墨攻

墨攻

同じ歴史スペクタクルでも「蒼き狼」みたいなのは興味ないの。スケールの大きさには感心するけど、やってることは父と子の何とかかんとかなんでしょ?涙がらみの・・。私そういうの苦手。松山ケンイチ君出演というのには引かれるけど、そういうじめじめしたのは見たくない。予告だけ見てそんなこと書くのは失礼かもしれないけど。「墨攻」にもそういうじめじめしたのはあるけど、別のところでやってる。つまり逃亡した農民の部分で。主人公革離(アンディ・ラウ)には家族のしがらみはない。家族だけでなくほとんどすべてのものから距離を置いている。彼はなぜ梁を助ける気になったのか。最初梁王は、趙に全面降伏するつもりだった。大国趙には勝てっこない。でも革離が現われたので気が変わった。墨家は梁に助けを求められたけど、要請には応じない方針を取った。革離は独断で助けに来たのだ。最終的には梁は持ちこたえたけど、梁も趙も多数の犠牲者を出した。最初から降伏していればこんなに犠牲者出さなくてすんだのでは?そう判断したから墨家は動かなかったのでは?それを革離が余計なことをして・・なんて私は考えちゃったけど、革離が動かなければ映画にはならないんですけどね。最初の方はもったらもったらしていて、いろんな国の名前出てきてもよくわからないし、人物関係もわからん。このまま退屈でもったいぶった歴史スペクタクルで終わるのかなーなんて思ったけど、まあ退屈なのは最初の方だけで・・。いろんな国があって、王がいて家来がいて軍隊があって農民がいて、将軍がいて兵士がいて。みんな自分の国のこと考えてあれこれやってるのだから、どの人が極悪人で、どの人が正義の味方で・・なんてはっきり区分けできない。趙の巷淹中大将軍(アン・ソンギ)なんてすごくりっぱな人に描かれているし。後半になると梁王達は、革離の人望恐れていろいろ腹黒いこと企む。何だ、革離はこんな連中助けるためにわざわざ来たのかよ・・なんて思っちゃう。善と悪ははっきり色分けされていなくて、人間はどうにでも変われる。腹黒い卑怯なことやっても、それが国の存続のためなら一概に悪とは言えない・・みたいな。で、ここでまた気がつくけど、そういうのに左右されないのが革離だと・・。彼は助けを求められたから来たのであり、知識があるから趙軍との戦いに利用したのであり・・。

墨攻2

恩知らずな梁王達に裏切られても怒ったりしない。裏切りも含め、すべてのことは想定ずみ。だからって何もせず死を受け入れたりしない。何とか生きのびようと頭を働かせる。人から何か贈り物をもらうことはしないし、美しい逸悦(范冰冰)が接近してきた時も拒む。利害関係や特別な感情を生じさせることを避ける。まあこういうストイックな主人公も珍しいよな。「燃えよ!カンフー」のケインがこのタイプだけど・・。アンディ・ラウを見るのは初めてだけど、この映画を見る気になったのは彼が主演しているからでもある。どんな俳優なのか前から気になっていた。期待に違わず彼は革離役にぴったり。知的で静けさがある。若すぎず老けすぎず、太りすぎずやせすぎず、たくましすぎず貧弱すぎず・・すべてにおいてほどがいい。超大作の主人公にしては地味だけど、存在感があるので画面に埋もれてしまうことがない。重厚さや貫禄はアン・ソンギの方が上だが、革離には身軽さも必要だし。一回見ただけでは誰が誰だか、梁軍か趙軍かよくわからない。しかもヒゲやらカブトやらくっついているし・・。だから戦闘シーンもどっちが勝ってるのか負けてるのか・・。まあ迫力ある映像を楽しめばいいんだけどさ。「アレキサンダー」もすごかったけど、こっちも負けていませんよ。ただ火を使ったシーンは合成だってのがバレバレ。逆に言うと合成だってわかってるから平気で見ていられるんだけどさ。まあとにかく矢の多さ、燃え盛る火、ラスト近くの水・・どれも撮影は大変だったろう。ストーリーは・・まあ「非攻」とか「兼愛」とか、そういう難しいのは置いといて、革離という特異な人物に興味が持てたので最後まで退屈しなかった。利害や欲にとらわれることがないので作戦を誤らないし、ムダがない。とは言え、最後まで堅物じゃ人間として幅が出ないので、途中で苦悩したり逸悦に心が動いたり、人間的弱さも見せる。見ている我々は革離と逸悦が結ばれて欲しいと思う。いや別にイチャイチャして欲しいってことじゃなくて、堅い友情で結ばれて欲しい。そのためにも逸悦には危機に陥っても何とか助かって欲しい。ところが・・引っ張るんですよ。水・水・水・・泳げない逸悦はさんざん苦しむんです。薬か何かで喉をつぶされているから声が出ない。すぐ近くに革離がいるのに気づいてもらえない。苦しんで苦しんで・・。

墨攻3

普通あれくらい引っ張ったら逸悦は助かりますぜ。でも!助からない。溺れて死んじゃう。だからすっげー後味悪い。どうせ助からないのならもっと楽に死なせてあげてよね。あんなに苦しませるなこのサディスト!・・って誰に言ってる?さて、ラストはどうにか梁が持ちこたえて、それは革離や子団やその他忠義者達のおかげなのに、梁王達は自分達のおかげだ・・って喜ぶわけ。こういう連中の行く末は知れている。五年もたてば滅びる運命。見どころのある梁王の息子梁適は死んじゃったし・・。多くの人が梁を見限って城を離れる。このラストシーンは冒頭のシーンと同じ。・・ってことは、映画の冒頭ではもうすべてが終わっていて、それから時間がさかのぼって・・という構成になっているのね。とぼとぼと歩く村人達の中に一人の少女がまじっている。この子に母親だか姉だかが話しかける。この少女は戦いの最中、母親だか姉だかが敵の注意を引きつけて身代わりになって、そのおかげで命拾いしたのよ。つまり母親だか姉だかは死んでしまってひとりぼっちなの。生前の言葉を思い出しているのよ。何でこんなこと書くかと言うと、映画が終わった後オバチャン達がべチャべチャしゃべっていて、「死んだと思ったら生きていたのねえ」とか「生きているのなら姿うつせばいいのにねえ」なんて話していたからなの。生きていないんですってば、殺されちゃったんですってば、思い出しているんですってば、だから姿うつさないんですってば、って言うか姿うつせないんですってば(うつったら幽霊じゃん)。テレパシーで送ってやったけど、オバチャン達受信しなかったみたいウヒ。正直言ってどうなんでしょこの映画、ヒットしたんですか?かなりお金かかってるし(1600万ドル・・ハリウッドで作ればこの10倍はかかるな)、合作だし、アンディ・ラウだしアン・ソンギだし、コミックという地盤はあるし・・うまくすれば大ブーム起こせるかも・・って期待したのでは?でもなあ、私が見た時は九人だったし。でも見ごたえのあるいい映画だし、戦いの方法とかものの考え方とか、いろいろ興味深かった。さて、パンフ見てわかったけど珍しい人も出ていたのね。午馬はよく見かける。「少林寺」の于承恵はあんなちょっとの出演シーンじゃもったいない!サモの息子洪天照は「SPL」に出ていたのとはまた別の息子ね。あっちはティミー・ハン、こっちはサミー・ハン。

墨攻4

子団役呉奇隆、梁適役崔始元、梁王役王志文、いずれもよかった。しかし・・私が一番びっくりしたのは・・それこそ座席から飛び上がるほどびっくりしたのは・・エンドクレジットで徐向東様の名前を見つけたから。ギャッ、グォッ、ドワッ、ヒェッ、ホヮッ・・いえ、売り出し中の韓流スターの名前じゃないですってば、驚いたんですってば。そ、そんなあ~出ていると知ってたらもっとよく見てたのにぃ~と後悔しても葵祭・・じゃない、後の祭。ああ~私っていつもそうなのよ、その時は気づかなくて後になって気がつくの。何でこうタイミングをはずすのかしら、ウエーン。いちおうパンフに小さい写真載ってる。ヒゲだらけだわ、これで気がつけったってムリよ、ムリムリ。巷の部下で微詳役。確かこの人生き残ったんだよな~。実は徐向東様、1980年に中国武術団のメンバーとして来日しましたの。太極拳やっていた私はたまたまこの公演を見ることができましたの。と言っても観覧席で見るのとは違って、フロアに椅子並べて、そこに座って見ていて、しかもずっと後ろの方だったので、前の人が邪魔でほとんど何にも見えませんでしたの。選手が飛び上がった時だけ見えるんですの。今考えればそんなところに座ってないで立って見てりゃよかったんだけど、当時はそこまで気が回らず・・。ああ~私っていつもそうなのよ、何てバカなの~バカ~バカ~バカ~(リフレイン)。27年もそうやって後悔しているの。さて徐向東様は鷹爪拳の名手。目がぱっちりとして眉が太くて下ぶくれのかわいい顔しているんですの。もうひとめぼれ!ついでに猴棍の熊長貴様にもひとめぼれしましたの、私って浮気者!この時のメンバーには後に「少林寺」で有名になった胡堅強もいましたわ(そっちはどうでもよろし)。は~徐向東様俳優として活躍しているんですか?きっと今頃はコーチとして後進の指導に・・なんて想像していたんだけど。久しぶりにお姿拝見できてうれぴー!「少林寺・激怒の大地」の中古ビデオ見つけたけどまだ見てないの。怠慢ですみません。それにしてもなんちゅー題名じゃ。これじゃ徐向東様主演映画だって気づくわけないじゃん。テレビ放映の時は「少林寺・怒りの大地」だったし。てなわけで帰る時には気分は「墨攻」じゃなくて「鷹爪」になってました。もう一度見たいと思っているうちに公開終わっちゃいましたけど、DVDが出たらじっくり・・ウヒヒ。