ファイナル・カット(2004)

ファイナル・カット(2004)

どこかの館でチラシをゲットしてちょっと興味を持った。チラシを読んでもよくわからないんだけど、SF風味?サスペンス風味?主演がロビン・ウィリアムズというのが変わっている。彼って来日した時の映像とか見ると、落ち着きがなくて常に何かやっていていかにもサービス精神旺盛なコメディアンという感じなのだけど、裏がありそうでちょっと怖い。素顔は気難しくて人間嫌いなんじゃないか、怒りっぽくて嫉妬深いんじゃないか、だからコメディアンが悪役やるとはまるのよねーなんて余計なこと想像してみたり・・。ウィリアムズは「シークレット・エージェント」「ハムレット」「インソムニア」くらいしか見たことなくて、あんまり興味もないんだけど、でも気になるので見に行った。やってるとこ少なくて、たどり着くのに時間もかかったけど・・でも見てよかった。お客は六人くらいか。ガラガラだとは聞いていたけどホントにガラガラ。はっきり言ってもったいないです。公開されているってことみんな知らないんだろう。あんまり宣伝もしていないみたいだし。私も偶然チラシゲットしなけりゃ気がつかないでいたと思う。すごいもの見ちゃったな・・というのが率直な感想。なかみがぎっしりという感じ。胎児の時に頭にゾーイ・チップなるものを埋め込み、誕生の瞬間(産道の中)から死の瞬間までを記録する。見たまま聞いたままそっくり全部。とんでもないアイデア。誰でも一度は思い浮かべるけどそれを映像化し、一本の映画を作ってしまうなんて。こんなことありえない。いったい何のために?記録したって本人はそれを見ることはできないのだ。死んだ後脳から取り出し、すべての記録を分類し、再生編集して一つにまとめ、追悼上映をする。上映したって鏡にうつっている場合や、手足を除き、本人はうつらない。本人の目にうつった映像、本人の耳に入った音(こちらは自分の声は全部入る)。上映会の観客はその人(故人)の目にうつった自分の姿、その人の耳に聞こえた自分の声を通して、故人を偲ぶわけだ。今現在だって写真とかビデオで似たようなことやってる。結婚式なんか特に(前もって用意しておけるからね)。でもこんな上映会だけのためにチップを埋め込むか?もちろん埋め込むよう希望するのは親である。本人はそんなこと知らない(生まれてないんだから)。20歳くらいになって分別がついた頃知らされる。

ファイナル・カット2

中には親と死別したりして自分にチップが埋め込まれていることを知らない者もいる。主人公アラン(ロビン・ウィリアムズ)のように・・。彼はチップを元にその人の一生の映画を作る編集者(カッター)である。腕がいいので(口が堅いことも含まれる)仕事の依頼が絶えない。しかしチップが埋め込まれている者はカッターにはなれない。依頼されたチップの内容を自分のチップが全部記録してしまうからだ。映画の冒頭に規則が出るのだが、まるで「ロボット三原則」のようだ・・と思いながら見ていた。続いてアランが子供の頃のいまわしい記憶・・。何だか「フレイルティー」みたいじゃん・・とうれしくなった。ライオンズ・ゲート・フィルムズなので期待が高まる(ハズレがない・・ってただの思い込みですけど)。時は移って成長したアラン。何だかちっとも未来じゃないな。近未来だというから少なくとも「アイ,ロボット」くらいの未来想像していたんだけど。顔に刺青した若者が出てくる。彼らはチップに反対している。カッターを敵視している。自分の記憶は自分のもの。記録され、他人にあれこれいじられるなんてまっぴらだ。ただの嫌悪感から反対し、イカレているから刺青しているのかと思ったら、そうでもないことが後になってわかる。実は彼らにもチップが埋め込まれている。でも記録されたくない彼らは電気タトゥーを彫る。彫る時の磁気でチップがイカレてしまうのだ。別に顔いっぱいに彫らなくたってチップをダメにできるのだが、そこはそれ・・若いからイキがってハデなやつを入れるわけだ。今の段階で20人に一人はチップを埋め込まれている。これからも増えるだろう。くり返しになるがいったい何のために?まあ理由はいくつか想像できる。一つは親の心理である。赤ん坊が生まれる時、夫あるいは赤ん坊の兄姉が立ち会ったりビデオにとったりするのは今でもある。それと同じことだろう。誕生した赤ん坊は真っ先に母親や父親を見る(もちろん医者や看護婦もだが)。そして聞く。喜び祝福し迎え入れてくれるやさしい両親。育っていく過程ではやさしい両親が記録される。親は子供に「いい両親」という記憶を持って欲しい。自分達を美化したいのだ。子供自身の記憶は消えたり変化するかもしれないが、記録はそのままきっちり残る。もちろん特別な場合(子供の方が先に死んだとか)を除き、「いい両親」としての自分達の記録を見ることはできない。

ファイナル・カット3

カッターによって作られた映画が上映されている場に自分達がいることはまずない。自分達もチップの持ち主の子供も死んでしまっている。でも上映されれば自分達は「いい両親」として記憶される。見に来た人達の中にチップを埋め込んでいる人がいれば、自分達は記録され・・そうやって永遠に「いい両親」でいられる。あるいは・・こっちの方が多いだろうし、報酬も高いだろうが・・罪の浄化である。記録されているものはいいものばかりとは限らない。妻への暴力、浮気、動物虐待、近親相姦、犯罪・・。それらすべての中からいいものだけを選び出す。きれいごとだけを切り張りし、ふさわしい音楽をくっつけ、一本にまとめる。依頼人の多くは人間のクズだ。だがアランの編集によって善人として人々に記憶されるのだ。アランはすべてを知っている。悲しみに沈む未亡人は夫の暴力に泣き叫んでいた。未亡人にお悔やみを言う女性は故人の浮気相手である。でもアランはそれらを自分の胸にしまっている。公にできない記録は消去された。もう大丈夫。追悼映画によって故人の評判は保たれ、遺族は安心して暮らしていくことができる。どうもこうやって見てくると、チップは本人のためと言うよりまわりの人のためにあるようだ。本人を美化すると同時にまわりの人も美化される。だからビジネスとして成り立つのだろう。悪人でも善人だったことにしてしまうカッター、アラン。彼は自分のことを「罪食い人」だと思っている。罪を自分に取り込み、悪人をきれいな体にしてあの世へ送り出す。あらッ、どこかで聞いたような・・「悪霊喰」じゃん。電気タトゥーは「ザ・クロウ」思い出させるし・・。他には「ニュー・シネマ・パラダイス」。アランは古書店の店主ディライラ(ミラ・ソルヴィノ)にほれていて、彼女に自分が編集した映画を見せる。ホントは依頼品を他人に見せるなんてことしちゃいけないのだが・・。一人の男性が鏡に向かってヒゲをそっているところ。もう老人だが編集によってだんだん若くなっていく。いかにもたくましい中年期、青年期。慣れない手つきでヒゲをそる少年。アッほっぺを切ってしまった。洗面台に血が垂れる。さらに若くなり、まだヒゲも生えていない眠くてボーッとした幼い少年。こんなの見せられた日にゃ・・家族は涙ものでしょうよ!何だか「ニュー」のラストのキスシーンオンパレードを見せられた時みたいにじーんとしたのよ。

ファイナル・カット4

私がこの映画で一番印象的だったのがこのシーンなのよ。年を取っていくんじゃなくてだんだん若くなっていくところがよかった。最後が鏡の前であくびをしている子供(まだヒゲもオケケも生えてない)ってのがね。・・てなわけで、独創的でありながらもどこか寄せ集め的なにおいもプンプンする映画なのよ。さて、アイテック社の弁護士バニスターの追悼映画を依頼されたことで、アランの運命は急転する。二つの問題が彼に降りかかる。一つはあるパーティにうつっていた中年の男性。あれはもしかして子供の頃の・・。ルイスという少年と友達になったけど事故が起きて・・。ルイスは死んだはずだ。転落して血の海に横たわるルイス。自分はそこから逃げ出した。あとはどうなったか知らないけど死んでいたことは確かだ。でもあれが成長したルイスだとすると・・彼は死ななかったの?他人の人生ならどんな暗部を見せられても動じないアランも、自分の人生となると・・。何とかして真相を知りたい・・と思いつめる。これが問題その1。問題その2は昔の仕事仲間フレッチャー(ジム・カヴィーゼル)の出現。ゾーイ・チップの埋め込み熱を止めるにはアイテック社の暗部を明るみに出すより他に方法はない。バニスターのチップには会社の不正や、彼自身の娘へのいまわしい行為が記録されている。それを手に入れることができれば・・。だがアランは持ちかけられた買収を断る。カッターとしてそれは許されないことだから。それともう一つ、彼はルイスらしい男のことで頭がいっぱいで、それどころじゃないのだ。チップが金儲けや脅しの道具になるのはわかりきったことで、その取り扱いがカッターの良心だけにまかされるなんてありえない。厳しいルールが設けられていても買収をしかけてくる者はいるし、カッターの心がゆらぐこともある。チップが悪意を持った人の手に渡ったらどうなるのか。チップが犯罪者のものだった場合、警察は手が出せるのか。この映画には警察は出てこないが、犯罪の解明にチップほど役に立つものはないのでは?まあ難癖をつけようと思えばいくらでもつけられる映画である。つけるも何も根本的な部分でもうありえない話だから、何ほじくったってムダなんだけどさ。こんなことあるわけないけど、でもあったとして、こんなことができたとして・・その上で見る映画なのよ。

ファイナル・カット5

それでいてアホらしい絵空事として心の中を通り過ぎてしまう映画かと言うと・・そうでもないのよ。心にズシンと来る。心が重くなるのよ。何かを突きつけられたような気分。混乱するの。・・でもってこうやってだらだらと書きつづっているわけよ。考えをまとめるためにね。この映画は・・何と言うか、フランスあたりで作られそうな映画だ。ひっそりと公開されたけどアイデアがすばらしい!とネタ捜しに血眼になっているハリウッドが目をつけてアイデアを買い取る。そしてリメイク決定。オリジナルはこぢんまりとしたSFサスペンス。でもハリウッド版はCG使ってセンセーショナルなものに仕上がっている・・みたいな。そんな経過をたどりそうだが、実際は最初からアメリカ映画として作られている。要するにアメリカ映画なのにヨーロッパ風のムードがあるってことなんだけどさ。脚本と監督は20代のレバノン人で、はっきり言って実績ゼロ。アイデアは独創的だけど未知数の若者に大金つぎ込むほどの決心はつかなかったのか。SF映画らしからぬこぢんまり感はそのせいだと思う。内容から言って「アイ,ロボット」、あるいは私は見たことないけど「マイノリティ・リポート」とかさ、近未来ならそんな感じになりそうだけどぜ~んぜん。ちっとも未来じゃないの。未来っぽくできませんでした。何せお金じぇんじぇんないんですぅ~感がひしひし伝わってくる。出演者もそう。今をときめくビッグスターじゃなくて、今はあんまりときめいていないスター使ってる。オスカー俳優の豪華共演・・なんてパンフやチラシに書いてあっても(事実ではあるけれど)何かうらさびしい。その上超地味なジム・カヴィーゼルと来たもんだ(ヒゲ似合わん)!いやいやいいんですよ。この映画の場合お金がなくて(←もちろん私のかってな思い込みですよ、ホントは資金潤沢だったかも!)正解だったのよ。記憶がどうたらこうたらと言うのは「ペイチェック」、罪がどうたらこうたらと言うのは「悪霊喰」・・どちらもCGの使い方誤って映画の質落としている。記憶細胞をロックして集中攻撃!・・みたいなアホCGに呆れてしまった「ペイチェック」。罪をCGで形にして見せるという罪を犯した・・もとい、思いきりバカなことをしてくれた「悪霊喰」。「過ぎたるは及ばざるがごとし」・・この格言をつつしんで進呈させていただきます。全く何考えているんだかあほんだら。

ファイナル・カット6

いや映画そのものは二作とも好きなんですけどね、作り方、見せ方がね。その点「ファイナル」は、脳の中・・なんていうやりすぎCGもなし(産道はあったけど)。終始地味で落ち着いていてこぢんまりとしていて、どこが未来?色調もストーリー展開も未来と言うよりレトロ。何もないアランの部屋、雑然としたディライラの店・・私好みどす。時々あれ?と気の抜けるようなシーンもあるけど、全体的にはドキドキ感があって。それにしても人間の記憶って何だろう。考え出せばきりがないけど。チップに記録されるのは目にうつったまま、耳に聞こえたままだから事実である。だが記憶は・・必ずしも正確ではない。一部しか覚えていない。間違って覚えている。追悼映画を見た依頼人が言う。船の色が自分の記憶と違う・・。もちろん故人のチップに記録されていた船の色が正しくて依頼人の記憶が間違っているのだ。アランはルイスにもチップが埋め込まれていたかも・・と考える。そのチップを見つけることができれば再生してあの日のことがわかるのでは・・。ルイスは交通事故ですでに死亡していた。アイテック社に忍び込み記録をあさる。犯罪行為だがアランはもうどうしようもなく動揺していて、真実を知りたい・・とやっきになっている。そこで見つけたものは・・自分の両親が書いた契約書だった。何とカッターである自分にチップが埋め込まれていたとは・・。結局ルイスの記録は見つからなかった。そうなると自分の頭の中のチップを再生するより他に方法はない。アランは仲間に無理を言ってチップの記録を再生してもらう。前にも書いたようにチップは死んだ後に見るものだ。生きている人間にそんなことをしたら死ぬ危険があった。だがアランはどうしても見たかった。ルイスの死は自分のせいだと思い込み、罪の意識にずっと苦しめられ・・。結局はそれがトラウマとなって他人の罪を自分に取り込む罪食い人の境地にいるわけで・・。自分には消すことのできない罪があるからついでに他人の罪もしょい込み、一人でも多くの人をきれいな体にして送り出してやろうと・・。しかしチップを再生してみると・・ルイスの事故はアランのせいではなかった。彼はけしかけたのではなく止めたのだ。ルイスはアランの言うことを聞かず誤って転落し気絶したのだ。ルイスは死んではいなかった。血の海と見えたのはアランが蹴飛ばした赤ペンキだった。心から安堵するアラン。

ファイナル・カット7

もう罪の意識におびえる必要はない。記憶は誤りだった。・・ではチップに記録されたものだけが事実・真実なのだろうか。いや、それは違う。チップにはその時の自分の感情は記録されない。混乱した目線や荒い息は記録される。その混乱ぶりがその時の感情のゆれを表わす。でも自分の頭に浮かぶ映像(その後何度も何度も頭の中をよぎったであろう血の海に横たわるルイスの死体)、心の声(どうしてあんなことに・・どうしてルイスを残して自分だけ逃げてしまったのだろう・・)はチップには記録されない。「考えたこと」は記録できないのだ。ショックのせいで記憶は変わる。こうであったはずという思い込みのせいで記憶は変わる。記憶は生き物である。その人が生きているから記憶も変わるのだ。「絶対忘れない」と言いつつどんどん自分の中で変化させていく。その点チップに記録されたものは変わらないが、編集によってどうとでも変えられる。真実が虚構となる。しかし依頼人が欲するのは虚構の方で・・。きれいごとで埋め尽された人生。ほじくって見ればあの映像もウソなんですけどね。チップに記録されていた映像・・。目にうつった通りの映像だとしたらまばたきによって中断するはずだけどそれがない。若い頃ははっきり見えても年を取ればぼやけるはず。音だって人の声以上に自分の心臓の音が響くはずで・・。まあいいんですけどね。他人の人生を誰よりもよく知っているアランは、その記憶を欲しがる者の手にかかって死ぬ。バニスターのチップがディライラのヒスのせいでだめになり、バニスターのチップのなかみを記録しているアランのチップが必要になり・・。何度も言うようだがチップは死ななきゃ取り出せない。フレッチャーは友人だからアランを殺すのをためらったが、相棒の方はためらう理由もない。ラストはアランのチップを再生するフレッチャー。アランのチップには彼が見た依頼人のチップのなかみ全部が記録されている。フレッチャーの目的はその中からバニスターの記録を選び出し、アイテック社の評判を落とすようなネタを見つけること。でも・・どうなんですかね。不正をあばくためには人殺しも辞さないというのは・・。終わり方は・・私は不満です。無理な再生を決行したためにアランのチップはショックでイカレてしまい、フレッチャーが見ようとしたらなーんもうつっていなかった・・とかさ。

ファイナル・カット8

人殺しまでしたのにムダだったみたいよ・・と、こうなって欲しかった。あるいは肝腎な部分がうつっていなくてがっくりとかさ。アランはカッターとしてルールを持っている。バニスターの未亡人がなぜ編集を依頼してきたのかその理由はわかっている。未亡人は夫が仕事で後ろ暗いことをやっているのは知っているし、実の娘への破廉恥行為も知っている。脅しの道具になりかねないことを承知で、あるいは夫婦のプライベートな部分も記録されていることも承知で編集を依頼したのだ(まあ実際にはありえないことだけどね。よほどの露出狂でない限り・・)。アランはやばそうな部分に差しかかると早送りしてしまう。見ていないのだからチップには記録されない。破廉恥行為の証拠を・・とフレッチャー達がもくろんでもだめなのだ。ついでに仕事上の悪事も・・。ルイスらしい男を見て以来、アランの頭はそのことでいっぱい。追悼映画のことなんかどうでもよくなっていたはず。フレッチャーのもくろみはここでもはずれ・・と、こうなって欲しかった。多くの人の秘密を知ったアランはその秘密をかかえたまま死んで欲しかった。でもなあ・・題名が「ファイナル・カット」でしょ。アランの目に最後にうつったものは・・アランの耳に最後に聞こえたものは・・と、そうなっちゃうんだろうなあ。今まで彼は多くの人の最後を見、最後を聞いたわけだが、彼自身の最後もまたフレッチャーによって見られ、聞かれているわけだ。作り手としてはここが一番作りたかったシーンなんだろうと思う。だったらその通りアランの目にうつったフレッチャーの姿でいいじゃんよ。その後のシーンは蛇足もいいとこ。君の死を無駄にしない・・とか殊勝なことつぶやいていたけど、死に至らせたのは誰なんだよ。ハッ!今気がついたけどアランの脳からどうやってチップ取り出したんだろう・・。合法的手段でないことは確か。死体が見つかるのはやばいから(アランにチップが埋め込まれていることは何人かの友人・仲間が知っている。チップの行方は当然問題となる)、処分したはず。その前に直接その場でチップを取り出し・・ウゲェ・・。せっかく罪の意識から解放され、新しい人生を歩み出そうとしたところなのに・・かわいそうなアラン。・・てなわけで、なかなか見ごたえのあるいい映画でした。わざわざ出かけて行ったわけですが、十分満足してほくほくして帰ってきましたよ。