ヒストリー・オブ・バイオレンス

ヒストリー・オブ・バイオレンス

画面が変わってエンドロールに入った時に思ったのは、えッこんなもんで終わり?という宙ぶらりんな気持ち。もっとああなってこうなってのある映画だと思っていたのに拍子抜け。・・と言って別に失望したわけでもないんだけど。冒頭の二人組のシーンがいやに長い。すさんだ生活に倦み疲れている二人。強盗や殺人に慣れっこになってしまっている。食事や睡眠と同じで生活の一部。手袋なしでそこらへんさわっているから指紋残るけど全然気にしていない。だって生活の一部だもん。モーテルに泊まるけどお金払う代わりに従業員殺して売り上げ奪う。常識的に考えて大したお金あるわけない。たいていの人はカードで払う。それでも殺人を犯し、姿を見られたからって幼女まで殺す用心深さ。・・いや用心深いのではない。彼らは指紋残しても平気。殺すのは習慣だから。次の瞬間場面は移って泣き叫ぶ少女サラ。悪夢を見ておびえたのか。家族が寄ってたかってなぐさめる。何て愛情にあふれたファミリー!その甘ったるさが私には理解できない。子供の頃眠れなくて泣いていたら母に「うるさい!」としかり飛ばされたものだ。何だこの家族は・・???ダイナー(簡易食堂)を経営するトム。真面目でまわりからの信頼も厚い。しっかり者の妻エディは弁護士、素直に育った高校生の息子ジャック、お人形のようにかわいい末娘サラ。田舎町の落ち着いたありふれた、でも愛情いっぱいの幸せなストール家。でもそれは表面上のことだ。トムには(まだばれていないが)暗い過去がある。ジャックは学校でいじめに会っている。いつ表面に出てもおかしくない問題。ベタベタした甘い夫婦仲は、アメリカではこれが普通なのかもしれないが、私に言わせりゃ「長続きしませんぜカップル」である。キスやら愛してるやら何やらで常に意思表示しなくちゃ夫婦ってやってらんないものですか?ある晩閉店間際になってやってきたのが例の二人組。お金が乏しくなったから手近な店へ入っただけ。トムには抵抗する気はない。お客がいるし従業員もいる。お金ですむことなら・・。二人組はそれを受け取ってさっさとずらかればよかったのだ。だが彼らは神経がマヒしてしまっているから、何かしら余計なことをしなければ気がすまなかった。立ち去った後に死体がころがっていなきゃ気がすまなかった。だから彼らはわざわざ従業員を人質に取り、騒ぎを大きくし、時間を長引かせた。

ヒストリー・オブ・バイオレンス2

そしてそれが彼らの命取りになった。あっという間にトムは二人を殺し、まわりの者はあっけに取られる。二人組の方はあっけに取られるヒマもなかった。トムは英雄扱いされ、新聞やテレビで報道される。ダイナーは繁盛するがトムはいつも通りだ。そこへ現われたのが怪しい三人組。この映画ではウィリアム・ハートがアカデミー助演男優賞にノミネートされたが、私はエド・ハリスの方が印象に残ったな。ものすごい恨み(有刺鉄線で目をえぐられた)を抱いているんだけど、それを押し隠してソフトに、しかしネチネチとトムに迫る。ショッピングセンターでいなくなったサラを捜すエディに黙って指を差しサラの居どころを教える。そんな彼は品のいい初老の紳士にしか見えないが、実際は刑務所に15年も入り、犯した罪は数知れずの大悪党。だからジャックに簡単に撃ち殺されてしまった時にはありゃりゃ・・と思った。フォガティさんよ、背後にも気を配りましょう・・ってもう遅いか。この映画のパンフレットは1000円もするりっぱなもので、それでなかみがスカスカだったらいやだなー、ヴィゴ・モーテンセンの写真集だったらいやだなーって思ったんだけどそうでもなくて、いろいろ書いてあって・・よかった。まあたいていの解説は同じこと言っていて、それは書き手が皆男性だからかもしれないけど・・アメリカの外交政策とかさ。これがヴィゴファンの女性だったら少しは違う感想書くと思う。この映画を違った面から分析してくれたと思う。私自身はヴィゴのファンではないし、クローネンバーグ監督の信奉者でもないから、うわっつらなでるようなことしか書けませんよ。私が「あれ?」と思ったのは、トムとエディの関係である。私はてっきり結婚して三年くらいだと思っていたの。エディは何らかの事情(つまり離婚か死別)で一人で子供を育てている時にトムと出会い、再婚したのだと。ジャックもサラもエディの連れ子だと。そしたらパンフでは結婚して20年になっているじゃないのよ、びっくりしたなあもう。じゃあ何ですか、足を洗って20年もたつのにトムは自然に体が動いてあっという間に二人組やっつけたわけ?そりゃ家にはショットガンあるくらいだから日頃から少しは鍛錬していただろうけど。そりゃいちおう家族守るくらいの心がまえはいつも持っていただろうけど。それにしたって鮮やかすぎますな。

ヒストリー・オブ・バイオレンス3

足を洗って三年ならまだわかる。まだ腕も衰えない。フォガティ達の方は?フォガティも兄のリッチーも20年間トム、実はジョーイを追っていたの?ずいぶん辛抱強いこって。息子ジャックの「これからあんたを何て呼べばいい」というセリフがこれまた奇妙だ。実の父親に言うか?義理の父親になら言う。三年たって母親の再婚をやっと受け入れることができて、トムのことを父さんと呼べるようになったのに、父さんの過去はすべてウソッぱちだった。そんなやつのことこれから何と呼べばいい?・・それならわかる。エディの埋め合わせをしたいとか何とかいうセリフもそうでしょ。20年も連れ添っている古妻のセリフと言うより、再婚して女の幸せ見つけた三年目妻のセリフでしょ。もっと早くに出会いたかった、若くて二人きりの甘い生活をあなたと味わいたかった、その埋め合わせをしたい。・・だからエディはチアガール姿になって(アホか全く)トムにサービスするんでしょ?逆に言うと20年も夫婦やってて、トムの過去があばかれ始めたからってああも手のひら返すような態度取れるもんですかね。隠していたウソをついていた私は手近にいた女・・怒り狂う気持ちはわかるけど、エディは隠し事をしたこともウソをついたこともないんですか?ああいうベタベタイチャイチャしているのに限って冷たくそっけなくなるんですよ。普段からつかず離れずにしていて、だからこそ大事件が起きた時もあんまり変わらずにいられる、あらそうどうしたものかしらねえ・・くらいな態度。その方がいいと思うけどそれじゃ映画にならないか・・。要するに私は極端から極端に走る人間は好きじゃないです。エディはトムの過去に嫌悪をあらわにするけど、ああいうのに限っていざとなりゃ銃撃ちまくりますぜ。ただこの映画ではエディじゃなくてジャックが撃つはめになったけど。ジャックは前にも書いたけど学校でいじめを受けている。いじめる方は一人じゃなくてたいてい仲間・子分と一緒。ちょっと男前で車を乗り回し、スポーツが得意。いじめられる方はおどおどしていてスポーツは苦手。ありきたりの設定・描写だが、印象に残るのはまわりの態度。何もしない、見ているだけ。いじめに加担もしないが止めもしない。自分は無関係、誰かが標的になっている間は自分は安全。

ヒストリー・オブ・バイオレンス4

無関心ならその場を立ち去るが、立ち去らずに見ているってことは・・。これもいじめだ。暴力だ。暴力を止めない暴力、暴力を認める暴力、暴力を伴わない暴力。君達その「何もせず見ているだけの罪」で「ギャザリング」になるぜ!さて耐えていたジャックもある日爆発し、いじめっ子を殴って停学になってしまう。続いて父親を助けるためとは言えショットガンでフォガティを殺してしまう。この始末がどうなったのかは不明である。ジャックのやったこととしてありのまま届け出たのか、それともトムがやったことにしたのか。普通の親ならそうするでしょ。保安官のサムは一連の出来事に不審をいだいている。単なる人違いにしては相手側が本気すぎる。トムは真実を話しそうになるが、それをうまく邪魔したのはエディである。これで彼女も共犯だ。涙をまじえた芝居でサムの同情心につけ込み、そういう自分の行為に一方では激しい嫌悪感をいだく。愛情にあふれた家庭はあっという間にウソや嫌悪や疑惑でいっぱいの地獄となる。でも冷静に考えてみれば過去の幸せな家庭がウソで、今のドロドロの家庭が真実なのだ。一夜にして逆転してしまうきっかけは、あの二人組のせいと言うよりメディアのせいだ。しつこくもあつかましいレポーター達。彼らもまた暴力をふるっている。新しい興味の対象が現われればそっちに移り、そしてまた暴力。人々は新聞でテレビでそれをながめる。助長しないが止めもしない。それもまた暴力。果てしのない暴力の連鎖。一番助けが欲しい時なのにトムは一人だ。エディに会って生まれ変わる決心がついたのに、やっぱり過去は彼につきまとい、きっぱり縁を切るにはエディの愛情ではなく自分の手で兄を殺すしか方法はないという皮肉。てなわけでリッチーの登場。弟のせいで彼は今でも業界(?)で信用されず、まわりは失脚を狙うやつらばかり。自分の安泰のためにはジョーイに死んで欲しい。トムにとっても自分をほうっておいてくれないリッチーは殺すより他にない。もちろん他の手段もあるはずだ。リッチーは職を変え、トムは家族を捨てて姿を消せばいい。でもそれができない二人は実の兄弟なのに殺し合うのだ。それにしても20年もたつのに弟の不始末に悩まされるというのは、このリッチーあんまり有能じゃないんだろう。これが三年というのならまだわかる。裏切られた恨みはまだ新鮮。

ヒストリー・オブ・バイオレンス5

でも20年だったら、20年あったら、有能だったら、まわりにゴチャゴチャ言わせない。確固たる地盤築くはず。まあそこらへんの小物感をハートはうまく出していたと思う。さて・・決着つけたトムは家に帰ります。往復で30時間くらい運転して疲れ切っているはず。ヒゲのびて目の下クマできるはずだがあんまり変わらない。そういうところはリアルじゃない。家族三人は今しも夕食の席に着いたところ。その後のはっきりしない思い入れたっぷりの無言シーン。意地悪な見方すればあれはトムあるいはエディの夢かも。幻想かも。本当のトムは家には帰らずいずこかへ姿消したかも。西部劇だったらそれもできる。リッチーやその手下が皆殺しにされたことはすぐに知れ渡る。サムはまた疑いを抱くだろうし、トムの長時間の不在も調べりゃすぐにわかること。運良くリッチーとトムが結びつかなくてすんだとしても、エディやジャックはそうはいかない。また殺人を重ねてきたのだとすぐに気づく。それでも夫として父として受け入れてくれるのか。そんな感想は先走りしすぎだ。今はトムが夕食の席に加わったところだ。誰も何も言わない。この時点ではトムがどこへ何をしに行っていたのか誰も知らない。家を出たものの思い直して帰ってきたのだと思っているかも。もしかしたら帰ってきてくれて三人ともホッとしているのかも。トムの目は明らかに許しを乞うている。自分の帰ってくるところはここしかない。自分の家族は君達しかいない。自分はここにいたい。家族と一緒にいたい。見ている我々にはそれがわかるから、誰か何か言ってやれよーエディ何とか言えよーと強く思う。できれば肯定的な言葉を。でも言わないまま映画は終わる。終わるけど、でもまあ大丈夫なんだろうという気持ちは持てる。「何で帰ってきたのよ」とか「もう終わりよ」とか、そんな言葉が出ないだけまだマシ。それにしたって「お帰りなさい」くらい私だったら言うけどなあ・・。20年の間には「好きだ」だの「愛してる」だの何千回も言ったはずなのよ。でも一番言葉を必要としている時に何にも言わないんだよなあ・・。普段から何も言わないのなら、今ここで言わないのも不思議じゃない。目を見れば心が通う。普段は甘ったるい言葉さんざん垂れ流しておいて肝腎な時には黙りこくっているというのはどうもねえ。でもいちおうトムのお皿用意してあったし。サラやジャックは行動起こしたし。

ヒストリー・オブ・バイオレンス6

ほのかな希望はあるような・・。これからは「愛してる」なんて軽々しく言えない。もし言うとしたら、私は殺人でも偽証でも何でもして、清濁全部ひっくるめて地獄に落ちてもいいから・・という気持ちをこめて「あなたを愛してるわ」と言ってください。・・こうして見てくると、今回の事件はトムだけでなく、エディやジャックにとっても自分の生き方見直すきっかけになっていることに気づく。リッチーやフォガティにとってもそうなんだけど、彼らは死んじゃったから見直すもへったくれもないんだけどさ。さてヴィゴ・モーテンセンは難しい役をうまく演じていたと思う。さびしそうな目がいい。現代に生きていてもどこか西部の流れ者、はぐれ者っぽい雰囲気。「刑事ジョン・ブック/目撃者」「ダイヤルM」「柔らかい殻」「聖なる狂気」・・みんなあんまり強い印象なくて、別に嫌いでもないけど好きでもない俳優さん。ただ彼を見る度ジョン・ウォーカー思い出しちゃうの。難しいと言えばエディ役のマリア・ベロもだ。「シークレット・ウインドウ」では離婚したいのにしてもらえなくて宙ぶらりんの妻。「アサルト13」では自信にあふれていたのに危機に陥ってその自信がゆらいでしまうカウンセラー。そして今回のエディ・・とホンネと建前の間で心がゆらぐ難役。ジャック役のアシュトン・ホームズは「綴り字のシーズン」のジュリエット・ビノシュみたいな顔している。おどおどしていて繊細で傷つきやすく不安定。ジュディというガールフレンドがいて、何となくつき合っている。一緒に宿題をしたりおしゃべりをしたり。ジャックはおくてだからそれ以上の仲には進まないが、ジュディの方はもうちょっと先へ進んで欲しい。でも今のままで満足しているジャックはジュディの気持ちもわかるけどこたえる気もなくて・・。お互いの気持ちにすれ違いがあるのは事実なんだけど、それをつきつめて「じゃあ別れましょ」にも「じゃあ別の人捜せよ」にも「じゃあ男女の仲になろう」にもならない。何か物足りないんだけど今はこれでいいのかも、そうよきっとそうよ、相手がジャックなら仕方ないかな・・となって二人してアハハ・・となるようなたわいのなさ。そういう描写がとてもよかった。チアガール姿で迫る古妻よりよっぽどマシ。さて私が見に行ったのは公開されてだいぶたってからだけどかなりお客が入っていて、地味だけど息の長い良品という印象がした。