ブギーマン(2005)

ブギーマン(2005)

やってるところ少ないし、回数も少ないんだけど、何度か予告を見せられたので見に行く気になった。・・と言うか、主演の男の子がかわいいもんでつい・・(これホンネ。日記の名称を「とことん面食い日記」に変えようかと真剣に考えている今日この頃・・)。お客は15人くらいか。サム・ライミ製作というのが売り(であとは何もなし)。監督は「死にたいほどの夜」のスティーブン・ケイ。知られた俳優誰も出ていない。例によっていろんな映画の寄せ集め的作品。「サスペクト・ゼロ」「エコーズ」「ザ・サイト」。ホラー映画いっぱい見てる人ならもっとたくさん連想するだろう。特徴としては血がどばーもなし、いやらしいシーンもなし、おぞましい虫の大群とかそういうのもなし。いきなりの大きな音、耳ざわりな音、かすかなでもしつこい音、画面を横切るカゲ、思いがけない出現・・そういったありきたりな脅かしがくり返される。あんまり何度もくり返すのでそのうちあきてくる。主人公ティム(バリー・ワトソン)が扉の前で突っ立っているシーンが多い。扉を開けたらどうなる?扉の向こうには何がいる?入口・窓・各種扉・ベッドの下・クローゼット・くり返しくり返し・ワンパターン。この映画プロセスばっかり。プロセス見せたら結果も見せなくちゃならない。でもその結果は何が何だかわからない。1秒の間に何カット入ってるの?チカチカッハイッ終わりー。あのー何も見えませんでしたけどー。これじゃ怖がれない。何うつってるのかわからないのでは怖くない。怖くない結果のこれまたくり返し。せっかく怖がってあげよう、しかけたワナにはまってあげよう、トリックにだまされてあげよう・・そういう寛大な心で見ているのに・・だめ、乗れない。ストーリーは見え見え。ティムには結婚したいと思っている女性ジェシカがいる。でも登場した瞬間わかる。この二人相性が悪い。うまくいかない。ティムやめとけこんな女。何でこんな女にほれた?何でこんな女に自分を合わせる?ほらもう文句言い始めた。物事が自分のペースで運ばないととたんに機嫌が悪くなる。途中でジェシカは行方不明になるけどちっとも気の毒じゃない。ティムよかったじゃない結婚しなくてすんで。謎の少女フラニー、彼女も登場してすぐわかる。この子はもう死んでいる。成仏できずさまよっている。ティムに力貸すけどほんのわずか。トラウマは自分で治すもの。

ブギーマン2

フラニー役はスカイ・マコール・バチュシアック。ぽちゃっとした顔がかわいい。ダコタ・ファニングみたいなのばっかじゃ疲れるから、彼女を見て息抜き。彼女幽霊なんだから吐く息白いのは興ざめ。体温あるってことで、それじゃ生きてることになっちゃう。CG使いまくりシーンがある一方で、こういうところが手抜き。ティムは息が白いのにフラニーは白くないぞ、おかしいな、もしかして・・そういうエレガントな(?)恐怖の演出してよ。話はメチャクチャで穴だらけ。表現方法にこだわっているくせに肝腎な部分はお粗末。子供がいっぱい行方不明になってるけど、ティムの父や叔父やジェシカみたいに大人もいっぱい行方不明になってるじゃん。表向きは子供は誘拐、大人は蒸発でかたづけられているのか(私はサスペクト・ゼロの仕業だと思う・・)。ティムはなぜ母親の悪夢を見るのか。ティムはなぜモーテルの一室から次の瞬間には実家に移動していたのか(ホラー映画じゃなくてSF映画?ってみんな思ったと思う)。なぜその後わざわざ車でモーテルへ行くのか。なぜその場で逆を試さないのか(モーテルから実家に瞬間移動したのなら実家からモーテルへも移動できるのでは・・って普通考えるぜ。ここに時空の穴があるに違いないってね)。なぜケイト(ティムの幼なじみ)の父親は姿を見せないのか。後に書いた二つは説明がつかないが、その方がホラーとしておもしろい。しかし前の二つは説明しといた方がよかったのでは?パンフには精神分析の見地から述べた文章が載っている。「ホラー映画というジャンルは、精神分析の格好の対象」なんだそうだ。ある程度のことはきちんと説明がついてしまう。ティムがマザコンであること。成熟した女性(ジェシカやケイト)とはうまくコミュニケーションが取れないが、フラニーのような少女とは心を通わせることができること。彼は何が怖いのだろう。なぜ怖いのだろう。この世での経験ゼロ、つまり生まれたばかりの赤ん坊には怖いものなどない。育ってくる過程でそういう感情、対象が生まれてくる。闇・カゲ・隅っこ・クローゼット、そして(なぜか)母親。それにしても・・冒頭のベッドでおびえる子供を見て思いませんでした?広い部屋に子供が一人。しかも窓は開いている。子供があれこれ悩んでおびえて眠れなくなるのあったりまえ。六畳一間に親子が川の字なんていう環境なら絶対こんなこと起きませんて。

ブギーマン3

果てしなくくり返されるプロセス見ていて、こんなんでクライマックスどう盛り上げるんだろう・・なんて心配だった。そしたらCGと言うかアニメと言うか・・あれがブギーマン?やたらせわしなくて、クローゼットに吸い寄せられそうになるのを何かにつかまって耐えて「ツイスター」みたい。怖いと言うより滑稽で、しかも何が何だかわからないので、どう文章にしたらいいのかわからん。とにかくブギーマンは姿を消し、いつの間にか夜は明けていて、実家で恐怖の一夜を過ごしたティムはトラウマ克服ってことなんでしょう。でも行方不明で、たぶんもう死んでいるジェシカや叔父さんはどうなるの?特にジェシカはティムとモーテルに泊まったんだから、ティムは警察の取調べを受けるのでは?どう説明するの?エンドロールが始まるとお客さんはさっさと出て行ってしまう。チカチカする画面や大きな音ばかりで心底ふるえ上がるような怖さがない。あとに残るものがないからさっさと出て行くんだろう。明かりがついた時には私一人。・・ってことはエンドロールの後の1シーン私以外誰も見てないってこと。ウヒヒ何だか得した気分。ブギーマンはティムの前からは消えたかもしれないけど、別の子供の部屋に現われる。なぜいなくならないかと言うと、ブギーマンは心の中に住んでいるから。怖いと思う感情があればブギーマンは存在できるのだ。じゃあブギーマンはただの子供の妄想なのか。ティムの悪夢に出てくる母親が悪魔のような形相なのは、ティムの深層心理の表われなのか。つまり彼を束縛する憎むべきものとして母親をとらえているからなのか。その母は死んだけど今度はジェシカが彼を束縛する。ジェシカは実はティムによって殺されたのでは?ティムはもしかしたら精神に異常をきたした殺人者なのでは?ブギーマンはティムが子供の頃持っていたフィギュアと同じ顔らしい。パンフを読むまで気がつかなかったけどね。ブギーマンイコール妄想ということで、ティムの体験全部が妄想、夢の中での出来事という考えもありなわけで、もうそうなると何が何だかわかんなくて感想も書けないわな。だから欠点だらけの駄作と切り捨ててしまうこともできるのだが、そうでもないのよね。いくつか心引かれる部分があって、私はこの映画けっこう楽しんだし、好きなんですよ。バリー・ワトソンは日本で言えばジャニーズ系と言ったところか。

ブギーマン4

もう30くらいだけど23のティムを無理なく演じちゃう。かなり背が高くてがっちりした体格で、冬だからコート着ていてますます大柄。でも顔立ちはかわいらしいの。画面にフラニーとティムがうつるシーンなんかホラー映画とは思えなくて、額に入れて飾っておきたいくらいきれい。ティムは扉恐怖症みたいになっているから自分の部屋も・・。まず入口のドアにはカギがいっぱいくっついている。窓にはカーテンなし。扉がみんなはずされているから中がまる見え。調理器具とか玉ねぎとか整然としているからまるでインテリア雑誌の「見せる収納」みたい。これまた飾っておきたいくらいきれいなシーン。パンフによればベッドは床敷きらしいが、そこまでは気がつかなかったな。服が出ているのには気がついたけど。モーテルで酒用の氷を調達しているシーン。別の泊り客がティムの後ろを通る。夫婦と小さな子供。歩きながら父親がティムに手を上げてあいさつする。言葉はなし、手だけ。ティムもおずおずと手を上げてあいさつを返す。そのシーンが心に残る。冬の夜の凍てつく寒さ。でも幸せそうな親子。少女フラニーには本心を打ちあけられるティム。ベッドの下やクローゼットに対する恐怖が克服できずむき出しの部屋に住むティム。暖かい家族関係とは無縁だったティム。モーテルの部屋ではジェシカが待っているけど、戻ってみるといなくなっていて・・ティムはやっぱりひとりぼっちなのよ。こういうシーンがあるから私はこの映画を好きになってしまったわけ。CGでも大音量でも特殊メイクでもない、こういうきれいなシーンが私を感動させた。お定まりのラブシーンがないのもよかった。恋人、モーテルと来れば次に来るものはわかっているけど、見ているお客はジェシカに好意を持てない。ケイトの方がティムにはお似合いだと思っている。ここでジェシカと仲良くしたらティムまでお客にそっぽ向かれちゃう。まあ失望したお客もいるだろうけどね。ワトソンは最初から最後まで出ずっぱりで、しかも内面的な苦悩の演技見せなくちゃならないから大変。一生懸命やってたけど何しろストーリーが単調でくり返しだから彼の演技もくり返しに見えてしまう。そこがちょっと気の毒だった。てなわけでストーリーの単調さ、矛盾を忘れさせるほどの怖さもないこの作品。私にとっては「きれいな」ホラー映画でしたな。