バビロンA.D.

バビロンA.D.

お客は三人。SF超大作の予告ばんばんかかるけど、ちっともときめかない私。「スター・トレック」なんて日本でヒットするんですかね(ひややか~)。カークの子供時代やってるのジミー・ベネット君かな。さて、久しぶりのヴィン・ディーゼルだがちょっと調べただけでもこの映画評判悪いなあ。監督はいつもサービス精神旺盛だけどストーリーはメチャクチャなマチュー・カソヴィッツ。7000万ドルもかけて成績は2250万ドルくらい・・ま、大コケですな。この後ディーゼルは「ワイルド・スピード MAX」で持ち直したけど、「リディック」と言いこれと言い、SFはだめだなあ。SFアウトローが彼には一番似合うのに(二番目は子守りねウフ。「キャプテン・ウルフ2」はまだかしら)。この映画には原作があるようだがかなり改変されているらしい。90分と短く、パート1という感じ。リディックが宇宙へ飛び出す前、地球で運び屋やってた頃の話・・と言ってもいいような内容。映画の評判が悪いのはヒロイン、オーロラ(メラニー・ティエリー)のあいまいさと、いかにも次がありそうな中途はんぱなラストのせい。ほとんどのことが説明されないまま終わる。と言うか最初の説明もなし。今はいつで、地球はどうしてこうなったのかの説明なし。見てりゃそのうちわかるわよ・・って感じ?物足りないラストも続編でどうぞ。作り手はそういうつもりだったんだろうけど、コケたから作られそうにない。作られたとしても規模はうんと小さくなり、ケチくさいキャスト・ストーリーでビデオスルー。それとも原作もこういう終わり方?そんなこんなあれやこれや余計なこと考えてしまう映画(ゆれまくる細切れ画面なんか注視していられるかよ)。画期的な内容、人間の本質や地球の行く末について考えずにはいられない深い内容を持った映画・・ということにしたいのだろうが、そうはならない。パンフではいろいろ持ち上げているけどね(このパンフもたてになったり横になったり読みにくいったらありゃしない)。お金がかかったのは本物志向のせいもあるだろう。きっとなるべく実物でやったのだ。前半の荒廃した町、駅、難民キャンプなど大がかりで迫力がある。よくわからないがここらへん(新セルビア、ロシア、カザフスタンなど)は荒廃しているのだ。原発事故による放射能汚染。秩序はないに等しく、人々はその日を生きるのに精一杯。他人のことなどかまってられない。

バビロンA.D.2

地球全体がこんな感じなのかと思ったら後半はニューヨークへ移って、こちらは消費社会。元傭兵トーロップ(ディーゼル)が引き受けたのは、若い女性オーロラをニューヨークへ送り届けること。彼女は捨て子で、修道院で育てられた。トーロップ、オーロラ、オーロラを育てたシスター・レベッカ(ミシェル・ヨー)の三人は、いろんな障害に出会いながらもニューヨークへたどり着く。映画を支えているのは何と言ってもディーゼルの魅力。かなり悲惨な過去を持っているに違いないが、たくましくふてぶてしい。どんな時もどこか明るく楽天的。スキンヘッドにマッチョな肉体。大きな鼻にゴムみたいにのびそうな顔立ち。トーロップは混乱の中に生きていても家に帰れば肉を料理し、ちゃんとお祈りをし、ワイン(?)をちびりとやる。決して人格や生活まで崩れてはいない。引き受けた仕事はきちんとやり、人をだましたり汚い手を使うやつは許せない。今回の仕事は楽ではないが、引き受けたのは故郷アメリカへ戻れるから。テロリストというレッテルを貼られ、入国できない彼だがパスポートが手に入った。これが首に注射するというパスポートで、何のことやらわからないが、手帳やカード式と違って絶対偽造できないということらしい。でも・・偽造できたじゃん。まあとにかくトーロップに里ごころがついたってことを言いたいのだ。荒廃した異国での危険な仕事に嫌気がさしたのだ。あっちが荒廃ならニューヨークは爛熟か。一般市民の生活ぶりは不明だが、共通しているのは自分達のことしか考えていないってこと。放射能汚染や暴力のはびこる無秩序な世界ではないものの、地球の明日についてなんか考えてもいない。今日を楽しめればいい。町中広告だらけで欲望をあおるが、心の平安を持てないでいるのは確か。不安につけ入るかのように新興宗教ノーライト派の教主(シャーロット・ランプリング)が語りかける。私がちょっとショックだったのは、密入国を防ぐためアラスカに配備された無人戦闘機。動くものは皆攻撃するのでシロクマなど貴重な動物も犠牲になる。まさに自分達さえよければいいという自己チューなものの考え方。今現在エコだの何だのと騒いでいる我々の世界も、結局はこういう後戻りのできない世界、後戻りするには遅すぎる事態へと進んでいくのではないか。映画で描かれる近未来はけっこう現実味がある。宗教勢力が強いのもそうだ。

バビロンA.D.3

この世界を変えてくれる救い主が近い将来きっと現われる。でもそれって一見希望を持ちなさいと力づけてくれてるように見えるけど、実際はそうじゃない。いつか後始末をしてくれる救い主が現われるから、今は何をしたっていい・・と言ってるのと同じ。どんなに地球を汚したって大丈夫。魔法の杖のひとふりで地球は元通りきれいに・・。でもそんなこと起きるわけがない。地球を汚せば汚れた地球が残るだけ。オーロラ役ティエリーは印象的な顔立ちで、この役にはぴったりだ。ただ彼女は騒ぎ立てたりかってな行動を取ることが多く、トーロップにとっては厄介な存在だ。世界を変えるほどの能力があるという設定らしいが、どうもあいまいである。ウイルスの保菌者という疑いも結局は間違いだったのか。しまいには処女懐胎となって、何が何だかわからなくなる。彼女の両親は大物。本当の捨て子かどうかもあいまい。レベッカがどの程度まで真実語っていたのか不明。オーロラの母親は教主、父親は科学者(ランベール・ウィルソン)。彼はオーロラが胎児の時にスーパーコンピューターのデータをインプット。しかし生まれてみるととても実験対象とはみなせず、父性愛に目覚める。母親が娘を広告塔に利用しようとするのを妨害。トーロップはこの二人の争いに巻き込まれたってこと。でも・・いくらハデなシーン用意し、世界中飛び回っても、一番肝腎なオーロラのこと説明不足なのではまずい。それとも映画の主眼はトーロップが人間愛に目覚めることだから、オーロラのことはあいまいでもかまわないってか?もう一つまずいのはほとんどすべてのアクションシーンがアレなこと。ディーゼル、ヨー、それにK-1ファイター、ジェロム・レ・バンナまで出してきながら・・つまりちゃんと動ける人揃えていながら・・カメラはゆれるゆれる。いやゆらしてるんじゃなくて振り回しているんだろう。シーンは切れる切れる。アクションをまともに見せたのはヨーが相手の手を両手でつかんで足で蹴るところ・・その一ヶ所だけ。後はまともに見せていない。まともに見せるのがアクション映画のはず。作り手の腕の見せどころ。パンチ一つまともにくり出せない素人俳優ならともかく、一流のアクションスター揃えていながら何だよ全く。いいかげん目を覚ませカソヴィッツ。他に顔が変形したジェラール・ドパルデュー、「サンシャイン2057」の迷惑船長マーク・ストロング。