ブラック・ダイヤモンド

ブラック・ダイヤモンド

今週の火曜日の深夜、というか水曜日の午前0時からNHKBS2で「ゴッド」をやる。うれしいぞー!でも何で深夜?「原始のマン」やルーファスの「マーサ・ミーツ・ボーイズ」も深夜だった。ゴールデンタイムにぴったりのコメディーなのに・・。でも「ゴッド」、どうかたくさんの人が見てくれますように・・。さて「ブラック・ダイヤモンド」。ジェット・リーとDMXだけなら見に行かないが、マーク・ダカスコスが出ているので行く気になった。でも表の絵看板にダカスコスの名前がないのはなぜじゃ。トム・アーノルドよりもダカスコスの方が知名度があると思うのだが。まあトムもけっこう好きなんですけど。オペラ歌手みたいに体格がよくて、よく響くいい声をしている。前実家に帰った時、彼主演の「おばかっち地球防衛大作戦」を見た(と言うより見せられた。父の買ってくる中古ビデオはハズレも多い)。見ているのが辛いほどばかばかしいコメディーだったけれど、途中でトムが妙な歌を歌うシーンがあり、そこだけは涙が出るほど笑えた。彼を始め、今回の出演者は「DENGEKI 電撃」と顔ぶれが同じ。あっちはスティーブン・セガール主演の映画としては初めて初登場全米No.1というのがウリだったけれど、別にセガールのせいではなくて、DMXのおかげなんでしょ?今回も似たようなもので、毎日新聞の批評には「中国人と黒人を持ち上げて、両人種の客を集めようという戦略もいじましい」とある。やっぱりそう考える人は私以外にもいるのね・・と読んでいておかしかった。だって見え見えの設定なんだもの。DMXは「電撃」もそうだけど私にはただのカッコつけたあんちゃんにしか見えない。演技はうまくないし、アクションもこれはまあリーやダカスコスとは格が違うのだから仕方がないのだが、ぱっとしない。「電撃」では刑務所に入れられた弟を助けるため、今回は愛する一人娘を救うため・・とどちらも家族愛がらみ。こういうお涙ちょうだいの設定をくっつけないとDMXの演じる人物って成立しないのかね。あまりにも見えすいた人物設定なので、「んなもん、どうでもいいからもっとリーとダカスコスのアクション見せろ!」と心の中で毒づいていた。だいたいちゃんと娘のことを考えているのなら泥棒などせずまともな職業につくはずだし、盗んだダイヤのネックレスを8歳の少女にプレゼントするなんてばかなことはしないでしょ。

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非常識もいいとこで、娘と父親が抱き合って家族愛を強調したところで、こっちは感動するどころか開いた口がふさがらないってもんよ。さてリーはデビュー作の「少林寺」が非常に印象に残っており、私にとってはリー・リン・チェイと言った方がしっくりくる。「少林寺」は中国の武術映画としては初めて大々的にロードショー公開された作品で、それまで見慣れていた香港製のカンフー映画とは一味違った魅力があった。大昔のことなので何回見たかは覚えていないが、とにかく映画館に通いまくった。スクリーンにくり広げられる本場の武術の迫力に圧倒されると同時に、出演者達の初々しさ、すがすがしさに魅了された。香港映画のスター達にはどこかすれたような雰囲気(と言っても悪い意味ではなく、映画慣れしているという意味である)があるが、リー達にはそれがない。プロの俳優ではなく選手なのだから当然なのだが、そこがとても新鮮だった。その後「リーサル・ウェポン4」で彼を見た時には正直失望した。おなかを棒か何かが貫通して、それであんなに動けるわけないでしょ。テレビで「ロミオ・マスト・ダイ」の予告を見た時も失望した。重力を無視したあのケリは何じゃいな。どうも彼本来の魅力、実力がハリウッド映画ではいかされていないような。今回もどうせアホらしいワイヤーアクションを見せられるのだろう・・とリーに関しては期待していなかった。最初に書いたようにダカスコス目当てだった。しかし予想に反して不自然なシーンはほとんどなかったので、その点ではよかった。ストーリーは・・この映画はアクションを見せるのがメインなので・・お留守になっている。ちゃんとした説明はほとんどない。初めにアクションありき・・なのである。作り手としてはお客にストーリーなんか追って欲しくないだろう。アナだらけだってことがばれてしまうからね。でも自分の頭の中を整理するためにちょっと書いてみる。リー扮するスーとダカスコス扮するリンは幼なじみで、一緒に役人(台湾の情報局員)になった。リンは台湾で開発された見かけは黒いダイヤモンドそっくりの核兵器を奪い、その時仲間を殺されたスーはリンを追う。リンはおそらく国際的に指名手配されていて自分では持ち運びするわけにはいかないからだろう、クリストフという男にダイヤを運ばせる。アメリカで武器商人を集めて競売にかけるため、ひとまず宝石商の金庫におさめる。

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ところがクリストフは黒ダイヤ以外は自分の取りぶんにしていいから・・とDMX扮するフェイト達を雇って金庫破りをさせる。映画はこの金庫破りから始まる。フェイト達は金庫の中を引っかき回し、獲物に有頂天になるが、彼らのやり取りを傍受していたスーは警察に通報。逃げる途中のマイルズから盗んだ宝石を奪い返すが、肝腎の黒ダイヤは反対方向に逃げたフェイト達が持っていた。その後黒ダイヤをめぐっていろいろあるのだが、この時点で不思議なのはなぜクリストフが途中でネコババせず、厳重な金庫におさめられてから奪おうとしたのか・・ということ。金庫を破るにはフェイトのような専門家を雇わなくてはならない。しかしフェイト達が成功したところで、リンがたまたま金庫破りの一味に黒ダイヤが盗まれてしまったのだなどと思うわけがない。クリストフが後ろであやつっているのだと見抜くはず。運ぶ途中で姿をくらました方が簡単なのでは?それともクリストフが金庫にちゃんとおさめるまでリンの部下がずっと見張っていたってこと?それなら話は別だけど、だったら腹心の部下であるソナに運ばせた方がずっと確かなんじゃないの?それと金庫の中でのフェイト達は明らかに黒ダイヤのありどころを知らない。かたっぱしから貸し金庫みたいなところの扉をこじ開け、中のものを引きずり出している。クリストフがおさめたのなら場所を知っているのでは?まず約束の黒ダイヤを確保し、それから自分達の獲物を・・となるのでは?見た限りでは引っかき回している途中でようやく見つけたような。ハデな仕事ぶりや逃走シーンで気をそらそうったってだめよ。ちゃんと説明しなさい。結局「トランスポーター」と同じで、アクションでカバーしてはいるが内容はスカスカだってこと。そのアクションも見せ方が悪い。この映画を作った人(監督だか編集者だか脚本家だか、あるいは全員かもね)は明らかに思い違いをしている。豚の丸焼きをドーン、チキンの丸焼きをドーン、牛の丸焼き(ムリかな?)をドーン。さあどうだ、文句あっか・・てな感じ。メインは何なのよ。クライマックスでいうとスーとリンを戦わせて、ダリアとソナを戦わせて、DMXプラス娘をリンの部下と戦わせて、それらをつぎはぎしてやかましい音楽をかぶせて・・アンタ強弱、濃淡、あんばいという言葉を知らんのかい。気が多いというか節操がないというか・・。

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取りあえず何でも同時進行にしときゃあスピード感が出るだろうという安易な発想。クライマックスはスーとリンの戦いがメインのはず。見る方だってそれを期待している。それを細切れにして余計なシーンを割り込ませる。DMXが戦ったってモタモタしているようにしか見えないのよ。あら?それともこの映画DMXが主役の「誘拐された娘救出映画」なの?もっとひどいのが女どうしの戦い。ソナに銃を突きつけられ、絶体絶命のスーの前に現われたのは・・。上着を振り回しながらダリアが現われた時には正直ずっこけたわよ、もう。かんべんしてよ。公正無私な目で見てダリアはソナに勝てるわけないじゃんよ。でも勝つんだけどね、映画だから・・。全然別のことをやっているからとてもいいのがトム扮するアーチーとアンソニー・ホプ・・じゃないアンダーソン扮するトミーの白黒デブコンビ。戦車で乗り込んでくるのがぶっとんでいていい。ドカンドカン撃ちまくり、肝腎なところで二回も「タマ切れだ!」となるのが笑える。自動車は押しつぶすわ、ヘリは撃ち落とすわで迫力満点。超一流のアクションスターが戦っている時に同じことをしたってだめなのよ。茶番にしか見えないんだから。リンの部下は数人しかいなくてちっとも大物という感じはしないのだけど、もっとたくさんいることにしてDMX達が戦車とかロケット砲とかで戦うようにすればいいのだ。それとフェイトは黒ダイヤを町を牛耳っているチェンバースの一味に奪われてしまうのだが、軍隊も持ってる・・とフェイトがびびるわりにはちっともそういうシーンが出てこない。ここで一味を登場させればフェイトの言葉も生きるだろうに。ボスは刑務所で服役中だが、所員は彼を恐れてへいこらしている。娘をリンに誘拐されたフェイトは何とか黒ダイヤを返して欲しい・・とボスに頼むのだが相手にしてもらえない。このボスがまたくだらないことを延々としゃべる。見ているお客を喜ばせようというのが見え見えで、私なんかは嫌悪感でムズムズしてしまう。だから次に面会に来たリンがさっさとボスをあの世へ送った時にはすっきりした。リンは無駄なことは嫌いなのだ。映画の中盤にはクライマックスと同じ同時進行何でもアリのシーンがある。スーは格闘技の試合に出るハメになってしまうのだが、これをじっくり見せりゃいいのに他のところでやってる余計なものをこれでもかとばかりに詰め込む。

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フェイトは黒ダイヤを盗み出すためにチェンバースの店に忍び込み、ダリアは店をまかされている男を色気でたらし込む。トミーは消毒業者を装ってガードマンに近づく。おかげでスーの凄まじい戦いぶりは細切れになってしまう。フェイトがバギーで逃走し、パトカーと追いかけっこをするところは、この映画の目玉なんだろうけど、スーの戦いと交互に見せて、やかましい音楽をかぶせて、リーもすごいけどDMXもすごいんだよ・・と持ち上げているのが見え見え。大きくジャンプするところは当然スタントマンがやって、後ろを振り返るところは本人。猛烈なスピードで走っている時にそんなに何度も後ろを振り返ってよく転倒しないわね・・と皮肉の一つも言いたくなる。ここで一番よかったのはパトカーどうしが正面衝突するところ。あれはとてもよかった。DMXだけじゃなく、お客、特に男性客のためにはダリアの見せ場も作らなきゃ・・とストリップシーンもたっぷり出てくる。鼻の下を伸ばして喜んでいる店長は観客の代表ってわけ。「んなもん、どうでもいいからスーの試合ちゃんと見せろ!」しかもあれだけ時間食っといてダリアは結局見せません(何を?)。ここも次元の低いお客を喜ばせてやろうという意図が見え見えで、ホントいじましいったらないわ。必要なものを見せ、いらないものはカットする。そうやって映画ができていくんでしょ。客の喜びそうなものはたっぷり見せてやれ・・というだけではいい映画にはならないよ。さてラスト、スーとリンの戦いは当然のことながらスーの勝ち。ここも一つやってやれというスケベ根性を出して、見せなくていいものまで見せる・・NHKかよ、もう。それよりあんなに近くにいてスーには放射能の影響はないのかね。そのへん一帯汚染されたんじゃないのかね。どうも向こうの映画って放射能を軽く扱うなあ。「ブロークン・アロー」とかさ・・。さてエンドロールが始まるとたいていのお客は席を立つんだけど、この映画は「電撃」と同様トムとアンソニーとのかけ合い漫才みたいなのがある。「電撃」のは話の内容が下品で、私はトムは出演作品から見て、ボブ・ホープみたいな健全なタイプだと思っていたので少々ショックだった。今回は下品なところはあまりなく、聞いていておもしろかった。この事件を映画にしよう。主演はもちろんヘリを撃ち落としたボク達二人。俳優は誰がいいかな・・。

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トミーは「デンゼル・ワシントンがいい。ボクは最近やせてきているし、デンゼルは太ってきている。お互いに歩み寄っている」などと言って笑わせてくれる。アーチーの「君のママを知ってる。(体が)でかくて、顔の上に座られた」なんていうのもおかしい。まあいろいろ書いてきたけど、サービス満点(あるいは過剰)の映画であることは間違いない。話は飛ぶけど、NHKのスポーツ教室で楊式規定太極拳を見た時には私は目を疑った。模範演技をうつすのに体の一部をクローズアップしてどうするんじゃい!足しかうつっていないその時の手の動きは!手しかうつっていないその時の足の形は!アイドルのイメージビデオじゃないんだぞ。それを見て学習しようとしている者にとっては、全身がうつっていなければ意味がないのだ。それをスケベ根性を出してあっちをうつしこっちをうつし、要するに凝った映像に仕上げようとしている。何を勘違いしとるんじゃい。もちろん映画をとるのだったら話は別。凝った映像もいいだろう。でも話を戻すとこの映画は明らかに詰め込みすぎ。ストーリーが作り物であることは承知しているが、肉体の動きは真実を表わすものであって欲しい。またリーやダカスコスにはそれができる肉体的能力が備わっている。じっくりとれば見ている者の視線、関心を一点に集中させるすばらしいアクション映画になりえたはず。それをあれこれ手を出して、いろんなものを詰め込んで、相乗効果を狙ったはずがただのいじましいだけの映画にしてしまった。その点「少林寺」はその人の持っている能力(武術だけでなくコメディーセンスも)を最大限に引き出すことのできた映画だった。この映画を超える代表作がそろそろリーにもあって欲しいものだ。初々しさもあどけなさもなくなってしまったリーだが、彼には存在感がある。ボスに面会するフェイトの後ろに黙って立っているだけでも彼の強靭さ、冷静さが伝わってくる。ダカスコスはリーとは違うタイプで、「クロウ」のエリックや「ジェヴォーダンの獣」のマニのようなこの世と離れて存在しているような役が似合う。リンのような役をやっても悪人という感じがしない。体が細く、無駄なものが何もないシンプルな存在という印象がある。願わくば自在に動けるうちに真実の肉体的能力を引き出してくれるいい作品に二人がめぐり会えますように。はーでもここはいつ来てもガラガラだなあ。ちょっと心配だぞ。