フレイルティー/妄執

フレイルティー/妄執

「神の手」というメッセージを残す連続殺人事件が起きる。ダラスのFBIに現われたフェントン・ミークと名乗る男は、事件の担当のドイル捜査官に犯人は自分の弟アダムだと言う。ドイルが問い合わせてみると、フェントンは弟の死体を救急車ごと盗んだとのこと。アダムはフェントンに電話をかけてきた後自殺したのだが、アダムとは彼が死んだらバラ園に埋めるという約束をしていた。最初は半信半疑だったドイルもだんだん話を信じ始める。一回目は気がつかなかったが、フェントンはドイルが握手しようと差し出した手を無視する。またデスクに飾ってあるドイルと彼の母親とが一緒にうつっている写真になぜか興味を示す。これらは重要な伏線である。フェントンは彼の子供時代のことを話し始める。父親は妻をなくし、一人で子供達を育てていた。親戚も皆死んでしまい頼る者もいないが、三人で幸せな日々を送っていた。ところがある夜、父親は子供達を起こし、自分は天使に神のお告げを聞かされたと言い出す。世界の最後の日は近い。人間に姿を変えた悪魔を破滅させよ。自分達はその目的のために神に選ばれた・・。親がいきなりこんなことを言い出したら子供にとっては悲劇だ。9歳のアダムは父親の言葉をそのまま疑いもせず受け入れるが、12歳のフェントンには悪魔だろうが何だろうが人を殺すのは悪いことだくらいの判断はつく。何とか父親を止めようとするが子供の彼に何ができるだろう。彼にとっては地獄のような日々が始まる。父親への愛情、恐れ、反抗心(絶対神になんか祈らないぞ・・と決心するのがいじらしい)が心の中で交錯する。つかの間何も起こらない日々が続けば、ずっとこのままでいて欲しい・・とかすかな希望が芽生えるが、たちまち彼を打ちのめす悪魔退治がまたくり返される。死体はバラバラに切断して家の隣りにあるバラ園に埋められた。ある日父親はまたお告げを聞いたと言う。フェントンのことらしいが、彼が聞いても話してくれず、大きな穴を掘るよう命令する。このお告げのことは後になって意味を持ってくる。なぜ父親が沈んでいるように見えるのかということも。穴の上に物置小屋を移動してかぶせ、穴はそのまま地下室となる。何人目かの犠牲者を連れてきた父親は、今度はフェントンに殺すよう命令する。全く何というひどい親だろう。たまらなくなって逃げ出したフェントンは保安官に助けを求めるがなかなか信じてくれない。

フレイルティー/妄執2

やっと連れてきた保安官を、父親はこのままではばれると思ったのか殺してしまう。父親は初めて人を殺した、おまえのせいだ、親にこんなことをさせるなんて・・とフェントンを責める。この「初めて」というのがミソである。自分がやっていることは悪魔を滅することだから殺人ではないということだ。まあ何というかってな理屈。その後地下室に閉じ込められたフェントンは水を持ってきてくれたアダムに助けを求めるが、アダムにはフェントンの気持ちなど全くわからない。一日に一回しか水をやってはいけないと言われているけど、もっと持ってきてあげるね・・というのは兄弟らしい心遣いだが、ここから出してくれというフェントンの悲痛な叫びにも耳を貸さずにさっさと行ってしまう。世の中のことがまだよくわかっていない子供特有の残酷さというか無関心さというか、そういうものを強く感じさせられた。何日も閉じ込められているうちにフェントンは正気を失うが、出されてからは「神を見たよ」と言って父親を喜ばせる。どんなだったの?と興味しんしんで聞くアダムに口では説明できないよと答えるフェントン。この時のフェントンに起こった変化がどういうものだったかは、見る人によって感じ方が違うと思う。ブラッドという男を連れに行った時は、フェントンは今までのように尻込みせず進んで父親を助けた。しかし地下室に連れてきたブラッドを殺すよう言われたフェントンは振り上げた斧を何と父親の胸に打ちつける。泣きながらすがるアダムに何事かささやいて父親はこときれる。ブラッドのいましめを解こうとするフェントン。しかしアダムの振り下ろした斧がブラッドを・・とここらへんは何とも陰惨な展開が続き、見ている方も気が滅入る。子供が父親を殺そうとするなんてよくよくのことである。穴倉に閉じ込められていた間に、フェントンが正気を失うほどの絶望感の中で決心した解決方法がこれだった。「神を見たよ」と言って父親を安心させ、何食わぬ顔で行動し、チャンスを見て・・。ブラッドは粗暴な男で、助けても何をされるかわかったものではないが、父親がこれ以上人を殺すこと(あるいは子供に殺させること)だけは防げる。とにかくアダムと二人こんな状況からは一刻も早く逃げ出したい。まあフェントンの行動の意味を最初はこんなふうに思っていた。結局アダムがブラッドを殺したためにフェントンの思うようにはならなかったが。

フレイルティー/妄執3

こういった話をしている間に、フェントンとドイルはアダムが連続殺人事件の被害者を埋めたというバラ園に着く。車の中でフェントンはドイルになぜ母親の写真を飾っているのかと尋ねる。写真をとった二日後に母親は殺人鬼に殺され、犯人はまだつかまっていないとドイルは答える。フェントンは自分も子供の頃FBIにあこがれたといったようなことを話す。この時の会話も後になってきいてくる。「おまえはまだ何か隠しているようだ・・」と言うドイルの鋭い目つきが印象的だ。さてブラッドと父親の死体をバラ園に埋めている時、フェントンに「自分を滅ぼしたらきっとこのバラ園に埋めてくれ」と言われたアダムはそうすると約束する。アダムの心の中が、父親が死んだ悲しみではなくフェントンへの怒りでいっぱいなのが見ていてわかる。このフェントンの「滅ぼしたら」という言葉が暗示的だが、見ている方は別のことに気を取られることとなる。ドイルも「最初と話が違う。死んだらバラ園に埋めてくれと頼んだのはアダムじゃないのか」と警戒し始める。フェントンと名乗っているこの男が実はアダムなのでは・・というのは、車の中の会話のあたりから見ている方にもわかってくる。またこのドイルが父親の受けた滅すべき悪魔のお告げのリストの最後の一人なのでは・・というのも。ドイルに自分がアダムであることを自分から明らかにした後、アダムはさらに驚くべきことを話し出す。彼は幼くてただ父親の話を鵜呑みにしていたわけではなかった。悪魔とお告げのあった人達を殺す直前、父親はそれまでしていた手袋を取り、素手で彼らに触れる。そうすると強いショックを受け、それが彼らが悪魔である証拠なのだった。フェントンには何も見えず、何も感じることができなかったが、アダムにはその瞬間彼らのやった悪行、つまり殺人をはっきりと見ることができた。ここらへんは「クロウ」あたりと同じ設定である。また父親が天使に告げられて悩んでいたのは、フェントンが悪魔だということだった。いくら滅ぼさなくてはならない相手とはいえ自分の子供は殺せない。だから穴を掘らせたり、その穴に閉じ込めてフェントンが神に助けを求めて祈るよう仕向けたのである。フェントンは正気を失っている間に神を見たと言ったが、実際にはそれは彼が悪魔としての第一歩を踏み出した瞬間でもあった。彼が見たのが神ではなく悪魔だったとしてもおかしくはない。

フレイルティー/妄執4

アダムは一回目の悪魔退治で早くも「僕も(神を)見たよ」と言っている。確かにフェントンが顔をそむけている時でも、アダムは父親のやることをちゃんと見ている。父親はフェントンには「おまえにはなぜ見えない」と言っているから、父親とアダムには同じものが見えているのだとわかる。また父親はフェントンに「(天使に)信じられない事実を告げられた」と言った後で「私はおまえが怖い」とも言っている。自分がフェントンに殺されることはある程度予想していたようにも思える。しばらくたってからフェントンは父が帰ってこない・・と届けを出す。捜したって見つかるはずはなく、二人は別々の孤児院へ送られる。まあこういうこと(仮に父親が逮捕されたとして、身寄りのない二人は離ればなれになってしまうだろうということ)になるってわかっていたから、フェントンもなかなか訴え出る決心がつかなかったのだろう。さてドイルは男が実はアダムだったことを知りさてはお前が犯人だったのかと言うが、実はここらへんから話がよくわからなくなってくる。話が引っくり返って今まで張られていた伏線の意味が次々に明らかになるのはいいのだが、その引っくり返りぶりがはんぱじゃないので、セリフだけでは十分状況が説明しきれていないのである。展開もそれまでのゆったりペースから速いテンポに切り替わるから、何がどうなっているのか見ている方の頭が追いつかない。補ってくれるはずのパンフレットも原作もなし。ショッキングな出来事が次々と明るみに出るが、終わった時にはちょっと消化不良・・。でもそこが狙いかもね。だってこんなに見た後で議論したくなる映画ってないもん。まあ私は一人で見たから帰りの電車の中でずっとああでもない、こうでもないって考えていましたけど。・・てなわけで書いていても果たして合っているのかどうかはわかんないんだけど、まあ私なりの感想ってことで。こうやって書いて区切りをつけないと、後から後からいろんな思いがわき上がってきて気持ちの収拾がつかないのよ。さて連続殺人事件は6件とされているのだが、死体が見つかっているのは1件だけ。しかしドイルの見るところバラ園の掘り返された跡は事件の数より明らかに多い。アダムによるとフェントンが事件を起こしたのは自分を誘い出すためだという。死体が見つかるようにしたのも、メモを残したのも自分がやっているのだとアダムに知らせるため。

フレイルティー/妄執5

自分を滅してバラ園に埋めるという子供の時の約束を果たして欲しいからである。それだけの理由で無関係な人を六人も殺すかという疑問もあるが、「だってフェントンは悪魔だから」ですんじゃうんだろうな。しかしなぜ20年もたってからなんだろう。子供の頃に離ればなれになって、お互いにどこに住んでいるのかわからなくなっていたであろうことは想像がつく。それでいてアダムがフェントンを捜し出すことができたのは、もちろん「天使のお告げがあったから」だ。だけどホントの天使なら、フェントンが六人も殺す前に住所教えると思うけどなあ。何で犠牲者が出た後なのさ。フェントンがどういう仕事につき、どういう生活を送ってきたのかは全く不明である。そもそも彼が悪魔としてやったことは、父親殺しと今回の事件だけなのか。その間の20年間は何もなかったのか。フェントンについては説明不足なので、クライマックスシーンにドキドキしながらも、今いちすっきりしない気分にさせられる。まあ悩み続けていたであろうフェントンは、アダムが家に現われた時にはこれで苦しみから解放される・・と心から安堵したことだろうが。前にも書いたが6件の事件のうち5件は死体が発見されていない。残されたメモには「自分のそばに置いておきたいから」とあったそうだし、アダムもドイルに「フェントンは死体を自分の家の地下室に置いていた」と言っているから、連続殺人事件の犯人がフェントンであることは間違いない。だがバラ園の掘り返された跡は五つ以上ある。見ている方(私)もドイルも、殺人事件の犠牲者は地下室からアダムが運び出し、ここまで持ってきたのだと思い込んでいる。数が多いのは20年前に父親が殺した悪魔達の他に、今回の犠牲者も葬られているからなのだ。現に埋めた場所に案内する・・ってドイルをここへ連れてきたんだし・・。でも違うのね。ここに埋めていいのは悪魔だけなの。例外として父親と保安官が埋められているけど、普通の人間はここには埋められないの。この時点ではドイルはまだ殺人事件の犯人は目の前にいるアダムだかフェントンだかはっきりしない男の仕業だと思っている。ここでのアダムの「自分は殺していない、殺したのはフェントンだ」という言葉がミソである。アダムは父親に自分にも悪魔退治をさせてくれるようせがんだが、父親は「いずれおまえにもリストが渡される」と言ってさせてくれなかった。

フレイルティー/妄執6

アダムは「父親の言う通りお告げを待った」と言っているのだが、受け取ったのかどうかはこれまたはっきりしない。おそらくは受け取ったのだろうが。「自分は殺していない」という言葉は、「悪魔を滅するのは殺人ではない」という言葉の裏返しである。彼がお告げを受けて悪魔退治に乗り出したのだとすれば、バラ園の塚も増えて当然だ。このようにアダムは父親の仕事を忠実に引き継いでいるわけだが、ちょっと首を傾げたくなるところもある。フェントンのお墓には花が飾ってあるし、それ以外の塚は20年もたっているというのに今埋めました・・と言わんばかりに盛り上がっている。もっとたいらになっているはずでしょ。どちらにしても隠す気なんか全然ないのよ。人や犬が散歩に来ても神様がいいように計らってくれるの。さて話を聞いていたドイルはアダムのあまりの異常さに呆れ、殺人犯として逮捕しようとするが、ここでまたショッキングな事実が明らかにされる。ドイルの母親を殺したのは何とドイル自身だった。なぜ殺したのかという理由は説明されないが。最初に会った時アダムがドイルと握手しなかった理由はここで明らかになる。素手で相手に触れると相手のやったことが見えてしまい、お互いにショック状態になるからだ。父親の悪魔のリストの最後の一人・・それはドイルだった。・・てなわけでドイルはその夜から行方不明。FBIでは前夜彼を訪ねてきた男を捜し始める。応待したはずのハルは顔をよく覚えていない、握手までしたのに・・と不思議がる。監視カメラのテープにはなぜかノイズが入り、顔がわからない。ドイルを待っている間、アダムは写真を素手でさわっているから、部屋には彼の指紋も残っているはずなのだが、ハルの記憶やテープ同様何も発見されないんだろうな。何しろ彼には神様がついているのだから。そのうちにフェントンの家が突きとめられ、FBIが突入する。冒頭ドイルは受付の女性に「あの救急車は?」と聞き、女性は「調べてみましょう」と言っているから、そっちの方から、あるいはドイルのかけた問い合わせの電話からかまあそういったことから調べがついたのだろう。アダムは応待したハルには何もしゃべっていないから、捜査でフェントンの名が浮かび上がることはあってもアダムの名が出てくることはない。フェントンはもちろんいなかったが、貼られたメモの一番下に書かれたドイルの名前には線が・・。

フレイルティー/妄執7

地下室には死体がゴロゴロ、ドイルの血まみれ身分証明書は最悪の事態を予想させた。それにしてもメモにドイルの名前を書いたのはアダムだ。他のとは筆跡が違うはずなんだけどな。ここらへんちょっとムリがあるが、映画の方はもうどうにも止まらないって感じになってくる。捜査の目はフェントンとドイルの行方に集中する。普通の映画だったらやるべきことをやり終えたアダムはどこへともなく姿を消し、その後も人知れず悪魔退治を・・ってことになるんだけど、この映画は欲張りだ。ドイルが問い合わせをした保安官事務所に現われたハル。ところでこの人クリントンさんにそっくりだなあ。出てきた保安官は何とアダムである。ウッソー!いえアダムが保安官だったことではなく、会って握手までしたハルが何にも気がつかないことがウッソーなのですよ。あんたそれでも捜査官かよ。お兄さんのことで・・って話をして、帰り際握手までして、見ている方は会った時気がつかなくても握手した時には絶対気がつくはず。だって前にも握手しているんだものって全員が思ったはず。でも気がつかなくてこの鈍感!手を離そうとしてもアダムはハルの手を握ったままで「あなたはいい人だ」って真顔で言う。最初はこの言葉の意味がわからなかった。いい人だなんて言われて実際にはバカにされているのよ、ハルさんよ・・って思ってた。でも違うのよね。この映画で私が一番ショックだったのは実はこのシーン。握手しても何ともないってことは、このハルがドイルのような罪を犯していないってことなのよ。まあ彼とは前にも握手しているから彼が悪魔ではないってことはもうわかっているのだけれど。だからリストなんか本当はアダムには必要ないのよね。しかも自分は保安官という有利な立場。前ドイルに捜査官にあこがれていたと言ったけどちゃんと自分も似たような職業についていたってわけ。ただ職業柄人と握手する機会は多いだろうに、普段は手袋か何かしているのかな。最後の「神の意志は遂げられた」っていうセリフも意味深。ドイルを滅してこれでオワリってふうにもとれるけど、父親が受け取ったのは悪魔の最初のリスト。もし彼が生きていたら第二、第三のリストを受け取っていたに違いないのだ。現にアダムには文字通りの「神の手」があるわけだし、悪魔退治はこれからも続いていくのだろう。だから「遂げられた」という言い方はちょっと・・。

フレイルティー/妄執8

「神の意志は続く」っていうのならわかるけど。ラストシーンは今いち。だいたいマシュー・マコノヒーってしゃべり方もホワホワという感じでどことなく軽くて存在感がない。妻のベッキーと一緒にずっとうつっているわけだが、間が持たないというか。せっかくの緊張感がゆるんだままエンドロールに入ることになり、モヤモヤムードばかりが印象に残ってしまうのだ。こんなふにゃっとした終わり方でなくアダムがハルに真顔で「神の御加護を!」と言うとか、何にしろピリッとした終わり方をしてもらいたかったな。ベッキーがアダムのやっていることを全部知っていて、ドイルからの問い合わせにウソをつくなど、ぐるなのにはさすがにびっくりさせられたけど、真っ当な人間ならこんなことは容認しないと思うんですけどねえ。知らなくてアダムが単独でやってる方がリアルでいいと思うんだけど。それに悪魔退治は人には知られちゃいけないし、もし知られたら自分たちの命が危うくなるって父親が言っていたじゃないのよ。それともベッキーもお告げを受けたクチ?さて私がこの映画を見に行ったのは、予告編にライオンズ・ゲート・フィルムズとあったから。そう「ゴッド」もここだった!だから期待してもいいと思ったわけよ。確かに内容は悲惨だし、反則だらけ。展開のいくつかは予想がつくし、何よりも我々にはこういう宗教的な背景がないから、何やってんのよとしか思いようがない。だからくだらないといえばそれまでなんだけど、でもねえ。親がそんなふうになったら子供は悲劇だ・・という部分が見ていて胸に迫ってくるのよね。これで母親が生きていれば話も違ってくるのだろうけど、いないから誰も父親の暴走を止められない。弟は父親のことを信じきっているし。そんな12歳の大人と子供の中間にいる少年の孤独な戦い。演じるマット・オリアリーがこれまた本当に可憐でいじらしくて・・。泣けます。12歳で死を決意するなんてかわいそすぎますぜ。20数年たって弟の手にかかってやっと安らぎを得たんですねえ・・なんて感傷にひたっている場合じゃない。アダムにはいつか本当の天罰がくだりますって。別の神様のね。実は最終日また見に行ったのだ。時間がなくて一回しか見られなかったけど。最終日なのに、あるいは最終日だからなのかその回はお客は10人ほどしかいなくて何てもったいない、こんなにいい映画なのに・・と一人で悔しがっていたのだった。