プロフェシー

プロフェシー

映画を見た後早速原作を読んだが、こちらはノンフィクション風で、実際に起こった出来事をうまく組み合わせて一つの映画にしているのだとわかった。だからリチャード・ギア扮するジョンという人物が実際に存在するわけではない。映画では「蛾男(モスマン)」というのがストーリーの要となるが、原作の方は宇宙人だの異次元からの訪問者だのと何でもアリである。作者の考えは、今上げたような大昔から人類に伝えられてきたわけのわからないものは、もしかしたら一つのものかもしれないということである。同じものを見ても、時代によって人間の解釈は異なるから、例えば謎の飛行物体を見れば現代の人は宇宙からの訪問者だと思う。少し前なら軍の秘密兵器だと、そして科学的知識のない大昔の人なら神と結びつけて解釈した。このようにいろいろな解釈ができるのだから、謎の飛行物体もそれに乗っていた生物も宇宙から来たものとは限らない。地球それ自体に元々存在していたものなのだと考えてもいっこうに差し支えないわけだ。今この目に見えているものがすべてとは限らない。同じ地球上に存在していても、人間には見えていないものがあって、こちらの世界とあちらの世界は普通交わることはないが、何かの拍子にその結び目がほころびて、あちらのものがこちらに来ているのかもしれない。それを目撃して神様だ、秘密兵器だ、宇宙人だとなるわけだ。こういうのを読んでいてコミック版の「陰陽師」にも似たようなことが書いてあったなあと思った。いろんな怪現象があって、それは警告とも予言とも受け取られるわけだが、悲しいことには人間には100%その正しい意味がわかるわけではない。人によって解釈が異なるから悲喜劇が起こる。ジョンはいろんな出来事を検証して、その結果オハイオ川で何かが起きると判断した。それは川沿いに立つ工場の爆発か何かだろうと思い込み、視察を中止させようとしたり、警官のコニーに勤務を休むよう迫ったりする。誰も彼の言葉を信じなかったし、事故は起こらなかったしでジョンは大恥をかく。しかし大惨事はオハイオ川にかかる橋の落下という形をとって現われた。前もって何かが起こるとわかっていてもその何かがわからず、起こった後でああこのことだったのだ・・ということはよくある。ノストラダムスの大予言とか惑星直列とかは一時期かなり騒がれたが何もなかった。騒いだ人達は大真面目だったんだろうが。

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予言通りにならなかったのはその解釈が間違っていたからで、予言そのものが間違いかどうかはまだわからない。いつか別の時期に別の現われ方をするかもしれないのだ。そしてこういう考え方をする人間がいる限りこれからもいろんな予言がされ、いろんな解釈がされていくことだろう。映画ではそういうことの代表者としてリークという学者が出てくる。彼は研究の結果ある重大な事故が起こるとわかっていたが、それを防ぐことはできなかった。かえって犯人扱いされ、家庭も崩壊した。彼の得た教訓はわからないものはわからないものとして認め、それ以上追究しないということである。今ジョンが調べて回っているポイントプレザントの怪現象にしろ、蛾男の正体にしろ、真の意味は誰にもわからないのだ。映画は怪現象の羅列だけで終わるわけにはいかないから、橋の落下という大惨事を描き、今まで起こっていた不吉な出来事が実はこのことを予言していたのだといういちおうの答を出す。しかしこの前兆を誰が何のためにどうやって起こしたのかも、蛾男の正体も不明なままである。だから白黒決着がつかないと気がすまない人にとっては物足りない結末だろうと思う。グレーでも平気な私には楽しめる映画だったが。だいたいこういうどちらともつかないグレーな存在って日本人にはわりと身近っていうか。日本人自体があいまいさのかたまりだし。例えばクリスマスプレゼントをあげたからお年玉はあげなくていいというわけにはいかないし、うちは神道なのにお葬式の時御仏前と書いてくる人が多かったようなもので、まあこれは例としてはおかしいかもしれないが、宗教一つをとっても我々はグレーな世界にいて、そのグレーさを認めちゃってるってこと。だから蛾男の正体は実は宇宙人だったとかそんな結論をムリヤリくっつけるのではなく、結局正体は不明である・・で終わっても少なくとも私は平気なわけよ。さて私がこの映画を見に行ったのは監督のマーク・ぺリントンに興味があったからである。彼の「隣人は静かに笑う」はけっこうおもしろかった・・と言うよりは怖かった!この映画も期待に違わず怖がらせてくれる。血が飛び散ったり、いきなり大きな音がしたりというのではない静かにじわじわと来る怖さである。例えばジョンがモーテルで鏡に貼りつけた亡き妻の写真が怖い。今にも変化するんじゃないか、動き出すんじゃないか・・って。どうしてもそこに目が行く。

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ジョンは新婚でもないのに妻のメアリーとはアツアツで、仕事は順調だし家を買うことに決めたしで幸せいっぱい。ところが交通事故とそれに続く妻の死とで、一転不幸のどん底に突き落とされる。一人で公園のベンチに座ってボーッとしているジョンの後ろ姿がかわいそうで・・。亡き妻が忘れられないというのは「隣人」もそうで、「サイン」もそうだったし、このテの設定は多いなあ。奥さんをなくした後なかなか立ち直れないというのは、洋の東西を問わず多いようで・・。二年後リッチモンドに向かっていたジョンは600キロも離れたポイントプレザントになぜか来てしまって、そこでいろんな怪現象に出くわす。見ている方もだんだん怖くなってきて、原因は何なのか・・と思い始めるが、その答を出すリークの扱いは残念ながら今いち。蛾男なんて聞いたこともないような存在を突然持ち出して、しかも見ている者が納得できるような説明をしなくちゃならないってのに、せかせかとせわしない男で言ってることに真実味がない。蛾男が正体不明なのは前にも書いたようにかまわないんだけど、謎を解き明かす立場にいるリークが映画の流れとかみ合わず、浮いた存在になっているのがとっても残念。それとジョンはちょっと女々しすぎるかな。メソメソ泣いたりして。コニーは明らかに初対面の時からジョンに好意を持っているようだけど、ああやって妻を忘れられないでいるのを見せつけられるのは辛いだろうな。愛らしい性格のメアリーに対し、コニーはきつい性格のようだが、そんな彼女が他の人には話さないであろう夢の話をジョンには話し、心が軽くなって涙を流しているのが印象的だった。わりとたんたんと静かに来たのが、橋の落下のシーンで恐怖が一気に盛り上がる。吊り橋だからいくらか時間がかかる。ボルトが飛び、ワイヤーが切れ・・という段階的な怖さ。とうとう橋が崩れ、車が次々に滑り落ちて・・というのは、爆発で一瞬で吹き飛ぶのより数倍怖い。コニーの不思議な夢の謎もここで解けるし。ところでジョンはコートを着たまま川に飛び込んだけどあれだとすごく動きにくいと思うよ。あと事故の後ポイントプレザントでは蛾男は目撃されなくなったそうだけど、冒頭でメアリーが目撃した蛾男にはどういう意味があったのかな。二年たってるし、場所も違うし、今回のこととは無関係なんでしょ?まあ少々モヤモヤ感が残るけどよくまとまった怖い映画でしたよ。