悪魔のワルツ

悪魔のワルツ

これを最初に見たのは「月曜ロードショー」だったと思う。冒頭流れる曲が印象的で、後でホロヴィッツのカセットテープを買ったりした。内容そのものはさほど怖くもなく、印象が薄かった。映画館では見てないが、「スクリーン」で見てあらすじとかは知っていた。原作を見つけて何度も読んだ。DVD化されるとすぐ買ったが、ずっとほったらかし。いや、一度くらいは見たかも。この頃では記憶もすぐおぼろ。コメンタリーでもついてればもっと熱心に見ただろうけど、予告編だけ。「ローズマリーの赤ちゃん」とよく比較されるようだが、あっちはどんな姿をしていようと自分の産んだ赤ん坊には愛情を感じるという。こっちは、なかみは夫ではなくなったけど、体は欲しいという。愛情と言うより欲望。見ている人にはちょっと伝わりにくい感情。原作によるとマイルズは32歳、妻のポーラは30歳、結婚して八年半、七歳になる娘アビーがいる。マイルズはピアニストになるのをあきらめ、ルポライターとして稼ぐ一方、作家を目指している。映画では音楽評論家で作家はなし?高名なピアニスト、ダンカンのインタビューを取りつけ、大急ぎで屋敷へおもむくが、これが運命の分かれ道。ダンカンはマイルズの手を見るなり、態度を変える。ポーラは親友のマギーと二人でビーチウェアの店を出している。マイルズにはもっと安定した職について欲しいが、彼もそのうちきっと成功するだろうと思っている。映画だと一軒家だが、原作ではアパート。若くて健康で、金持ちではないけれど未来に希望を持って暮らしている。原作で一番印象に残るのはそこである。ダンカンが死んで遺産がもらえるらしいとなって、500ドルもらったらどうしよう、皿洗い機を買ってもいい?なんて喜んでいる平凡な夫婦なのだ。少しでも居心地をよくしようとアパートに手を加え、店が軌道に乗り始めると支店を出そうかとなる。ここらへんは映画ではほとんど出てこない。本筋には関係ないからだが、心に残るのはこういう部分。ささやかな幸せが欲望でぎらぎらした金持ち連中に踏みにじられてしまう。ポーラはダンカン邸での仮装パーティなどは好きになれない。自分達とは違う世界の人達だ。ポーラ役はジャクリーヌ・ビセット。どんな場面でも美しい。マイルズ役アラン・アルダは青い瞳が場面によっては冷たく見える。ダンカン役クルト・ユルゲンスもそうだ。

悪魔のワルツ2

ダンカンの娘ロクサーヌ役はバーバラ・パーキンス。ちょっと意外なのはDVDカバーの表が彼女なこと。主役はビセットなのに。ロクサーヌの元夫ビルがブラッドフォード・ディルマン。マギーがキャスリーン・ウィドーズ、夫で医者のロジャーがウィリアム・ウィンダム。ダンカンの取り巻きにクルト・ローヴェンス、アントワネット・バウアーの顔が見える。ポーラはダンカン達のなれなれしさが気に食わない。それに何だか怖い。黒いラブラドール犬、ロビンも気に食わない。パーティの時見つけた、ロクサーヌの作った石膏によるマスクも気味が悪い。ロクサーヌに頼まれ、マイルズもマスクを作る。そのうちダンカンが白血病で死期が近いことがわかる。たぶん彼は(あとを継いでくれる)息子をマイルズの中に見出しているのだ。そう言われればポーラも気の毒になって反省する。しかもダンカンはマイルズにピアノ、楽譜、現金で10万ドル遺してくれた。二人で二度目の新婚旅行に出かけ、楽しいひとときを過ごす。しかしマイルズには少しずつ変化が・・。ずっとピアノから遠ざかっていたのに、猛練習を始め、すぐダンカンの再来みたいに腕を上げる。演奏会、ツアーと、ロクサーヌと行動を共にすることが多くなる。悪夢を見る。取引とか何とか言っている。原因がわからないままアビーが急死する。マイルズが変わり始めたのはダンカンが死んだ夜からだ。新聞で彼の妻の死の記事を調べる。スイスで犬に食い殺されたようだ。ビルにも会いに行く。最初は相手にされないが、アビーの死を気の毒に思ったのか、別荘に招いてくれる。映画ではロクサーヌは二回結婚したことになっている。二回目の相手がビルで、離婚しなければよかったみたいなことを言っている。原作だとビルの悪口を並べ立てているから、ちょっと意外だ。彼女だって元から今のような冷たい女だったわけではないのだ。ビルとの正常な生活を送れていれば・・。しかし父親の娘への異常な愛が、彼女を変えてしまったのだ。ビルの登場は一服の清涼剤のようだ。明るく清潔で健全。彼は悪魔の存在なんて信じていない。だからダンカンやロクサーヌを怖がったりしない。見ている我々は彼が問題を解決してくれるとは思わない。こと悪魔が相手の場合、勝利はほとんど望めない。彼はすぐに殺されてしまうだろう。そしてその通りになる。

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ロクサーヌに子供ができた時には、これで関係が修復できるかも・・と彼は喜んだ。しかしロクサーヌは流産、しかも父親はダンカンだと言う。二人は病気なのだ。悪魔だの何だのは宗教の一種にすぎないのだ。彼はそう結論し、離婚してからはできるだけ近づかないようにしている。たぶんポーラが接近しなければビルは死なずにすんだだろう。ビルの死は事故死で片づけられる。ポーラが何を言っても信じてもらえない。と言うか、どうやって説明したらいいのか。ポーラの身にも危険が迫る。悪夢を見る。アビーと同じに額に青い油のようなものを塗られる。殺されてたまるか。彼女は行動を開始する。ダンカン邸に忍び込んで油や呪文の本を盗む。ロビンに襲われるが、やっとの思いで倒す。原作ではこの後動脈瘤破裂か脳溢血かで病院へ運ばれる。しばらく入院し、リハビリに励む。映画では足が不自由になるとかそういうのはなし。入院中彼女は考えに考える。そしてある決心をする。体が動くようになると儀式を行ない、”主”を呼び出す。説明を聞き、取引をする。犠牲を伴うけど、それは仕方がない。ところで映画を見るにあたって私が一番期待したのは、ダービー・ハットの男である。彼は20年前のダンカンの妻の事件の時に目撃されている。ダンカンの葬儀の時にも来ていたし、アビーの話では家に来てマイルズと言い争っていたらしい。夢の中にも出てくるし、ラスト、マギーの前にも現われる。原作を読んでいても取引の仕組みはよくわからないが、映画ではちゃんと説明してくれるのか。あ~でもダメでした。全然出てきません。葬儀の時、帽子かぶって黒いコート着ている青年がいたから、この人かな・・と思ったけど違うみたい。ロクサーヌの(見せかけの)恋人リチャードみたい。どうして出してこなかったのかな。そのせいでかなり説明不足な感じに。だったらこっちで勝手に妄想してやれ。ダンカンはマイルズの体を手に入れるため、アビーを生贄として差し出した。彼のマスクを作ったのもそのせいだし、輸血のためと称して血液も取った。ポーラはダンカン邸へ押しかけ、ロクサーヌの体を手に入れるために彼女を殴って昏倒させ、たぶん入院中盗んでおいた注射器を使って血を取る。彼女のマスクも壁にかかってる。自分のマスクをどうやって作ったのかしら・・いや、どうでもいいけど。

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家に戻ると血を飲み、呪文を唱え、手首を切り、マスクをかぶり・・。この場合生贄は自分自身と言うことか。こういう取引の他に、邪魔者を始末してもらうというのもあるみたいだ。例えばダンカンは邪魔な妻を始末してもらうことにより、妻の財産を手に入れたし、ロクサーヌと関係を持ち始めた。自分達のやってることを嗅ぎ回り始めたポーラやビルも始末する。ただしポーラは入院したため一時的に命は伸びたけど。”主”は、取引はともかくそれ以外のことで人を殺しすぎるのを不快に思っていたようだ。図に乗りすぎていると・・。だからポーラの取引も承知したのでは?棚の扉をこじ開けて油や本を盗んだことや、ロビンを殺したことがばれていないのはなぜなんだろうと、ポーラは不思議に思うが、これも皆”主”が後始末してくれたからなのだ。ポーラの死体を見つけたマギーは悲しみと怒りでいっぱいになる。早く離婚しておけばよかったのに。ポーラは確かに精神的に追いつめられていた。アビーの死が打撃だったし、マイルズとロクサーヌの不倫もそうだ。あの二人が悪魔だの儀式だのの考えを植えつけたのだ。と言ってこんなマスクだの注射器だのを残しておくわけにはいかない。警察の目に触れないよう、タオルに包んで持ち出さなきゃ・・。そのマギーの前にダービー・ハットの男が現われる。たぶん彼は死体が発見される前にこれらを処分するつもりだったのだ。でも偶然ポーラを訪ねたマギーが先に発見してしまった。そういうシーンがあればなあ・・この映画で私が不満に思うところがあるとすれば、ダービー・ハットの男の不在です!ラスト・・ロクサーヌに乗り移ったポーラは望み通りマイルズの体を手に入れる。でもなかみはダンカンなのよ、いいのかなって声が多いけど、ポーラの場合はいいんですよ。すぐになかみがポーラだって気づかれるだろうけど、それでもいいんだと思う。「一度でもいいから」ってマギーに言っていたでしょ。それにポーラは自分に自信持ってると思う。なかみがポーラでもダンカンを満足させられると思ってるよ、きっと。関係ないけど原作でクリスマスプレゼントの交換で、ダンカン達の訪問を予期していなかったポーラはあわてるが、マギーからもらったアンドリュー・ワイエスの画集を渡してしのぐ。ロクサーヌは喜び、「彼の絵はどれもミステリアス」で「家の絵にしても、中に摩訶不思議な秘密があるような気がする」と言うのだが、先日の「日曜美術館」でワイエスを取り上げていて、そう言えばそんなような絵が出てきていたな・・と、思ったのだった。