いだろッ、少しはつつしめッ!・・って私なんかは思っちゃう。何もしないことの方が愛情深いってこともある。まあ映画だからこの後マッケイレブは何事もなく犯人つかまえるんだけどさ。そしてラストはグラシエラとレイモンドとの三人で暮らし始めましたとさムード。かってに命縮めろ!(←女医咆哮)さて事件の方は小さな出来事をていねいに重ねて、うまく解決に持っていくという感じで、よかったと思う。マッケイレブは探偵の免許持ってるわけじゃない。門前払いくっても仕方ない。それでなくてもアランゴ刑事は彼のこと嫌っている。アランゴは自分の無能を棚に上げ、手柄を何度も横取りされたと恨んでいる。そんな相手からあの手この手を使って情報や資料を入手する。例えばドーナツを手土産に持っていく。目の前に置かれればつい手が出る。ついでに情報や資料も・・。図書館に行って似たような事件はないかと検索する。FBIに行ってジェイ捜査官(「ホステージ」に出ていた)に会う。彼女には貸しがあった。マッケイレブは手柄の一人じめなんてせこいことはしない。将来のことも少し考えて譲ってやることもある。それがこうやって今、役に立つわけだ。ジェイが取引を拒んでもいっこうにかまわない。あの時手柄を・・などと脅すような汚いことはしない。相手の良心に期待するだけ。そしてたいていの場合相手は期待にこたえてくれるのだ。ここらへんの駆け引きはおもしろかったが、ジェイのリアクションが型通りなのにはちょっと失望した。つまり全部「仕方ないわねぇ」というふうにちょっと笑ってからマッケイレブに言葉を返すのだ。もうちょっと何とかなりそうなものだ。さてコンビニでの事件とATMでの事件。警察もFBIも普通の殺人事件だと思っている。でもマッケイレブには、同じ犯人の仕業であるということの他に、被害者には何か共通点があるのではないかという気がして仕方がない。ATMで殺された男性の家にも行ってみる(奥さん役の人は「ナイトウォッチ」に出ていた)。ところでマッケイレブはどうしてグロリアとこの男性の共通点だけを捜すのでしょうか?

ブラッド・ワーク4

コンビニの店主も殺されているのに何で無視するのかなー、脚本がそうなっているから?そのうちに犯人が「あいつ」であることに気づく。あの時追っていた連続殺人犯がゲームを再開したのだ。ATMでの被害者はマッケイレブと同じ血液型で、ドナー登録をしていた。彼がマッケイレブに心臓を提供するはずだった。ところが救急車が場所を間違えたため男性は手遅れで死亡。それで今度はグロリアが殺されたのだ。・・いや、犯人は殺さなかった。脳死状態になるよう頭を撃った。しかも救急車が間に合うように「撃つ前に」電話をしていた。頭のいい人なら犯人はすぐわかる。冒頭の追跡シーンでもそんなに顔を隠していないし。もっとも映画館ではもっと画面が暗くて、犯人の顔が見えにくくしてあっただろうが。専門家が知恵をしぼっても解けなかった9ケタの数字の意味を、レイモンドはちょっと見ただけでわかった。彼は意味なんか考えない。見たままを言う。そしてそれが結局は正解だった。私はこれをWOWOWで見たのだが、マッケイレブが気づくまで私も犯人がわからなかった。クライマックスは見ているこっちまで息切れしそう。誘拐されたグラシエラとレイモンドをマッケイレブじいさんが助ける。別に二人だけ先に逃がすんじゃなくて、自分も一緒に行けばいいのに・・って思った。犯人を廃船に置き去りにすればすむことなのに、何残って船内ウロウロしてるのよ。結局犯人はグラシエラ達の乗った船に隠れていたから、置き去りにされたのはマッケイレブの方だったんだけどさ。まあいろいろあって、とどめはグラシエラが刺すんです。妹の仇・・とばかりにね。それも騒ぎ立てるのではなくて冷静に掌で押して・・。指でやると犯人の顔に爪の跡が残りますからね。この静かな復讐シーンは見事でした。さてと・・「ミスティック・リバー」も「ミリオンダラー・ベイビー」もいまだに感想が書けないでいる。いろいろ考えさせられるんだけど、文章にはしにくい。それにくらべればこの映画は書きやすい。そつなくまとめられた、奇をてらったり押しつけがましいところのない真っ当な映画。連続殺人を扱っていながら抑制がきいていて、品のよさすら感じられる。マッケイレブの一本気さ、正直さ、頑固さがいい。例えば船には電話がないからわざわざ公衆電話を使う。ケータイなんか持ってない。線のつながってないものなんか信用できるかってとこがたまらなくいい!