フォーガットン

フォーガットン

レニーも取ったしニコールも取った。ケイトも取ったし、次はジュリアンの番だ。何・・ってアカデミー賞のことですがな。私はそろそろ彼女が取ってもいい頃だとかってに思っている。ハデではないけれど、見ていて安心できる堂々の演技派。それでいて「エボリューション」みたいなオトボケ映画にも出ちゃう。しっかし今度の映画はなぁ・・。予告を見た時には心配になった。こんなのに出て大丈夫?やたらハデで、よくわからないんだけどメチャクチャな内容みたいじゃん。不安が頂点に達したのは下向きになって宙を飛んでる(浮かんでる?)シーン。髪で顔が見えなくなっていて、いかにもスタントウーマン使ってますって感じだけど、スタントウーマンだろうが本人だろうが何じゃこりゃシーンであることに変わりはない。予告見た限りでは完全なアホ映画。あまりにもアホなので、あの予告で見せたことの始末どうつけてくれるんじゃいと、むしろ逆に興味がわいて見に行ったわけですの、おほほ。こんな映画見たこと後悔して「フォーガットン」したくなるのか、こんなアホ映画に出て輝かしいキャリアに泥を塗ったことを「フォーガットン」したくなるのか、さあどっちでせう!・・それにしてもここの映画館の受付嬢アイソ悪いな。こんな映画館のことなんか「フォーガットン」してやるぅ。「フォーガットン」って言いにくいな、「ためしてガッテン」「忘れてガッテン」・・。見に行ったのは平日の昼間です。レディス・デーでもなし、まあこんなもんでしょうパラパラ(ガラガラよりはいくぶんマシという状態)。予告編以外の予備知識なし。感じとしては母親の強い愛情、母親の孤軍奮闘、相手は人間じゃなさそうということで、「ブレス・ザ・チャイルド」系かな・・と。キムと並んで母親を演じさせたら敵なしのジュリアン・ムーア。例え相手が宇宙人でも・・。え?ネタバレするなって?でも予告編でわかってるじゃん。あれを見て武装テロリストとの戦いだ!・・なんて思う人いませんてば。いきなり天井抜けるし、悪魔か宇宙人に決まってますがな。その点ではネタバレしているのよ予告編、サービスしすぎ。ところで宙を飛ぶところは本編にはなかったよな、確か(やれやれよかったぜ!)。その代わり他のがいろいろ飛んでましたけど。ジュリアンとゲイリー・シニーズが出ていることはわかっていたけど、他にもいろんな人が出てるのね。

フォーガットン2

アンソニー・エドワーズ・・私この人予告で何度も見てるのに、全然気づかなかったの。なおいっそうの後退に複雑な心境であります。人形ブレインズはどう見たってハゲる心配なさそうだけど、生身ブレインズは無抵抗です。ハゲるにまかせております。開き直っております。男は髪じゃありません!でも整ったいい男なのにもったいないです。もしかしたら彼もぐるになってヒロインを精神的に追いつめているのか・・とも受け取れる夫のジムだけど、一つ一つの表情に全く邪気がないから疑う気になれない。本当に妻のこと心配しているんだ、本当に妻のこと忘れているんだ・・って納得できちゃう。それと反対なのが精神科医マンス役のシニーズ。怪しい、疑わしい、信用できない・・で、やっぱりそうかよ・・となる。意外じゃない。アッシュ役のドミニク・ウェストは知らない人だが、それでいてどこかで見たような人だ。顔も声も渋くていい。キャラがまたいい。ジムみたいに単純で人がいいんじゃなくて、屈折している。テリーが飛行機事故で息子サムを失ったように、アッシュも娘ローレンを失った。14ヶ月たっても立ち直れず、遺品を見ては涙しているテリーと、妻と別れ酒びたりになっているアッシュ。二人には子供の死という共通点があった。ただしアッシュの方はローレンのことを忘れてしまっている。酒びたりになった原因を忘れているのに酒びたりになっているということは・・。夫のジムも子守りをしてくれたエリオットもサムのことを忘れている。しかしアッシュには見込みがある。つつけば思い出すかも・・。誰もが彼女は病気で、サムは空想の産物だと言い聞かせる。写真やビデオなどの物的証拠は次々に消えてしまう。残るは彼女の記憶だけだ。せっぱつまっているとは言え、彼女の行動はかなり危ない。それに対するアッシュの反応がおもしろい。押しかけてきてベルを鳴らすテリーに「無視してもいいかな」。同じ年頃の子供を持つ親として、面識があるはずなのに、アッシュはテリーのことを覚えているのかどうか。詰め寄るテリーにはぐらかすような答を言うので、映画を見ている私にもアッシュの真意がわからず、そういう作り方はうまいと思った。結局アッシュは彼女のことは覚えていないようで、押しかけてきてわけのわからないことを言う頭のおかしい女性として警察に通報する。ところが警察どころか国家安全保障局まで現われる(誰が通報したの?)。

フォーガットン3

しかもアッシュは突然娘のことを思い出し・・でもって後半はテリーとアッシュの珍道中・・じゃない、逃避行でありんす。逃避行ったって恋の逃避行ではありましぇん。普通なら二人の間にはロマンスが生まれるものだけど(と言うかもう生まれてるんですけど)自制します。何たって子供を見つけることが最優先。飛行機事故で死んだとばかり思っていたけど、こんなにまわりで不思議なことが起きるってことは・・子供が生きているからなのだ。生きていることを知られては困るから誰かが記憶操作をしているのだ。それとここで二人がロマンスムードになっちゃうと後で困ることになる。つまり子供を無事に取り戻し、子供をなくしたことによるアッシュの離婚と酒びたりがチャラになってしまうラストでは、テリーがアッシュの心の中に入り込む余地がないのよ。あったとしても同じ年頃の子供を持つ親としての親近感、美しい女性への軽い好意(なぜわくのか理由ははっきりしないが)くらいなもの。一方テリーも同様で、息子を取り戻し、夫ジムの記憶も元通りになっているはずであるから、自分の記憶はどうであれ、アッシュへの気持ちはなかったことにして、ジムと暮らしていかなければならない。その際逃避行の最中に何かあれば、アッシュへの未練も増しただろうし、何も知らないジムに対しては後ろめたい思いを抱いたことだろう。何もなかったこと、つまり不倫に陥らずにすんだことは、事件が解決してみれば最良の選択だったってこと。それに彼女がアッシュと結ばれると「最強の母親愛」というテーマにも反する。ここでのヒロインは女である前に母親でなくてはならず、その点は譲ることはできないのであーる。ジュリアンは色っぽさと母性の両方を兼ね備えていて(パンフに女の子を抱いている写真が載っているが、輝くばかりの笑顔だ!)、女性から見てもステキな人だ。ただこの人は肌がきたない。きたないと言うと語弊があるが、そばかすだろうか、背中や腕にびっしり。ちょうど日に焼けて皮がむけてボロボロになっているような感じ。「フォーガットン」ではモーテルで寝る時のむき出しの腕くらいでまだいいが、「ブギーナイツ」ではびっくりしたな。ポ○ノ女優の役なのに何じゃあの肌は・・って。それにしてもテリーは黒いセクシーな下着でしたな。アッシュはよくがまんしました(何を?)。

フォーガットン4

さて、頭のおかしい女が男のアパートに押しかけて迷惑をかけているというありふれた事件なのに、何で国家安全保障局が乗り出すの?といぶかしく思う刑事ポープがアルフレ・ウッダード。彼女「真実の行方」に出てましたな。ポープさん、空飛んでったけどどうなったんですか?・・この映画宇宙人が出てくるんですけど、人間の格好してて、それがライナス・ローチ。出てるなんて知らなかったからびっくりよーん。最初は悲しい悲しいメロドラマ(息子が恋しい・・)。そのうちにオカルト?サスペンス?ホラー?宇宙人の登場でSF。でもってラストは感動的なヒューマン・ドラマ。欲張るのもいいかげんにしろッ!いやいや欲張ったっていいんです。宇宙人が出てくるのも許そう。・・しかし!出したものはちゃんとかたづけろ!分別収集にご協力しろッ!ちゃんと後始末してくれないとお客は困るのだよ。「感動しろ!涙にむせべ!」だけではだめなのだよ。飛んでったポープは無事なのか。もう一人国家安全保障局の男が飛んでったけど、あっちはまあいいとして(オヨヨ)、ポープは!?エンドロールの後、姪を迎えにきたポープのシーン入れろ。「今日はずいぶん早いのね、おばさん」「ええ、空を飛んできたのよ」・・何気なくそう言ってから首を傾げて「メイビー(たぶん)」ってね。それでお客は本当に「あーいがったいがった」と安心して家路につけるのだ。あのラストじゃ「自分さえ幸せならばいいのか!」・・とテリーを弾劾したくなりますってば。・・で、話をライナスに戻すけど、彼は謎の男としてチラリチラリと姿を見せる。その雰囲気からしてどうも人間じゃなさそうで、これが天使と悪魔の戦いだったら彼はもちろん天使。でもこの映画では天の使いと言っても宇宙人の方で・・。彼らは人間の記憶について実験をしているらしい。宇宙人はたいてい単一思考なので(と言うのも、固体によって考え方が違うと戦いが起きて滅亡してしまうからだ。そうでなくても彼らはたいていは滅亡寸前なので、けんかしないよう共通の思考を持つのであーる)、違う思考を持つ固体が何十億も集まって暮らしている地球はいい実験場なのだ。で、頭の中をいろいろいじくり回す。「ダークシティ」と同じですな。ほとんどの人は簡単に記憶を操作されちゃうけど、「ダークシティ」のマードックがそうであったように、テリーのような例外が存在する。

フォーガットン5

どんなことがあっても記憶を持ち続けるテリーは、宇宙人にとってはおもしろくない存在である。クライマックスでは宇宙人はテリーをしめ上げ、息子の記憶は顔を見た時から始まるから、出産の瞬間を思い出せと迫る。その記憶さえキャッチできればいくら強い記憶でも消してしまえる。・・で、宇宙人は成功、テリーは敗北・・と思わせておいて、ところがどっこい。あのね、君達「おんなごころ」というものを知りませんな。いや「ははごころ」と言うべきでしょーか。君達性別なくて試験管の中で生まれるんでしょ?だったら知らなくても無理ないけど、女性は出産して子供と対面した時に母親になるんじゃない。妊娠してからの数ヶ月すでにもう母親なんですよ。超音波で見て、胎動を感じて、おなかをなでて心で、口に出して会話する。もっと人生の勉強しなきゃあかんよ君達!・・てなわけでやっぱりテリーはサムのこと覚えていて、宇宙人の負け~惜しかったね!大きくなったおなかをやさしくなでている回想シーン。女性が一番美しく見えるのはこういう時でしょうな。あたしゃこのシーンが一番好きです。さて実験に失敗した宇宙人も飛ばされてしまう。この映画気に入らないものは全部飛ばしちゃうのね。縁日の出店であるでしょ、容器の中でくじか何かが飛び回っていて、手でつかまえるってやつ。あれを思い出しましたな。ライナスは超然とした感じ、不気味な感じがあってよかったと思う。あれでまばたきをしないとか、そういうちょっとしたところが加味されればもっとよかったかも。しゃべっている時にまばたきすると人間ぽくなる。彼が正体見せるのは一瞬で、「スターゲイト」思い出した。やっぱりこうなるのね、別に正体見せなくてもいいんですけどって感じ。そりゃあの格納庫いっぱいになるよりはマシですけど。つまり「パラサイト」みたいに、一人の人間の中に何であんな大きなのが入っていられたの?って思うくらいばかでかいのが出現するかと思ったのよ、あのだだっぴろい空間を見た時にね。でもそうならなくて残念・・いやよかったです。タコライナスは見たくないですから。さて・・パンフには映画の内容に関連して、アメリカ政府の陰謀とか情報操作とか異星人との接触疑惑とかいろいろ書いてある。「フォーガットン」では異星人が地球人を対象に実験を行なっており、そのことはアメリカ政府も黙認している。

フォーガットン6

なぜ異星人の行動を許すかと言うと、彼らの力が強大だからである。彼らは地球などひとひねりしてしまえる。だから滅ぼされないようご機嫌を取らなくちゃいけないのだ。今回のサムやローレンのように拉致される者もいるが(と言っても実験の対象は子供達ではなく親の方なのだが)、それはまあ仕方がない。とにかく犠牲になるのは(ゼロではなく)最小限の人数ですむよう尽力し・・。そのことに国民が気づくのは困るので国家安全保障局が暗躍し・・。いかにもありそうなことではある。でもなぜアメリカ政府?異星人との接触疑惑はアメリカ政府だけ?日本は・・あるわけないよな。だから気楽なんだけどさ。(注)ここからは暴言モード~異星人はなぜアメリカ政府と接触するのか。それは・・地球には二つの国家しか存在しないからだ。「アメリカ」と「アメリカ以外」。アメリカは地球の、人類のリーダーなのだ。だから異星人はアメリカに接触し(「アメリカ以外」だとどこに接触していいかわからん。言葉も違うしめんどくさい・・というのもホンネだが)、UFOはアメリカに着陸し、使者はアメリカと密約を結ぶ。密約を結ぶことで何か利益があったら、それは当然のこととして受け入れる。利益にならなくても甘んじて受ける。異星人が「アメリカ以外」に目を向けては困るから。「アメリカ」には不利益でも「アメリカ以外」には利益になるかもしれないから。「アメリカ以外」が利益を受けるのは許せないのだ。「地球の静止する日」のところでも書いたけど、今も昔も偉い人の考えることってあんまり変わってないと思う。すべての国が平等にとか、地球全体の平和のためにとか、人類の発展のためにとか、そういうことは優先されない。「地球」より「我が国」の方が、「国」より「自分」の利益の方が大事。独占・・さもなくばゼロである。他の国が利益を受けるくらいなら始めからなかったことにした方がマシなのだ。こう書いたからって別にアメリカだけを非難しているわけではないよ。まず自分のことを考えるのが人間ってもんだ。同時に、自分のことより他人のことを考えることができるってのも人間なんだけどさ。・・さて暴言はこれくらいにして、このようにこの映画最後にはとんでもないSF映画になっちゃって、おまけにロクな後始末もしていない。母親の偉大な愛でお茶を濁す。お客は不満のかたまり。金返せ時間返せ私の操を返せと罵詈雑言の嵐。

フォーガットン7

まあ私はそこまで思わなかったけど、そう言いたくなる人の気持ちはわかる。それにあの宣伝文句のしらじらしさときたら!「想像を絶する」→確かに作り手の頭の中はまともじゃない。「究極の衝撃作」→バビューン、飛びます飛びます。「シックス・センス」を超える→セブン・センスかよ。あたしゃ映画の宣伝文句は信じないことにしている。宣伝文句は「ほんじつはおひがらもよく」と同じで、くっつっけておけば何とか形を成す。その証拠に、他の映画のパンフにも必ずと言っていいほど使われている。書いている本人も本心から究極とか衝撃とか思っていないと思うよ。究極の衝撃作と書いてあったら「思った通りのよくある凡百映画」と言うことだ。とにかくこの映画、見終わってすっきりしなかった。出演者は皆よかったのにねえ・・。バビューンも驚いたことは驚いたのよ。「くるぞくるぞ」という部分がなくていきなりでしょ。それと音。他の映画だとキーとかギーとかきしる音で驚かす。この映画はバンとかボンとか一瞬。・・で、飛んでっちゃう。そこが目新しいと言えば目新しい。それとテリー達の車に国家安全保障局の車がぶつかってくるところ。横から迫ってくるから、前を見ているテリーは全然気がつかない。私も「えッ!?まさか・・」って思っているうちにぶつかる。このシーンは恐怖だった。ただ残念なことに恐怖が続かない。ぶつかられても車は平気、テリーも平気。そんなはずないだろッ!さてと・・いろいろ書いてきたけど、ここまでは言わば「表フォーガットン」。ここからは「裏フォーガットン」行きますね。なに私の妄想・暴言ですから・・。ジュリアンの熱演のせいで、この映画のテーマは「息子捜し」のように見えるけど、そもそもは記憶がテーマ。テリーは自分の記憶をまわりから否定されて、そんなはずはないと奮闘するわけだけど、彼女自身の記憶が真実かどうかは実ははっきりしない。つまり彼女に息子サムがいたという記憶自体が宇宙人によって植えつけられたものであるという可能性もあるってこと。彼らは記憶を操作できる。消してしまえるということは新しく作ることもできるってことだ。ジムやエリオットは元々あったサムの記憶を消されたのだろうか。それともテリーには息子はいないという記憶を、新しく与えられたのだろうか。

フォーガットン8

この映画のアイデアは、脚本家の見た「家族写真から徐々に息子の顔が消えていくというつらい」夢から生まれたそうだが、辛いのは息子の存在を否定されるような気がするから?あるいは確かなものであるはずの自分の記憶が、あやふやな状態になることが辛かったのか。消える→忘れる→老化・痴呆・ボケ・あるいは気が狂うことへの連想につながるから辛いのか。その一方で、ボケてしまえば、狂ってしまえば本人はあるいは幸せかも・・。監督の思わせぶりな言葉でもわかるが、テリーの経験したことが現実のものなのか、想像上のことなのかは、はっきりしないのだ。宇宙人その他が全部テリーの幻想である可能性もあるのだ。テリーには息子はおらず、精神を病んでいた。だが彼女は自分は正常だと信じているから息子の記憶に固執する。自分にとって不利なことはどんどん取り除いていく。信じてくれない夫はテープや写真に細工をする裏切り者で、最後には他人となる。医師のマンスは、自分にとっての裏切り者ではあき足らず、人類の裏切り者と成り下がる。息子の存在をそれらしくするために、国家安全保障局や宇宙人まで持ち出す。なぜ宇宙人?彼女の仕事は子供向きの本の編集・・夢があって、現実からちょっとかけ離れていて・・。秘密の解明に奔走しながらも、真相が明かされそうになると(自分で)邪魔を入れる。国家安全保障局の男は秘密をもらす直前に飛ばされる(左遷なんてもんじゃない)。なぜ飛ばされる?殺すわけにはいかないでしょうが。子供向けの本の編集に携わってきた者が殺人なんて恐ろしい。それに空を飛ぶのはファンタジーでよく使う手だ。男は秘密をもらす必要なんてないのだ。彼女が考えたシチュエーションなんだから、秘密なんて聞かされなくても・・。自分を信じてくれるポープ刑事も飛ばされる。なぜって信じてくれたって困るから。誰も信じてくれないからこそ「私にはサムという息子がいる」ことに固執できるのだ。彼女は否定されるからこそ存在できる。「はい、あなたにはサムという息子がいます」なんて肯定されたら自分の存在が危うくなる。なぜってサムがいないことは自分でも承知しているのだから。・・でもって邪魔者は次々にかたづける。最強の宇宙人にすら自分は打ち勝った。出産時の記憶さえ消されてしまったが、だいじょうぶマイ・フレンド♪(古!)私にはその前の妊娠中の記憶がある。

フォーガットン9

彼女は流産し、そのせいで自分も危うく命を落とすところだったというのがジムの説明である。つまり妊娠したこと自体は動かしようのない事実で、その間の記憶に関しては誰にも否定できない。邪魔者をかたづけ、記憶の安全圏に逃げ込んだテリーはもう誰にも邪魔されず、好きなだけ自分の幻想にひたることができる。ほらやっぱりサムはいたじゃない。ほらやっぱりローレンはいたじゃない。アッシュもいて私もいて、暖かな日差しを浴びて、まわりには子供達の声。これ以上何が必要かしら。そう、この状態では何も必要ない。必要ないからジムもマンスもポープも出てこない。彼らがどうなったかは必要ないこと。飛行機に乗っていて拉致された他の子供達がどうなったかも説明の必要はない。ラストは完全な狂気に陥ったテリーの頭の中を表わしているのだ。え?アッシュの存在?アッシュも自分と同じで子供をなくしたと思い込み、酒びたりになって頭が少しおかしくなってるのよ。だから子供は生きてるのだとくり返し言い聞かせて、始めは信じなかったけど今では信じていて、それで彼も幸福になれたのよ。最初に見た時から彼には興味があったのよ。ジムとは全くタイプの違う元プロのホッケー選手で、頑丈そうに見えるけど(たいていのスポーツ選手がそうであるように)挫折を体験していることは一目でわかったわ。マンスが私とジムの夫婦仲のことを聞いたのは、そんな私の変化を微妙に感じ取っていたからでしょうね。ウーム、何と言う精神の奥底を探求した深い映画だ・・なんて誰が思うかよッ!ここまで深読みしなくたってこの映画そもそもの発端からしておかしい。冒頭でのテリーは悲しみがまだ癒えないとは言え次のステップに踏み出そうとしている。仕事に復帰しようとしている。サムが事故で死んだことは疑っていない。それなのになぜテープや写真に小細工をするの?ジムやエリオットに「息子はいない」と言わせるの?否定するからテリーがますます「そんなはずはない」と奔走するわけでしょ?本日の教訓・・「寝た子を起こすな」・・はい、わかりましたね。授業終わり。すでにアメリカではDVDが発売されていて、それには別のエンディングも収録されているんですね?でもって日本での発売の時にはまた誇大宣伝するんでしょ?本エンディング以上の究極の衝撃!・・とかさ、わかってますってば。誰が信じるかってのよッ!