ヴィーナス

ヴィーナス

ありがたいことに近くのシネコンで二週間限定でやってくれた。シャンテシネとかには行きたくないのよ。あそこ前の人の頭が邪魔で見づらいんだもーん。「映画の日」だったけど、こういうのはこんでるはずなくて、25人くらいか。オトゥールを映画館で見るのは久しぶり。「レミー」は吹き替えだったし。「ラストエンペラー」以来かな。「アラビアのロレンス」の何度目かのリバイバル上映の時は何度も映画館に通ったな。渋谷のパンテオンだったか、一度奮発して指定席買ってみたのよ。二階席だけど誰もいなくて一番前の真ん中の席。こりゃ独占できるぞ・・と喜んでいたら、家族四人(両親と小学生くらいの子供二人・・たまには奮発して・・と考えるのは私だけじゃなかったらしい)が入ってきて、私の後ろ、つまり二列目の真ん中に座ったのよ。居心地悪いですよ~がらーんとした中に五人だけかたまっているというのはね。しかも三時間以上あるし、そのうちムチ打ちとか出てくるし。指定席って最前列の真ん中から埋めていくんですかね。さすがに一回でこりましたけど。さてオトゥールは若い頃から老け役やっていて、「チップス先生さようなら」とか見て、年取ったらこんなふうになるのかな~なんて思ったり。今は70過ぎて本当におじいちゃんになっちゃったけど、やっぱりメイクでなるのと本当に年を取るのでは違っていて・・。まあ違っていてあたりまえなんだけどさ。チップス先生みたいにきれいに水分が抜けて枯れてシワシワとはならない。カサカサなのにあぶらぎっていて、そばへ寄ると老人臭がしそう。始まった時はテーブルに薬並べたり、メガネがない、手に持ってるとか老人二人がぐだぐだぐだぐだ。いいムードなの。モーリス(オトゥール)の友人イアン(レスリー・フィリップス)は心臓が悪いので田舎から姪を呼び寄せる。身のまわりの世話をしてもらうつもりだが、やってきたジェシー(ジョディ・ウィッテカー)は何もできずぶすっとしている。イアンは失望するが、モーリスは若くてピチピチした彼女に一目ぼれ。「ヴィーナス」と呼んで口実を設けては近づく。このジェシー・・私から見るとどうもねえ。若いから少しくらい自堕落な生活してもその影響はまだ出ない。苦しい過去(妊娠→男に捨てられる→中絶)は気の毒。でもその経験は役立たない。同じ過ちくり返す。つまりまたしてもつまらない男に引っかかる。

ヴィーナス2

知恵や分別が身につけばこんな生活から抜け出せるが、頭からっぽだし向上心もない。もちろん映画だからジェシーは決して悪い子ではなくて、素直で純粋で磨けば光る。そのうちモーリスとも心が通い合って・・となる。普通はここで感動で胸がいっぱいになるんだろうけど私は・・。別に何もなかったな。老人が若い娘に恋して・・という内容ならドタバタコメディー期待するわけで、確かに笑えたんだけど全体的には期待はずれ。決して出来が悪いわけじゃないけど、私はもっとからっとしたのを見たかった。出だしはよかったんだけどなあ・・。この映画を見た後で「ゴッド」とか「ラブ&デス」見直して、私はやっぱりこっちの方が感動できるなあ・・と。設定が似ていて、名優が出ていても気に入るとは限らないんだ、感動するとは限らないんだ・・と。対象が田舎から出てきたイモねえちゃんで、すっきりした髪型の美青年じゃないってのもある。ジェシーはなまなましく物欲しげ。何か食べさせてくれるとか洋服買ってくれるなら相手してもいいみたいな。お金も仕事もないのは気の毒だけど、女であること若いことを利用している。働くより買ってもらう方が楽だ・・みたいな。そこがいやだった。これは同性だからそう思うのかな。とにかくジェシー見ていると寄生虫連想する。自分から寄生されたがってるモーリスもバカ。そのために命縮めちゃった。普通は「彼は命縮めたけどそのぶん内容の濃いひとときを過ごせたのだから悔いはなかっただろう。人生は長さではない、密度が大事なのであ~る」とか書いて、「感動した!」としめくくるんだろうけど私はね、ぜ~んぜん。かえってモーリスの別れた妻ヴァレリーの方に感動した。なまぐさいモーリスと違い彼女はもう枯れていて。「死ぬまで女でいたい」とか「恋していたい」とか、そういう女性がいる一方で「そんなのもうめんどくさい」「一人がいい」って人もいるわけで。モーリスにはさんざん苦労させられたはずだが今は・・。体は少し不自由だけど子供の世話になるのはいやと一人暮らし。モーリスが死んでも悲しみにくれるわけじゃない。にっこり笑ってジェシーに暖かい言葉かける。その心の広さ、品のよさ・・いいねえヴァネッサ・レッドグレーブ。オトゥールの方は難しい役でもこんなのちょろいもんよ・・てな感じで余裕で演じているのがよかった。内容は私好みじゃないけど名優達の演技は堪能できた。