ふみ子の海

ふみ子の海

前にも書いたが郊外のシネコンの他に街中に映画館が一つある。子供の頃には街中に三つくらいあって、一つは洋画専門、一つは邦画専門、もう一つは洋画も邦画もやった。その頃の私は映画を見に行くことなどめったになかったが、この洋画も邦画もの映画館では「サンダーバード6号」や「忍者部隊 月光」を見たと記憶している。トイレのアンモニア臭も思い出の一つだ。その後成人映画専門になったため、行くことはなかった。今年から月に数回の上映とか何とか、そういう感じになったらしい。閉館してもおかしくないのだが、日本で最も古い現役映画館なので、何とか存続させようという運動があるようだ。建物は老朽化し、椅子も壊れている。ステージの上、スクリーンの下にあるのはスピーカー?当然音もよくないけど、でも・・なくならないで欲しい。いい映画がかかったらまた見に行くからね!ちなみに今回のお客は11人ほど。さて、昔は栄養状態が悪かったせいで失明する子供も多かったのだそうな。そういう子はあんまになったり瞽女(ごぜ)になったり。瞽女は三味線を弾き、歌を歌ったり語ったりする盲目の女芸人。厳しい掟があり、それを破るとはなれ瞽女になったりする。一年の多くを村から村へ、町から町へ旅して歩く。少し目の見える人が先導し、数人で歩く。泊まる場所、歩くルート、回る領域は決まっており、地域によってT瞽女、N瞽女などと呼ばれた。私の母が生まれ育ったような山奥では、ろくな娯楽もなかったから瞽女さんの来訪はみんな楽しみにしていただろう。その瞽女さんも戦後になるとすたれてしまった。農地改革により、後援者だった地主階級が没落。それに人々が求める娯楽も変わってしまった。「ふみ子の海」では、本家が瞽女宿になっていて、人々が集まって楽しむシーンが出てくる。きっとこんな感じだったのだろうなあ・・と思いながら見ていた。父親がいなくて家が貧しいふみ子はT(今のJ市)のあんま屋へ。頭がいいので勉強したいが、学校へ入るお金はない。師匠笹山タカの元での厳しい修業が始まる。タカ役高橋惠子さんは、まさに鬼のような厳しさで、大迫力。ふみ子役鈴木理子ちゃんがまたそれに負けないほどの名演技。彼女は本当に昭和の初めに生きてる。雪国の村に、町の片隅に生きてる。

ふみ子の海2

何を言われても、どんなにしごかれても「はい、師匠」。ウーム(けなげ~)。映画は厳しくも豊かな雪国の四季をうつしながら、ふみ子の成長を描く。ふみ子は粟津キヨさんという実在の人がモデル。「ふみ子の海」の原作者市川信夫氏も、あんまのお客の一人として出演していたような・・。それにしても映画の中に普段見慣れた風景が出てくるのは奇妙なものだ。朝晩見ている山、雁木、お堀にかかっている橋・・。瞽女宿やお花見のシーン(Tは日本三大夜桜の名所←ちょこっとPR)では、見慣れた銘柄の日本酒のビンが・・。ありゃ絶対ラベルがさりげなく、でもよ~く見えるように置いてあるに違いないぞ・・と、おかしくなった。さて、タカも驚くほどふみ子のあんまの腕は急速に上達するけど、甘い顔はしない。何たって盲目の女が一人で自立して生きていくには相当の覚悟が必要。世の中甘くない。どんなことにも耐えられる強さと、食べていけるあんまの技を身につけさせなくちゃ。タカはただの意地悪なおばさんではない。責任感のようなものもほの見える。この映画の登場人物の多くはいい人に描かれている。本家の主人(中村敦夫氏)は、勉強したいというふみ子の願いを聞いてくれなかったけど、彼女のことはかわいがっている。奥さん(水野久美さん)もチヨ(藤谷美紀さん)やふみ子のことをいつも気にかけている。行商の古川(平田満氏)もそっけないように見えて、ふみ子達の気持ちをほぐそうと心を砕くやさしい面を見せる。身をすり減らす母チヨ、救えない人の多さに苦悩する住職慈光(高橋長英氏)、親切な麩屋のおじさん(山田吾一氏)、きっぷのいい芸者〆香(遠野凪子嬢)など、皆心に残る。残念な部分もある。例えば厳しいタカを描くだけでなく、お客と接している時のタカも描いて欲しかった。仕事中のタカは愛想やお世辞をふりまき、世間話やうわさ話をしてるはず。そういうシーンを出してくれば、家での鬼のような師匠ぶりとの対比が際立ったと思う。あんまがうまいだけでなく、話し上手、聞き上手であることもこの商売には必要なのだとふみ子が気づくとか・・。もう一つ残念だったのは盲学校の教師りん(高松あい嬢)。まだ若くて何事にもひたむきなりんは、チヨやふみ子に学校へ来るよう熱心に勧める。

ふみ子の海3

でもいくら勧めたってお金がないのだからどうしようもない。どうしたらお金を工面できるか・・の方向へは行かず、ただただ「ぜひ学校へいらっしゃい!」と連呼するだけなので、アンタ世間知らずもいいとこよ・・と、首を傾げてしまった。後でわかるけど彼女わりと裕福な暮らしのようで(父親役としてあおい輝彦氏が出ていた)、貧乏ってどういうことなのかわからないのだろう。とにかく高松嬢が熱演すればするほど演技は空回りしていた。ちなみにT盲学校は日本で三番目に古いが、生徒数の減少などにより2006年に閉校してしまった。クライマックスは弟子仲間サダ(尾崎千瑛嬢)の死か。その後母チヨの死があるが、悲しいシーンを二つつなげたことで、かえって感動がうすれてしまったような気もする。普段からわりと映画を見慣れていて、すれているからそう感じるのかな。二つのシーンではいずれもハナをすする音が聞こえてきて、ああ、泣いてるお客もいるのだ・・と。今回は久しぶりにダンナと二人で見たのだが、ダンナもかなり涙腺がゆるんだようで。私はサダのシーンではちょっとウルウルしたけど、チヨのシーンでは完全に別のこと考えていた。無理を重ねたせいでチヨは体を壊し病院へ。たぶん結核だろう。ふみ子はりんや盲学校の他の生徒と一緒に、来日中のヘレン・ケラーに会おうと、汽車でNへ向かうはずだった。ところがその日にチヨが死んでしまう。海岸を走る汽車・・そのそばの道路を走る自動車。列車にはりんが、車にはふみ子やタカが乗っている。病院は海の近く、松林の中にある。ああ・・ここって・・私の母が勤めていたS病院(療養所)をモデルにしているんじゃないの?「D-TOX」のところでも書いたけど、ここは元々は結核の療養所だった。その後結核患者が減ったので精神科の患者を入れるようになり・・母が勤めていたのはその頃。そりゃ病院内部はセットだろうし、松林や海岸もどこか別のところでロケしたのだろう。調べてみたらS病院自体昭和18年創設とのことだし(映画の時代設定はそれよりも前)。でも私はこれは絶対S療養所がモデルよ!あ~懐かしい!・・というわけで泣いてるどころじゃありませんでしたとさ。てなわけで・・いい映画でしたよ。理子ちゃんと高橋さんの名演技は必見です!